園田くんと小鳥遊さんのお昼ごはん③
「あのっ」
僕は改まって背筋を伸ばした。……と同時に机の脚につま先を打ち付けてしまい、痛みをこらえる。
「そ、その……」
ドモる僕に対し、小鳥遊さんが首を傾げていた。彼女の前髪が小さく揺れ、覆い隠されていた垂れ眉が現れる。小鳥遊さんが僕のことをどう思っているか分からないし、急に勧めたら変な奴だと思われるかもしれない。
それでも、彼女がお腹を空かせて悲しそうな顔をしているのを見たくなくて……半ばヤケクソのような勢いで、僕は続けた。
「ぼ、僕の弁当があるんだけど……た、食べてもらえませんか!?」
僕は同時に、バッグから弁当箱を差し出した。頭を深々と下げ、弁当箱だけを突き出している。まるでラブレターを渡す人みたいだ、と思いつつも、僕は怖くて顔を上げられなかった。
が、僕の手が急に軽くなるのを感じた。
「お弁当? 今日も作ってたんだー」
小鳥遊さんが、僕の弁当箱を受け取っていたのだ。
「あれ? なんで食べてないの?」
「えっと……」
「これ、もしかして誰かの分だったりする?」
「……うん」
僕が頷くと、小鳥遊さんは不安そうな表情で、
「本当にいいの? その人が困ったりとかは……」
「だ、大丈夫だよ! それは小鳥遊さんのために作ったものだし…………あ」
しまった、と口を塞いだ。小鳥遊さんを安心させようと思わず勢いで口走ってしまった。小鳥遊さんは目を見開いている。こんなこと急に言われたら絶対引くに決まってる……!
僕は目を瞑って顔を逸らしていたが、小鳥遊さんからの返事がない。怒っているのかと思い、恐る恐る目を開けると……。
小鳥遊さんは、トマトみたいに顔を真っ赤にしていた。
「その……本当にわたしのために……?」
「そ、そう! いやそうなんだけどあまり上手じゃないっていうか、あんまり期待はしないでほしいというか」
「…………食べてもいい?」
小鳥遊さんは俯いたまま、上目遣いで尋ねた。
「……どうぞ」
好きな女の子のそんな視線に男子高校生の僕が耐えられるわけもなく、僕は無意識の内に頷いていた。
小鳥遊さんがおずおずと弁当箱を開ける。昨日のように中身が崩れていないか不安だったが、おかずをきっちり詰めてきた甲斐もあり、ひとまず弁当の体を成していた。
「いただきます」
箸を手に取った小鳥遊さんが手を合わせる。差し込んできた夕陽に照らされたその姿が、まるで神様にお祈りをしているかのような神秘さを帯びているような気がして、僕が目を奪われている間に、彼女は卵焼きを口にしていた。
彼女に笑顔が戻った。
「おいしいー!」
まるで花が咲き乱れたような微笑みだった。
「料理、いつからしてるの?」
「き、昨日から……」
「昨日!? すごいねー! たった二日でこんなにおいしいものが作れるなんて天才だよー!」
僕は頬をかく。もしかして、気を遣って褒めちぎってくれているのか、と疑ってしまい、小鳥遊さんの顔を覗き込む。ハンバーグにロールキャベツにと、次々と頬張っていた。何かを口に入れ、噛み締めるたびに、頬を押さえて笑顔を作り直していた。とても嘘をついているような顔には見えなかった。
確かに、レシピ通りには作ったけれど、卵焼き一つにだって何度も失敗している。四回目のチャレンジでなんとか姉さんのゴーサインが出たものを詰めたに過ぎないのだが……ここまで喜んでくれるのは予想外だった。
そして改めて、僕は。
小鳥遊さんのことがやっぱり好きだと実感した。
「実はわたしね、こんなに大食いなのに全然料理できないんだ」
弁当をちょうど半分ほど食べたあたりで、一度小鳥遊さんが箸の手を休め、そんなことを言っていた。料理ができないなんて意外だが、言われてみれば確かに、小鳥遊さんが自作の弁当を持ってきたことは一度も無かった気がする。僕が見た限りではあるけれど。
「でも園田くんはお弁当が作れるんだよね。すごいよ、園田くん」
「あんまり上手じゃないとは思うけど……」
「そんなことないよー! ほら、園田くんも食べてみて!」
彼女はそう言うや否や、箸に卵焼きを挟み、僕の口めがけて突き出した。あれ、これってもしかして「あーん」ってやつなのでは?
「食べないの?」
「た、食べます!」
ドキドキする間もなく、小鳥遊さんは僕の口へと卵焼きを押し付けた。口に入ったものをそのまま飲み込めるわけもなく、僕は卵焼きを咀嚼する。……確かにまずくはないのだが、特段おいしくもない。味は偏っているし、焼き加減にはムラがあるしで、食べられるだけマシ、と言った感じだった。
「まあ、確かにプロの料理人さんと比べちゃったら負けちゃうかもだけど」
僕をフォローするかのように穏やかな口調で、
「一生懸命作った料理は、ちゃんと食べたら分かるんだよ。それに」
「それに?」
「それに……わたしのために作ってくれたって言ってくれたおかげで、三倍くらい美味しく感じちゃった」
少し照れたようにはにかむ小鳥遊さん。
締め忘れた窓から風が吹き、廊下へと抜けていく。暖かく心地よい風が僕の心持ちを穏やかにしたその時、僕はふと、青春という言葉を思い出していた。
「ね、もし良かったら……また、お弁当作ってきてくれない? 一緒に食べようよ」
「一緒に……?」
「うん。わたしのお弁当とおかずを交換してほしいなって。あ、わたしはコンビニ弁当だけどね」
へへ、と鼻のてっぺんをかきながら、悪戯がバレた子供みたいに微笑む小鳥遊さん。
「えっと、どうかな?」
「いや、こちらこそお願いしたいというか! 是非!」
「うん、じゃあこれからよろしくね」
手を差し出される。僕はその手を握り返した。彼女の手は細くて、でも柔らかくて、少しひんやりしていて……なんだか、優しい気分になれた。
「残りも全部食べちゃっていい?」
「どうぞどうぞ」
「……いっぱい食べるなあとか思ってない?」
「思っ…………てない、よ?」
「あー! 今の間、絶対思ってたでしょ!」
小鳥遊さんはほっぺを膨らませて怒ってみせた。僕が思いっきり顔を背ける振りをして……首を捻りすぎて、痛みにうずくまる。そんな僕を見た小鳥遊さんは、すぐにおかしそうに笑った。
そして、小鳥遊さんは残った弁当を食べ始める。僕はそんな彼女の様子を、完食までずっと眺めていた。
□
その後は日誌を出して小鳥遊さんとも別れ、帰宅。
空になった弁当箱は洗ってくると小鳥遊さんが申し出てくれたが、弁当箱は明日も使うため僕が持ち帰ることにした。
僕は家に帰るなり誰かに話したくなって、姉さんに一部始終を報告した。姉さんからはめいっぱい冷やかされたが、最後に僕の背中を思い切りぶっ叩いた後、
「おめでとう。これからも頑張りなよ」
そう言って、祝福してくれた。
□
そして翌日、僕は……。
……女の子に囲まれながら昼ご飯を食べている。
「紹介しまーす! 新しいお昼ごはん仲間の園田くんでーす!」
小鳥遊さんの紹介にあずかっていたのだが、僕はどうにも状況が掴めないでいた。普通こういう展開になったら二人きりでご飯を食べるようになるのではないか? あわよくば恋人のようにキャッキャウフフなやり取りを楽しめるのではないか?
そんな期待をよそに、僕は小鳥遊さんの手によって、女の子グループの一員の仲間に加えられたのだった。
当然、クラス中から変な注目を浴びていた。
「残念だったねー、園田」
僕の隣に座っていた女の子が、僕の脇腹を肘でつついた。
「たぶんヒナコのことを狙ってるとは思うんだけど、ヒナコはめっちゃ天然だからねー。ま、頑張りたまえよ、少年!」
女の子はワハハ、と笑い、すぐにグループの会話に戻った。小鳥遊さんはといえば、いつもと同じように喋りながら、皆からおかずを恵んでもらい、おいしい、おいしいと繰り返していた。僕はその輪にただ加わっただけに過ぎず、昼休みの日常は、大きくは変化しなかった。
まあ、僕にとってはこれでも大きな進歩だけれど……、小鳥遊さんからすれば、友達が一人増えたくらいにしか思っていないんだろうなあ……。
――姉さん。僕の恋路はまだまだ多難そうです。
・園田くん
引っ込み思案だった男の子。小鳥遊さんのことが好き。
一歩前進。本当に小さな一歩だが。
・小鳥遊さん
相変わらずおっとりしている女の子。ご飯のことが好き。
園田くんのことを意識していないように見えるが、実は……。