寓話(1) そらまめ姫 ~交易の街ビンズスロウに伝わる民話から~
あるところに、「そらまめ姫」という女の子がおりました。背丈は小さく、いつもお気に入りの薄緑色のドレスを着ていて、唇を不機嫌そうに曲げていたので、みんなからそう呼ばれていたのです。
彼女は高貴な生まれで、正真正銘のお姫様。一人娘ということもあって、お父さんからも、お母さんからも、家臣たちからも、みんなから大切にされておりました。
だからなのかもしれませんが、そらまめ姫には大きな欠点があったのです。
「わたし、これ嫌い!」
四歳となった彼女には、とても多くの嫌いなものがありました。もちろん好きなものもありますが、それよりも嫌いなものに目がいってしますのです。
「お父様! わたし、この野菜を食べたくありません!」
「どうしてだい、そらまめ姫? それはお前と同じ呼び名の美味しい豆じゃないか」
「だって、わたしの口に合わないんですもの。後味が悪くて、青臭くて、とても食べられたものではございませんわ」
「そうは言っても、そのスープは料理長がお前のことを思いながら、心を込めて作ったものなんだよ? もう四歳になるんだから、いい加減に食べてみたらどうだい?」
「嫌ったら嫌です! わたしは、嫌いなものを絶対に口にしたくありません。誰がなんと言おうと嫌ですわ!」
そらまめ姫は頑固なので、一度決めたら意見を変えません。お父さんの言葉であろうと、まったくもって耳を貸しません。
少しでも気に食わないことがあると、へそを曲げて大声を上げる。年を重ねていっても、それが変わる素振りがありません。
そんな姫のことを、両親も、家臣たちも、だんだんと手を焼くようになりました。
それから二年が経ったある日のこと、一人っ子だったそらまめ姫に新しい家族が出来ました。なんと、両親の間に弟が生まれたというのです。
「あらあら、なんて可愛い子。まるでタマゴのように愛らしい。ひび割れてしまわないように、大切に、大切に、育ててあげないと」
お母さんのこう言ったことをきっかけに、生まれたばかりの弟は、みんなから「タマゴ王子」と呼ばれるようになりました。
タマゴ王子の持つ優しさは顔つきにも表れるほどで、言葉と仕草にはまるで棘がなく、黄色い服を好んで着ていました。そうしてすくすくと育っていく彼は、お城のみんなから深く愛されるようになりました。
一方、王子より六歳年上のそらまめ姫は、だんだんとみんなからそっぽを向かれるようになっていました。
お父さんと食事をしたときは……。
「お父様! わたし、この料理は嫌いです!」
「そうかい。だったら食べなければいいだろう?」
お母さんと出かける前にも……。
「お母様! わたし、この色の服は着たくありません!」
「まだそんなことを言ってるの? いい加減、大人になりなさいな」
数少ない友達からは……。
「わたし、あの子のこと大嫌い!」
「あなただって、みんなから嫌われているのよ?」
勉学の先生からだって……。
「勉強なんてしたくありません!」
「ならばしなくても結構です。あなたに教えることはありません」
みんな、わがままなままのそらまめ姫のことを相手にしません。だけど、姫にはどうしてそんなことをされるのかわかりません。弟のタマゴ王子のことは、みんな揃って大事にしているのに。
そうして、そらまめ姫が十一歳になったときのことでした。姫のお父さんである王様に不満を持った人たちが、寄ってたかってお城へ押し寄せてきたのです。
「ここはもうダメだ、逃げよう」
あまりにも多くの人が、その手に武器を、農具を、松明を握ってやって来たので、すっかり気を弱くした王様は、こっそりお城から抜け出すことを決めました。
一緒に暮らしている家族も、お城で働いていた人たちも、それぞれ隙を伺って、お城を捨てて逃げ出しました。
もちろん、そらまめ姫も家族と一緒にいたのですが……。
「お父様、お母様! わたし、こんな生活、もう嫌です!」
彼女のわがままぶりは、歳を重ねても、暮らしが苦しくなっても、それでも変わることはありませんでした。
「いい加減にしないか、そらまめ姫。いまはそんなことを言っている場合じゃないだろう?」
「でも、こんなボロボロの家で寝たくありません! 雨がポツポツ入ってきてます!」
「ここしか私たちの居場所はないんだ。もうしばらくだけ辛抱しておくれ」
「嫌です! わたしは悪くないのに、どうしてこんなところにいなきゃいけないんですか? もう我慢出来ません!」
いつまで経ってもわがまま放題なそらまめ姫に、とうとうお父さんも堪忍袋の緒を切らしてしまいました。
「だったらここから出ていきなさい! お前の面倒はもう見切れない!」
お父さんの言葉に強いショックを受けたそらまめ姫は、大きな声で泣きながら、ボロボロの家を飛び出していってしまいました。
夜の森は真っ暗で何も見えません。涙を流して声を上げても、雨音にかき消されてしまいます。いつ魔物が飛び出してくるかもわからず、野盗が出ないとも限りません。
もはや先行きはないと思われたそらまめ姫でしたが、ここでとても幸運なことがありました。
「おい、そこの黄緑色の服を着たお嬢ちゃん。ずいぶんと泥だらけになっているが、こんなところでどうしたんだい?」
暗い森を道なりに歩いていたそらまめ姫に、明るい光が近づいてきました。どうやら、それは幌馬車のようで、行商のおじさんが馬の手綱を握っていました。
「こんなところにいては危ない。近くの村まで連れていって上げるから、お乗りなさい」
こうしてそらまめ姫は、行商のおじさんに助けられて、暗い森を抜けだすことができました。
村に着いた彼女は、行く当てがないことを伝えると、おじさんの家まで行くことになりました。明かりのついた家では、おじさんの奥さんが出迎えてくれたのでした。
「いらっしゃい。外は雨が冷たかったでしょう? すぐに温かいものを用意するから、ちょっと待ってね」
そらまめ姫は、こんなふうに誰かに優しくしてもらうことは初めてのことでした。甘やかされたことはあっても、思いやられたことはなかったのです。
それだけで心も身体も温かくなっていたそらまめ姫でしたが、やがて食卓で待っていた彼女の前に、奥さんが料理を運んできました。
「はい、どうぞ。冷めないうちに召し上がれ」
差し出されたものを見て、そらまめ姫の身体は急に冷たくなりました。
窪んだ木皿の上で湯気を立てていたのは、そら豆のスープでした。ミルクと玉葱とともにポタージュにされたそら豆に、さらにゴロゴロとしたそら豆が入っています。そらまめ姫にとっては、大嫌いなものに大嫌いなものを重ねたような存在です。
「これは、カミさんの得意料理なんだ。なんでも、ひいひい婆さんのから代々受け継いだ秘伝のレシピらしい」
「そういえば、近くのお城に住んでいるお姫様は、そら豆が大嫌いなんだっけ。そんな子がこれを食べたら、いったいどんな顔をするんだろうねえ」
おじさんと奥さんは、笑いながらそんな話をしています。
だけど、そらまめ姫は笑えません。二人が言ったお姫様とは、まさしく自分のことなのだから。
(もしかして、この人たちはわたしのことに気づいてる?)
そらまめ姫の中に、だんだんと疑念が湧いてきました。だからこそ、わたしに嫌がらせをするために、この料理を出したんじゃないだろうか? そんな思いが浮かんできたのです。
それからもう一つ、ある言葉が浮かんできました。お城から抜け出したときに、お父さんから言われたことです。
――これからは、人から貰ったものを容易に口にしてはいけないよ?
――もしかすると、毒が入っているかもしれないからね。
国に住んでいた人たちは王族のことを憎んでいる。どんな方法で命を狙われるのかわからないから、くれぐれも用心するように。これは、お父さんとお母さんから口酸っぱく言われていたことでした。
この二人は、自分の正体を知っているのかもしれない。
だからこそ、自分の嫌いな料理を用意したのかもしれない。
だとしたら……このスープには、毒が入っているかもしれない――。
そらまめ姫の中にあった疑う心は、はち切れそうなほどに膨れ上がっていました。ここ数日の疲れも相まって、その心に歯止めがかかりません。
美味しそうなそら豆のスープは、テーブルの上でホカホカと湯気を立てています。そらまめ姫が口にしてくれることを待っています。
「おや、どうしたんだい? 早く食べないと冷めてしまうよ?」
心配そうに顔を覗き込んできた奥さんに驚いて、そらまめ姫は座っていた椅子ごと後ろに倒れてしまいました。そのまま床板を引っ掻きながら立ち上がると、弾かれたようにおじさんたちの家から飛び出していきます。
「こら、どこへ行くんだ! 待ちなさい!」
おじさんが声を上げながら追いかけてくるものの、そのことにはまるで目もくれずに、そらまめ姫は走り続けました。心配してくれているのか、はたまた命を狙われているのか。それがどちらかもわからないまま、雨の中を逃げ続けます。
街の外に着いたときには、もうおじさんの姿は見えませんでした。きっと、途中で諦めて帰ってしまったのでしょう。
そうして夜の中に取り残されたのは、そらまめ姫ただ一人。ボロボロの服を着て、泥だらけの靴を履いている、ずぶ濡れになった彼女だけ。
みんなに嫌われたから帰る場所はなく、誰かを信じることも出来ないから拠り所もない。
そんなそらまめ姫の行き先は、いったいどこにあるのでしょうか?
――みんな、みんな、大嫌い。
――誰も優しくしてくれないなら、わたしだってそうしてやる。
胸の内で黒い想いをたぎらせながら、そらまめ姫は夜の森へと去っていきました。
雨はしとしと降り続けます。彼女がどこへ行ったのか、それは誰にもわかりません。
風の噂によると、行く当てもなくさまよっていたそらまめ姫は、やがて恐ろしい魔女になったのだとか。
あるいは、ひっそりと街に隠れて暮らしたそうな。
どちらが本当でどちらが嘘か、はたまたどちらも噓なのか。
本当のことがわからないので、それを知る人は誰もいません。
もしかすると、あなたのすぐそばにだって、そらまめ姫はいるのかもしれませんね。