線路に消えたあの人は
ベルが鳴り、目の前で扉が閉まる。私はホームのベンチに座り、自販機で買っておいたお茶を飲む。電車は次の駅に向かって走り出し、私はそれをただ眺めていた。時間は午後11時過ぎ、ローカル線の駅ゆえか人が少ない。終電が来るまであと20分か。ここに帰ってくるのは久しぶりだからな、時間がかかってしまった。
「おや、電車は行ってしまいましたか。まいりましたね。」
いつの間にか隣に一人分スペースを空け、中年の男が座っていた。年齢は40代後半か50代、頭髪に白髪が混じっており、くたびれたスーツを着ている。ただ、鞄などの荷物を持っていないところを見ると仕事に来たというわけではないらしい。
「あなた、観光客ですか?ここの電車、終電早いから困りますよね。」
男がこちらを向いて話している。どうやら私に話しかけているらしい。
「いや、昔ここに住んでいたことがあって。知り合いを尋ねに久々に戻ってきたんです。」
「おや、そうですか。この街にね。なるほど・・・。」
つい素直に答えてしまった。素性も知らない相手に話しかけてくるこの男に少々警戒心を抱いていたが、そんな私の気も知らず男は会話を続けた。
「ではこの駅の噂についてもご存じですか。」
「噂、ですか・・・?」
怪しげな中年男はにやりと笑う。不気味だったがその笑みはひどくやつれているように見えた。
「こんなローカル線上でここの駅だけ、線路への飛び込みが頻繁に起きたんですよ。みんな言ってましたよ、【呪われた駅】だって。まぁもう十数年ほど前の話ですがね。」
「十数年前ですか。僕は小学校に通い始める頃にこの街から引っ越してしまっているので、そんな噂があったとは知らなかったです。」
呪いだなんてばかばかしい。この路線は過去に飛び込みや人身事故に対して損害賠償を請求していなかった。場所としてこの路線は都合がよかったのだろう。この駅を最寄りとする高校や大学もあり、他駅と比べて周辺人口が多い。若者が多ければ自然とそういう人も増える、と考えれば呪いのせいにするには不可思議さが不十分すぎる。
「信じていませんね。あなた。」
男はボソッと呟く。まるで心を読んだかのように的を得た言葉にゾッとする。男はうつむき、表情から先ほどの笑顔は消え失せている。その見開いた瞳には一切の光はなく、ただひたすらに空虚だった。私の視線に気づいた男はすぐさま笑顔を取り戻しこちらに向き直った。
「でもね、呪いはありますよ。この駅の呪いにまつわるお話も、あるんですから。」
男は話し始める。私は少し恐ろしく思ったが、ここで終電を逃すわけにもいかず逃げるわけにはいかなかった。
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この街で生まれた少年「柏木優太郎」は父が憎かった。彼の父は他の人を見下すようなプライドが高い人間だった。ただ飛びぬけて優秀というわけではなく、周囲の人からは煙たがられていた。
優太郎は何をやってもそこそこ優秀だったが、父は彼を認めなかった。そしてそのたびに「俺がお前くらいのころはもっとうまくやれていた。」「お前はなんでそう不出来なんだ。」とののしられた。
優太郎が10歳のころ、母はそんな父に愛想を尽かし家を出た。優太郎は母が好きだったが、彼女は優太郎に何も言わずにいなくなった。父が母の蒸発を知ると激怒し、この街から引っ越すことに決めた。優太郎は父から離れたかったが、他に頼れる人もおらず父に従うしかなかった。
新居に向かうための電車を待つ。もう間もなく電車が来る。父は母の蒸発や引っ越しで疲れていたのか、何も言わずに電車を待っていた。優太郎はそんな父の後ろに並んでおとなしくしていた。
ふと、考えてしまった。このまま線路に父を突き落としてしまえば、自分も解放されるのではと。優太郎は父が憎かった。その思いはよからぬ考えとともにどんどん膨れ上がっていく。電車が来る。そして彼は。
気が付くと駅は大騒ぎだった。駅員はせわしなく動き、駅のホームには何かを駅員に訴えている人や茫然としている人もいた。優太郎が自分のしてしまったことの重大さに気づくのにそう時間はかからなかった。
しばらくすると駅に母が迎えに来た。母は優太郎を強く抱きしめると、「家に帰ろう」と言った。しかし、優太郎は自分の行いを母に正直に話し一緒にはいられないと言った。そんな彼に母は、
「何を言っているの?ウチにお父さんなんていないでしょう?」
そう告げた。
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「確かに十数年前まで、この路線は損害賠償を請求していませんでした。でも、していなかったんじゃなく、できなかったんですよ。だって、この駅で死んだ人は必ず【身元不明】になるんですから。この世から存在が消えてしまうんです。いなかったことになるんですよ。」
男はうつむき、ぶつぶつとつぶやく。そしてぶるぶると身体を震わせ始めた。まるで体験談かのような臨場感のある話に、すっかり夢中になって聞いてしまった。しかし、話の中で一点だけ引っかかっている部分があるのだ。私は恐る恐る男に話しかけた。
「確かに興味深い話なんですけど、【呪われた駅】には自殺者が多いのでは?この話だと、完全に他殺になってしまいますけど・・・。」
男はこちらをちらりと見て、フッと笑った。
「噂では自殺者が多いとは言っていませんよ。飛び込みが多いと言われているだけです。それが自らの意思なのか、誰かが故意でやったことなのか、曖昧にされているのは真実を知らないからです。」
「つまり、あなたは真実を知っていると?」
そう聞くと男はこちらをじっと見つめた後、再び視線を下に戻しこくりとうなずく。彼はさらに話し続ける。その様子はまるで犯した罪を懺悔するかのようだった。
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優太郎は最初こそ自分を責めていたが、周りの説得もあり「父は最初から自分の妄想だった」のだと受け入れた。そして中学に上がり、父の記憶は薄れていった。
・・・思えば、この時からすでに狂っていたのかもしれないですね。
中学校で何事もなく三年間過ごし、優太郎は高校生になった。先ほど話した通り、優太郎はそこそこ優秀だったため都会の進学校に合格した。幼馴染である「金沢真理」と中学からの親友である「大津俊介」も、共に同じ学校へと進学していった。
真理は近所でも美人で有名だった。優太郎はそんな彼女に少なからず好意を持っていたが、思春期ゆえか友達から関係を進展できずにいた。優太郎にとって真理と一番近い異性という肩書はとても誇らしいことだった。
俊介はスポーツ万能で容姿も整っていた。優太郎はどのような分野でもそこそこ優秀だったが、勉学以外の分野で彼に勝てたことはなかった。優太郎は彼にあこがれを抱き、彼のようになりたいとも思っていた。
学校へ行くためには電車を使わなくてはならなかったが、この二人の友人が優太郎の心の支えとなっており、通学はさほどつらくはなかった。優太郎自身も、真理と俊介を家族同様に大切に思っていた。
ほんとに、大切に思ってたんです。本当なんですよ。
充実した高校生活を優太郎は真理と俊介とともに謳歌していた。休みの日にたまに三人で遊びに行ったり、テスト期間には集まって勉強をしたりした。この交友関係に優太郎はとても満足していた。
あの時までは。
高校三年生のある日。その日の帰りの電車に、真理の姿はなかった。俊介に何か知らないか尋ねると、「お前に言わなきゃいけないことがある。」と言われた。とても嫌な予感がしていた。
駅に着きホームに降りると、俊介は話を始めた。
「真理とさ、付き合ってたんだ。俺。」
時間が止まったような気がした。何も耳に入らなくなり頭が全く回らない。しばらく俊介が何かを話していたような気がするが、何一つ内容が入ってこなかった。しかし、ある一言が優太郎の耳に入ってきた。
「それでな、今真理のお腹には子供がいるんだ。俺たちの子だ。」
その一言で顔面から血の気が引き、頭が急に回るようになってきた。好きだった人を汚され奪われた怒り、自分が大切に思っていた人に裏切られた悲しみ、自分だけ置いて行かれたような疎外感、それらすべてが憎悪となって彼の中にこみあげてきた。そう、父の時と同じように。
「まもなく一番ホームに電車が参ります。」
いったいどれほどの間駅のホームで話していたのか。いつの間にか、次の電車が来るような時間になってしまった。しかし、そのことが彼の行動を完全に決定づけた。
「優太郎、今まで黙ってて本当に・・・」
聞こえたのはそこまでだった。力強く俊介の身体を突き飛ばし、電車が迫る中俊介は線路へ落ちて行った。鈍い音がして、電車がブレーキをかける。優太郎は二度目の殺人を犯した。
あの時、ちゃんと話を聞いてあげればよかった。
真理は学校に来なくなった。噂では誰かとの子供を妊娠し出産を決意したらしく、学校も退学したのだという。優太郎は真理と会うこともなく、連絡も取らなかった。心の支えを失うことの辛さを真理に味あわせてやりたかった。
彼の殺人が公になることはない。なぜなら被害者は存在しないのだから。身元不明の男の遺体、どこから現れたのかもわからず、ただ線路上に降ってきた身体。
彼はこの駅の特性を完全に理解した、理解してしまったのだ。
彼は地元の大学に入り、学生生活を謳歌していた。
気に入らない同級生二人を線路に突き落とした。意地の悪い教授を突き落とした。自分を振ったサークル仲間を突き落とした。飲み屋でからんできた酔っぱらいを突き落とした。交際相手の元カレが邪魔なので突き落とした。金を借りていた友人ももう要らなかったので突き落とした。
彼は地元の会社に就職し、社内で出会った女性社員と結婚した。
その間にも仲の悪い同僚を突き落とした。無理やり酒を飲ませてきた上司を突き落とした。優秀な自分を目の敵にする同僚も突き落とした。酒の勢いで作った不倫相手もうるさかったので突き落とした。こんなに落としても優太郎は罪に問われることはなかった。
そして、異常なまでの死人の多さから【呪われた駅】の噂が生まれた。
それらが全て一人の男によるものだとは知られる由もなかった。
結婚後、優太郎は妻の間に子供を授かった。しかし、そうなっても彼はまだかつての思い人を忘れられずにいた。生まれた子供を見るたび、彼は真理のことを思い出してしまう。
どうしても忘れられず、彼は自分の子の名前に「自分」と「真理」から一文字ずつ取って名付けた。
子供が生まれて少し経ち、妻の退院間近のある日。優太郎は病院へ行こうと駅で電車を待っていた。
「優太郎?優太郎だよね?」
その声を聴いたとたん、思い出が一気にフラッシュバックする。三人で過ごした輝かしい日々、裏切られた想い、線路へ落ちるときのアイツの顔。忘れたくても忘れられなかった、この声。
「真理・・・、ひさしぶりだな。」
そこには10歳ほどになる男の子を連れた、金沢真理の姿があった。
時間に余裕があったため、駅近くの喫茶店で真理と話すことにした。聞けば子供の学校が夏休みに入ったため、これから彼女の両親の家に行くのだという。
彼女の子供は喫茶店の店員と一緒に店内のテレビに夢中になっていた。店内に人が少ない時間であったため、優太郎達が話をしている間の子守をしてくれていた。
「なぁ、大変だったか。その、高校やめた後とかさ。」
長年ずっと気になっていたことがすぐに口から出た。ずっと知りたかった。
真理はふふふと少し困ったように笑う。
「そりゃまぁ、楽ではなかったけどね。やっぱり気になるよね、ごめん黙っていなくなっちゃって。でもどうしても、あの時は話せなくて。」
あぁ知っているとも。お前はあの後どういう風に苦しんだんだ、教えてくれ。心の中であざ笑ってやる、ざまぁみろってな。
「義父との子供を孕んだなんて、知られたくなかった。」
彼女は子供に聞こえないように、小声で優太郎にそう告げた。
「ぎ・・・、ふ?」
何を言っている?義父との子供?そんなはずはない。だってあの時、俊介は俺たちの子だって言った。存在が消えた人が別の人に置き換わったのか?そんなこと今までなかった。今までいなかったことが普通だったかのように扱われていた。こんなことが、
じゃあつまり。
ほんと、ちゃんと話を聞いてあげてれば、こんなことには。
「真理とさ、付き合ってたんだ。俺。」
「アイツの母親が再婚したのはお前も知ってるだろ。でも最近その再婚相手が酒に酔うとひどいらしくてな。」
「夜中にバイト帰り、たまたまアイツのうちの前を通ったんだ。そしたら真理のやつ、家の前で泣いててな。」
「聞けば、わかったのはその日だったらしい。検査したんだ、陽性だった。」
「これがきっかけで両親は離婚したんだと。」
「母親には反対されたらしいが、真理は生むことを選んだ。子供に罪はないって。」
「それでな、今真理のお腹には子供がいるんだ。」
「俺は決めたよ、真理とお腹の子は俺が支える。例え俺の血は流れてなくても、」
「俺たちの子だ。」
今までなかった罪悪感が一気にのしかかってきた。真理たちと別れ、妻に会いに病院へ行った。真理たちや妻の前では平気な顔をしていたが、一歩歩みを進めるだけでも嘔吐してしまいそうだった。生まれた自分の子を見る。
耐えられなかった。病院を出ると一目散に駆けだした。ひたすらに遠くに行きたかった。妻とわが子を見ることができない、ちらついてしまう、アイツの顔、アイツの最期、落ちてゆくアイツが言った最後のセリフ。
「顔、見たかったなぁ。」
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「優太郎は逃げてしまったんです。さ迷い歩いて、できるだけ遠くへ逃げました。職も住む場所も、家族も捨てて。自分勝手に人を殺しておいて、罪を償う勇気すら出せずに。」
男はうつむいたまま、長年ため込んでいた罪の思いをすべて吐き出した。もう一人称をごまかすことも忘れてしまうほど、彼は追い詰められていた。
「それでも、今でも未練がましくこの街に訪れてしまうんです。逃げてしまった罪に向き合おうと。それでも、残していった妻や息子と会わなければと思う度、謝らなければと思う度、体の震えが、止まらないんです。」
身体を縮こまらせ、男はぶるぶると震える。顔は青ざめ、空虚な目を見開いていた。
「まもなく、電車が参ります。黄色い線の内側へお下がりください。」
アナウンスが聞こえる。電車が来るのだ。男はふらりと立つと線路のほうへと歩いていく。ふらふらと頼りない足取りで歩んでゆく。
「どうしても怖くて、私は罪と向き合うことができなくて。だから、せめて、私も消えてしまおうと思いまして。これで今まで存在を消してしまった人たちが許してもらえるとは思いませんが、せめてもの償いに。」
私はすっと席を立ち、男に向かってゆっくりと歩いてゆく。伝えなければならないことがある。
「そんなことないですよ。少なくともここに一人、それで満足する者がいる。」
男は歩みを止める。私は男の後ろに立ち、男にだけ聞こえるような声で話を続ける。
「僕の母は5歳になるまで懸命に面倒を見てくれました。そのころから父に逃げられたことで社内で厳しい立場にあったようです。6歳の誕生日を迎える前に、自ら死を選びました。鬱だったんですよ、母は。」
「あなたに裏切られたときから。」
鋭い光が横顔を刺す。電車が近づいてきている。
やっとだ、やっと。十五年待った。父らしき男がこの街に来たところを見たと老いた祖母から聞き、急いでこの街に来た。一日かけて探したが見つからなかった。
でも今目の前にいる男こそが。
男はゆっくりとこちらに振り返る。空虚だったその目には、確かに恐怖という感情が宿っていた。震える唇で、絞り出した声を紡ぐ。かつての想い人と自分の名前を取って付けた、その名は・・・。
「優真・・・、お前、おおきく・・・」
直後、男の身体は宙を舞う。よく見たら、若いころの俺にそっくりだ。そんな息子の表情はひどく嬉しそうに見えた。