大家族ー一華の懺悔できない気持ちー
突然の家族会議から数日。
一華は、何度目か分からないため息を吐いていた。
自室に戻った夕食後、定位置の机の前の椅子に座る。
いつもならすぐに、ノートパソコンを開くのだが、今日は座ったまま、少し節目がちな目線のその先はどこを見るでもなく動かない。
思い出されるのは、弟を見つけた日。
その前に見た女の人の話は家族にはしなかった。
もしかしたら弟の母親だったのかもしれない。そんな思いはあったが、言わなかった。
ただただ、自分のエゴの為。
可愛く、ただただ可愛く小さい、柔らかくて温かい、保護欲を刺激された生き物をそばに置きたかった。
歩いて行った女の人が、母親ではない可能性も勿論ある。
きっと違う。多分違う。
でももし母親だったら?
でも、言ったところで見つからない、きっと、多分。
だって足早に歩いてた。急いでいた証拠だ。見つからない。
でも、もしかしたら…。
時間が経つにつれて、自分の中の無邪気に喜んでいた思いより罪悪感が大きくなる。
言わなきゃ。
今更?
自分の罪悪感を薄める為に言うの?
情報が少なく、探す事も見つかる可能性も限りなくゼロに近いのに?
でもゼロではない。でも、でも、でも…。
何度も繰り返された自問自答。
今や当たり前になった街中の防犯カメラ。
あの冬の日は既に設置された後だったか前だったか…定かではない。
前なら良い、諦めもつく。でも後だったら…?
もちろん、既に録画された記録は上書きされている。
猶予はあった、確か30日間。
約1ヶ月。
その間に言えば、見つかったかもしれない…。
顔が歪む。
静かに静かに、重力に逆らう事なく落ちる涙。
結局エゴなのだ、自身のエゴの為にかわいい弟は苦しんだ。
だが、希望もある。
認識もない、知るよしもない長谷川家の前に子どもを置いていく様な人間だ、まともなはずはない。弟を戻したとて、ちゃんと育てられたかは疑問だ。命すら危うい可能性すらある。
下唇を噛み、強く目を閉じる。溜まっていたのだろう涙が溢れた。
堂々巡りだ。いつもそうだ。勝手に不安になり、勝手に罪悪感を感じ、勝手に納得する。
自分の醜さを認めて終わるのだ…。
弟の名前になった言葉だけ残した女の人。
その言葉を調べたりもした。
英語から始まり、スペイン語、中国語、ポルトガル語、ロシア語にフランス語、ドイツ語…。
ヒンドゥ語でも調べたが、どれもよくわからない言葉になった。
もう調べ過ぎて、わけわからなくなってきて、普通に日本語としての疾風なのか?となっていた時、アラビア語で意味のある言葉が出てきた。
『my life , lover or love』
どくんっ。
心臓が鳴った。
違う、違うと思う。だってloverは女性に対して使うって書いてある。my lifeだって直訳は「私の人生。」だ。
でも知っていた。英語圏での意味を。
アラビア語だ、英語圏での意味合いで使わない。
そう思うのに心臓がうるさい。
あの女の人から聞こえた、唯一、理解できた言葉。
「…アメリカ…。」
行ってみようかとも思った、ただ行ってどうする?
探すのか?なんの手がかりもないのに.
そして、本当に行き先がアメリカなのかも、今現在も居るのかもわからない。
手遅れなのだ、何もかも。
また新しく流すもので、世界が歪む。
「…ぅ…ふ…ぅう………。」
どうすればいいのかわからない、許されたいのに、その方法が見つからない。
謝ればいい?
でも謝ったところで、生みの母かもしれない人の新しい情報を知ったら、逆にあの可愛い弟は苦しむのではないだろうか。
それなら、やはり自分だけ、この重りを持つべきではないのだろうか…。
思考の堂々巡りが止まらない。
結局、怖いのだ。
血のつながらない、可愛い弟に嫌われたくない。
やはりエゴ。
エゴエゴエゴエゴエゴ。
懺悔してこの罪悪感を消したくても、消せない。
消しちゃいけない。
今日も解消できない思いを抱え、一人、泣かかとしかできないのだ…。