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はじめに ~編者ラインバッハ・アンダーソンより読者諸賢へ~

 本作をご覧になって下さる読者の方々へ、まず断っておかねばならないことがある。

 これから記していく物語の数々は、著者である私――ラインバッハ・アンダーソンによる創作ではない。かの世界を実際に旅して、自分の足で歩き、自分の目と耳で見聞きした寓話や伝承を記憶にある限り再現したものだ。


 かの世界とは、すなわち「ファンタジイド」。果てなく広がる青い空に、毅然として浮かぶ大陸。眼前を真っ白い雲が泳ぐ、清らかなる風がそよぐ土地。

 ここまでだと空想、妄想、虚言の類とお思いになるだろうが、私はけして嘘を言ってはいない。私はほんの数日前まで、あることをきっかけにしてそこにいたのだから。


 それでは、事のあらましから書いていこう。少し長くなるが、これは必要な行程なのでご容赦いただきたい。


◇◇◇◇◇


 もともと、私は生まれ故郷で書店を営んでいた。四方を山に囲まれた、若者たちが去りゆくばかりの寂れた街において、私の父が祖父から受け継いでいたものをさらに私が継いでいたという次第だ。


 しかし、空前の不況の起こりによって本が売れなくなると、私が継いだ店にもその影響は如実に表れ始めた。もとよりけして大きな店構えというわけではなかったので、品数で圧倒的に勝っている余所の店に客が流れることも自明の理だったのだ。


 私とて、その状況を甘んじて受け入れていたわけではない。自分なりに知恵を絞り、経営を立て直そうと努めたのだが、その目論見はあっけなく砕かれてしまったのである。

 私は悩んだ。このまま店を続けるか、あるいは閉じるか。すでに抱えていた損害が大きくなるか、小さくなるか。立ち直って考えてみた。


 だが――どう考えてみても、このまま店を続けることは困難でしかなかった。品物が売れないのに店を構え続けるほど私は酔狂ではなかったし、そもそも豊かではなかった。同居している母とも相談し、店じまいの準備に取り掛かった。


 数日をかけて作業をし、入口の扉に貼り紙をしてから鍵をかけて、がらんどうになった店内を眺める。そうして見えてきたのは、私の今後の先行きと心の内であった。


 これから私はどうしようか? すでに若くはない私を雇ってくれるところはあるのか? わずかながらにあった収入が完全に途絶えたが、当面の生計は、残った借金はどうするのか?

 何より……好きだったものを手放した私は、これからどうなっていくのか?


 実家に併設されていたこの店は、本を好きだった祖父が最初に始めたものだった。周囲からの反対を押し切り、妻である祖母を泣かせることになりながらも、勤めていた職をなげうって、有り金をはたいて店を構えたのだ。

 その結果、なんとか成功を収めた。数十年前、この地域では本を扱う店は少なかったため、求められていた需要に応えることが出来たからである。


 祖父が病に倒れてからは、父がその跡を継いだ。祖父のときと同じように、当時の父はすでに別の仕事をしていたのだが、店を無くすことはどうも納得がいかなかったらしく、収入は減ることになれども続けることを選んだのだった。


 私の場合は、完全に成り行きであった。仕事を辞めて実家に帰ってきていたところ、父が早世し、空いた店主の座に納まることになったのだ。時が流れて需要が変わり、世間も変わっていく中で、赤字を垂れ流しながらも店を続けた。


 そんな子孫三代に渡って共通していたのは、「本が好き」ということだった。それぞれの好みに差異はあったものの、根源であるその一点だけは変わりなかった。

 そうして受け継いだ歴史を、想いを、私がすべて捨ててしまった。


 ある種の愛を持ち続けていても、このまま生きていくことは出来ない。悲しいけれど、時代は変わったのだ。私の想いもまた、時代に負けたのだ。

 次の職を探す合間に、私は酒を飲み続けた。連日に渡って酒場に入り浸り、自分自身を慰めた。頭上に落ちてくる敗北感と、空っぽになった胸の内を埋めるには、もはやそれしか思いつかなかった。


 変わらない毎日を送り、春の穏やかな陽気の中にいてさえ希望を見いだせなくなっていた、そんなときだった――私は“奇跡”を体感することとなったのである。


 ある雨の降った夜、同じように酒場へ行った帰り道でのことだった。普段通っている道が通行止めになっていたので、私は回り道をすることになった。

 幼少の時分、気が向いたときに歩いていた道だが、齢を重ねた現在となっては坂が多いので避けていた。鼻歌混じりに街並みを眺めていたあの頃とは違って、いまは息を切らせて薄闇の中だ。


 点在する街灯りを通り過ぎて、坂道を登って角を曲がれば、次に見えるのは急勾配。どうにかそこを越えた先には、今度は住宅街へ戻る階段がある。

 あとは、それを下りれば自宅までもう少しだったのだが、平時とは違って酒に酔っていた私は足取りも悪く、おまけに疲れ切っていた。雨降りの夜で視界も悪く、足場も悪い。何もかもが最悪だった。

 その結果、私は階段の最後の一段で足を滑らせてしまった。よく濡れた石段がゴム底を引っ張り、さしていた傘は宙を舞う。足は空を切って、視界が反転する。


 それから次の瞬間には……私は野原の上に寝そべっていた。

見上げた先には真っ青な空。石段で頭を打ったような衝撃はなく、怪我をした痕跡もない。それどころか、先ほどまで歩いていた階段も、街並みも、みんな跡形もなくなっている。


 ここはいったいどこなのか? 私はどうしてここにいるのか?

 それとも、これは夢なのか? あるいは幻の中にいるか、最悪の場合は死後の世界ということもあり得る。


 憶測は悪い方向へと向かっていくばかりだが、せめて何か手掛かりを得たい。そう考えた私は、とにかくこの地を歩いてみることにした。着の身着のままで一切の荷物はなく、見知らぬ草原で一人きりという状況だが、自然と胸は高鳴っていた。


 そうして辿り着いたのは、草原の果てにある断崖だった。道はここで行き止まりになっているが、そこから見えた景色に思わず私も息を飲んだ。


 眼下に広がっていたのは、頭上に見えているのと同じ空。少し離れたところに見える川は、滝となって崖の淵から降り注いでいる。飛沫が落ちるその先に陸地も水面も見当たらず、海の如く広がった青色と、まばらに散らされた白雲だけが見て取れる。


 つまり――私が降り立った場所は、天空に浮かぶ大地だったのだ。

 現実ではけして存在するはずのない、まさしく絵空事のような場所。足を滑らせてここに至ったのだが、その経緯から考えてみても、どうもここが天国と呼ばれるところだと思わざるを得ない。


 好奇心と危機感に駆られて、あてもなく無闇にさまよっていると、幸運にも小さな街に行き着いた。立ち並ぶ住居の多くは石造りで、漆喰の壁から垣間見える褪せた木組みの姿も相まって、どこかノスタルジーを感じさせる。

 コンクリートもアスファルトも一切ない街並みに見とれていると、そんな私に町民の一人が話しかけてきた。


「よう。アンタ、ずいぶんと変わった格好だが、いったいどこから来たんだね?」


 異国情緒を感じさせる青い瞳の老人は、しゃがれた声でそう言った。よく見ると、両耳の先が少し尖っているように思われる。

 それにどうしたわけか、見知らぬ土地に来たばかりだというのに、相手の話していることがはっきりとわかる。こちらにとっては都合のいいことだが、なんとも不可思議なものである。

 その点を気に留めながらも、私は老人に尋ねてみた。


「私は、ここではない遠く離れたところから来ました。だからお願いです。どうかこの世界ついて教えてはいただけませんか?」


 老人は私の言ったことに首を傾げたものの、すぐに笑顔になり、邪険にすることなく親切に教えてくれた。


「ここは『ファンタジイド』さ。ようこそ、異界の方。歓迎するよ」


◇◇◇◇◇


 老人の話によると、ファンタジイドと呼ばれるその世界には、私のように異なる世界から迷い込んでくる者が年に数人いるそうだ。

 とはいえ、元の世界に戻る方法が確立されているわけではないらしく、彼らに与えられる選択肢は三つ――ファンタジイドを旅して帰還する術を探すか、いつか帰れることを信じてこの地で暮らすか、あるいは帰ることを諦めるかだ。


 無論、私が選んだのは旅することだった。未知なる世界を見て回ることほど、心が踊るものはない。かの世界の成り立ちを知ることが元の世界へ帰ることに繋がると信じ、止まることなく歩き続けた。

 そうした過程を経て執筆されたのが本作であり、読者諸賢の目に入っているのであれば、私が無事に帰還せしめたという証左だ。


 残念ながら、こちらに戻ってきた際の影響で記憶がおぼろげになり、かの世界における見聞の全てを記せたわけではない。

 しかし、本作に書かれたことを信じていただけたなら、あるいはお楽しみ下さったのであれば、私としてはこれ以上とない喜びである。


 それでは――これから皆様を、幻想と不思議と奇妙で彩られた「ファンタジイド」の世界へご案内しよう。


 どうぞ、ご笑覧あれ。

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