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眠れぬ龍の夢  作者: 森 彗子
第2章
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手繰り寄せられて 4

 車を停めて降りてみるけれど、私達二人だけでは動かしようもないほどの立派な大木で、牽引用のロープさえ積んでいないんだから、最早お手上げ状態になってしまった。


 「引き返しましょう」と、しょうがなく私が言うと。


 ―――燿馬の表情がなんだかおかしい。


 何かを感じている顔付きで、きょろきょろと周囲を見渡し出す。


「どうしたの?」


「……聞こえない? 声が」


「声?」


 耳を澄ましても、私には夜風に揺れる梢がざわめく音しか……。でも、地響きのような振動音を感じ始める。


 来た道を振り返ると、曲がりくねった坂道を登ってくる車のヘッドライトが見えた。


「誰か来るね」と、燿馬が同じ方向を視ながら言った。


 現れたのは白いセダンだった。


 スモールライトに落としてすぐに、運転席のドアが開いて降りてきた人物が馴れ馴れしい口調で言った。


「こんばんは、波戸崎はとざき夏鈴かりんさんですね?」


 ライトの角度のせいでやけに陰影が濃いせいか、その人物の顔を良く見ることができないけれど、恵鈴のアトリエで触れた名刺から感じた波動と同質の波動を感じる。


「……もしかして、白鷺しらさぎ たすくさんですか?」


 私の問いに一瞬だけ驚いたけれど、すぐに平然と身構えた彼は言った。


「…さすがですね。あなたと直接会うのはこれが初めての筈なのに」


 ―――その時。


 微かに、風に乗って恵鈴の声が聞こえた。


 すぐ反応した燿馬に向かって、私は指示を出す。「行って!!」


 弾かれたように、燿馬は走り出した。


「ご子息はどちらへ?」


 口ぶりは割と丁寧ぶっているけれど、この男は嘘つきだ。取り繕った態度から、信用ならない悪意に似た警戒心と私を陥れようとする意図を感じる。


 幸いなことに、彼には恵鈴の声は聞こえていないようだ。


「ちょっと用事を足すために…、すぐに戻って来ると思います」


 男は、白鷺は私の背後の闇に目を凝らしていたが、すぐに視線は私に戻ってきた。視線を肌に感じられるって、こんなときとても便利だと思う。


「お待ちしておりました。波戸崎様。


 本家のご主人様が一刻も早くあなたに会いたいと言っておりまして、普通にお誘いしてもきっと来てくれそうにないと教えられたものでしたから、娘さんを誘拐させてもらいました。荒っぽいことは全くしておりませんので、ご安心下さい」


 聞き出そうと思った矢先に先手を打たれた。


 自分の口で娘を誘拐した、と言った男の表情はやはり影が深すぎて読めない。声の質からは特に何も感じられない。平然と「誘拐」したと言う神経に、質の悪さを感じるだけ…。


「娘は、無事なんでしょうか?」


「はい。責任もって、私の主人の所有する建物内の一室にお預かりしております」


 淡々と嘘を吐く男の声に、わずかな動揺を感じた。嘘を吐いている人は、大抵ノイズを発している。そのノイズが徐々に大きくなってきた。


 多分、恵鈴が逃出したせいじゃないだろうか。それを私に悟られまいと、息を止めるような緊張感を張り詰めているようだ。それが裏目に出ていることを、わかっていない。


「あなたは画商ですよね? どんな目的でこんな大掛かりなことを…?」


「はい。その件について丁寧に説明させて頂きますので、立ち話もなんですから私共の屋敷へご案内させて頂きます。着いてきてくれたら娘さんにもすぐに会えますよ」


 白鷺は白いセダンの助手席側の後部席のドアを開けて、どうぞと言わんばかりの手つきで私に指図してくる。車は置いていけ、ということらしい。


「息子さんはどうしましょうか?」


 言おうとした途端に先を行くこの態度に、対抗意識のようなものさえ感じた。この男は見た目よりも攻撃的なのかもしれない。


 車という密室で二人きりになることにかなりの抵抗を感じるけれど、今持ち合わせている選択肢はもう他になかった。


「ここに車を置いてけば、息子は戻ってきても安心です」


 そして、恵鈴に会えたらこのレンタカーに乗って先に東京へ帰ってくれたら良い。


 その伝言をメールに入力して送信を押したけれど、案の定電波の圏外に居るせいで保留になった。同じ要領で晴馬にもメールを送りつけ、どこかで回路が繋がることを祈りながら、携帯端末をコートのポケットにしまった。


「ところで、息子さんはこんな荒れた山奥にどんな用なんです?」


 意地悪な質問だ、と思う。


 私のことを試しているのだろう。


「この山は個人の所有なんですか? 道路は綺麗だけど森が荒れ放題ですね。植林された杉の木が元気に育っているようには見えません」


「そうですね。私もそこまでは存じ上げませんが、元々植林栽培の山を買い取ったとかそういうことじゃないでしょうか」


 男の手が私の背中に触れて、一瞬脳内に細いドアとその向こうにいる女性の口に粘着テープが張られている光景が見えた気がした。手足はおそらく背後で縛られている…。


「本職は人攫いなんですね?」


 私の言葉にピタリと動きを止めた男は、首だけ動かして私の顔をジッと見据えてきた。


 小柄なわりに筋張って鍛えられた腕を自慢げにゆっくりと動かして、ドアを閉める。すぐにドアノブを引っ張ってみたけど、案の定チャイルドロックが掛かっていて、もう逃げることは出来ない。

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