第9話「ウワサの彼氏さま」
お寿司が大好物である良哉は、大学までの通学路の途中にある、かねてから行きたいと思っていた寿司屋に幸太郎を誘って訪れます。しかしその寿司屋はなんと…
俺の一番好きな食べ物。それは寿司だ。岐阜にいた頃は、誕生日の時とか部活の大会で賞を取った時とか受験合格とか、なにか良いことがあるとその度に家の近くにある寿司屋から出前してもらった寿司でパーティーをして祝ってくれた。東京に行く前、岐阜の実家で食べた最後の晩ご飯もそこから出前してもらった寿司だ。
俺の住むマンションと最寄り駅のちょうど中間くらいのところに「瑞寿司」という寿司屋がある。同じ最寄り駅でかつ家が近い藤堂曰く、この辺では名の知れた寿司屋らしい。
チェーン系の回転寿司がしのぎを削っていて、またコンビニやスーパーでも寿司が買える時代。たしかに寿司を見ると食べたくはなってくるが、やはり個人経営の寿司屋の寿司が俺は一番好きだ。そんな中で瑞寿司は俺の行動圏内で唯一の個人経営の寿司屋だから、大学に入学してからというもの一度は行きたいと思っていた。行く暇もなく入学から半年と少しが経ってしまったが。
授業が午前終わりの今日、俺はその念願の瑞寿司に初めて行く。せっかくだから藤堂も誘うことにした。
「実は俺も瑞寿司に行くのは初めてなんだよねー。」
「あーわかる。近所の食べ物屋って滅多に使う機会ないよね。」
「だよな。ああと実はそこね、俺の同級生のうちなんだよ。」
「へー。」
大学に入学して半年強。さすがに通い慣れてきた道の途中にある店に入って食事をするという感覚はなんとも不思議だ。
店に入ると、カウンターをはさんで40代くらいの男女がいた。夫婦二人で切り盛りしているのだろう。
「いらっしゃい。お、キミはもしかして藤堂君?」
「あ、どうも。ご無沙汰してます。」
「久しぶりだねぇ。で、一緒にいるキミは?」
「はじめまして。斎藤です。」
「いらっしゃい。さあ、空いているから座って。」
店主のおじさんに促されるまま、俺たちはカウンター席の真ん中あたりに座った。
静かだが、和風な内装で掃除も行き届いていて、気さくな感じの店主夫妻。とても雰囲気の良い店だ。
俺は「リーズナブルセット・松」を注文。品目はいくら・サーモン・中トロ・エビ・鉄火巻き・アジ・エンガワ・鯛・玉子・コハダの10貫。藤堂も同じものを注文した。しかも店主のおじさんは、俺たちにタコとネギトロをサービスしてくれた。
俺たちが選んだセットの値段は1,000円強。一番高いもので7,000円台のセットもあった。またネタの種類もチェーン系の回転寿司に顔負けかと思うほど豊富で、単品でも一番安くて1貫120円。なんてリーズナブルなんだ。その上ネタが新鮮で非常に美味しい。誕生日はまだもう少し先だからか贅沢な感じもする。ありがたい限りだ。
寿司を食べながら3人で大学の話で盛り上がる。最近のニュースに関する話、おじさんも知る藤堂の過去に関する話、大学の話…
大学の話をしている最中、店主のおじさんが俺に話しかけてきた。
「そうだ斎藤君。確認しておきたいことがあるんだけど…」
「はい。どうかしました?」
「キミ、下の名前は?」
「あ、良哉です。斎藤良哉。」
店主のおじさんはその後、俺が想像もしていなかったことを言ってきた。
「キミがあの斎藤良哉君だったのか~。」
「ど、どういうことですか?」
突然のことに戸惑う中、おじさんはこう続けた。
「いや~ウチの娘がいつも世話になってるね~。紘深から少しばかり話は聞いてるよ。」
「え、そ、そうだったんですか…!?」
俺はこの時初めて全てを知った。何も知らずに、また藤堂に何も知らされずに入ったこの店が、実は黒藤さんの家であるということが。
「藤堂、おま…まさか知ってて言ってなかったやつ!?ここが黒藤さんちだって!?」
「ああ。だって言わないでおいた方が面白いかなって思ったから。」
「マジかよぉ…」
「初めてゼミの授業があった日の夜だったかな。紘深のやつ家に帰ってきてすごく喜んでたんだよ『地方の人と友達になれた!』って。この間のアンテナショップもありがとうね。」
「あ、は、はぁ…」
「キミならきっと、紘深の良い彼氏さんになれるんじゃないかな。」
「そんな彼氏だなんて…」
「キミがそのつもりじゃなかってとしても、おじさんからしたら立派な彼氏に見えるよ。ほら、期待を込めてサービス。」
そう言っておじさんは、つぶ貝とみる貝をサービスしてくれた。
「うわすっげぇなお前こんな高級そうなものもサービスしてくれるとか。黒藤さんの両親からの期待爆上がりだな。」
「藤堂もそうイジるなよ… あ、ありがとうございます…」
「紘深ちゃんが今大学なのが本当に残念だよ。斎藤君、これからもよろしくね。」
「おばさんまで…」
俺は感じていた。俺は今店主夫妻…もとい黒藤さんの両親から相当な期待を寄せられているということを。
「そうだ。今度授業が長く空いている時に、紘深を新橋・銀座デートに誘ったらどうだ?斎藤君と一緒ならきっと大丈夫なんじゃないかな。」
「お前相当な期待寄せられてるな!両親から直々にデートに誘ったらって言われるなんて早々ねぇぞ!ウリウリ~!」
「か、考えてみます…」
俺はついにおじさんから黒藤さんをデートに誘うことを提案された。なんでも新橋と銀座のあの辺には、地方のテレビ局の東京支社がたくさんあるのだという。
黒藤さんの両親の圧は凄いものだったが、寿司は申し分のない旨さだった。
「またおいで!できれば紘深がうちにいる時に!」
-今回初登場の登場人物-
黒藤大智
妻とともに「瑞寿司」を営む紘深の父親。2代目で、店を継ぐ前は都内の有名ホテルの和食部門に勤めていた。豪快で気さくな性格。紘深の"彼氏"として良哉のことも気に入り、かなりの期待を寄せている。40代中盤。
誕生日は9月17日。
一番好きな寿司ネタは中トロ。
黒藤侑梨
大智の妻。大智に匹敵する高さの握りの技術を持つ。寿司以外でも玉子焼きや汁物も得意。温和な性格だが、良哉にかける期待は夫並み。夫とは同い年。
誕生日は6月15日。
一番好きな寿司ネタは玉子と甘エビ。
主要キャラの好きな寿司ネタ
良哉:いくら・しめさば・炙りサーモン
紘深:マグロ・タコ
幸太郎:いくら・あじ・こはだ