男と女と家庭と家計
こんなことを考えました。
婚活にあたって悩むことがある。家事も育児も共同作業、なんでも一緒にやるべきという主張に対してどうしても私はしっくりこないのだ。もちろん、家庭の維持運営は共同作業であり、協力してやっていく必要があるというのは認識している。
でもなんでも一緒にやるのはそれは無理があるんじゃないか? 家事や育児というものについてどうしてもそこは女性が主体にならざるを得ないのではないかという気持ちが私にはある。それが、どうやっても拭えない。
現実的に考えて出産、育児と仕事に休みが取りやすいのは女性であり、男性がそう言った休みを取りにくいという実情はどうしてもあり、家庭の運営と維持についてはどうしても女性主体で回した方がうまくいく気がしてならない。
男が家庭のために休みを取りたいなどというと、お前は家庭と仕事とどっちが大事なんだと叱責が飛んでくることはザラにあったのだ。元嫁と結婚して元嫁が新しい職場で苦しんでいる時に早く帰って晩御飯を俺が作ろうなんて思って定時退社をしていたらものすごく怒られたことを覚えている。
何事も一緒にやるというスタンスで家事や育児にもそれを適用すべきであるという主張はわからないでもない。わからないでもないが、であるならば家計を同等レベルで支えられる女性が、男性側が職を辞して家に入ることをよしという思想を持っている場合に限って家事育児も対等に一緒にやるべきというのであれば納得はできるのだが、そうではないことがほとんどだと思うのだ。
あと、個人的に家事育児を二人で一緒にやるべきという論を述べる女性の大半はでは家計のための収入の維持というテーマについては一緒にやるという意識が薄い気がする。
私は子供を産むために休む必要があるから、それは当たり前のことでしょう?という意識がやはりある気がし、収入がないもしくは低い男性は忌避する傾向がやはりあるように思える。
これらの部分に目をつむって家事も育児も共同作業、なんでも一緒にやるべきという主張は一抹のズレを感じないでもない。
何故なら女性側に(私も働きに出るけれど)家計の維持についての主体は男の役目でしょという意識があるように思えるからだ。
ならば、男性側も(私も家事や育児でできることはやるけれど)家庭の維持についての主体は女の役目でしょという意識を持ってもよいのではないかなと思うのだ。
ずっと昔に、マルクスの資本論を読んだことがある。
その中に工業化による資本主義の繁栄に伴い、労働者という階級が強固に発展し、男は嫁や子供を働きに出させることで賃金を得る時代になっていくという予測が記載されており、なるほどまさに時代はそうなっていっているなと納得する一方で、それが喜ばしいことなのかについては強い疑念を抱いたことをよく覚えている。
私は資本家ではなく労働者階級に属するものであり、この流れに逆らうことはできないが、それでも果たしてそれは正しいのだろうか幸せなのだろうかとそう思ってしまう。
人類史を紐解いてみると、古来より男というものは女に対し衣食住を満たし、それを発展させることに力を費やしてきて、女というものはそうしてできた衣食住によって成り立つ文化を維持醸成してきたように思える。その流れは産業革命により崩壊を始めたと言えるだろう。
家庭というものを一緒に作っていくにあたっての男女間の役割の差は社会性のみの問題ではなく生物学的な性差に基づく部分も多く、これを無視することはどうあってもできないもののような気がするのだがどうだろうか?
その生物学的性差に基づくのであれば、やはり家計維持の主体は男、家庭維持の主体は女。
その範囲内での戦略的互恵関係というのが自然な発想のように私には思えるのだ。
諸々と思考が飛んだが、極論すると女性は家庭に入って家庭を支え、男は外に出て家計を支えるというのがやはり生物学的性差に基づくしっくりくる家庭のあり方なのではないかという思いがどうしても私の根底にはあるということなのだ。
もちろん、ダブルインカム体制での家計運営というのは好ましいと言えば好ましい。現在の日本の税制含めてそちらのほうがリスクは低いように思える。
好ましいが、それでは女性の負担がどうしても大きくなりがちな訳で、まず前提は女性が家に入るという形で考え、プラスアルファで可能ならばダブルインカム体制に持ち込むというのが望ましいような気がどうしてもする。
そしてダブルインカム体制を作るのであればもちろん男性の家事、育児への介入は必須だとは私も思う。
男性の育児休暇取得は会社では歓迎されず、採用面でもキャリア構築の観点からやはり男性の方が良い条件で就職しやすい実態はある。とりわけ大企業では女性の働きやすさというテーマでの取り組みは多いものの男性にそこまでの働き方の自由は許されてない。
これは一つの社会課題であるが、その社会課題に対しての本質的解決策が国家レベルで存在しない現状、やれることはそこに課題があることは認めた上で現実的にどうすることがより良い結果をもたらすかを考えることになると思うのだがどうだろうか?
端的にいうと、確かに私自身は家事、育児一緒に取り組めるか?という問いに対して安易にやれるとは答えられない人間だ。が、そんなもんは女の仕事だろと切って捨ててるわけではなく、諸々の課題を踏まえた上で、やはり女性主体で動いて欲しいという願いがどうしても強いというお話になる。
決して俺は家事も育児も省みないと言ってるわけではないのだ。
主体はどうしても女性にならざるをえないよね? という主張なのだ。
そこを誤解なく伝えたい。むしろ安易に家事も育児もやれるよ、子供好きだしほんとうに欲しいし とかいう男の方が信用ならないと俺は思うのだけどどうだろうか?
私だって子供好きだし、家事が全くできないわけではないし、家庭運営にあたって必要なことはこなせる人間だ。
家事育児というものを一つの業務と考えた際に、仮に主業務遂行責任者は女性と定め、その上でワークシェアリングの観点から男が適切なサポートを行えるように取り計らって欲しい。それを女性に求めるという姿勢を認可して欲しい。
女性が男性に家計の維持の主体を任せたいと思うのと同じ程度に男性が女性に家庭の維持の主体を任せたいと思う心を許してほしい。
家事や育児の業務遂行については男は管理責任者、監督責任者というレベルでは到底抱えられるものではないと思う。むしろ、その辺に男が入っていくとより家事育児というものは複雑化し、細かなスタイルでの衝突が出てくると思うのだ。
雑い男のことだ。例えば洗濯物の干しかた一つとっても到底要求レベルに至ってないと思われることがあるだろう。何をネットに入れて洗えばいいかも判断つかないだろう。そこはある程度大目にみて欲しい、努力してもどうにもならない溝はある。
男の料理を考えて欲しい、大雑把な味付けで概ね満足する。
細やかな調理はできない。男のクオリティってのはそんなもんだ。
逆に良いところもみてください、家族旅行やら、大きなものの買い物や大掃除。
長期運転苦手だけどやれます、重いものも持てるし、高いところにあるものをヒョイっととったりもできるし、エアコンのフィルタの掃除もお手の物。
そういう得意とする分野もあるはずなんだ。
そんな男だからこそ、女の指導のもと、適切に管理され業務に当たりたいという願いなんだ。
働きやすい家庭という職場を用意してくれればきちんと家庭でも業務はこなせると思う。
男なんて生き物は基本的には奉仕の精神を持っているものです。
支配者として奉仕する奴隷が気持ちよく働けるように扱って欲しいのです。
ほどよく男のプライドを刺激して、上手いことコントロールしてやってください。
仮に考えてみて?あれもやれ、これもやれと指示してくる上司とか嫌じゃない?
褒めて育ててください、期待されたぶんの仕事に応えたい、そういう思いを男に持たせてください。
家庭での上下の分を超えるような傲慢な振る舞いをさせないようにうまく御してください。
あなたの馬となって働きましょう、そう思わせる風格と器と広い心を持って男を使ってください。
主体的にそういうコントロールをしてほしい。私はそう思うのですが、それはおかしなことでしょうか?
こんな男についてどう思います?