寓話(2) ろうそくの火 ~ライクライ峠における噂話から~
あるところに、行商人の男がおりました。男は非常に丁寧な仕事ぶりが評判で、壊れやすいものや大切なものを運ぶときなどは特に重宝されていました。
しかし、それとは逆に、男の仕事を遅すぎるという人もおりました。
「野菜は鮮度が命なんだ! こういうものは、もっと早く届けてもらわないと」
「申し訳ありません。確実にお届けするために、安全な道を選んできたもので……」
「そんなこと、こっちが知ったもんか! これからは、アンタ以外の業者に頼んでやる!」
男自身も他の行商より遅いという自覚があるのですが、急いだせいで事故を起こしたり、荷物が駄目になったりしたらと考えると、どうしても遠回りで遅くなってしまいます。早くしたいのはやまやまだけれど、安全だって捨てられないのです。
「よう、のろま。また相手さんに文句を言われたんだって?」
ある日の夜のこと、馬宿で食事をしていた行商人に同業の男が声をかけてきました。彼は仕事が早いことで有名で、安くて早いことを謳い文句にして、多くの顧客を抱えておりました。
「いまの時代、早さが全てだぜ? 安心も安全もお客からは求められてないし、商品をちゃんと届けるなんて当然のことだからな」
「でも、もしものことがあったらどうするんだい? それで事故を起こしたら、大切な商品が駄目になるだけじゃなくて、自分も大怪我するかもしれないじゃないか」
「じゃあ、起こさなければいい。起こしたなら自己責任だ」
「それに、君はきちんと寝ているのかい? 働き者なのは尊敬するけど、働き過ぎはよくないと思うよ?」
「余計なお世話だ。それに、よそがしていないから俺がしてるんだ。おかげでガッポリ儲かってる。稼げるところで稼ぐのが、賢い生き方だとおもうがね」
同業の男の言葉に、行商人は頷くことが出来ませんでした。自分がのろまなのは認めるけれど、この男ほど早さを、お金を求めることは理解出来なかったのです。
「おや、雨が降ってきたみたいだね」
行商人は、食堂の窓越しにポツポツと音が聞こえてくることに気がつきました。ここに来るまでも怪しい雲行きでしたが、いまは星一つ見えない空模様になっています。
「そんなこと知ったもんか。雨なんか、コートを着てればなんとかなる」
「でも、今夜は大雨になるかもしれないよ? 外はただでさえ暗いのに、それじゃあ先が見えなくなる」
「だったらランタンをたくさん持っていけばいいだけさ。それに、ここのそばにある峠道を通れば、隣の街まですぐに着く。お前はあれこれと心配し過ぎなんだ。余計なおせっかいでこっちの足を引っ張らないでくれ」
じゃあな、と言い残して同業の男は馬宿を出ようとしましたが、そこで一人の壮年の女性が血相を変えて男の前に飛び出しました。
「なりません! 絶対に、行ってはなりません!」
「なんだ、アンタは。これからどこへ行こうと俺の勝手だろう」
「私はこの宿の女将です。夜分にあの峠道を通った者は、誰も生きてはおりません。みんな、みんな、生きては帰ってこないのです」
とても信じられない話ですが、女将の様子からして冗談とは思えません。
どうにも気になった行商人と男は、ひとまず彼女の話に耳を向けることにしました。
◇◇◇◇◇
いまから十年ほど前のこと、あの峠には靴を作る工房がございました。それなりに質の良いものを安い値段で作っていたので、多くの商人から人気があったとか。
しかし――安いことには、ある理由がありました。
工房で靴を作っていたのは、まだ年端もいかぬ子供たち。けして裕福と言えなかったその子らは、それぞれの理由や目的を持って、お金を得るために働いていたのだとか。
なので、雇い主には歯向かうことなど出来ません。いかに給料が安かろうと、いかに待遇が悪かろうと、まだ力も知恵もない子供たちは、ただ働くことしか出来なかったのです。
工房が出来てから半年ほどが経ったころ、雪がしんしんと降り積もる冬の日のことでした。年の瀬が間近に迫って、工房はますます忙しくなっていました。子供たちも無事に年越しを迎えるため、必死になって働いていました。
いつもならば日も暮れたころに作業が終わるのですが、注文を受けた分まで靴が作られていなかったせいか、雇い主は子供たちに仕事を続けるよう命じました。
時計の長い針が一回りすれど、二回りすれど、工房の中がひどく寒いことも相まって、思うように作業は進みません。
痺れを切らした雇い主は、年長の子供に後を任せることにしました。近衛兵や役所の者に見つからないよう、窓には暗幕を垂らし、明かりの使用を控えるように厳しく言いつけてから、自分は先に帰ってしまったのです。
残された子供たちは、けして怠けることなく靴を作り続けました。
ただ、どうにも寒くてたまりません。暗くて視界が悪いので、仕事も思うようにはかどりません。
そこで、年長の子供は決心をしました。共に働く子供たちのため、たとえ雇い主の言いつけを破ることになろうとも、もっとろうそくの数を増やすことにしたのです。
おかげで工房の中は明るくなりました。ほのかに灯ったろうそくの火から、わずかながら暖を取ることも叶いました。
それから工房にいた子供たちは、気分も明るくしようと思って、歌を唄い始めました。
『ろうそくの火 みいつけた。 たくさんたくさん 火いつけた。
ろうそくの火 明るいぞ。 いっぱいつけて 暖取るぞ。
ろうそくの火 見つかった。いますぐ消して また明日。
消さないままなの それだあれ? 』
誰にともなく口にした歌でしたが、いつしかそれをみんなして口にするようになっていました。工房の中だけではなく、心まで温かくなった気がしました。
あるいは、こうして働いている自分たちのことを誰かに見つけて欲しかったのかもしれません。子供たちは構うことなく、大きな声で歌い続けました。
そんなとき――作業をしていた子供たちの誰かが、机の上に置いていたろうそくをうっかり皿ごと落としてしましました。
落とされてしまった一本のろうそくは、床の上にあった紙に火をつけ、その火は不幸にも近くにあった油へと移りました。
年長の子供が気づいたときには、もうすでに手遅れでした。子供たちの明るく弾むような歌声は悲鳴に変わり、小さかったろうそくの火は炎となり、工房の中を焼き尽くします。
靴を、仕事を投げ出して、子供たちは逃げ惑いました。
ですが、黒煙がもうもうと立ち昇る工房の中では、出口の場所などわかりません。張られていた暗幕にも火が燃え移っていたので、窓から出ることも叶いません。
目の前に炎が迫っていますが、身体がしびれて動きません。逃げることもままなりません。
夜分の山で燃え盛る家屋を見つけた人々が駆けつけましたが、もはや手の出しようもなく、多くの者は眺めることしか出来ませんでした。
そうして次の日の朝。かつて峠にあった靴の工房は跡形もなくなり、焼け焦げたものばかりが並んでいました。
そこで働いていた子供たちのうち、何人かは無事に助けられたそうですが、それ以外の子がどうなったのか。
それは、語るべくもありません――――。
◇◇◇◇◇
「のちに雇い主は捕らえられましたが、工房の跡地に買い手は付かず、いまも手付かずままとなっております」
「それで? その話と、俺が峠を越えることのどこに関係があるんだ?」
長話をする女将にだんだんと腹を立てていた同業の男は、噛みつくようにそう言いました。その目つきもすっかり鋭くなっています。
ですが、女将はそんな男に怯むことなく、頑なな態度を崩しません。
「あの火事が起こって久しいですが、ここひと月ほど前から不吉な話を聞くようになりました。なんでも、幽霊が出るそうでして……」
「幽霊?」
「幽霊は歌を唄いながら、夜に通りがかった人の持つ明かりを消そうとするそうです。あるいは、その命も狙ってくるのだとか」
「馬鹿馬鹿しい。十年間は何もなかったのに、なんでいまさら化けて出てくるんだ? きっと、質の悪い賊か何かの仕業に決まってる」
吐き捨てるようにそう言うと、同業の男は席を立ち、食堂から出ていこうとしました。
「待って下さい! これは噓ではなく、本当のことなのです!」
「だとしても知ったことか。俺は急いで積荷の魚を売りに行かなきゃならないんだ。ここで待ちぼうけを食ってる暇はねえ」
同業の男が女将を押しのけようしていたので、さすがに見ていられないと思った行商人が、二人の間に割って入りました。
「だったら、せめて街道を通りなよ。遠回りになるかもしれないけど、それならきっと安全だろうし……」
「まだお前はそんなことを言ってんのか。ちんたらしてたら積荷が腐る。高値で売って稼ぐためには、近道するしかねえんだ」
「でも、女将さんの言うことは嘘とは思えないし、そしたら君の命だって……」
そこまで言いかけたところで、同業の男は行商人へ詰め寄りました。
「いいか、よく聞け。俺はのろまなお前とは違って、仕事に命を懸けてるんだ。何より、金を稼がないと飯は食えないし、命は繋げねえんだ。たかが夜中に近道するくらいで、人に四の五の言ってんじゃねえよ!」
同業の男は、行商人を力づくで突き飛ばすと、そのまま宿の外へ飛び出していきました。馬のいななく声が聞こえて、車輪の音がだんだんと離れていきます。
窓の外では、だんだんと雨脚が強くなっているようでした。
「まったく、口うるさい奴らだったぜ」
夜中に一人で出ていったかと思うと、同業の男は誰にともなくそう言いました。
「こっちの備えは万全なんだ。何がどこから出てきても、なんなりと対処してやるよ」
愚痴を口にした男の周りは、馬車の四方に吊られたランタンに照らされて煌々としていました。レインコートをしっかりと羽織って、懐には鞘に収まったナイフが忍ばされています。何があってもとは言い切れませんが、たしかに充分な備えぶりです。
ですが――誰かの言葉に耳を傾けなかったことだけが、彼の失敗でした。
いよいよ峠を登り切って、あとは下り坂といったところで、暗闇から何かが飛び出してきました。驚いた男は手綱を引いて、急いで馬車を止めます。
「バカ野郎! こんな夜中に、いったい何考えてやがるんだ!」
飛び出してきたのが動物ではなく人のように見えたので、男は怒りに任せて声を荒げました。
ですが、飛び出してきた誰かは何も言うことはなく、男のほうを向いたまま立ちすくんでいます。小柄な身体を大きなボロ布で覆い隠しているようで、その顔を見ることもかないません。
「おい! 聞いてんのか、そこの――――!」
そこまで口にしたところで、男は言葉は止んでいました。
明かりに照らされているところの外から、ボロ布をまとった人が次々とやってきました。一人、また一人とゆっくり近づいてきて、いまや十数人まで増えています。
そうして雨が打ち付ける中で、みんなして明るい声音で言いました。
『ろうそくの火、みいつけた!』
その一声を聞いただけで、男は馬に鞭を入れていました。それに驚かされた馬もなされるがまま、慌ててまっすぐ駆けだします。
ボロ布をまとったなにがしかの間を運良く突っ切って、男の乗った馬車は峠下っていきます。どうにか道なりに進んでいるものの、左手側には急な斜面が見えています。
しかし……急に暗くなったことで、それも見えなくなってしまいました。
「な、なんだぁ!?」
慌ててランタンのほうを見やった男でしたが、そこにはボロ布をまとった何者かが、三人ほど張り付いていました。身を低くして、全身でぴたりと引っ付いたその姿は、もはや人のものとは思えません。
『ろうそくの火、みいつけた! いっぱいいっぱい、火いつけた!』
四つ灯っていたランタンは、すでに半分が消されていました。馬車の左側は真っ暗で、視界はすっかり遮られています。
『ろうそくの火、見つかった! いますぐ消して、また明日!』
薄ガラスが割られたかと思うと、ボロ布をまとった何かが、火を吸い込むようにして消しました。ランタンがまた一つなくなって、残りは右前にある一つだけ。
「やめろ化け物! さっさとそこから離れろ!」
積荷である魚が入った木箱を落としながら、もはや手綱を放しながら、男はナイフを片手にボロ布をまとった何かへ立ち向かいました。
やがてナイフを突き立てて、確かな手応えを感じた次の瞬間、
『――消さないままなの、それだあれ?』
最後に残った一つのランタンを付けたまま、馬車は斜面を真っ逆さまに落ちていきました。乗っていた男も、繋がれていた馬も、積まれていた荷物も投げ出されて、全てが山肌を転がっていきます。
最後の明かりが消えた後も、雨はけして弱まることなく、一晩中降り続いていました。
◇◇◇◇◇
次の日の朝になって、行商人はすぐにそのことを知りました。馬宿の近くが騒がしくなっていたことと、宿の女将からも話を聞いたからです。
「私がちゃんと引き留めていたら……」
酷く落ち込んでいた女将に慰めの言葉をかけたものの、行商人自身も彼女とまったく同じ心境になっていました。
――あのとき、僕はどう言えばよかったのだろう?
――自分とは違う価値観を持つ彼に対して、僕はどうすればよかったのだろう?
自分なりに考えてはみたものの、その答えは見つかりませんでした。
時間に、何かに追われるけれど、たくさんの利益を得る方法。
自分のペースで進むけれど、けして賢いとは言えない方法。
はたしてどちらが正しいのか。正しかったと言えるのか。
ろうそくの火を消えるまで眺めながら、行商人は悩み続けていたのでした。
あなたの持っているろうそくは、いったいどんなふうに燃えていますか?
太く短く激しく燃えているか、細く長くほのかに燃えているか。
あるいは――誰かや何か、他ならぬ自分にその火を消されそうになっていないか。
たまには目を向けてみることも大切なのかもしれませんね。