「俺」の誕生
金属でできていて、ガシャガシャいうロボットはもう古いのでしょうか。
二十三世紀半ば。月。
ロボットである「僕」はなんだか分からないガラクタ……いや、芸術的価値のあるものをたくさん背負わされ、月面上にある家に帰ってきた。僕の隣では三十四歳の女性が満足そうに鼻歌を歌っている。彼女の名前は「チサト」。三年前からの、僕の主人だ。
僕は人間の身の回りの世話をするようにプログラムされたロボットで、三年前に造られた。つまり、チサトが最初の主人ということになる。造られてすぐにチサトに買われ「アート」という名前をもらった。
「アート、ボンヤリしてないで早くそれ、中に入れてよ」
チサトは我儘だ。その上マイペースで、だらしがない。しかもガラクタ……もとい骨董品集めが趣味で、彼女の部屋は日に日にそれらで浸食されている。
「チサト、この人形はどこに置くのですか?」
「それは日本の仏像って言うんだよ。壊さないでよね、高かったんだから。終わったらウイスキーちょうだい」
チサトは椅子に腰かけ「疲れた」と言って、足をだらしなく投げ出している。
チサトと僕はたった今、地球で行われた骨董市から宇宙エレベーターで戻ってきたところだ。戦利品の荷物持ちはいつも僕。チサトは一切何も持たない。
「はいはい。ありがと。おつかれ」
購入した骨董品(中には首を傾げたくなるようなものがたくさんある!)をすべて部屋に並べ終え、ウイスキーを差し出すと、チサトが僕の頭を撫でてくれた。
「アートのおかげで助かるよ。いつもありがとうね」
僕は体の中があったかくなるのを感じる。別に部品がショートしてるわけじゃないよ。
チサトは自分勝手で僕をこき使うけれど、いじめたり罵倒したりは決してしない。ロボットを購入する人間の中には、自分のストレス発散のための道具としてロボットを買う人もいるという。人間に逆らえないロボットに対してとても酷いことをするんだ。
チサトがそういう主人じゃなくて良かった。僕を彼女なりに大事に思ってくれている。僕はそんなチサトのために、なんでもやってあげたいと思う。
チサトとの別れは突然訪れた。
それは、月と地球との間にあるスペースコロニーで大規模な骨董市「ワールドマーケット」が開催されたときだった。
「骨董市」とは名ばかりで、地球や月、果てはテラフォーミング中の火星からさまざまな中古品をかきあつめたフリーマーケットだった。
それでもチサトは目を輝かせ、僕を荷物持ちのお供に会場内を丹念に見て回った。
「ねえ、おじさん、これいくら」
いつものようにあれこれと色々なものを買い、残金も少なくなってきたころ、チサトははじかれたように古びた椅子に飛びつき、値段を売主に問うた。
五十過ぎと見える売主の男性は、チサトの馴れ馴れしい口調にムッとし、ぶっきらぼうに値段を告げる。
「えっ、高い! もうそんなお金残ってないよ」
「チサト、今日はもう買いすぎですよ。生活費がなくなってします」
チサトの収入の大部分は地球に住む親からの送金だった。彼女自身は定期的に骨董に関するエッセイを出版しているが、売り上げはあまり芳しくない。「誰も私の芸術的感性を分かってくれない!」とチサトは酔っぱらいながら僕に泣きつく。僕はそんなチサトのために、彼女の本を持って月面上を走り回り、ことあるごとに人間だけではなくロボット仲間にも宣伝している。
本がたくさん売れたら、きっとチサトはありがとうって、褒めてくれる。
「おじさん、じゃあこのロボットと交換してよ」
え?
僕は耳を疑った。いや、耳はないんだけど、チサトの言葉は瞬時に理解できなかった。だけどチサトは僕を指さしている。
「まだ三年しか使ってないの。いい話だと思うけど」
チサト? 何を言っているんですか?
目の前で売主が「しょうがないな」と承諾したことを表面上理解する。だけど僕の心は……
チサトは売買が成立したというデータを手の甲に埋めてあるチップにもらった。僕はそんなチサトに問うた。こんなふうに声を絞り出すなんてはじめてだ。
「お、お別れ、ということでしょうか」
「ごめんねえアート。わたし、あの椅子気に入っちゃったんだ。骨董との出会いは一期一会でさ、次はないわけ。ま、新しいとこでも頑張ってよ」
チサトはすぐに椅子をどうやって持ち帰るか検討しだした。僕に持たせている荷物もすべて外して
「月まで届けてもらわなきゃ。まとめ割りきかないかな」
と考え込んでいる。
チサト?
どうして。どうして……
僕を、もう、見ていない。
「行かないで」とやっとの思いで言おうとしたとき、チサトはすでに僕に持たせていた荷物と椅子を抱えながら去っていってしまった。
次の日。
僕は「ワールドマーケット」で「商品」として売りに出された。
胸に値札を貼られ、じっと直立しているように売主に命じられた。
チサト。
チサト。
チサト。
僕はチサトの姿を会場内に追った。きっとすぐに思い直して「昨日はごめんね、アート!」って言って、僕を買い戻してくれるはず。チサトは気分屋だから。
「おい、ロボット、もっと愛想よくできないのかよ」
売主のおじさんが僕をなじる。こんなやつに答えてやるものか。僕の主人はこいつじゃない。
次の日、ワールドマーケット最終日。チサトが僕の所有者でなくなった。チサトが登録取り消しの手続きをしたのだ。
「No owner」機械で出来た僕の脳の中で、その文字が無常に点滅する。
「ねえ……お母さん、お父さん、このロボット泣いてるよ」
僕の前に一人の少年が立った。年齢は十二歳くらい。無表情に、僕をじっと凝視している。
「ロボットが泣くわけないでしょ。もう、あんたってばいつも変なことばっかり言うんだから」
母親が呆れたように言う。
少年は母親の言葉を意に介さず、しばらく僕を見つめたあと、両親に購入の意思を伝えた。
「お、ユーキの芸術的アンテナにびびっときたか」
父親が茶化すように言う。
結局僕はこの家族に買われた。ユーキという息子の世話係として。もういろいろなことがどうでもよくなっていた僕は、ロボットらしく、命じられるがまま、彼らについて行く。
「おれはユーキ。まあよろしく」
少年がそう言ったので
「はい。よろしくお願いします」
僕はそう答えた。
ユーキたち家族は地球の日本に住んでいた。
ユーキは子供ながら自分のアトリエを持ち、画家を目指して毎日絵を描いている。デジタルでもVRでもない、絵の具でキャンバスに描く絵だ。彼もチサトと同じ「芸術家」なのだろう。僕は主にアトリエで、絵を描くユーキの邪魔をしないように大人しくしていた。
「ねえ、ロボット君、コーヒー入れてよ」
「はい、マスター。いまお持ちします」
チサト。
チサト。
チサト。
「お前、いつも月を見ているね」
「申し訳ありません。もう月を見ません」
チサト、どうして僕を捨てたの。僕はチサトのためにいつも一生懸命だったのに。いい骨董が買えるように、出版した本が売れるように、僕はいつも願ってた。
「お前、ロボットのくせに感傷的だな。面白いやつ」
「申し訳ありません。ロボットのくせに、申し訳ありません」
チサトは我儘で気分屋で自由奔放な性格だけど、僕のことを大事に思ってくれてたんじゃなかったのか。
「陰気くさくてうっとうしいところがたまにぶっ壊したくなる」
「壊していただいてかまいません。所詮僕はただの機械ですから」
「じゃあやめた」
僕の想い、チサトに届いてなかったの? だってチサトは僕と初めて会ったとき、僕に言ったじゃないか。
「自分のことは『僕』って言ってね」って。一人称は僕にしてね、って。
「なんでおれのこと名前で呼ばないで、マスターって呼ぶの」
「マスターは僕のマスターだからです」
「はあ?」
チサトは地球の日本生まれで今どき珍しく日本語しか話せない。英語を話すときは自動翻訳機を使う。日本語で「僕」は男性が使う呼称だ。それを知っていた僕は、チサトが僕に男性的な振る舞いを求めていると思った。チサトぐらいの年齢の女性がロボットに対して男性像を求める……それは、恋人関係を求めていると、僕のデータベースは結論付けた。
「ロボット君、お前名前はないの」
「名前なんて要りません。機械に名前なんて要りません」
「ああそう。まあ別にいいんだけど」
そう、僕が勝手に結論付けた。チサトは僕を必要としている。僕を恋人の代わりとして、心の支えとして必要としているんだって。
だけど、それはどうやら僕の勝手な思い込みだったようだ。
もうそれを認めざるを得ない。
チサトは、僕を冷蔵庫や洗濯機と同じ、機械としてしか見ていなかったんだ。いつでも取り換えがきく、ただの機械。最初からそうだった。一人称なんてただの気まぐれで、大した意味なんてなかった。
ああ。
そうだったんだ。
「ロボット君、ここの色、どっちがいいかな。一緒に考えてよ。最近スランプでさあ」
もう優しい言葉なんて信じるものか。
信じたって、裏切られるだけ。
もう沢山だ。
僕はもう、あんな悲しい気持ちになりたくない。体が軋んで胸にずんと重い石がねじこまれたようなあの感覚。もう二度と、あんな思いはしたくない。ただの機械でも、僕は、僕は、辛かった。
半年経ったある日、僕は言いつけどおりにマスターがいないあいだ、マスターのアトリエの換気をしに行った。
たくさんの仕上げた絵がある。賞をもらったものもある。それらは乱雑に部屋の方々に追いやられていた。
部屋に充満する油絵の具の匂いを察知して、僕は窓を開ける。
部屋の中央には今度コンクールに出す大きな絵がイーゼルに立てかけてある。ほぼ完成したと言っていたっけ。
絵画……芸術。アート。
アート。チサトがくれた僕の名前。今思えばなんて単純な名前なんだ。そんなものを僕はずっと有難がって、バカみたいだ。
マスターもいずれ僕を取り換えるんだ。僕に飽きたら何食わぬ顔でサヨナラなんだ。その前に、壊れてしまいたい。傷つく前に壊れたい。
コワレタイ。
コワレタイ、コワレタイ、コワレタイ。
僕は自分の腕を引きちぎっていた。瞬時に頭のなかにエラーが点滅する。
ロボットが自分自身を傷つけるのは許されない行為だ。僕の体が僕自身を強制停止しようとする。だけど僕は壊れたい。
ちぎれた腕から火花が噴出し、部屋全体に散った。その火は部屋中のキャンバスに引火した。
我に返った。
燃える……燃えてしまう!
「ロボット君? 一体どうしたの」
アトリエの入り口にマスターがいた。大人っぽい仕草や言動をするけれど、まだ幼いマスター。守らなくては。だけど、体が動かない。強制停止中だ。
「ちょっと、なんで腕ちぎれてんの」
「マスター、絵を持って、逃げて下さい。僕は、動けない」
「そう言われてもなかなか出来ないよ」
「僕なんかより、大事な絵を持って早く。僕は、もういいんです」
「何言ってんだ、そうやっていつまでメソメソしてるつもりだよ!」
マスターは初めて怒鳴って、僕を背負おうとした。無理だ。子供のマスターに僕は重過ぎる。逃げて下さい、マスター。
僕は強制停止中の自分の体を無理矢理動かした。頭の中にエラーが踊る。だけどそんなことはどうでもいい。マスターを助けたい。
ほどなくして消火作用のある粉が天井から噴射して、火は燃え広がらずにすんだ。結局僕とマスターは室内で力尽き、二人して丸くなっていたところを助けられた。マスターに怪我はなかった。だけどマスターが描いた絵はボロボロになってしまった。コンクールに出す予定だった大きな絵も、全部。
僕はマスターの両親によって廃棄されることになった。子供を危険な目に遭わせたんだから当然だ。だけどマスターがそれを拒んだ。マスターは僕と二人で話がしたいと言った。
絵を全部だめにした僕をマスターは憎しみで叩き壊すかもしれない。手足をきつく縛られ動きを封じられた僕はマスターと対面した。僕の片方の腕はもげたままだった。
「何で腕をそんなことしたんだよ」
マスターは無表情に問いかけた。
「絵を全部だめにして、申し訳ありません。お詫びしたくてもしきれません。どうぞ、好きなように僕を処分してください」
「また泣いてんのかお前」
「ロボットは泣きません」
「泣いてただろ、最初から。そろそろ泣き止んだら? ……ま、もう終わったことはいいから。とりあえず、これからもよろしくね」
僕はその言葉を頭に入れるのに数秒かかった。多分壊れかけているせいだ……。
「絵を描きなおすの手伝ってよね。まだコンクールには間に合う。おれはこんなことでへこたれないから」
その後、僕は修理され、細部にわたって欠陥がないか検査された。そしてマスターのもとへ返された。マスターの両親はエラーを起こした僕に渋い顔をしたけれど、マスターは長い時間をかけて両親を説得した。子供なのに、実に堂々としていた。
マスターの作品はコンクールを落選した。マスターは何も言わず次の作品を描く。書き直しする羽目になったからだ、お前のせいだとは僕に言わなかった。
マスターは誰のせいにもしない。マスターは、強い。
僕は、出来るかぎりマスターをサポートしたいと思う。言われたからじゃない。僕が、そうしたいと思う。
いつかマスターが僕を手放すときがくるかもしれない。僕に飽きるときがくるかもしれない。マスターも気分屋で、変わっているから。
その日が来たらとっても悲しいけれど、それを受け入れよう。それがマスターの意思なら。
だけどその日が来るまでは、僕は僕の意思でマスターの近くにいる。ご褒美は、求めないよ。
決めた。もう「僕」に未練はない。
「ユーキ、そろそろコーヒー入れようか、俺持ってくるよ」
「お、気が利くね。たのむよ」
ユーキは俺がユーキのことを名前で呼んだことも、俺の一人称が変わったことも突っ込まなかった。
いつもと変わらず絵を描いている。
俺は今、生まれた。
お読みいただき、どうもありがとうございました。