8◇バンシー
ここは、屋敷の中か?
古い、というかアンティークというか、古めかしいがしっかりとしている、洋風の屋敷の中の一室のような。
窓の外から明かりが射し込み、その明かりの中、二人の女が話をしている。豪華なドレスを来た貴婦人二人。今度はタイムスリップか? ヨーロッパか? 何故か二人は俺にはまるで気がつかないように話をしている。
「私、私は見たんです! 昨夜、窓の外に!」
「落ち着いて下さい、ファンショー夫人」
「昨夜、妙に胸騒ぎがして目が覚めて、不思議な気配を感じて窓を見れば、」
「ファンショー夫人、落ち着いて、椅子にお座り下さい」
「月の光に照らされた窓に、ああ、死人のような青ざめた顔の女が部屋の中を覗いていたのです。血のような赤い長い髪を流して、風の音のような息を吐いて、すうっと消えていったのです。あ、あの女はなんですか?」
騒ぐ女は肩を押さえられ、そっと椅子に座らされる。もう一人の女は椅子に座らされた女、ファンショー夫人とかいう女に、そっと囁く。
「突然の話ですが、昨晩、当家のご主人様が亡くなりました」
「え、ええ?」
「ファンショー夫人がご覧になったのは、バンシーでしょう」
「あれが、バンシー?」
「当家では、昔々、祖先が身籠った女を殺し、川に投げ込んだと、伝わっています」
「では、その女がバンシーに?」
「はい、以来当家では代々、当主が死にかけたときにバンシーが現れるのです」
「まぁ……」
なんだか間近で演劇か映画の撮影でも見ているような気分だ。手を振って声をかけても、二人には俺の声は聞こえないようだ。
次の妖精はバンシー? で、この二人はなんなんだ?
「「アアアアアア!!」」
「おわあ!?」
いきなり響く大勢の女が泣き叫ぶ声。耳を押さえて振り向くと、青白い顔、血のような赤い髪の女が真後ろにいる。
「うわおう!? なんだお前!?」
「ようこそ、十七世紀のオブライエン家に。今、貴方が見たのがオブライエン家に宿泊したファンショー夫人のお話よ」
青白い顔の女はニヤリと笑う。再び振り向くとさっきまで話をしていた二人の貴婦人はいなくなっている。十七世紀? オブライエン家?
「ここは何処だよ? お前は誰だよ?」
「ヨーロッパの果て、エメラルドの島、ケルトの遺跡の残るアイルランドには四つのシンボルがあります。ここでクイズです!」
「はあ?」
「ひとつ目はミニクローバーのシャムロック、ふたつ目は楽器、アイリッシュハープ、みっつ目は片方靴屋のレプラホーン。では、最後のひとつはなんでしょう? ヒントは、わ、た、し」
ちょっと考えてみれば、
「いや、そのクイズ、事前にヒント出し過ぎだろ? 答はバンシー」
「「アアアアアア!!」」
「なんで泣くんだよ! あと何人いるんだよ!」
大勢の女の泣き叫ぶ声に振り向くと、他にも女がいる。いっぱいいる? 若い娘からおばあちゃんまでぞろぞろいる。
「まさか、これ全部バンシーなのか?」
「正解、答はバンシーです。おめでとう!」
おばあちゃんから若い娘まで、いつのまにかいっぱいいる。テーブルに椅子を出して、お茶にお菓子を用意してくれる。椅子を進められて座り、紅茶を一口飲んでやっと落ち着いた。
「今回はバンシーなんだ」
「そうよー」
代表して返事をするのは最初の女。死人のような青ざめた顔、赤い髪を振り乱し、白い服を着ている。これがバンシー。
「バンシーって、アイルランドのシンボルなのか?」
「そうよー。ケルトの地らしく四つの内二つが妖精なのよー」
「なんか凄いな。それで、なんでバンシーはこんなにいるんだ?」
「順に紹介していきましょう。こっちがスタンダードなバンシーね」
手招きされて近くに来たのは背の高い女。緑の服を着て、その上に灰色のマントを羽織っている。髪は長くて目は真っ赤。目のまわりも泣き腫らしたように赤くなっている。
その背の高いバンシーが言うには、
「不吉な死の預言者、バンシーよ。コウモリのように泣き叫びながら空を飛び、偉大な人が死ぬときには、大勢のバンシーの泣き声を夜空に響かせるわ」
「はた迷惑なような。さっきの泣き声がキーニング?」
「そう。そして偉い人が亡くなるときほど、泣くバンシーの数が増えるのよ」
「偉い人ほどやかましいのか。逆に、たいしたこと無い奴だと一人とか?」
「いいえ、私達は旧家の守護妖精だもの。本来はオハラ、オブライエンといった領主または貴族の称号の『オ』が頭につく家の人のところにしか現れないの」
「貴族専用かよ。妖精にも身分差別があるのかよ」
「だからあなたのとこには現れないわね。頑張って貴族になってみる?」
「貴族になる方法も知らないけど。バンシーが人数が多いってのは解ったけど、見た目も年齢もバラバラみたいなんだけど?」
見たところ、服の色とか髪の色とかバラバラだ。背の高さも違う。
「最近だと若い女の姿というのが多いかしら? イラスト映えするしカードゲームとかなら美女よね」
「いきなり俗な感じになった」
バンシー達が立て続けに言う。
「でも、若くして死んだ美しい処女で、死衣に身を包む、というのもあるのよ」
「泣きながら夜空を飛んで、親族の宿命を告げたりね」
「長い髪を垂らして木の下にうずくまっていたり」
「で、ババアのバンシーもおるぞ」
「醜いシワクチャの老婆じゃよ」
「こっちは歯が長い」
「こっちは鼻の穴がひとつしか無いんじゃ」
「ケルト神話に出てくるバンシーは老婆の姿よ」
「そっちは英雄ク・ホリンの鎧兜を川で洗うのじゃ」
「血に染まった兜を洗って英雄ク・ホリンの死を予告してるのよ」
「スコットランドのベン・ニーもバンシーと同じかしら」
「ベン・ニーも小川で死衣を洗っているの」
「誰の衣かと訪ねたら、瀕死の人の名前を教えてくれるのよ」
「『水辺のすすぎ女』『悲しみの洗い手』という別名があるわ。ケルト神話のバンシーと似てるでしょ?」
お茶を飲み、アップルケーキを食べつつバンシー達の話を聞く。なんか賑やかだ。
疑問に感じたことを聞いてみる。
「バンシーが死を告げる妖精っていうのは解ったけど、なんだか死んだ女の幽霊みたいじゃないか?」
「人の魂が死後、妖精になるのはよくある話でしょ。妖精と幽霊って重なるところがあるの」
「境目が曖昧なんじゃなくて、重なってるのか。そーいや、シルフにウンディーネもそういう話があるか」
「ちなみに、バンシーが出るって噂は現代にもあるわよ」
「現代版バンシーって、どんなのだ?」
「バンシーが出るって噂がついたお屋敷は、不動産としての価値が上がるの」
「なんでだよ? 不動産価値って、いきなり金の話に?」
「古いお屋敷ほど価値が高いし、バンシーが出るのはもと貴族の持ち物になるから。歴史を感じさせるものを大事にする民族性ならではね」
「いや、幽霊屋敷ってなると買い手がつかないような気がするんだけど」
「あら? 祖先の霊に恨まれたり祟られたりするようなことでもしたの?」
「いや、そんなことした憶えは無い」
「だったら祖先の霊がそっと見守ってくれる屋敷って、素敵じゃない」
「そこは随分と考え方が違うのか? バンシーが出るって噂になると地価が上がるってのは、よく解らん」
古いものを大事にしようっていうのが、そういうのに繋がるんだろうか? 日本でも日本にホームステイした外国人が『日本の家なのに、畳も床の間も障子も屋根瓦も無かった』って、残念がるってのは聞いたことある。伝統が作る雰囲気を価値ある大切なものとしたら、バンシーが出るって噂の古い屋敷は高くなるのか。
「しかし、バンシーって姿がバラバラだ。年齢の差が激しくないか?」
「それはもともとの語源のゲール語と関係あるかもね」
「バンシーってゲール語なのか?」
「ゲール語でバンが女、シーが丘なの。丘は丘に住む人の意味もあって、シーが妖精。つまり女の妖精をバンシーと言うの」
「ということは、女の妖精は全部バンシーなのか? それじゃ幼女から老女まで全部バンシーになるのか?」
「男の妖精はファー・シーって言うのよ」
「年齢層関係無しかよ。じゃあ死を告げる女がバンシーってことでいいのか?」
「死の予言だけじゃなくて、バンシーは家族につく守護妖精よ。赤ちゃんの眠るゆりかごの番をしたり、チェスで悩むときに駒の動かし方を教えたりもするわ」
「ますます訳が解らん」
「さっきも言ったけど、バンシーは『オ』のつく旧家の守護妖精でもあるから」
「そうか、死を告げるって言っても、死期が近いのを教えてくれてるんだよな」
不気味で不吉ではあるけれど、人の害になることはしなくて逆に守ってくれるのか。
「バンシーは現代の扱われ方には不満は無いのか?」
「そうね、ちょっとバンシーらしさが違うところがあるかしら? 私達、泣き声でダメージを与えたりしないし」
「特徴が泣き声となると、そういうのが使いやすくなってしまうのか。でもバンシーらしさっていうのは?」
俺の言うことにシワクチャの老婆が立ち上がり、ニタリと笑ってずいと近寄って来る。
「例えば、バンシーの養子になると三つの願いが叶えられるのじゃ」
「ほんとか? じゃ、俺は日本に帰れるのか?」
「やってみるかえ?」
老婆がニタニタ笑って垂れ下がる乳房を手にして突き出すようにする。
「この婆の乳房を吸うことのできた大胆な者はバンシーの養子になれるのじゃよ」
「え、えええ?」
「ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ」
俺には大勢の女が見守る中で、老婆の乳を吸う大胆さは無かった。あるもんか。