38 下村竜姫の登校
鼎は学園に来て席に着くと、ふと自分の隣の席が空いていることに気がつき、「あっ。」と思い出した。
鼎は男子生徒が隔離されたかのような、安全マージンの取られた窓際の一番後ろの席に座っており、その左隣は……。
「……竜姫。」
そう竜姫の席が空いているのは当然である。
なにせ昨日は学園に来るよう提案することを忘れていたからだ。
先日、急に転生者だということを竜姫の口から知らされ、本来訪れた予定なんてすっかりと抜け落ちていた。
妹の竜美が帰って来たときに、いい時間になったからと、家を後にしたのはどうやら間違いだったらしい。
仕方がないとなのに謝ることと、また今日も竜姫の家に行くことを決めた鼎の耳に微かな騒めきが聴こえてきた。
「うわっ、すっごい美少女!」
「脚ほっそ!顔ちっちゃっ!」
「ちょー肌綺麗っ!!」
などの声が外から聞こえ、それに対しクラスでは…。
「まあ、大声を上げるなんてはしたない。」
「そうですわ、淑女として。」
という言葉が【血の転入日事件】の影響で出てきているのを耳にしたものの、今はそんなことを気にしている場合ではないと、今度は生徒会のこともどうしようかなと考えていたところ、ふと鼎は目を塞がれ視界が真っ暗になり、淑女的なことを言っていたクラスメイトたちの悲鳴が響き渡った。
それに対し、それをした人物は呑気にこんなことを言う。
「だ〜れだっ♪」
その声は聞き覚えのある声だった。
いや、その声のことを今考えていたのだ。当然間違えるはずはない。鼎はふと反射的にその名前を口にする。
「…竜姫…なにしてるの?」
「大正解です♪カナくん♪」
鼎は目隠しされていた手を外され、後ろを振り向くと、そこには鼎が今口にした名前の通り、竜姫がいた。綺麗な黒髪を彩る桜の髪飾りを揺らしながら、一、二歩後ろに下がると、クルリと回って制服姿を見せつけ、「どうです?似合ってますか?」と照れ笑いを浮かべている。
鼎が制服の下の方に視線を向け、「……。」と固まっていると、「ん?」と首を傾げ、そのリップが塗られたのか艶やかな唇に人差し指を当て、すぐになにかを思いついたのか手を叩くと、スッと鼎の顔へと自分の顔を近づけてくる竜姫。そして…。
「チュッ♪」
「「「「っ!?」」」」
竜姫の突然の行動に驚き、声を失うクラスメイトたち。それに対し、鼎は竜姫に少し呆れたような視線を向け…。
「……なにしてるの?」
「なにってご褒美のチュ〜です。クイズに正解したじゃないですか?」
うん…理由になってない。確かに恋人同士とかなら、そういうこともあるかもしれないけど、別に竜姫とはそういう仲じゃないし、そもそも同性には見えないほど可愛いとは思うけど、同性だから、余程のことでもない限り、そうはならないんじゃないかと思う。
鼎自身、夜の街で働いていたので、そういうことは比較的身近にあり、世間一般に比べれば、寛容なのだろうが、自分に当てはめるとすれば、やはり抵抗というものが少なからずあった。
「…じゃあもし正解しなかったら?」
鼎がそう聞くと、竜姫はあっけらかんとこう言う。
「その時は可哀想なので、左頬に残念賞のチュ〜をしました。」
「…はあ…それ、正解でも不正解でも変わらないじゃん。」
「うふふふっ、右と左が違いますよ?ふふっ、でもカナくんの言う通りですね♪同じです♪カナくんの顔見てたら、したくなっちゃったんだから、いいじゃないですか♪」
スキンシップですよ、スキンシップとそのまま鼎に抱きつこうとする竜姫。
それに嫌がるわけでもなく、「…まあ別に…。」いいけど…と鼎が続けようとした瞬間、間に割って入って来る者がいた。
「いいわけないでしょっ!!」
鼎より背の高い肩口あたりで切りそろえられた綺麗な赤髪の女性。東院美奈だ。
あずさの姪である彼女はハンカチをポケットから取り出すと、そっと竜姫の唇が触れた右頬のあたりを優しく拭いてきて、鼎には優しい視線を向け、「大丈夫?カナ、嫌だったでしょう?」と気遣いを見せたが、拭き終わり、「うん、これで大丈夫ね。」と満足すると、一瞬にして生まれた射殺さんばかりの目を微笑みを貼り付けて隠し、そのまま竜姫の方へと向けた。
「あなたどなた?カナが東院に縁のある人物だとわかった上でやったのかしら?」
開口一番、家の名前を武器として使う美奈。
本来、美奈は口ではヒドイことを沢山口にするが、亜梨沙など四方位院縁の人間という例外はあるものの、他に対しては行動面では基本的に優しく、一部ではそういう人なんだと理解もされている。口にするまでもなく、ヒドイことをするような性格や、家の権力を傘にきるようなことをするタイプの人間ではない。
しかし、護るべきものを護るためなら、使えるものはなんでも使うという強かさを持った人間でもある。
鼎は現在、東院という家系に置いて最重要人物であるだけでなく、憧れているあずさの…そして、美奈本人としてもお気に入りで、嫁の座を狙っている人物でもある。
四方位院由来の家系の人間は例外を除けば、世間一般の女性と違い、男性を最重要とはしない。そうは言っても、美奈もこの社会で戦う女の1人なのだ。
当然、目の前で意中の男に自分もしていないような、こんなことをされれば、ブチ切れる。
美奈の目の奥はもう完全に臨戦態勢だった。
竜姫の次の言葉は間違えられない。
それに美奈にイケイケ!と内心応援していたクラスメイトたちも固唾を呑んで見守っていた。
すると、可愛らしい見かけの割に度胸のある竜姫は制服の上の折れ目などがないのを確認し、スカートを軽くはたくと、コホンと咳払いをして、微笑んだ。
「失礼しました。私、カナくんのまだ友人の下村竜姫と申します。このクラスのもう一人の男子生徒と言った方がわかりやすいでしょうか?」
「「「「…………は?」」」」
怒りはどこかへと消え去り、クラスメイトたち同様に間の抜けた声を漏らす美奈。普段見せない美奈のそれが少し可愛いと思ったのは内緒である。




