闇に鬼灯(ほおずき)
闇をただ「闇」と言うのはつまらない。
子供の頃「深淵の闇」だとか「無明の闇」という言葉をカッコイイと思った。けれど都会育ちの私はそういう「本当の闇」に出会ったことはなかった。
私の闇は「仄明るい闇」あるいは「仄暗い闇」だ。ビルの林と駅近のマンションとの往復の生活は、闇とは無縁。丑三つ時すら都会ならば照明が絶えない。
例えば平安時代。闇は本当に闇で、有象無象の物の怪が湧き出たという。
物の怪にも、子供の頃は会ってみたかった。
今日もいつもと変わらぬ日だった。
目覚まし3個鳴らして起きて。会社に行って。取引先のわがままに振り回され。
「煌嶌さん、がんばれ」
と、先輩に励まされ。日本語の通じない日本人をどうにか説得して。ノー残業デーだからいつも以上に高速で仕事をまとめなくてはいけなかったりして。
「ハルヒちゃん、まだ顔が怖いよ」
と、同僚に言われ。何のためにこんなに疲労困憊になっているんだろうと、ため息ついて。
ヘトヘトで帰路についた。
電車でぼーっとしていると、そのうち悩みも消えていく。悩むほどの何かがないのが、悩みといえば悩みかもしれない。よくある会社員の一日。
別に刺激を求めて生きているわけでもないから、平凡なのは結構だけど。
電車の車窓を流れる景色は、変わり映えなく。見慣れてしまって、心が動かない。
「誰そ彼、かあ・・・」
ふと、口をついた。
そうだ、この時間帯は、異界のとこちらの境界が曖昧になるという。子供の頃、好きだった。何かに出会えそうでわくわくした。「誰そ彼」、「黄昏時」、「逢魔が時」。
いい響きの言葉だと思う。ロマンがある。久々に思い出した。
「いや、もう別に憧れてないけどね。」
自分に言い訳もしてみる。
陰陽師とか妖狐とか一反木綿とか、そういうのに憧れる年齢は過ぎたはずなのだ。いい大人なのだから。
いい大人って、なんだろうな。
電車は最寄り駅に近づきつつあった。
ふと、キラリと光ったものが見えた。車窓から目を凝らすと、朱い鳥居だった。
「あの辺り、神社とかあったっけ?」
神社が突然新しく出来るとは考えにくいから、見落としていただけだろう。とは言え、あんなに目立つ朱い鳥居に今まで気づかなかったなんて。私が間抜けなのか。いやそれとも、自覚以上にいつも疲れているのだろうか。
もやもやしている間に、電車は駅に着いた。
「どこかな。この辺なんだけどな。」
長くなる自分の影を追いかけるように入った路地。私は珍しく迷っていた。検索したら、神社は駅からそんなに遠くなかったのに。
「この地図、合ってるのかな。」
マンションが林立していて、商店や一軒家もちらほら混在する住宅街。スマホを片手にぐるぐると歩いた。
「もういいか。諦めよう。」
そうつぶやいたら、なぜかすぐに鳥居を見つけた。
すっかり陽が落ちていた。
朱い鳥居の周辺は、まるで境界線が引かれているように見えた。住宅街側の道路は街灯で「明るい灰色」。鳥居前の道路は街灯がなく「真っ黒」だった。
コントラストが奇妙にはっきりしすぎている。なんとなく踏み出せずに、その境界をじっと見つめた。
急に後ろに気配を覚えた。
おそるおそる振り返ると。真後ろに小さな男の子が立っていた。
ものすごく、にこにこしている。小学校一年生くらいだろうか。くりくりの垂れ目、ふわふわした茶色の髪の素直そうな子だ。
男の子は小首をかしげた。凶悪なくらいカワイイ。
「こんばんは、お姉さん。」
「こんばんは。ご近所の子かな?」
「ううん。ボクのお家は山の方だよ。」
男の子は指さした。鳥居側の暗闇の奥、山らしきものが見える。
ん?おかしい。真っ黒な景色の、その奥にあるものが、なぜ見えるのだろう。
気にはなったが、深く考えるのはやめた。私は視線を男の子に戻した。
「親御さんとかは?一緒にいないの?」
「ボクね、一人で来たの。それでね、そろそろ帰るの。」
男の子は私の手を軽く引っ張った。
「あのね。お姉さんにお願いがあるの。」
「何かな?」
「んー。ちょっと来て?」
男の子はにこにこしながら「あっち」と、鳥居の奥を指さした。
そうか、やっぱり鳥居の方に行く流れか。まあでも、一人じゃないだけ、ましかもしれない。
男の子は、つないだ私の手をふりふりしながら先導した。
最初の鳥居をくぐり、他愛もないことを話しながら暗い参道を歩く。
「ボク、リリタっていうの。お姉さんは?」
「私はハルヒ、だよ。」
「お姉さんの名前、かっこいいね!」
しばらく歩くと、次の鳥居が見えてきた。
先ほどの鳥居とは少し違う形の、小さな鳥居だった。
リリタは鳥居の前で立ち止まった。
「ここ?」
「ううん、違う。もっと奥だよ。」
リリタは私の手を引いて鳥居をくぐった。
その先は闇が濃かった。真っ黒に塗りつぶされているようだった。
何だろう、この暗さ。というか黒さ。夜って灯りがないと、こんなに真っ黒なんだ。
私だって停電を経験したことはある。でもそれとも違う気がする。漆黒の闇。とはこういうのを指す言葉かもしれない。
その闇の中、奇妙に浮かび上がって見える参道と鳥居。参道も先に連なる朱い鳥居も発光しているようにはっきり見える。けれど発光している訳でもない。だって周りが照らされていない。周りはくっきり闇だから。
「まだ奥なの?」
いたたまれない気持ちでリリタに尋ねる。
「うん。まだ奥だよ。」
音の反響も変だ。しゃべれば、ここが狭い空間なのか広い空間なのか、反響とか音の感じで判断できるかと思ったけれど。それが、全くわからない。
吹き抜ける風もない。視覚も聴覚も触覚さえも、だんだん混濁していくようだ。
「ハルヒお姉さん、大丈夫だよ」
何が大丈夫か分からない。でも邪気のない、いい笑顔だ。この暗闇なのに、なぜこんなにはっきりリリタが見えるのだろう。
リリタがにこにこして私の手をまた、ふりふり振る。
直感的には、この子は悪い感じがしない。深く考えないことにした。
それから、朱い鳥居をくぐっては闇をひたすら歩いた。リリタは迷いなく奥に進み続けていた。
七つ目の鳥居の前でリリタはぴたりと止まった。
この鳥居の先には社が見える。ということは、これが最後の鳥居なのだろう。やっと着いたのだろうか。
リリタは私を見上げて、にっこり笑って、最後の鳥居をくぐった。
すると突然、視界が開けた。
満天の星空が広がっていた。
上を見上げても周りを見回しても、一面の星景色。見まわす180度が全部星空だった。大パノラマというやつ。いつも目にする、有名な大三角形とか星座だけじゃない。見慣れた星たちの間に、無数の星が輝いていた。
星って、こんなにたくさんあるなんて。まさに無数。凝視していると、空に吸い込まれそうな心地になった。降り注ぐ星の光。これが「星明かり」だろうか。言葉だけは知っていたけれど、こんなに明るいなんて思わなかった。
「すごい星空」
私がつぶやくと、リリタが飛び跳ねた。
「そうでしょう?ボク、ここから見る星空が大好きなの。」
リリタは嬉しそうに、つないだ私の手をぶんぶん振り回した。
「ボク、これが見たくてここへ来たの。」
そういえば月は見えない。今日は新月かもしれなかった。
最後の鳥居の先は少し開けていて広かった。社まで続く参道の両脇に等間隔に燈籠も配置されている。社は小さい。でも歴史はありそうで威厳さえ感じる気配がした。
「ハルヒお姉さん、あそこの木。」
リリタが社の左奥をの木を指さした。
「あの木がどうしたの?」
「木に、紙が付いてるの、見える?」
「紙?」
そう呟いた瞬間、紙らしき白いものが急に目に入った。そして紙の真ん中に杭が刺さっている。
「痛そうでしょ?刺さっているのを抜いてほしいの。」
痛そう、と言うより不気味だ。
「それが『お願い』なの?」
「うん!」
リリタが木の側に駆け寄ったので、私も追った。
「ボク、背が届かなくて・・・。」
紙が刺さっているのは私の視線の高さで、リリタの背よりもずっと上だった。近くで見ると痛そうに見えなくもなかった。
「抜けばいいのね?」
何かの封印だとかじゃないよね。抜いたら何か噴き出してくるとか。
けれど、リリタはきらきらした目で私を見る。
「うん!ハルヒお姉さんに抜いてほしいの!」
いや、そんなに期待に満ちた目をされては。嫌とは言えないじゃないか。
私は杭を握って、思い切り引いた。
杭はすんなり抜けた。紙は幹からがはがれ、はらりと空中を舞い、杭を持っていない方の手に落ちて来た。紙の真ん中には杭で開いた穴と、ひらがなが一文字。。
「『た』?」
「うん、『た』だよ!」
リリタは私の手を揺さぶった。
「ハルヒお姉さん、すごい、すごい!本当に抜けちゃった!」
きらきらの尊敬のまなざしで。ただ杭を普通に抜いただけだよ、礼にはおよばないさ。と思いながらも、まんざらでもない気持ちで、私はリリタの頭をなでた。ふわふわだ。
「こんなことでよかったの?」
「うん!ハルヒお姉さん、ありがとう!」
満面の笑顔だった。
「リリタ!」
突然、少年の声が響いた。
その瞬間、辺りが明るくなった。参道の両脇にずらりと並ぶ燈籠、全部に灯りがともっている。電気かなと思って一番近くの燈籠を凝視したけど、どう見ても本物の炎。どういうからくり?
「ハルヒお姉さん、ありがとう!またね。」
リリタの慌てた声が後ろから聞こえたと思ったら、足元を何かがぴゅっと通っていった。小動物のような後ろ姿は、すぐに見えなくなった。
「子犬?」
いや、いたちかな?
「たぬきだよ。」
右隣から声がした。
「うわ!びっくりした。え!美少年!」
つい言葉にすると、右隣の少年は呆れたような顔になった。
声も涼やかだが、姿も涼やか。高校生くらいの少年は神主のような格好をしていた。紫の瞳の、色の白い少年。外国の子かな。燈籠の灯りに金髪が輝いていた。
美少年は一つため息をついて私に体を向けた。
「せっかく久しぶりに山から下りて来たから、しばらく引き止めようと思ったのに。」
大きな吊り目でじっとこちらを見られると、ドキドキする。険悪な目つきなのに。あまりに美少年すぎる。
そんな私の内心を見透かすように、美少年はまたあきれたような顔をした。ため息をこぼして、少年は続けた。
「あなたが杭を抜いたから、リリタは帰ってしまったじゃないですか。」
「は?」
そういえばリリタは?
「いない・・・。」
あれ?どこだろう?
私がきょろきょろしていると、美少年はまたため息を吐き出した。
そんなに何度も呆れる要素が私にあるのだろうか。
「簡単な言葉遊びです。」
少年は私が持つ紙を指さして続けた。
「『た』、を抜いたから、たぬきに戻って逃げたんですよ。」
「はあ?」
たぬきって、何だ。
「さっき走っていった小動物?」
「リリタです?」
「はああ?まさか変身したとか?」
「はい。」
私が絶句していると、少年は首を傾げた。
「おや。知っていたのでは?」
知っている訳ない。
「驚くことでもないでしょう?たぬきが人になるなんて、普通です。」
いやいや、普通じゃないから。私は美少年に言い返した。
「じゃあ何?君もキツネだったりするわけ?」
少年がにやりと笑った。
「ほら、ご存じじゃないですか?」
「は?」
美少年が吹き出した。私、そんなにアホな顔だっただろうか。黙っていると、美少年は本格的に笑い声を上げだした。少年、笑顔、眩しすぎやしないか?
「へえ、あなた、煌嶌ハルヒさんと言うのですか。」
少年が名刺をまじまじと見ていた。私が見とれている隙に、何をしたんだ?
「お財布に入っていました。」
確かにお財布にはいつも数枚名刺を入れいているけれど、なぜそれを手に持っている?
私がぐるぐるしているのを全く気にする様子もなく、美少年は楽しそうだ。
「へー。ほー。ふーん。なるほどね。」
何が?
「自覚がないって恐ろしいですね。」
「何が?」
「貴方、何だかんだ、順応してますよね。」
「は?」
「うんうん。それも、そいうことなのか。」
「何を納得してるのか、分からないんだけど。」
「知らないって恐ろしいですね。」
「はあ?だから、何?」
少年は私の質問には答えず、ますます楽し気な笑顔になった。美しすぎて、もう何もかもどうでもよくなる笑顔だ。わかった。考えるのやめよう。
少年はもう一度ため息をついた。そしてすっと左手を差し出した。
「あなたもお帰りください。」
少年の左手にはほおずきが握られていた。
「ほおずき?」
「はい。灯りの代わりです。道案内をしてくれます。」
とりあえず受け取ると、少年は吊り目を細めて微笑んで言った。
「ああ、せっかくだから私の名前を教えておきましょう。」
美少年は輝く笑顔で告げた。
「私は、紫音と言います。」
「シオン?」
「はい。では、ハルヒ様、くれぐれも迷いませんよう。」
美少年の有無を言わせぬ見送り姿勢に、来た道を戻ることにした。少年を背に、朱い鳥居をくぐると、ほおずきがポッと光った。
ゆらゆらと揺れて、火の玉のようになった。火の玉はすっと浮かび、目線の高さに一歩先を進んでゆく。明るい光を見ていると、急に周りの闇が濃くなったような心地がした。
そういえば、ほおずきは「鬼灯」と書く、と思い出した。そして鬼火は狐火とも言う。狐火。では先ほどの少年は・・・。振返ると、後ろは深い闇だった。少年も、朱い鳥居も見えなかった。
はっと、気がつくと、最初にリリタに声をかけられた路地に戻っていた。見回しても、鬼灯も狐火もなく、手にはスマホを握っていた。
確かめたくて、もう一度公園に戻る。真ん中を通って社に行く。その奥を覗いて見たが、闇が広がるばかりで、もう朱い鳥居は見えなかった。
路地に戻り、見慣れた大通りに出た。
辺りは明るい。夜の闇など忘れたように。いつもの明るい街灯が、今日はとても眩しく感じた。
マンションに帰り、久しぶりにベランダに出てみる。
ここから見る空は星が見えない。黒でもなく、街灯りに薄められた、はっきりしない暗い色。つまらない空。美しくもない空。だから、私は夜空をまじまじと見つめたことはなかった。
だけど満点の星を見た今の私は、そこに星があると知っていた。
もう少しだけ目を凝らしてみた。しばらく見つめていると、暗さに目が慣れた頃、夜空一面に星が見えて来た。あちらもこちらも。よく見ると、かなりの輝きでまたたいている。
「ここから星が見えると思わなかった。」
見えないものを信じて、目を凝らし続ける。見えるまで、じっと待つ。やり続ける。ただそれだけで、これほどに違う景色が見えるんだなあ。
何か一つきっかけがあれば、本当はそこにずっとあった輝きを見つけることができる。気付いていないだけで、気付こうとしないだけで。毎日は漫然とした繰り返しじゃないのかもしれない。男の子がたぬきに変わるように、鬼灯が狐火に変わるように、ふとした事で大きく変わる事があるのかもしれない。
何かが始まりそうな気配がした。
それは、いつもと違う夜だった。
こんにちは。音翠アイラです。
夏から秋の間の季節ですね。まだ暑いけれど風が涼しくなってきました。
その涼しい風は、果たして季節の便りなのか、どこか異界からの便りなのか。どちらでしょう?なんて考えたりしちゃいます。
あなたはどちらだと思いますか。
そんな、日常とファンタジーが混ざるようなお話をお届けします。
この物語は実は十年くらい前に元になるものを書いていました。それを三年前に書き直して、今回掲載にあたり推敲したり一部改変した、という経緯の、私には愛着あるお話です。ライトなホラーっぽい気配もありつつ、ほのぼのストーリーを感じていただければ嬉しいです。
登場人物の名前は、好きな響き・字面から付けました。
ハルヒってかっこよくて爽やかでさっぱりした印象がありますし、煌めきという言葉が好きなので、煌嶌。狐の紫音は紫苑という花や色の名前が大好きなのでそこから付けました。リリタは漢字で書くと狸々(りり)太、狸ちゃんって名前なのです。紫音とリリタは、こんな物の怪の子に会いたい、という理想を詰めました。
さて、近況を少し。私はVtuberとして声優で歌手で作詞家で小説家になりたい、を掲げて活動しているのですが、この夏も嬉しい事がいくつかありました。ご縁があって漫画に登場したり。声優を務めているゲームアプリの主題歌がデジタルリリースされ、ユニットとして歌唱と作詞をできたり、それが有名な方の作曲だったり。イベントを主催して素敵で大好きな人たちと共演したり、いろんなアーティストが出るイベントで歌ったり。先日投稿とご報告したピアノコンサートでナレーションをしたり。ピアノ・チェロ・クラリネット・パーカッションの演奏に乗せて歌える音楽祭に出演したり。盛りだくさんの夏でした。いつも応援いただけて嬉しいなか、豊かに活動できています。
小説家としても今後もゆるゆる、短編や長編や脚本みたいなものを少しずつお届けしていきます。こちらでもまたお会いしましょう。これからもよろしくお願いします。