31 会長の母も酔ってる
先ほどまで張り詰めた空気感の中で、一世一代とばかりの振る舞いをしなければならないと自分に言い聞かせていた茜。すっかりあずさの術中に嵌っていたと知り、意気消沈していた彼女だったのだが、少し時間を置いて、今ではそれもまたありだったのだと受け入れていた。
確かに世間からは目を見えて東院の傘下に下り、敗北の将と軽く見られるかも知れない。しかし、ここにはそれを上回る幸福があったのだから…。それこそが最適解だといずれ世間も知るだろう。知ることができるほどの功績をあげることができさえすれば…この店に来る許可が出たならば…。
まあ、そんなともかく今は…と茜は本能に従うことにした。
目の前にいるのは、綺麗な顔立ちの華奢な美少年。肩幅が特に広かったり、筋肉が膨らんでいたりするわけでもないので、一見胸が薄い美少女のように見えるが、茜の下腹部が心地よい疼きを見せていることからも、そんな迷いはすぐさま払拭される。
少ない休み時間や家での家族の時間にビデオなら擦り切れるのではと思うほどに見ていた彼。本当のところは、先日、愛するありすと2人仲が良さそうにしているのを見て、その中に混じってしまいたかった。そっと触れてしまいたかった。ありすの手前、母親だと押さえつけていた心が2人きりになって、開放されてしまったのだ。お酒の力に頼ったのは言わない約束。
今はそっと肩と肩とが触れ合いそうな距離で…スイーツを食べさせてもらっている。
「はい、茜お姉ちゃん、あ〜ん。」
そっと目の前に差し出された一口サイズに切られたケーキ。それを一瞬迷いながらも…いや、とにかく何を置いても食べなくては…と酒とカナに酔った女は口を開いた。
「うん、カナきゅん、あ〜ん…パク…もぐもぐ。ん〜おいちぃ〜♪」
デレッデレの笑顔で三十ピー歳とは思えないほど媚っ媚の甘い声を上げる2児の母。そんな彼女に鼎は今度は自分の番だと小さな口を開けた。
「じゃあ、今度は茜お姉ちゃんの番ね。」
「うん、カナきゅん、あ〜んして〜。」
「はい、あ〜ん。」
これでも本当に最初こそは、鼎の先日会った時の言葉遣いと違い、茜は戸惑っており、これからあずさに負けた分今度こそと意気込み、カッコいい大人として真面目に打ち合わせをしようと思っていたのだ。……だが、緊張を和らげるべくという名目で、ほんの少しお酒を入れた途端にそんな意志は粉々に崩れさってしまった。
だってこの前はしっかりさんだったのに…今はこんなに…あのドラマみたいに可愛い笑顔を浮かべてくるんだよ?甘えん坊さんになって、カナきゅんが甘えてきちゃうんだよ?そんなのもう無理だからね…だから墜ちちゃっても、茜さん悪くないもん。
…なんて思考もすっかりテレビ西堂を今の地位まで引き戻したやり手だったあの頃を思い出したいと思えるほどに幼児化が進んで、そのうち赤ちゃん言葉でも話し始めるのではないかと思うほどになってしまい…。
結局、茜は鼎とラブラブしながら、鼎が聞いてくることに答えるというスタイルで話を進めていくことになったのだ。それもスイーツをパクつきながら…。
欲に負けた茜さんは本当にダメダメである。
―
「茜お姉ちゃん、それでこの【男性マネージャー奮闘記 恋する男装アイドル】ってどういう作品なの?」
「う〜ん?これ?クピクピ…たしか〜とあるアイドルにあこがれたおとこのこがそのアイドルのりっぱなマネージャーになりたい!がんばるぞ〜っておはなし。」
「…恋する男装アイドルって書いてあるけど?それがそのアイドル?」
「ううん…ちがうよ…ほかのアイドルのマネージャーになりたいの…クピクピ…。」
「そうなの?じゃあ彼女は?」
「うん?…クピクピ…まあ、それはて…ううん、おまけ。」
「え…お、おまけ!?タイトルを見る限りヒロインなのに!?」
というか、今一瞬、親の敵でも見るような目しなかった?
「…だってよむひとみんなにきいても…クピクピ…みんなそのヒロインのアイドルはホント邪魔…クピクピ…じゃなかったどうでもいい〜って、マネージャーががんばる(意味深)がみたいだけだ〜って…あかねもそうだもん。」
いや、そうだもんじゃなくてね、茜社長…。邪魔って言葉だけ酔っていない素に戻ってましたよね…。
「だって普通、ヒロインに感情移入して読むんじゃ…。」
「かんじょういにゅ〜?にゃはははは♪クピクピ…みんながいちばんかんじょ〜いにゅ〜してるの(セクハラ)プロデューサーや(セクハラ)しゃちょ〜それにそのほか(セクハラする人)だよ?あれはてき〜!それがじじつ〜なの〜♪」
酔っているとはいえ、ドラマのヒロインをはっきり敵とあっけらかんに言う茜に内心頭を抱えつつ、そのヒロインの邪魔者的あり様に鼎は思わず絶句した。
「……。」
あまりにも不憫なので、自分だけは愛してあげよう。そう思って台本に目を通そうとしていると、頬を膨らませた茜が甘えるようにしなだれかかってきた。
「カナきゅん、いまはこっちみてほしいの!あかねさんといっしょなの〜!もっと〜あ〜ん。あ〜んしてくれなきゃなの〜。」
「…はい、あ〜ん。」と、最後の一口分のケーキを口に入れてあげると、茜は天真爛漫とでもいい笑顔を見せてくれた。
「あ〜ん…パク…もぐもぐもぐ…ごくん…えへへ~。カナきゅんすき〜。」
鼎が止めるのも聞かず、時折理性の光が瞳に宿るたびに恥ずかしさからか顔を赤らめ、クピクピとお酒を飲んでいた茜はもうすっかり完全に出来上がっており、これ以上の話は無理だとわかった鼎はホストとして、お客様を満足させることのみに集中することに決めた。
「あっ、茜お姉ちゃん、グラスが空だよ。なにか飲む?水?」
「みずや〜!ほかの〜カナきゅんがえらんで〜。きょ〜はおさけいっぱいのむ〜。すとれすなんかぶっとばせ〜!お〜〜!!」




