マリエルラビは、野生化した聖女である
マリエルラビは、困っていた。
診療所に戻る道中で野生の王子に捕まり、野生の聖女の疑惑をかけられているのだ。
何を言っているのか分からないと思うが、マリエル自身もとても困惑しているので、どうか許して欲しい。
「野生の、……聖女でしょうか?」
「正しくは野生に帰した筈の聖女だな」
「はぁ………」
近くの街に往診に出かけた帰り道に、いきなり身なりのいい騎士連れの男性に声をかけられ、開口一番に、野生に帰した筈の聖女がなぜここにいるのだと詰め寄られている。
大混乱やむなしの問いかけもそうだが、そもそも、野生の聖女というものがわからない。
マリエルはこれでも見かけよりもずっと長く生きているが、さすがに、野生の聖女というものを見かけたことはなかった。
(聖女ですかと尋ねられるならまだしも、野生の聖女って何?!聖女って、昨今は野生化しつつあるものなの?!)
聖女は野生に生息しているのか、或いは野生化してしまうものなのか。
聖女という肩書が完全に無関係とはいえない複雑な生い立ちを持つマリエルは、もしかすると、彼等の基準如何によっては、野生化した聖女に分類されてしまうのか。
あまり表情に出る方ではないが、それでもマリエルは混乱していた。
「えええと、………野良王子様?ご質問に答えるのであれば、私は聖女ではなく、医者なのですが」
「おい。………何だその呼び方は」
「ですが、そちらの表現に合わせてお呼びするとなると、王家に認識されていない王子様は、野生もしくは野良王子なのでは?」
「………ほお。お前の認識では、王子は家畜か何かなのか?」
腰に手を当てて冷え冷えとした目でこちらを見ている男性は、マリエルにお前は野生に帰した筈だと詰め寄った、けぶるような銀糸の髪に青い瞳の美貌の王子だ。
突然声をかけられどなたでしょうかと問い返した際に、お前の面倒を見ていた王子を忘れたのかと言われたので、王子なのだろう。
背が高く、優美にすらりとはしているが脆弱に見えない。
残念ながらマリエルの持つ語彙はそこまで多くないので、少し怖いような美貌だと言うのが精一杯である。
そして、一刻も早く野生に帰って欲しい。
マリエルには、誰にも明かせない秘密がある。
目の前の二人に関わってぼろを出す前に、どうにかして追い帰さねばならない。
彼等流に言うのであれば、野生に帰れということになるだろう。
「私も、野生の王子様がいらっしゃるのは初めて知りましたが、どこかから迷い込んでしまったのであれば、森に帰して差し上げるのも吝かではありません。環境に優しい生き方を目指していますので、近くの森に案内しましょう。まずは、私有地から出ていって下さい」
「いいか、その妙な作り笑いをやめろ」
「まぁ。いきなりあの物言いでしたから、野生化した王子様はさぞかし人間とのお喋りが苦手なのだろうと思って、わざわざ愛想よく接しているのですよ?そうでなければ、おかしな言いがかりをつけられた段階で、悲鳴を上げております」
「失礼。殿下、ここは私に任せていただいても?」
「ウェイン…………。好きにしろ」
「さて、ご令嬢。こちら側からの意見で申し訳ありませんが、なぜ、王子というものが野生化するという認識をされたのですか?」
このままでは埒が明かないと判断したのか、ここで、軽く手を上げてからにっこり微笑み、マリエルにそう尋ねたのは、野生の王子の護衛だと思われる騎士だった。
ウェインという名前らしい。
柔らかな金髪に青い瞳で、目尻の皺からある程度の年齢だとは推察されるが、ぱっと見た限りではまだ充分に若く魅力的な男性だ。
というか、ある程度の人生経験が大人の男性の色気となっていて、とても素敵な男性である。
そういえばさっき、王子がマリエルをいきなり責め立てた際に、この騎士は申し訳なさそうに頭を下げてくれた。
(王子様の方がツンツンしている猫なら、この方は穏やかで老獪な大型犬かしら。………あ、人馴れした狼でもいいかもしれない)
田舎育ちのマリエルには、ついつい目の前の相手を他の生き物に例えてしまう癖があった。
貴族達の社交場には本心の分からない仕事相手が多く、予め何かに例えて印象を掴んでおかないと混乱してしまうのだ。
「私の知る限り、我が国の王家には二人の王子様しかおられません。お一人は金髪でもうひと方は茶色い髪で七歳と五歳だった筈ですから、自分は王子だと名乗られたこちらの方は、野良なのでしょう」
「ああ、成る程。それは確かに、誤解を与えかねないご挨拶でしたね」
にこにこと微笑みながらそう言われ、マリエルは頷いた。
野生の聖女や王子がいるのかは兎も角、仕事帰りの乙女を強引に呼び止め、冷ややかな声で先程のような質問を投げかけるのは如何なものか。
冷静になって考えると、野生の聖女という表現が、仕事を終えてよれよれになって帰ってきたマリエルへの強烈な皮肉だという可能性もある。
であればマリエルも、身元の不確かな王子には同じような皮肉で返すまでだ。
(…………本当は、この人たちが、帝国の王子様とその騎士だということは、知っているけれど)
それは、マリエルが特殊な経歴の持ち主だからこそ、知ることだった。
とは言え、王子だと名乗った男性の服装は帝国の意匠なので、こんな田舎でも、身なりを見ただけでわかる者も少しはいるだろう。
だが、どれだけ高貴な異国のお客でも、大事に扱われるのは相応の場所でのみ。
先ぶれなく王都から遠く離れた辺境の地の、しかも私有地内にいれば、賓客ではなく立派な不審者だ。
「という訳ですので、ここは我が家の敷地内です。患者さんでないのであれば、どうぞお帰りください?」
「やめろ。………何だその目は」
「もの言いたげに私の持っている鞄をご覧になられていますが、食べ物などは入っていませんので、襲っても無駄ですよ。もし迷子で空腹なのだとしたら、街でその装飾品でも売って食べ物を買って下さい」
「襲うか!人を何だと思っているんだ!」
「野生動物………?」
「首を傾げるのをやめろ!」
「…………俺が思いますに、そろそろ、あの野生の聖女と見間違えた理由を説明されては?多分、そこを説明して謝罪しない限り、こちらのご婦人はずっと警戒されたままでしょう」
二人の会話を遮ってそう告げたのは、穏やかに微笑む護衛騎士だ。
しかし、マリエルの返答が皮肉だと分かっているあたり、なかなかな食えない御仁である。
「…………まさかとは思うが、あれとは別人なのか?」
「でしょうね。殿下も、姿を隠す為の魔術制限を解かれたならすぐに納得されるかと。………同じ姿に同じ名前ですが、かの聖女のような禍々しさはありませんし、魔術的な気配がまるで違います。何よりもまず、こちらの方は人間ですから」
「………そうなのか」
(………つまりこの二人は、自分の知り合いに私がよく似ていると知って、わざわざ訪ねて来たのかしら)
人間かどうかが判断基準になる聞き捨てならない言葉が聞こえてきたが、まずは状況を整理しよう。
この二人が現れたのは、街外れにあるマリエルの屋敷の敷地内だ。
となれば、訪ねて来たと考えるのが妥当であるし、予めマリエルの情報を得て探しに来た可能性が高い。
医療道具の入ったずしりと重い鞄を持ち替えながら、マリエルは、二人の男性を観察した。
追跡魔術などを避けるために使われる魔術制限をかけているとなれば、この王子は、お忍びでここにいるのだろう。
そして、マリエルは、こんな容貌の王子が帝国にいたことをよく知っていた。
(………この人達は、私と同じ名前と姿の、聖女だという誰かを知っているらしい。しかもその方は、どうやら本気で野生の聖女らしい…………?)
何だか厄介なことになったぞと、溜め息を吐きたくなるのを堪え、ひとまずマリエルは、後援者から出資金をぶん取る時用の微笑みを浮かべた。
こんな時は、とても優しい微笑みを象りながらも、逆らったら滅ぼすという冷たさを潜めるといいと養父母に教えられている。
「私は、帝国の王族だ」
ややあって、銀髪の王子がそう告げた。
「まぁ。そうだったのですね!あまりにも堂々と王子だと名乗られましたので、てっきり、こちらの国の王子様かと思っておりました」
「………君を、私の知っている邪悪な聖女だと思い、あの者のつもりで話しかけてしまった。誤解を招く表現であった上に、礼を欠いたことを謝罪させてくれ」
「あえて会話の流れを止めますが、野生の聖女に引き続き、邪悪な聖女という呼び名は、それでいいのでしょうか………」
「聖女として招いた者だから最初はそう呼んでいたのだが、その正体が悍ましい怪物だと知った後も理由があって聖女という呼びかけを続けている。……私は魔術師でもあるんだが、災いを益とするには、祀り上げるのが一番簡単なんだ。怪物に聖女という称号を授けて縛ることで、善きものとして固定し、呪われないようにしている。よって、今後もその者の呼び方は聖女とせねばならない」
「つまり、……帝国におられた聖女様は、本来は邪悪なものだったと?」
それは、初対面の医者に話してしまっていいのだろうか。
少し不安になったが、時折探るような眼差しでこちらを見るということは、この王子はまだ、マリエルがその聖女と無関係だとまでは思っていないのだろう。
寧ろ、無関係な筈はないという前提で会話を進めているようだ。
「恐らくは災いの系譜の妖精だろうな。その中でも、階位の高い妖精の王族だと思われる。………君は、その我が国で聖女として召喚されてしまった生き物にあまりにも似ているのだが、何か事情があるのだろうか?…………もしくは、あの聖女の知り合いだろうか?」
こちらを見た王子はなかなかに美しい男性だったし、語られた言葉もそれなりに理知的だ。
ひとまず、マリエルが聖女本人ではないと理解したようで、先程よりは言葉遣いもかなり柔らかくなった。
しかしマリエルは、帝国の事情をよく知っていた。
王子の説明を聞きながら、相も変わらず行われていたらしい聖女召喚の儀式に、うんざりする思いが顔に出ないように注意しなければならなかった。
(この王子様は、さも、自分達も被害者だと言いたげだけれど…………)
この大陸で一番大きな国は、国名を綺麗に省略して帝国と呼ばれている。
マリエルは、その帝国が、聖獣という名の飼い犬をどうにかする為に、目の前に立っている第一王子と、その実母である王妃の主導で、聖女という便利な生き物を王都に招き入れたことを知っていた。
今回は、呼び込んだものも人間ではなかったようだが、もし、そこに呼び落とされたのが聖女という肩書きを授かるだけの人間の少女であれば、いきなり攫われてきて帝国の為に働かされるのだ。
(今回は呼び出したものも邪悪な生き物だったからといって、帝国の行いはあまりにも一方的だわ。…………聖女という肩書きに押し込めた無関係の人間を、道具として呼び付けたことは変わらない)
その身勝手さを思うとむかむかしたが、マリエルは仕方なく微笑んだ。
今は彼らを野生に帰すのが優先事項であって、遠い過去の憎しみをぶつける必要はない。
それに、あの時と同じことをしていても、今回彼らが利用したのはマリエルではないのだから、今回はもう憎まなくてもいい。
「お二人の会話から、何となくあのように声をかけられた事情が読み解けました。………それで、私の名前と姿、更には家まで奪った羽生物は、今はどこにいますか?継続的な治療予定を組んでいる患者さんがいるのですぐにとは言えませんが、必要であれば、私が駆除しに出向きます」
「駆除…………?!」
「聖女などという面倒そうな役割を引き受けてくれたことには感謝しておりますが、今回のように、その生き物のせいで謂れのない扱いを受けるのは御免です。今後も私の評判を落とす可能性があるのなら、駆除するべきでしょう」
「その必要はない。我が国の筆頭魔術師が、野生に帰した」
「そういえば、最初に野生に帰した聖女という言葉を出されていましたね。野生に帰ったのであれば一安心です。お騒がせしました」
マリエルはせっかちなので、事情の説明はしなかった。
自分がかつて帝国でもこの国でもない国の、小さな村で暮らす体の弱い子供だったことも、ある日突然、得体の知れない妖精に居場所を奪われて見知らぬ土地に放り出されたことも、今は重要ではない。
(この人達には、今回の帝国の聖女となったマリエルと私が別人であることと、そちらのマリエルとは何の接点もないことを理解して貰えればいいのだから)
それさえ理解してくれたなら、きちんと謝罪して貰って早々にお帰りいただこうではないか。
マリエルは、夜通しの仕事を終えたばかりで疲れているし、彼等とあまり話していたくない事情がある。
「………という事は、お前が本物のマリエルで、あれは、お前になり替わった偽物だったのか」
「はい。妖精だと思われる生き物に、自分の家から追い出されたのは覚えておりますし、あなた方の認識している生き物が私の姿をしているのであれば、ほぼ間違いなくそうだと思われます」
「ということは、…………本来はお前が聖女だったのか?」
「いえ、違います。この通り、医者ですので。寧ろそちらの召喚魔術に引っかかったのは、私に成りすましていた生き物が妖精だったからこそなのでは?」
薄汚れた仕事着をまじまじと見つめられながら、マリエルは慌ててそう言った。
このままだと都合の悪い話題に転がりそうなので、こちらの事情をもう少し丁寧に説明してでも、帝国の聖女の一件とは無関係だと理解して貰った方がよさそうだ。
この二人は、マリエルが帝国の聖女と別人だと理解しただけでは帰らないだろう。
「簡単に説明しますと、私は、新しい魔術道具を作ろうとしていた両親の起こした事故のせいで、妖精が我が家に入り込んだところまでは覚えていますが、気付いたらこの国におりました。私を引き取ってくれた養父母によれば、恐らくは、あの事故が妖精の門を開いてしまい、私は、妖精の取り替え子のようなことになっているのだろうと」
「珍しい話ではないな。…………邪悪な妖精達は、そのような機会を決して逃さないだろう」
「ええ。加えて、妖精に取られた名前や家を取り戻そうとすると呪い殺されるのは有名な話ですので、泣く泣く、こちらの国で美味しいご飯を食べ、大事に愛情をかけて育てて貰い、念願の医師としての学びを得て今は幸せに暮らしています」
これで納得出来るだろうかと王子の表情を窺うと、なぜか呆れたような目をしている。
「…………少しも泣く泣くじゃないだろう」
「……………以前の両親は、悪い人達ではありませんでしたが、子育てには向いておりませんでしたから。素人が手を出してはいけない魔術式の構築に商人の立場で手を出したことからも、少々、迂闊な方々だったのでしょう。それはもう、愛情深く、大事に育ててくれた養父母の完全勝利です」
マリエルの言い分を聞かされ、王子は少しばかり居心地が悪そうな顔をした。
このような場合にどう対応するのかを、彼は知らないのだろう。
(………でも、本当のことだもの)
マリエルには、過去の記憶がある。
正確に言えば、同じ人生を五回繰り返した記憶があり、今回が五回目だ。
その人生の内の過去の四回に於いて、マリエルは、聖女として帝国の王都に召喚された。
人間達の悪意を溜め込んで魔術汚染された聖獣を滅ぼす任務に駆り出され、目の前の王子や、今はここにはいない貴族の子息達と共に戦い、そして、全てが終わった後に口封じのために殺されたのだ。
聖獣が悪変したということも、それを滅ぼさねばならないということも、秘密にされていた。
表向きマリエルは第一王子の継承争いを有利にする為の駒として召喚されたことになっており、冷ややかな周囲の目の中で任務を果たすのは、並々ならぬ苦労であった。
だから、五回中二回で、マリエルは商会を通じて極秘裏に両親に助けて欲しいという手紙を出したが両親からは、頑張りなさいという返事だけが返ってきた。
残り二回は、両親は娘がいなくなっていることに気付かずに商談に出てしまい、娘からの手紙を読むことはないままだった。
そして、幼い頃のマリエルはずっと病弱だったのだが、それは、幼い子供の体力のなさを考慮せずに、商品用の魔術結晶を家に持ち込む両親のせいだった。
そんな過去があったからこそ、今のマリエルは魔術医師になったのである。
傷付けたり虐めたりするような人達ではない。
ただ、子育てには不向きな両親だったのだろう。
(いつもは、聖女として召喚されてから健康になっていたから、聖女の力のお陰で体が丈夫になったのだと思っていたけれど、今回は、私を拾ってくれた義理の父が魔術医師だったこともあって、子供の内に原因が分かって治療も出来たのは幸運だったな………。だからこそ、今回はこんなに長生き出来ているのだもの……)
最初のマリエルは、よく分からないままに死んだ。
聖獣が死んだ日に部屋に届けられた飲み物を飲んで血を吐き、あれだけ優しかった第一王子がなぜ会いに来てくれないのだろうと思いながら病床につき、寂しく一人で死んだ。
二回はその結末を変えようと奮起したところ、聖獣を滅ぼさねばならなかった経緯を知っている者をそのままにはしておけないという理由で、王妃の命を受けた侍女に毒を飲まされ、一回目の死因の真相に辿り着いたのだ。
三度目は、聖獣殺しまでさせられた挙句に使い捨てられては堪らないと、それまで関わりのなかった人物に助けを求め、帝国で王妃達の派閥に属していない筆頭魔術師に近付いた。
しかし、マリエルが不必要な接触を図ったせいで彼の婚約者を不安にさせたという理由で、その魔術師に消されている。
(いや、あれはなかった………。本当になかった。仮に、私に近付かれるのが嫌だったなら、婚約者がいるので誤解を受けるような言動は謹むようにって言うだけで良くない?!そもそも、筆頭魔術師なんだし、魔術師としての力を見込んで声をかけられることくらい、普段からあった筈でしょう?!)
確かにマリエルも、王宮内にこんな美しい男性がいたのだと驚き、面会の度に少しばかりどきどきしたが、男女間の不貞や裏切りは、この世界から滅べばいいと考える派だ。
当時はマリエルにも聖女という肩書があったので不敬ではなかった筈だし、事情を説明してくれれば、すぐさま魔術師長との接し方を改めただろう。
なお、その魔術師はマリエルを殺しているところを件の婚約者に見られてしまい、その場で婚約破棄されている。
その顛末には若干すっきりしたが、無駄に死んだ感が強い回だといえよう。
四回目は、侯爵家次男だった王宮の文官と恋人になって助けて貰ったが、今度は、なんやかんやで王宮内の派閥争いに巻き込まれて殺され、五回目の今回は誰かが代わりに王宮に行ってくれるようにと方策を探っていたところ、まさかの妖精乗っ取り事件だった。
結果としてはマリエルの望み通りに聖女の役割からは解放されたが、今回もまた事故は事故である。
聖女にならずに済む方法を探してはいたが、さすがに、あの年齢で妖精の取り替え子になるとは思わなかった。
マリエルの願いを聞きつけた妖精に目をつけられていた可能性はあるが、あれを呼び込んでしまった切っ掛けは、マリエルの両親が不用意に魔術式の構築に手を出したからなので、始まりは偶然だったのだろう。
つまりマリエルは、聖女にならない人生でも、そこそこに不運だったのだ。
(しかも、正式な取り替え子の手順すら踏まずに、妖精の国でもない見知らぬ森に放り出されて、あの頃は病弱だったし、保護されていなければ、死んでいた可能性だってある)
一般的な妖精の取り替え子は、家族や名前を奪われた子供を妖精の国に迎え入れ、大事に育ててくれる。
しかし、マリエルの居場所を奪った妖精は、その場にいたマリエルをどこかに放り出すだけの、より乱暴なやり方で現れた。
ここから先は推測になるが、入れ替わった妖精がマリエルを妖精の国に送らずに森に放り出したのは、マリエルがいずれ聖女になる人間だったからだという気がする。
王子達の説明では、その妖精はどちらかといえば邪悪な種だったようだし、となると、マリエルの中の聖女としての力のようなものが嫌だったのではないだろうか。
(そして、これまでと同じようにマリエルが帝国に聖女として召喚されたということは、私とその妖精が入れ替わった事以外は、過去四回と同じように進んだのね…………)
ついつい、これまでの人生を振り返ってしまい、マリエルは小さく溜め息を吐いた。
ここでまた、この帝国の王子と再会するとは思わなかった。
マリエルにとっては、過去の人生で二回、婚約者だった人だ。
そしてなぜか、そのかつての婚約者は、すっと瞳を細めて考え込むような顔になる。
「………だが、偶然、あの聖女そっくりの人間に出会うというのも、いささか作為的だな」
「偶然ではなく、私を探して訪ねてこられたのでは?」
「いや。この先にある診療所に向かうところで、君を見付けたんだ。……その身なりからして、話に聞いていた医師は、君だな」
「ええ。私は、この先にある診療所で医師をしております。どなたの紹介かは存じませんが、………帝国の聖女に似ている人間がいるという理由で、私を探してこちらにいらっしゃったのではなかったのですね。てっきり、どこかで私の容姿などを聞き及び、確認の為に来られたのかと」
「偶然、あの事件と関わりのある者が、この時期に私の目の前に現れるということはあるだろうか。よりにもよって、この時期だぞ……?」
「………なんの時期だかさっぱりわかりませんが、何も知らない私を足止めしたのはそちらですので、どうか野生にお帰り下さい」
「なんでその設定を続けたんだ…………」
ここで、王子が余計な深読みをしたせいで、護衛騎士も少し難しい顔になった。
マリエルとしては、今が彼等にとってどんな時期なのか知りもしないのに勝手に敏感になられて運命を呪うしかないし、この地で野生に帰すと外来種なので、帝国の森に帰れと思うばかりだ。
「確かに、………聖女とは無関係だとしても、こちらの派閥の中で聖獣事件の裏を掴んだ者が、糸を引いている可能性はありますね。なぜ、辺境伯のお抱え医師ではなく、このような診療所を紹介されたのだろうかとそこばかりは疑問でしたので」
「だろう?その場合、こ見過ごしてもいいものか悩ましいな。本当に我々の過去と無関係ではないという保証もない」
「念のためにお聞きしますが、今、そちらの騎士さんが聞いてはいけない系のことを口にしたのは、わざとですよね………?」
とても嫌な予感がしておずおずと尋ねると、王子の護衛騎士はにっこりと微笑む。
爽やかそうに見えたが、たいそう腹黒い人物のようだ。
「はは、まさかそんな。ですが、うっかり聞かれてしまいましたね」
「という事は、………無関係の通りすがりのといいますか、寧ろそちらから押し掛けて来ておいて、巻き込まれた私の口を塞ごうとしていません?!」
「そこは安心してくれ。疑いが晴れるまではこちらの管理下にいて貰うかもしれないが、さすがに殺しはしない」
「あなたがそうでも、この話が帝国に届けば、あの王妃様はやりますよね?!」
(あ、しまった!!)
マリエルは、ここで口を滑らせた。
はっとしたようにこちらを見た二人に、近くにある木に頭を打ち付けたくなる。
言い訳になるかもしれないが、とても疲れていたのだ。
「あの方を知っているのか?…………君は、他国の生まれだった筈だが」
「帝国の王妃様が苛烈なご気性なのは、有名ですからね!」
「………あの方は、対外的には儚げでおっとりとした王妃として認知させているようだが」
「………それは初耳ですし、よくもそんな、あつかましい偽装工作をしましたね」
「息子である私もそう思う。そして、なぜあの方の素のご気性を知っているんだ?」
なんと答えればいいのかわからず、マリエルは途方に暮れた。
一国の王妃の本性であるので、田舎の街医者がどこからか聞き及んでいたと説明するのは至難の業である。
それにマリエルは、逃げ出すための時間稼ぎがしたいのではない。
これからもこの地で、医者として生涯穏やかに暮らしていきたいのだ。
その場しのぎの返答では、余計に不信感を深め、いっそうに身を危うくしかねない。
「申し訳ありませんが、ご同行いただいても?」
「ここは、帝国ではありません。他国民を連行すれば、国際問題になりますよ」
「その無理を押し通せるのが帝国であるが、実は、事情があって私はもう祖国とは縁を切っている。本日付けで、この国に籍を移したところだ。この土地を治める辺境伯の養子となったばかりだ。だからこそ、帝国の王子だった頃の因縁で、新しい家族に迷惑をかける訳にはいかなくてな」
「………はい?」
聞いたことがすぐに理解出来ず、マリエルは茫然とした。
二度と会いたくないと思っていた帝国の王子は、マリエルの暮らすこの土地の領主様の義理の息子になったらしい。
(…………確かに跡継ぎが出来ないと悩んでおられたし、辺境伯の叔母上にあたる方が帝国に嫁いでいたらしいから、今も繋がりはあったのかもしれないけれど、あまりじゃない?!)
「……祖国では、少々暮らし難くなったのでな」
「…………では、二度とこの件で関わらないとお約束しましょう。魔術契約を結んで構いません」
「それでは、お前の背後関係を洗えないだろう」
「背後はありません。私は、悪い妖精に名前や住み家を奪われた哀れな乙女です」
「思えば、我々に声をかけられた際にも妙に落ち着いていた。やはり怪しいな」
「…………子供の頃からの日記に、初恋の侍女への恋の詩を書いていたことをばらされたくなければ、このまま大人しく立ち去って下さい」
「なっ、なぜ知っているんだ?!」
「ここに居座れば居座るほど、あなたの知られたくない情報が開示されますよ!」
「おかしいだろうが!仮にも一国の王子の私的な情報だぞ?!」
後から思えば、いきなり黒歴史を発表された王子も動揺していたのだろう。
真っ青になった王子に肩を掴んでがくがくと揺さぶられたマリエルは、ぶちんと何かが切れた。
何しろマリエルは、崩落事故の現場での怪我人の治療を終えたばかりで、三日程寝ていなかった。
髪の毛も服もくしゃくしゃの状態で限界をまで働き、この先にある診療所の様子だけ確認してから、家族と暮らしている屋敷に帰るところだったのである。
「あああ、うるさい!!頭痛が悪化するので耳元で叫ばないで下さい!!こちとら、人生五回目なんですよ!!一回目と二回目で婚約者だったあなたの秘密くらい、これでもかと知っていますけどー?!」
「……………ご、ごかいめ?」
「五回目!!因みに、この世界の時間を五回も巻き戻しているのは、そちらの国の筆頭魔術師ですから!!いい加減あの人に、婚約者にふられたくらいで世界の時間を巻き戻すのをやめろと言っておいて下さい!!」
「しかも、オスカーが原因なのか…………」
「うわ、あの人ならやりかねないな」
ここで、何を馬鹿なことを言っているんだと言うよりも先に、王子と騎士は顔を見合わせて、それはあり得るぞという表情になった。
そんな認識の帝国の筆頭魔術師はどうかと思うが、幸いにも今回は、一連の事件の中で婚約者に捨てられることはなかったようだ。
慶事であったのでこちらの国にも知らせが届き、無事に婚姻が結ばれたという情報を入手したマリエルが、どれだけほっとしたことか。
これでもうやり直しは起きず、ここで幸せに暮らしていけると思っていたのに。
なお、やり直しの犯人が判明したのは、マリエルを手にかけているところを見られて婚約破棄された本人が、時間を戻して婚約者を取り戻すと話していたからである。
薄れゆく意識の中で、おのれお前のせいだったのかと思いはしたが、なぜかやり直しの際に記憶を持って戻るのはマリエルだけのようだったので、その後も、有難くやり直しの機会を享受させて貰うことにした。
直接関わった回以降の婚約破棄の理由は知らないが、どうやらいつも、あの聖女召喚の前後で起きていたようである。
それもまた、何かの運命だたのかもしれない。
「つまり君は、………何らかの事情で、どこかで私の婚約者だったことがあるのだな」
「随分とあっさり受け入れましたね…………」
「あの魔術師は、現在の婚約者との婚約が結ばれなかったということで、二回ほど時間を戻したことがあるらしい。本人も失われた過去を記憶はしていないが、魔術を行使した記憶だけは残るそうだ。今回の聖女召喚の前にも、知らない間に時間の巻き戻し回数が増えていると話していたので、お前が知っているのはそこだろう」
「まぁ。よくご存知でしたね…………」
「聖獣事件で彼を怒らせる前までは、これでも友人だったからな。………そうか。今回の件でも、使っていたのか」
「というか、こちらのお嬢さんは、かの魔術師ですら不可能な失われた過去の記憶を、蓄積されているようですね……」
「そういえば…………」
珍獣を見るような目で見つめられ、マリエルは腹が立った。
しかし、うっかり秘密を明かしてしまった以上は、もう少し話をしておかなければなるまい。
ざっくりとではあるが、今回は入り込んだ妖精がマリエルとして召喚されたが、その前の回では、自分が聖女として召喚されたこともあるのだと説明した。
すると王子達も、このままでは帝国の王都を滅ぼしかねなかった聖獣を何とかして封じなければならないと考えたのは、帝国の筆頭魔術師が知らない間に重ねていた時間逆行の回数に不安を覚えたからだと教えてくれる。
「聖獣の異変を確認した後だったので、それだけのことが、王都で起きたのだと考えた。…………だが、大々的に聖獣殺しを行うのは、あの国では難しかった。千年もの間、国を守り続けた聖獣だ。怪物になってしまったのだと話しても信じる者たちは少なかっただろう。それに、国民の動揺にも繋がる。全ての者たちを説得している時間はなかった」
「そのあたりの事情は、存じ上げていますよ」
「……一つ疑問なのだが、なぜ君は、やり直しのことをあっさり話してくれたのだ?私達がその事実を受け入れたことに驚いていたようだし、そうではなくても、再び口を封じられてもおかしくはないと思わなかったのだろうか?」
そう尋ねた王子は真摯な眼差しであったので、マリエルは肩を竦めてみせる。
「口を滑らせた以上は、一刻も早くお二人を黙らせる為にやむを得ずでしたが、そもそもあなた方は、根本的な思い違いをされております」
「…………思い違い?」
「先程から、さも私をどうこう出来るかのようなことを何度もおっしゃっていますが、これでも私は、かつて聖女として召喚されたことのある人間なんですよ?」
マリエルの言葉に、二人の美麗な男性が目を瞠った。
「………そう言えば、そうだったな」
「今回は、あの妖精が代わってくれたお陰で聖獣退治の負荷もかからず、現在は召喚の行われる筈だった年の三年後。この通り、立派に成人いたしました。あなた方が対処出来なかった生き物を滅ぼすくらいの力を成長と共に更に伸ばし、今や、簡単にお二人を闇に葬るくらいの力は備えております」
冷ややかな目でそう告げると、王子の顔色はみるみる悪くなっていった。
「そ、そうか………」
「そして、私の現在の養父は、辺境伯の弟君です」
「…………は?!」
「初めまして、従兄殿。疲れていますので、帰らせていただいても?」
「いやいやいや、おかしいだろう?!だったら、寧ろなぜ私が辺境伯の養子に入ったことを知らないんだ?!」
「ここでは、私の帝国嫌いは有名でして、恐らく、私を溺愛してくれている養父は、帝国の王子様を伯父上が迎え入れるということを、怖くて言えなかったのかと」
「そんな理由なのか?!」
「そんな理由ですよ。最近、やけにお義父様とお義兄様が甘やかしてくるので、胡散臭いなとは思っていたのですが、仕事が忙しいので確認を後回しにしていました」
なお、ここでもウェインは、おやおやと笑っているばかりだった。
その姿は何だか悪くなかったが、いい加減家に帰って入浴して寝たかったマリエルは、さっさと帰れと無言で促す。
勝ち目がないと分かったのか、とりあえずの戦略的な撤退なのか、二人は帰ることにしたようだ。
マリエルの履歴はあまりにも異質だが、既に親族になっており、自分たちの敵にはならないと理解出来れば大きな問題にはならないだろう。
何しろ、マリエルが帝国の聖女召喚に纏わる秘密をどれだけ知っていたとしても、それは、帝国内で幽閉されている筈の王子を密かに引き取ったこの国の辺境伯家が、内々に呑み込む情報の比ではない。
さすがにこの二人も、その判断がつかないくらいに馬鹿ではないだろう。
「…………そう言えば、帝国の第一王子は、国内での勢力争いに負けてどこかに幽閉されたと聞いておりましたが、まさか親族になるとは思っていませんでした」
「………あの筆頭魔術師を怒らせてな。聖獣事件の責任を取ることになった」
「あの方が怒った理由は、主に婚約者様関連でしょうね。そこで破局の原因となると殺されるので、ご無事で良かったですと言っておきましょう。それに、三年後とはいえ国から出してくれたのであれば、今はもうそこまで怒っておられないのでは?」
「はは。だといいのだが。…………ふと思ったのだが、君はかつて私の婚約者だったのだろう?………まさか今も……」
少しだけ嫌そうに尋ねられ、マリエルは頑張って怒りを呑み込んだ。
「一度目の時はお慕いしておりましたが、以降の私は、精神的には殿下より年上でした。人生経験豊富な女性が、自分一人の犠牲で国を守ってみせるという、崇高なふりをした青臭い野望を抱き、聖獣を倒す為にという身勝手な理由で、あまりにも理不尽な聖女召喚をする王子などに恋をするでしょうか。その罪を自分も背負うとおっしゃられても、巻き込まれた方はたまったものではありません。過去に私の口封じを行ったのが、王妃様の独断であってもです」
「そ、そうだな。…………今更詫びて済むことではないが、すまなかった」
「なお、二回目は王弟殿下に憧れ、三回目はオスカー様に憧れ、四回目は文官の方の恋人となりました。はた迷惑で面倒臭い理想を掲げた王子様は、二度と御免だと思っておりましたから」
「ぐっ……!!」
「……ああ、言われてみればそうですね。殿下は良くも悪くも歳相応の方ですから。聖獣の事件も、私は筆頭魔術師に事前に相談するように言ったのですが………」
「そう言えば、あの聖獣は無事に封印されたのですか?」
ふと、気になって召喚後の顛末を聞いてみると、王子と騎士は遠い目をした。
「…………ああ。お前の代わりに召喚された聖女に、…………ステーキにされて食われた」
「あらためて、とんでもないものを召喚しておいて、よく無事で済みましたね」
「筆頭魔術師が、捕まえて追い払ってくれたからな」
「ウェイン様の言うように、最初からあの方に相談しておけば、あっさり解決したのでは?!」
「その通りだ。聖獣の住む庭は王家で管理しているので、あの男も気付かずにいたのだろう。君の言う通り、私は未熟だった」
「自分の未熟さを反省出来るのは、成長の証だと言いますよ。…………なお、過去四回のやり直しでは、そちらの騎士様にはお会いしたことがありませんでした!とても素敵な方だと思います」
「やめろ!私の部下を値踏みするな!!」
「おや。俺でよければ、吝かではありませんが」
こんな目に遭ったのだから何か取り分がないだろうかと凝視すると、ウェインは、にっこりと微笑んだ。
そろそろいい年齢なので、程よく外出がちな旦那様を募集中のマリエルは、これは悪くないかもしれないぞと目を細める。
(この状況でも、王子よりもずっと落ち着いていたし、見目も悪くないし。………でも、奥様どころかお子様がいてもおかしくない年齢よね?)
「ウェイン様は、………独り身なのですか?」
「ええ。残念ながら、これまでは縁がありませんでしたから」
「騙されるなよ。こいつは、女性関係が屑中の屑だ。私の護衛騎士だったからではなく、相手を絞れないからまだ独り身なのだからな。祖国に置いてきても、いずれは問題を起こしただろうし、犠牲にする私生活がないのでこの国まで連れてきたんだ」
「…………ご入用であれば、身持ちが硬くなるよう処置します?」
「……やめてやれ。戦えなくなる」
「やめて下さい。それなりに出世していた筈なのに、妻子がいないからと他国に連れ出されたばかりなんですよ!仕事の疲れをご婦人達に癒やして貰うことの、何が問題なんですか。俺は、他の連中のように一度だって無責任な約束はしていませんよ」
「相当手練れの屑かもしれないので、早めに処置しておきます?」
「お、おい!本人の同意なく、刃物を取り上げるのはやめろ!」
理想の旦那様かと思ったらただの浮気男だったので、がっかりしたマリエルはとても気が荒くなっていた。
それなのに目が合ったウェインは、あなたのようなご婦人に出会えたら大人しくなるかもしれませんねと、悪戯っぽく笑っている。
脅しても怖がらないので、諦めたマリエルは二人を手荒く敷地内から追い出してしまうと、重たい鞄を持って診療所に向かった。
ウェインはなぜか、その日以降、仕事がない日にはマリエルを訪ねてくるようになった。
最初はうろうろされて邪魔だったのだが、半年もすればいつの間にか近くにいるのが当たり前になってきたし、こうもマリエルの側にいるとなると、女遊びの頻度も以前程ではないようだ。
なお、従兄になった元帝国の王子もなぜか懐いてしまいよく遊びに来ていたが、野生の聖女による魅了対策で、その顔がアヒルに見えるような魔術をかけていたらしい。
その巻き添えでずっとアヒル顔で認識されていたと知ったのが半年後だったので、マリエルは怒り狂った。
それから何年かして、思っていた以上に古い友人を嫌ってはいなかったらしい帝国の筆頭魔術師が訪ねて来て、マリエルの名前と姿を奪った妖精は、元いた場所に帰したが、そこからもいなくなってしまったと教えてくれた。
マリエルの両親は、妖精が入り込んですぐに病死していたようだが、恐らくそれは表向きの死因だろう。
幸い、よく家に遊びに来ていた幼馴染は元気にしているようだが、最後に会ったのは六歳の頃なので、今更再会したいとも思わなかった。
マリエルラビは、医師である。
やり直す前の人生では聖女だったとしても、今もその力を持っているのだとしても、もう、どの国からも聖女としての肩書きを背負わされることはない。
愛する家族とやり甲斐のある仕事にも恵まれてとても幸せで自由だが、ふと、それはつまり、野生の聖女ということなんじゃなかろうかと気付いてしまい、いささか複雑である。
だが、野生に帰ったことで今度こそ幸せを手に入れられたのであれば、そう呼ばれるのも悪くないのかもしれない。
帝国の筆頭魔術師オスカードイルは、理不尽な運命に翻弄された哀れな聖女を、今度こそ野生に帰してくれたのだ。