第170話「黒藤と赤川が愚痴る夜」
お盆が明けて、俺はまたもう1社面接を受けた。選考結果は約2週間後に来るらしいが、当たり前のことながらその結果を待ってはいられない。というわけで、俺は明日も面接が控えている。
(良哉のお腹が鳴る音)
面接の準備を進める俺。就活が始まって4~5か月ほどが経ったが、流石に4~5か月も経てば疲れたちお腹が空いたりはするがだいぶ慣れてくる。
(今日も瑞寿司で済ませるか…)
相変わらず食事のことはとても考えられる状況にない俺。今夜も瑞寿司で食事をすることにした。それにしても今日も夜だというのにとても暑い。
(引き戸を開ける音)
「こんにちはー。」
「斎藤君いらっしゃい。今日も来てくれたんだ。」
「はい…(苦笑)就活とか卒論とかいろいろあると、自分の食事のことまでは頭が回らなくて…」
俺は今日も「リーズナブルセット・松」を頼んだ。流石にもう「いつもの」で通用するようになった。
「いつものをお願いします。」
「はい。いつものね。」
食事を始める俺。すると…
(引き戸を開ける音)
「いらっしゃい。おっ。梨苗ちゃんじゃないか。」
「ひろちゃんのお父さん。お久しぶりです。」
店に来た一人の女性。それは俺と同じくらいの人だった。おじさんや黒藤さんのことを知っている人であることは俺にも分かった。
「紘深、呼んであげようか?」
「ありがとうございます。お願いします。」
女の人がそう言うと、おじさんはケータイで何かを話し始めた。
「―そうそう。梨苗ちゃん。久しぶりに来てくれたんだ。あ、斎藤君も来てるよ。」
おじさんは電話を切った。その数分後…
「お待たせー。」
黒藤さんが店にやってきた。
「ひろちゃん!久しぶりー!」
「うん!梨苗久しぶり!あ、そうそう。紹介したい人がいるんだ。」
「誰?」
「この人!」
その人と黒藤さんは友達だったようで、彼女はその人を俺の側に連れてきた。
「急にごめんね斎藤君。この人ね、私の小学校の頃の友達の梨苗って言うんだ。」
「何ひろちゃん?もしかしてひろちゃんの彼氏?」
「いや彼氏って程でもないよ。大学の友達。」
「そうなんだ。はじめまして斎藤さん。私、赤川梨苗って言います。よろしくお願いします。」
「こちらこそよろしくお願いいたします赤川さん。俺、斎藤良哉って言います。黒藤さんとは仲良くさせてもらっています。」
黒藤さんの小学校時代の友達である赤川さん。3年生の時に初めてクラスが一緒になって以来の仲で、ある時には黒藤さんのピンチを救ったこともあったという。彼女は多摩の方の大学に通っていて今もこの辺に住んでいるのだが、ここ瑞寿司に来る機会はあまりないという。
「あまり外食する機会がなくてですね…」
「そうですねえ… 俺実家が岐阜なんですけど、そこにいた頃は近所の食堂とかまるっきり使ってなかったですねえ… 岐阜いた頃たまに何かお祝い事とかがあった時のお寿司も出前だったし… 去年黒藤さんと実家行った時に岐阜城近くの高山ラーメンの店で一度食事したくらいの記憶しかないですね…」
「待ってひろちゃん斎藤さんの実家行ったことがあるの!?」
去年黒藤さんと岐阜の実家に行った時のことを話した俺。赤川さんのテンションが上がる。しまったとも思った。「岐阜にいた頃のお寿司も出前だった」「家の周りの飲食店を使ったのは去年黒藤さんと岐阜城近くの高山ラーメンの店で食事をした時くらい」この2点は紛れもない事実であるのだが。
「そうだよ。斎藤君が誘ってくれたんだ。」
「そうなの!?ひろちゃん羨ましい~。私も友達の家に泊まったことはあるけど、みんな女な上に東京だから…」
「えへへ…」
黒藤さんは照れくさそうな様子だった。
しばらく会話が続く俺たち3人。黒藤さんは俺と出会った経緯も話した。黒藤さんと俺がどんなきっかけで出会ったのかが一発で分かる話とはいえ、この過程を擦るのももう何度目だろうか。
「いかにもひろちゃんらしいね。」
「えへへ…『岐阜のテレビならそのネタで話せるかも!』って思って…」
「ゼミの教授もナイスプレーだね(苦笑)」
しかし俺は次第に、「せっかく久しぶりに会えたんだから、黒藤さんと赤川さん2人で話させてあげたい」と思うようになった。
良哉「ねえ黒藤さんに赤川さん。せっかく2人久しぶりに会えたんだから、あそこの空いている席で2人でおしゃべりしてきてもいいよ。」
梨苗「いいんですか?」
良哉「はい。2人だからこそ話せそうなこともあるんじゃないかと思いますし。」
梨苗「じゃあお言葉に甘えて…」
紘深「ごめんね斎藤君気使わせちゃって。」
良哉「いいっていいって。」
こうして2人は俺の斜め後ろにある2人掛けの席に座り、おしゃべりを始めた。赤川さんも「リーズナブルセット・松」を頼んだ。
「―ところでひろちゃん、就活どんな感じ?」
「全然だよ。私実はフリースクールの職員目指してて、春にはチャイルドカウンセラーの資格取ったんだけど… どこも採用してくれない… フリースクールの話、梨苗には話してなかったよね?」
「うん初耳。フリースクールってあの不登校になってる子とかが通ってる感じの?何年か前ニュースで少しだけ話題になってた。ひろちゃんその先生目指してるの?」
「そう。中学の頃の友達とか、斎藤君のお姉さんに薦められてね。」
「そうなんだひろちゃん凄い… 私なんかそんな高尚な目標ないよ…」
「梨苗どこ目指してるの?」
「私は出版社の広報の目指してる。」
「いいじゃんそれも。」
「ありがとうひろちゃん。」
「でもさ、大学も4年生になると忙しいよねめちゃくちゃ。」
「うん…」
「私なんか忙しくなりそうだからっていう理由で、3年までやってたコンビニのバイト辞めたくらいだし… ひろちゃん今バイトやってる?前に都内のパスタ屋でバイトしてるって話聞いたけど。」
「それ?今もやってるよ。」
「え~ひろちゃんめっちゃ偉~い。」
「えへへ… でも1・2年の頃と比べると格段に減っているとはいえ大学の授業や、あと卒論もあるから、それの合間縫ってだからとても忙しいよ。急に面接が入ったってことでシフト変わってもらったことあるもん。」
「大変そう… 私にはそんな交渉力ないよ…」
すると2人の話の流れが変わった。
「私も就活全然ってさっき言ったじゃん。それってきっと私に交渉力というか、コミュ力ないってことなのかなあって思うよ。」
「そんなことないよ、だって梨苗あの時、私を学校に復帰させたくてみんなのこと引っ張ってくれたって聞いてるし。」
「やだなあひろちゃん。それと就活は全く別の問題だよ。」
「ごめんごめん。まあでも私確かに、面接一番自信というか手応えあったところ落ちたから… 『私ってあれでもダメなの?』って思って。不採用通知来た時はマジで泣いたよ…」
「そんなことあったんだ…」
「うん… お母さんも慰めてくれたよ。お母さんが必死に私の事慰めてくれたの、ほんとあの時以来だよ…」
「あの時以来ってことは十数年ぶりってことじゃん…」
「うん…」
「いやあ私も就活上手くいかなくてイライラすることあるんだけどね、うちの母さんなんかその辺聞き飽きたっぽくて先月くらいから話というか愚痴聞いてくれなくなったの。」
「そんなことあるの?あの梨苗のお母さんが?」
「なんか最近薄情なところ出てきたの。」
「そうなんだ…」
「で気分転換も兼ねてここ来たって訳なの。」
「来てくれるのはありがたいし嬉しいけど、そんな経緯だったんだね。」
「うん… まあ何度も何度も同じような愚痴聞かされると飽きてくるところはあるかもだよね…」
「分かるよ。ほんと分かるんだけど… やっぱり自分としてどうしてもってところは確かにあるよ。」
「そうだよね。いくら相手がそう思う気持ちは分かっていてもねえ…」
その後もいろいろ話は続く。その2人が話していること、それは就活や卒論をはじめとした、大学4年生ならではの愚痴でしかなかった。
話はまだまだ続く。黒藤さんも黒藤さんで、友達相手に吐きたい愚痴が溜まっていたのかと思っていた。俺にとって黒藤さんは愚痴を吐きたくなることなんてないようなイメージだっただけに、なんだか俺相手に気を使わせてしまっていて、申し訳なく思えてくる。
すると…
「ねえ斎藤君。」
「黒藤さん?」
「ごめんねさっきから愚痴ばっかりで。うるさかった?」
「別に?まあぶっちゃけ、俺もそれっぽいこと思ったところあるからさ。でも赤川さんはいいですよね直接愚痴吐ける人がいて。俺なんか一人暮らしだから、家とかで愚痴吐ける人いないから…」
「なんかすいません…(苦笑)」
嫌味を言ってしまったかと思い、俺も申し訳ない気分になった。
「にしてもひろちゃんは凄いよ。男友達?がいて。私なんか彼氏どころか男友達もいないんだからね。友達には彼氏いる子いるのに…」
「お察しするよ梨苗…」
「どう?就活終わったらひろちゃんと斎藤さん付き合っちゃうなんてのはどう?」
「突然何言ってるの梨苗~!『この戦いが終わったら結婚するんだ』みたいなこと言っちゃって~!」
「良い機会だと思うよ私的には。2人でどこか遠いところ出かけて、その流れでコクって…」
「変なフラグ立てないでよ~。」
突然俺のことで黒藤さんをイジってきた赤川さん。俺も「赤川さんいきなり何言ってるんですか!?」と言いたくなるほどだった。
そうこうしている間に話は終わった。
「じゃあ私はこれで失礼します。斎藤さん、なんかすいませんでした…(苦笑)」
「いえいえそんな。スッキリしたでしょう。黒藤さんといろいろ愚痴こぼせて。」
「そうですね。斎藤さんの言う通りスッキリしました。気分転換ってやっぱり必要ですね。もっとここに来ようかなって思ってます。」
「梨苗、待ってるね。」
「うん!」
こうして赤川さんは店を後にした。
「ねえ黒藤さん。」
「なに?斎藤君?」
「黒藤さんも、いろいろ溜まってたんだね…。」
「当たり前だよ~。だってただでさえ就活とか卒論とかいろいろ忙しすぎるんだから~。もしかして私のこと、『愚痴こぼすようなことがない人間』って思ってた~?」
「あ… ああ… 秘密としか言えないよ…」
「ええ~?」
俺が黒藤さんのことを「愚痴をこぼすようなことがない人間」と思っていたことを、よりにもよって本人に言う。とてもじゃないけどそんなことはできないと俺は思っていた。
-新しい設定付き登場人物-
赤川梨苗
多摩地区のどこかにある大学に通う大学4年生。紘深の小学生の同級生で仲はとても良かった。
今も赤羽周辺で家族とともに暮らしているが、小学校卒業以降紘深とは会う機会が数回しかなかった。
バイトは3年の頃まで大学近くのコンビニでバイトをやっていたが、就活開始を機に辞めた。
誕生日:8月16日
トピックス:紘深がある事情で学校に来られなくなった際には、彼女が表立って紘深が学校に復帰できるように尽力した。