園田くんと小鳥遊さんのお昼ごはん②
――そもそも、僕は小鳥遊さんとまともに話をしたことがない。
出席番号順に回ってきたプリントを手渡しに行ったときに声をかけた程度が関の山で、それ以外に会話をした覚えがない。今日だって本当に小鳥遊さんと偶然挨拶ができただけであって、小鳥遊さんが僕の名前を憶えていてくれたことに驚いたくらいだ。こんな有り様なのに、弁当なんか持ってきて食べてもらうついでに仲良くなろうなんて無茶だったのかもしれない。
……でも、やっぱり諦めきれない。
同じクラスなんだし、出席番号も連番だし……もしかしたら何かの拍子で二人きりになれるかもしれない。その時に声をかければ、もしかすれば一緒にとはいかずとも、弁当だけでも受け取ってくれるかもしれない。
さっきだって偶然話せたのだ。ああいうチャンスをもう一度ものにできれば、僕の弁当を彼女が食べてくれるかもしれない。そして、僕の弁当で彼女が笑ってしまうかもしれない。そう考えると、ほんの少しだけ希望がわいてくるのだった。
が、そう甘くないのが世の中というものである。
一時間目から四時間目まで、ずっと椅子に座りっぱなしだった。授業と授業の合間にある休憩時間は……小鳥遊さんは常に友達に囲まれており、声をかけられなかった、声をかけられなかった。結局、ノートに「小鳥遊さんに自然に話しかける方法」を落書きしている間に、四時間目が終わってしまった。
小鳥遊さんが昼ご飯を忘れているパターンも想像したが、彼女は当然というか昼ご飯を持ってきていたし、仮に忘れていたとしても僕より先に周りの友達が彼女にご飯をあげていただろう。その昼、小鳥遊さんは美味しそうにコンビニ弁当を食べていた。僕は別に買っていたカレーパンを食べるだけだった。
ふと、小鳥遊さんと目が合う。小鳥遊さんは首を傾げていたが、僕のほうが気まずさで思わず目を背けてしまった。臆病だ、僕は。
そのまま五時間目、六時間目と時は過ぎていき、掃除の時間。とはいえ掃除の班分けはクラスの席の列ごとなので、二列目の僕は教室、三列目の小鳥遊さんは裏庭掃除と、これまた居場所が重ならなかった。
そして放課後になり、小鳥遊さんはバッグを持って立ち上がった。今日のチャンスはもうここしかないと思い、僕は意を決して彼女に迫るも――
「ねえヒナコー、帰りにドーナツ食べに行かない?」
小鳥遊さんの友達の一人がそのようなことを言い出し、
「えー!? 行きたいー!」
小鳥遊さんが同調したことにより、僕の弁当作戦は完全に潰えたのだった。
僕は教室から去って行く小鳥遊さんの、友達と楽しそうに話す横顔を眺めながら、癖になっているため息を吐きつけて、弁当が入ったままのバッグを背負った。
バッグは未だ、重いままだった。
□
家に帰り着く。六時を回っていた。本屋に寄り道して「女の子にモテる100のテクニック」とかいう本を立ち読みしていたら遅くなってしまった。特に何かが役に立ちそうというわけでもなく、時間をただ浪費しただけだった。
「ただいまー……」
返事はない。父さんと母さんはよく残業で帰りが遅くなる。姉さんも生徒会で帰宅が八時を回ることがザラだ。僕は無人の自宅を意味もなく散歩してから、リビングのソファに腰かけた。
晩ご飯は何にしよう。
いつもなら姉さんが何か買ってきてくれるのだが、ラインで聞いても返事がないあたり余程忙しいのだろう。そういえば文化祭に向けて会議中、とか言っていた気がする。何か食べるものはないか、と起き上がろうとした時、バッグに手がぶつかって、弁当の存在を思い出した。
さすがに、余ったから捨てるというのはもったいない。
僕は風呂敷の結び目を解き、晩御飯代わりに弁当をつまむことにした。
十六年間の人生で初めて作った弁当は、詰め方が甘かったせいか中でぐちゃぐちゃになっていた。味付けもとてもしょっぱくなっていて、とても食べにくくて……こんな失敗作を好きな女の子に食べさせなくてよかった、と前向きに考えることにしよう。
夜に一人で食べる弁当は、悲しい味がした。
□
そういうことがあったのに、翌日も僕は弁当を作っていた。
理由はある。
今日のうちのクラスの日直が、僕と小鳥遊さんのコンビだということを思い出したからだ。
もしかしたら、日直の仕事中に話しかけるチャンスがあるかもしれない。そもそも小鳥遊さんが学校を休んだらこの作戦が台無しになることを教室に着くまで失念していたが、小鳥遊さんは今日もちゃんと学校に来ていた。今日も遅刻ギリギリだった。
しかし、臆病な僕はまたも声をかけられず……昼休みも結局、彼女は普通にコンビニ弁当を食べていた。僕はコロッケパンを食べながら機会をうかがっていたが、自分の度胸の無さに悔いるしかなかった。
ややもしているうちに、放課後になっていた。
「じゃ、日誌書き終えたら先生のとこまで持ってくるんだぞ。職員室にいるからな」
担任は僕にそう言い残した後、教室を去って行く。他のクラスメイト達もグループで集まりながら、帰路についていた。小鳥遊さんも友達に帰りの誘いを受けていたようだったが、
「あ、ごめん! わたし今日日直だからー」
そう言って断っていた。
そして教室には、僕と小鳥遊さんだけが残った。
僕が自分の席で日誌を広げ、バッグから筆箱を取り出していると、
「園田くん」
僕の気が付かないうちに、小鳥遊さんが前の席の椅子に座って僕に呼びかけていた。
「わたし今日何もやってないから、日誌くらいは書くよ」
「いいの?」
「むしろやらせてほしいな。黒板消し、全部お願いしちゃってたから」
たはは、と小鳥遊さんはバツが悪そうに苦笑いを浮かべていた。
「じゃあ……お願いしようかな」
「ん。任せて」
僕が日誌を手渡すと、小鳥遊さんは右手で日誌を受け取り、左手でガッツポーズをした。そしてそのまま、僕の机の上で日誌を広げる。小鳥遊さんは胸ポケットに刺さっていたボールペンを引き抜き、日誌の項目を次々と埋めていった。かなり丸っこい字だった。
そんな様子を僕が黙って目で追っていると、小鳥遊さんが不意に手を止め、顔を上げた。
「ごめんね。何か用事があったみたいなのに無視したみたいになっちゃって。ずっと気になってたんだけど、わたしから無理に声かけるのも悪いかなって思って」
「あ、ううん。僕の方こそ無理に呼び止めちゃって……ごめん」
小鳥遊さん、気にしてくれていたんだ。小鳥遊さんのまわりにいつも友達がいるのも、彼女の人徳あってこそなんだろうな。
「昨日のあれさ、もしかして……お弁当だった?」
「え」
「リナ……えっと、友だちがね、お弁当入れに同じ巾着袋使ってたから」
どうなのか? と聞き込むように、小鳥遊さんの両目が僕の両目を射抜いてくる。まるで何でも吸い込んでしまうかのような澄んだ瞳に、僕は抗えなくなり、
「弁当……です」
なぜか敬語になってしまっていた。
「やっぱりー! 園田くんってお弁当作る人?」
「あ、いや普段は……」
「そうだよね。いつもパン食べてるイメージだったし」
イメージも何も確かにその通りで、いつも僕は購買の総菜パンを食べているのだが……小鳥遊さんが僕の食事情を知っているのが意外だった。
僕が一人で驚いていると、小鳥遊さんは何かを思い出すかのように腕を組んだ後、やがて手をポンと打った。
「そういえば昨日もパン食べてたような気もするけど……お弁当はどうしたの?」
「あー……」
なんと説明しよう。まさか君のために作ってきたけど渡すタイミングがありませんでした、なんて正直に言えないよなあ、なんてことを思いつつ、僕は色々と考えを巡らせていた。そしてふと姉さんの存在を思い出し、姉さんの分なのだと身内を売る真似をしようとしたところで、
ぐうーーーーーーーーーーーーー。
大きくお腹が鳴った。
僕ではない。したがって、この音の主は僕の正面に座っている小鳥遊さんということになるわけだが……小鳥遊さんは、顔を赤らめて恥ずかしそうに俯いていた。
「えっと、お腹空いてる?」
こくん。彼女が小さく頷いた。
「その、わたし……すごく大食いで……お昼にいっぱい食べてもこの時間にはもうダメで……」
いつもののんびりした小鳥遊さんらしくない、随分しおらしい声量だった。長い髪の先を指でいじっている。そんな姿にどことなく色っぽさを感じて、僕までその緊張が伝播してしまう。
「えっと……何か食べるもの、持ってたりしない……? お金は払うから……」
「うーん……」
僕はバッグを開いてみる。食べ物は……あるといえば、ある。性懲りもなく彼女の為に作った弁当が。
味付けは昨日よりはうまくいったとは思うが、なんせ昨日の今日から始めた腕前だ。冷凍食品も多いし、小鳥遊さんの口に合うかどうかは分からない。
でも。
今ここで絶好のチャンスを逃してしまったら。
僕は二度と、彼女に弁当を食べてもらう機会を得られないのではないか?
そう考えた時、僕は自然と、口が開いていた。