2 ホストクラブ【太陽は東から昇る】
あれから鼎は仕事の手順なんかの説明を受けると、仕事着を手渡された。
それはサラリーマンなんかが着ることはないような真っ白なスーツ。
鼎は手慣れた仕草でそれに着替え、エレベーターに乗る。
景色が上へ上へと流れていくことから、かなり上の階にいたんだろう。
程なくして、チンという音が鳴ると、扉が開かれる。
そこはどこか薄暗く、雰囲気はどこかお忍びの夜という色をイメージさせる。
鼎にとって馴染み深い空気感を感じた。
鼎がそこに着くと、鼎をあずさのところへと案内してくれた女性、佐倉忍に従い付いていく。
彼女は自身と同じような格好をした女性のボーイさんに鼎を紹介する。
「源氏名はカナ。今日は他のやつの手伝いということで頼む。」
「今日から働くことになりました。カナです。よろしくお願いします。」
すると、彼女は「……ほえ〜。」という声を漏らした。
見かねた忍がコホンと咳払いをすると正気に戻り、慌てた様子で挨拶をする。
「あっ、こちらこそよろしくお願いします。私は三塚花江といいます。」
「花江さんですね。」
「はい、花江です。花ちゃんです…っ!?……い、いえ、三塚とお呼びくださいませ…馴れ馴れしくしてごめんなさい。」
なぜかはわからないが、忍の威圧が発動したので、慌てて訂正を入れるとしゅんとなってしまった。
「じゃあ、馴れ馴れしいかもしれませんが、花ちゃんで。」
そう鼎が返すと、花江は「は、はい!ありがとうございます!」と満面の笑みで応えてくれた。
このボーイさんは物凄く感情豊かな娘らしい。
「して、カナは誰に付けるつもりだ?」
「は、はい……佐倉さん、申し訳ありませんが、今日は大変込み合っておりまして…。」
「…ふむ、なるほど…それならば……。」
仕方がないから、後日からと今日はお店の見学のみとしましょうと忍が口にしようとしたその時、鼎の肩をポンと叩く人物がいた。
「あんれぇ?君も同じ口?」
「え?誰ですか?」
「は?マジ?お前俺のこと知らないの?この大スター木本拓海ことキモタク様を!」
どこからかバラを取り出し、唇に挟むというナルシズム満点の自己紹介をしてくれた。
大スター?
キモタク?
聞き覚えのない、見覚えのない存在に困惑していると、忍がそっと耳打ちしてくれる。
「こいつは今有名な俳優で一番人気なんだが、如何せん借入れが多すぎてな…ここで働くことになったんだ。」
この勘違い全開の人物が?
顔は普通、体型も普通なのだが、髪型が金と赤のアシンメトリーとはっきり言って似合わない。
どう見ても、勘違いテンション高めのパリピだ。
芸能界もよくわからない世界になって来たなと思っていると、彼がこんなことを提案してきた。
「俺だって一人で相手しなきゃなんだから、コイツも最初から一人で接客できなきゃダメっしょ!」
「…しかし、カナは未だ未成年で、木本拓海、貴様より女性との関わりは……。」
「そんなん関係なくない?じゃあさ!じゃあさ!!俺も誰かつけてちょ!」
表情は変わらないのだが、ひどく困った様子の忍。
そんな彼女に鼎は優しく告げる。
「忍さん、僕も大丈夫ですから。」
「……主に連絡する。」
それから、彼女が店の奥に入って数分後、木本の言うようにゴーサインが出て、忍さんは鼎に謝ってきたが、忍のせいではないので気にしないでほしいと伝えると、頬が微かに紅潮していた。
―
私の名前は水沢美香、25歳。
こう見えて、プロ野球選手です。
先発ピッチャーでタイトル総なめにし、去年最高の栄誉と言われる賞の澤姫賞と、MVPを取りました。
今日は知りあいのTV局の若社長東堂静江に連れられてイイトコロ?に来まして…。
チンという音がして、それが開かれると、なんとなく女の部分が刺激された。
えっ?なにこれ?
モジモジと股を擦り合わせていると、静江は楽しそうに笑う。
「あら?どうかした?」
その目はどこか意地の悪さがあり、おそらく自分も同じような目に遭ったのだろう当てつけのような気がした。
「ううう…静江さん、ここは?」
「うふふ、ここは会員制ホストクラブ【太陽は東から昇る】。男の子たちとお話できるところ。」
「えっ?男?」
「だから、今日は目一杯楽しみなさいよ!私の奢りだから。」
店に入ると、ボーイさんと静江が話しており、それが終わると美香の元に会員カードが届いた。
オオーっ!!これが…スペシャルなブラックカード!
美香はそれを誰にも渡さないとバッグにしまい込むと、「今日はどちらの子になさいますか?」と立て掛けられた写真を指し示された。
そこには確かに男の子の写真があり、店の中を軽く覗くとそこに映る写真の子がたまたま目に入った。
どうやら本当にこの写真の子たちが働いているらしい。
美香は思わずハアハアとなる鼻息を抑えながら、目を皿のようにして宝探しを始めた。
この子もこの子もこの子もいい!いいね!
全てが宝で財宝。
その中にひときわ輝く存在があった。
「なっ!」
思わず驚きの声をあげる美香。
その視線のさきにあったのは、あのキモタクのそれだった。
えっ?え?なんでここに?
美香がそんな風に困惑していると、どうやら静江も目ざとく彼を見つけてしまい、先に指名されてしまった。
「それじゃあ私はこのタクって子を!……それから水沢さんには他の子をお願い。」
―
美香はキモタクのファンだった。
ドラマは全部見ているし、去年TVに呼ばれて共演した時は天にも上る気持ちだったのを覚えている。
まあ、緊張して言葉を交わすことはできなかったのだが…。
今回はひな壇からではなく、隣りに座ってもらえるという物凄い幸運が目の前にあったのだ。
それがもう少しで手が届くところで、消え去った。
このダメージは計り知れない。
優勝決定最終回逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれたとしてもここまでのショックはないんじゃないかと思う。
ううう……せっかく連れてきてくれたんだから、静江さんも譲ってくれてもいいのに……。
美香はボーイさんに席に案内されるなり、そんなふうにう〜う〜唸っていたのだが、せっかく男の子が隣りに座ってくれるのだからと、野球で鍛えた打たれ強さを発揮し、から元気を出すと、頬を叩く。
「よし!頑張るぞ!オー!」
気合いを入れた美香。
それは内なる自分自身との対話だったので、誰に聞かせるためのものではなかった。
しかし、それに対しての返事があった。
「なにを頑張るの?」という無垢な声。
美香がギギギと声のあった方に顔を向けると…。
「えっ……。」
…そこには天使がいた。
肩口あたりに切り揃えられた艷やかな黒髪。
体つきは華奢なものの、女性かと見間違うほどに整った可愛らしい顔立ち。
「?」と不思議そうに小首を傾げるその姿。
それは男性慣れしていない美香にとっては気絶しそうなほどに凶悪だった。
おっふ、いっ、意識が……。
彼はキョトンした表情を変えて、慌てて美香を支えてくれる。
「だ、大丈夫?」
鼻腔をくすぐる耽美な香り、なんとか起こそうとする必死な表情、プルプルと震える華奢な腕、口からは辛いのかハァハァと息が漏れ、そんな彼の様子を見た瞬間、キモタクのことなんかは脳から出ていった。
美香は身体を起こすなり、できるだけスマートに聞いた。
「私は水沢美香。あにゃたのにゃ前はにゃんでしゅか?」
……か、噛んだっ!!