コレクター 5
正午に待ち合わせた喫茶店は混んでいた。春先の移動シーズンで、引っ越しきたばかりの親子とか、都会にまだ馴染めてない地方出身者らしき若者が、軽食取りながらくつろいでいるような雰囲気があった。
喉は乾いているのに、食欲どころじゃない俺は取り合えずかったカフェオレで冷えた指先を温めながら、美大生の呉さんを待った。
大学の近い学生の街でシェアハウスに住んでいるという彼女は、ファッションもいかにも美大生という独特のオーラを放っていた。かぼちゃみたいな色合いのスカートに、渋い紺色のトレンチコートを羽織っていて、襟元からは白いレースのシャツが覗いていた。春らしいと言われると春らしいのかもしれないが、俺には馴染みのないレベルのおしゃれさんなのだと感じた。
「こんにちは!」と切れのいい挨拶をされて、紺色のネイルに染まった手で指し出されたカメラの動画がいきなり再生された。アトリエの入り口から十人程度のギャラリーが、創作活動中の恵鈴の背後に並んで絵を見ていた。
「こんな風に無防備なときに背後に並ぶ男達を信用できないっつうの」と、呉さんは独り言をつぶやいた。
「私の個人的な勘なんですけど、この人が一番怪しいんです」
彼女が指さした先にいたのは、赤いべっ甲の眼鏡をかけて緑色を基調とした固い服装の学生だ。
「今、三回生の梅田原さんていう人なんですけど、入学当初からめっちゃ恵鈴のことジロジロ見てる、いかにもストーカーみたいな男で……」
「梅田原? なんか、聞いたことがあるような、ないような…」
今、一瞬だけそいつの顔が目の前にちらついた。この動画からでははっきりとした顔付きや目付きがわかりずらい。
「こいつの実家、結構な金持ちらしくてちょっと変わった服装してるでしょ? 噂によると変な宗教団体やってるとか」
「宗教?」
「あ、でも。この人ともう一人頭がイカレテそうな奴がいるんですよ。これ、この人。助教授の下田先生なんですけど、才能ある学生に声かけまくって個展開く企画があって、恵鈴はまっさきに白羽の矢が立って、先輩たち差し置いてそういうことはしたくないって謙虚に断ってたの。去年の秋だったかな?」
呉さんの話はどんどん怪しい人物が飛び出してきたが、一番最初の男が最も気に障った俺は腕時計を見て切りの良いところで無理やり話を中断させた。
「ごめんね。今から人を迎えに行くから、もう行かなくちゃいけないんだ。もしも、何かわかったら連絡くれるとすごく助かります。ここは俺が奢るんで、今日はこの辺で…」
「あ、はい。わかりました。恵鈴、東京で独り歩きは出来ないって言ってたんで、勝手がわからないようなところには自分だけでは絶対に行かないと思うんです。だけど、強引に誘われて振り払えない場合は女の最終兵器を使って撃退しろって前に話したことがあって」
もう立ち上がって会計を始めた俺を追いかけてきて、呉さんが奇妙なことを話した。
「女の最終兵器?」と、俺が聞き返すと。
「相手を油断させて、追いかけて来れないように痛い目に遭わせるってやつで」
その先はもう聞きたくなかった。油断させるって、それってかなりハイリスクなことをしなくちゃいけないやつだとしか思えないんだが……。
「待って。相手が男とは限らないじゃない?」と言うと、「九割九分男です!」となぜか断言した。
「恵鈴は同姓から反感を買う性格じゃない。美大生の場合、才能による嫉妬が一番怪しい。でも、恵鈴は不思議なものを見たり感じたりする力があるじゃないですか?」
「え??」
俺は驚いた。店を出て、歩道の隅っこで話を続ける。
「そんな子が、嫉妬心や憎悪に気付かないわけない。恵鈴が油断したってことは、絵の才能は関係なくて、きっと別の理由で恵鈴に執着したサイコ野郎が拉致って鑑賞用に飾ってる気がするんですよ。だって、今日初めて会ったけど、お兄さんも恵鈴も人目を惹くほどきれいな顔してる。その顔いつまでも眺めていたいって考えるバカはきっといると思うんです」
そ、そんな理由で一人の人間を拉致る奴がいるのなら、東京はかなり危険な街だ。
呉さんのくれた情報量が多過ぎて、俺は移動中ずっと聞いた話を整理しながらメモを取った。
二度乗り換えて羽田に付いたら、お袋の乗っている飛行機はとっくに到着していて、到着専用出口前のコンビニで買い物をしているのを発見した。急ぎ足で傍に行くと目を合わせる前からお袋は俺が来たことをわかったように、「お迎えありがとう」と言った。