八谷くんと七瀬さんのお昼ごはん③
それを聞いたのは、翌日の昼のことだった。
「最近体験入部したばかりの男の子だったんだけど」
「二年生?」
「うん」
部活終わりに呼び止められて告白されたらしい。部活絡みの話だから先輩後輩もあり得たのだが……同じ年か。というか、二年になってから体験入部とか、それ完全に七瀬のことを狙ってたやつじゃないのか?
「……それで?」
俺は部室のカーテンが締められているのを確認してから、七瀬に訊いた。
七瀬は顔こそ俺の方に向いていたが、俺よりさらに遠くを見ているような――そんなピントの合わない視線を作りながら、ぽつりと呟く。
「…………断ったよ」
歯ぎしりでも聞こえてきそうな、そんな苦々しい顔だった。
そういえば、もう六月だ。この部室も風通しがあまり良くないから暑い。俺はにじむ汗を手で払う。七瀬も少し汗をかいていたようだったが、ふき取る仕草の一つも見せず、ずっと固まっていた。
会話の糸口を作ってやらねばと思い、俺は声をかける。
「その……イヤなヤツだったのか? そいつ」
「え……ううん! すごく良い人で……私にもすごくよく話しかけてくれて……」
「顔は?」
「ええと……私は良い悪いの区別は分かんないけど、先輩さんたちが盛り上がってたから、かっこいい人なんだと思う」
名前は、と訊こうと思ったが、止めることにした。そいつの名前を知ったら、学校でそいつの名前を見たときに意識してしまいそうだったからだ。
「それなのに、断ったのか」
「うん。昨日は眠れなかった」
よく見ると、七瀬の大きな目の下にうっすらとクマができている。七瀬の性格からして、自己嫌悪に陥っていたのだろう。そういうことすごく気にしそうだし。
「告白されたときは、確かに少し嬉しかったけど」
けど、と言いながら、七瀬はすぐに顔を曇らせていた。
「でも、その時に八谷くんの顔を思い出しちゃって。やっぱり、私は……」
その台詞の後に、言葉は続かなかった。が、流石の俺でもその言葉の先は分かる。俺は何も言えず、ただ彼女の台詞を待つしかできなかった。
「断った後、そのまま逃げちゃって」
空気を肺から絞り出すようなか弱い声で、
「ごめんなさい、ごめんなさいって……」
台詞の端々に、嗚咽が混じってきていた。ここでようやく、七瀬はスカートのポケットからハンカチを取り出した。拭うのは汗ではなく、涙のほうだったが。
「七瀬」
俺は七瀬に囁きかけるように呟いた。
「昨日は疑って悪かったよ」
俺より良い奴に好かれたとしたら、俺から離れていってしまうかもしれない。
俺はそれが、嫌だと感じていた。
嫌だと感じるということは、七瀬が懐いてくれる今の状況を心地よいと思っている、ということでもある。
だから俺は七瀬を慰めたい。そう思って、口を開いた。
「七瀬はさ、ご飯をこぼしたことってあるか?」
「え……? それはもちろん、ある、けど……」
七瀬は顔を上げ、糸みたいに細い声で言の葉を織っていた。そんな声でもなんとか聞こえる程度には、部室は静かだった。俺たち二人しかいないのだから。
「ご飯をこぼした時、誰かが片づけるのを手伝ってくれなかったか?」
「うん。友達とか、家族とか……」
「俺も中学の頃に給食をひっくり返してさ、助けてもらったことがあるんだよ。俺の場合、女の子だったけど。俺、それだけでその子のこと好きになっちゃって」
七瀬のことを笑えないな、と俺は付け足した。
「それがきっかけで仲良くなったんだけどさ。最終的にどうなったと思う?」
「……フラれたの?」
「当たり」
俺は手をひらひらと振って答えてみせる。
「気になったものをじろじろ見ちゃう癖があるからさ。ずっとその子のこと見てたら、怖いって泣かれちゃって」
そうしてフラれ、一人で勝手に悔しがった結果、今では立派な二次元オタクになっていた。しかしなんだ、自分の恥ずかしい話で場を繋ぐのはなかなかに苦しいものがある。
「だからその……男なんてそんなもんだからさ! あんま気にすんなよ!」
俺は半ばヤケクソのようにそう締めて、無理に笑顔を作ってみせた。
そんな俺の演技を見た七瀬も、くすくすと笑っていた。
「八谷くんって、慰めるの下手だね」
「下手っ……あのなあ、俺だって頑張って七瀬に元気になってもらおうと思って――」
「分かってるよ。八谷くんは優しいから」
七瀬のとろけるような表情を見ていると、俺の毒気がぐいぐいと抜かれていく。そして七瀬は、涙と笑顔を同じようにこぼしてから、
「八谷くんのそういう優しいところが好きになったんだよ」
身体を包み込むケープのように、柔らかく呟いていた。
俺が何か返そうか考えているうち……音の違う鐘の音が四つ、続けざまに流れる。
「あ、昼休み」
「終わっちゃったね……」
長話しすぎたのが良くなかった。机の上にはまだ開けてもいないタッパーが積みあがっていた。緊張が解けたのもあって、腹の音がぐうと鳴る。しかし、今からでは食べる暇もない。
俺が本当に空腹だと戦ができないのかどうか、そして授業は戦のうちに入るのかと考察を始めようとした時、七瀬は椅子から立ち上がらずに、タッパーを開けながら告げた。
「ここでご飯、食べていかない?」
「それだとサボることになるぞ」
五時間目は口うるさいと評判の数学教師、田口の授業だ。いや、そうでなかったとしても、昼までは出席してた奴が突然二人もいなくなれば騒ぎにもなるだろう。なのに、七瀬と来たらマイペースな表情で箸を二膳取り出していた。
「八谷くんも巻き込んじゃうことになるけど」
「俺はいいんだが……七瀬こそいいのか?」
「私は……」
優等生の七瀬の目が揺らぐ。少しは迷っているようだった。しかし、すぐに息を整え、
「八谷くんといられれば、それでいいから」
箸を手渡される。俺はそれを受け取って手を合わせた。七瀬と二人、食事を始める。
授業をサボっているという罪悪感よりも、七瀬の美味い食事による幸福感のほうが大きかった。
この昼ご飯を食べ終わったら。
俺は……七瀬に返事をしようと思う。
・八谷くん
バーチャルリアリティが大好きなクソオタク男子高校生。
三次元不信を、少し克服できた。
・七瀬さん
料理と八谷くんが大好きな清楚系女子高校生。
八谷くんと一緒にいられるだけで幸せ。