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入田義実と志賀親度の密談

作者: 蓑火子

天正十三年(1585年)、八月、豊後国菅迫城内にて。

入田義実 大友家家臣 緩木城城主 五十代

志賀親度 大友家家臣 菅迫城城主 五十代


 薩摩勢の大攻勢が予想される大友家。大勢覆し難く、風雲急を告げる前にどのように身を処するべきが適当か、諸将は額を寄せ合う。


・人の恨み


入田

「それでは以上の段取りで行動を共にすることになる。よろしいかな。」

志賀

「承知した。」

入田

「今も家中に不安が渦巻き、混乱収拾と安全の確保が期待できない以上、もはや、所領を守るには他に方法はあるまい。志賀殿よ、無論、我が入田氏の旧領を取り戻す方法も他にはないようだからこそ、この話を持ってきた訳なのだがね。」

志賀

「近年南郡衆の者どもから相談を受ける事が多くてね。薩摩勢の活動はかくも活発なのに、大友家の兵が肥後、日向に打って出る事が余りにも少なく、土地を守り切れるのか、とね。あんたが動かずとも、きっと誰かが動き始めるに違いないのだ。それならば主導権を誰がいつ握るか、という所が後々の為にも肝要になる。あんたが協同者として私を指名してくれたのだから、感謝しているよ。」

入田

「南郡衆のご歴々を説得する適格者は、長年彼らの代表だったあんた以外にはいない。言いにくいのだが、親次殿は南郡衆の受けがあまり良くないようだから。」

志賀

「そうだろうとも。」

入田

「加えて正直に話すと、志賀家と我が入田家は共に名門でありながら、諍いや過去の恨みが無い。共に動くにはまさにうってつけというわけさ。」

志賀

「今回の打ち合わせでは、あんたの口からその、それだ、過去の恨みという言葉を良く耳にする。あんたの恨みはかくも大きな物だったのだなあ。」

入田

「志賀家は不思議な家だと思うよ。あまり主家から嫌われていないではないか。無論、我らとも、かつての田原家とも違うようだ。であれば恨みは少なかろうとも。」

志賀

「おいおい、あんた、私が大殿に隠居を強制されたことを良く知っていてそう言う事を言うのかね。恨み骨髄さ。」

入田

「あんたの後を継いだのは血を分けた息子だろう。なら特に恨むような事でもないと思っていたがね。宗家のご愛顧引き続き、というわけだ。」

志賀

「そうでもないのだよ。なんにせよ私は今回、あんたの作戦に従って、島津家に快く従おう。心配は無用だ。」

入田

「誠にありがたい。志賀殿の御確約、新納殿に対する私の面目も立つというもの。島津家との折衝は彼が万事取り計らってくれているから、あんたにも心配は無用と改めて言っておく。彼は信頼の置ける人物だ。しかし、どういう訳かな、あんたなにやらすっきりしない顔もちだ。もしや新納殿に御不審でもあるのかな。」

志賀

「いいや、計略に不審な点があるわけではない。それどころか勝利は揺るぎないと思うよ。斡旋の労苦を受け持つあんたも大したもんだ、とね。ただ、来るべき戦役に恨みを全力でぶつける事ができるだろうあんたが羨ましいだけなのだ。無論、私も骨髄に達した恨みがあるから主家に逆らうのだが、あんたと違って神妙にならざるを得ないのだ。」

入田

「志賀殿よ、それなら私に話をしてみてはどうかね。話せば胸のつかえが落ち、楽になるかもしれない。それに思い切って事を運ぶためにも、気分は良いにこしたことはない。」

志賀

「だが、私のそれはあんたが持つ恨みに比べればいささか矮小なものなのさ。」

入田

「そうかね。しかし我ら武士どもはみな、心清く生まれたのち、疲れ果て心身に傷を負う事により恨みを発する。それはことの大小ではないのではなかろうか。」

志賀

「そうかもしれんね。」

入田

「よし、では私は入田一族が持つ恨みの全てをあんたに話そう。しかるのち、あんたは志賀一族が持つ恨みを打ち明けたまえ。」

志賀

「そうねえ、いやちょっとまて、なにやら一連のこれは切支丹伴天連どもの儀式に似ているようではないか。この流れ、私は好きではないな。」

入田

「いや、全く似ていないよ。互いに胸中の苦労を相談しあうなんて事、はるか昔から誰もがやっていたことだ。いいかね、では話すぞ。よく聞いてくれよ。我が入田一族の持つ恨みは、無論、三十年以上前に不名誉と偽りの中で殺された我が父親誠への憐憫による。これが全てといってよいが、以後、土地を奪われて貧困の中に各地を放浪したこと、追放者として扱われ惨めさを味わい尽くしたこと、妹を救えずあれは離縁されてしまい兄としての面目を失ったこと、そして今だにかつての旧領を回復できていないこと、などだ。三十年に渡る亡命生活は、私の心に復讐心をしっかりと根付かせてくれたものだ。この始末つけねば、我が一族の魂はまったく報われないのだ。」

志賀

「なるほどな、それでは当時の権力闘争の相手先である今の御隠居が最も憎い相手なのだな。」

入田

「無論だとも。そしてあの時、先々代の御当主義鑑様の襲撃者、父親誠の殺害に多かれ少なかれ加担した連中皆が復讐の対象である。」

志賀

「いやあ志賀家が対象外で良かった。しかし、我々とて御隠居のご厚意を受けていたのだがな。その点は良いのかい。私の親父はあの遺言書めかした遺言書に連署していたはずだから、何らかの関連はあったかもしれんがね。」

入田

「道輝殿は我が父親誠の殺害にはまるで関わっていないし、義鑑様の襲撃にももちろんそうだ。そして御隠居の家督継承に協力したことそれ自体は、全く罪ではないと私は思う。事が起こったあと、既成事実というやつを突きつけられれば、誰にとっても如何ともしがたいものだし。」

志賀

「となると、御隠居以外であんたの復讐名簿に名を連ねているのは、吉岡長増殿、小原遠州殿、戸次鑑連殿、佐伯惟教殿の四名か。ああ、今や生き残っているのは戸次殿だけだな。」

入田

「そうとも。よくぞ申してくれた。全くその通りさ。」

志賀

「戸次殿だって御隠居に匹敵する、あるいはそれ以上の大人物だ。最強の相手ではないか。そうやすやすと身辺に近づけるわけでもあるまい。」

入田

「この期に及んで、復讐のために暗殺する、なんて愚行はしないとも。復讐は自分の手を汚さずに、他人の手でやってもらうがよかろうし。」

志賀

「ははあ、それが今となっては島津家というわけなのか。良く分かったよ。ところで、耳川の大敗にあんたはなにがしかの形で加担していたのかね。」

入田

「残念ながら何も。もし加担できていれば、それ以上に我が一族の名誉に適う事は無く、良い復讐譚として世に残ったかもしれない。」

志賀

「だが、それほどに復讐の一念に燃えるあんたの大友家復帰を許すとは、御隠居も人を見る目が無いという事か。」

入田

「私の復帰が許されたのはなぜか、じっくり考えてみたが、戸次一族への牽制だろうと思うよ。戸次鑑連殿はいまや大殿や御隠居の指示では動くまい。彼が南郡の戸次家の者どもを扇動するのが、特に大殿は不安なはずだ。御隠居だってかつてあれほど辱めた入田家を、三十年も経過しているからとつい承知したのに違いあるまい。極めて後ろ向きな動機で、我々は帰って来たのだ。」

志賀

「だがね、帰ってきた男よ。あんたを南郡に戻せば騒動が起こる事は目に見えていたはずだ。津賀牟礼城は相変わらず戸次家の物で、あんたも面白くなかろう。実際、騒動が起こり、最近和解をしたらしいが、入田家を復帰させる段取りも、随分と思い切りが悪いものだったなあ。」

入田

「思い切りの良い決定を下せるのならば、大友家が今の苦境にある事はあるまい。人間落ち目の時は、何をやっても駄目なのだろう。まあ、我が一族の事は今話した通りだ。次は志賀殿の番だ。話したまえ。」

志賀

「わかった、打ち明けるとしよう。私はあんたと違って御隠居にこそ他意は無い、つもりだ。だが、大殿に蛇蝎の如く毛嫌いされてしまっていてね。家督も無理やり息子に譲らされ、出世の見込みもない。」

入田

「有名な話だ。」

志賀

「この現状の打開の必要に加え、切支丹宗門に入れあげている愚かな息子の件だ。なんとしても目を覚まさせてやらねばならないが、あいつは今や志賀家の惣領となっているからな。正しい道へ帰すのは父親の務めということだが、そのためにも実力を行使するしか道はないのかもしれない。とまあ、我が家がこんなことになってしまったのも、残念ながら御隠居のお振舞のせいだとは思っている。ご自身に阿る怪しげな宗派を特別扱いするから、それを利用して気に入られようとする連中が、それぞれの一門内で角突合せ、不幸を味わうことになるのだ。」

入田

「私は思うのだが、切支丹宗門による混乱で御家が滅びるのではないか、という昔から市井に流れる噂だよ、これは紛れもなく真実味を帯びてきている。あんたも同感のようだがね。」

志賀

「同感という以上に、我が家の父母と子の関係は崩壊してしまった。全く憂鬱だよ。だが耳川の大敗後も、息子の魂が、我らの先祖の下へ帰ってこない事が最も理解できない。宗家は息子を重用するが、その息子が我が一門の伝統を捨てるという現実。希望が見いだせない。」

入田

「切支丹宗門では、身に降りかかる不幸や苦労も大臼が与えた試練だというからな。親次殿は差し当たって修行中のつもりなのかもしれないなあ。」

志賀

「全く度し難い。救えぬ馬鹿め。志賀家の面汚しだ。我らの継承してきた権威をないがしろにしおって。それでどうやって生きていけると言うのか。」


・大友家の展望


入田

「権威。権威か。権威と言えば、耳川の大敗の後、大友家はそれを権力とともに喪失したな。かつて大内家が陶隆房によって私物化された時、今川家が桶狭間で大敗した時と同様だ。」

志賀

「権威はともかく、権力もかね。陶隆房も今川義元も戦場で死んだが、大殿と御隠居はどちらもご無事だ。権力は保たれたのではないか。」

入田

「大友家を追放されて以来、各地を放浪していたから特に良くわかるが、家臣による疑心暗鬼の同士討ちに、宗家が強く加担している。自分の手足を喰う蛸のようなものだな。そして権威なくして権力は保てん。」

志賀

「あんた田原家の反乱と田北家の反乱の事を言っているのかね。」

入田

「無論無論。」

志賀

「田原家の反乱は見せしめとして必要だった、と私は聞いている。田北家の反乱は、先方がたまたま先手を打ったまでなのではないかな。」

入田

「田原常陸介は親賢殿に奪われた所領を取り戻しさえすればよかった。だが、それを行った時期が悪かったな。耳川の大敗で家中が大混乱にあるなかで、要求を強めたのだから、宗家へは実質的な脅迫と映ったに違いない。田原勢は戦での実績が大きい家だ。それでいて日向征服行には大して参加していないから、あの時は全く損害が無かった。南からはそのうち薩摩勢がやってくるのだ。仮に田原を激発させたら、南北から攻められてしまう。府内と臼杵が感じた恐怖は凄まじいものだったろうよ。」

志賀

「では田原常陸介が反乱を画策していた、というのは事実かね。」

入田

「私の知る限りでは、事実ではないな。府内への出仕を命ずる使者が安岐城へ弾丸のように飛び交っていたから、噂が独り歩きしたのだろう。こちらは大殿の対処だったが、その大殿の頭上で、御隠居と常陸介が交渉を持ち始めたのだ。曰く、親家殿を田原家の養子に入れて、後を継がせる、というものだ。これは双方にとって悪い話ではない。大友宗家にとっては、田原家を取り込めるし、田原家にとっては、田原親賢から奪還に成功した所領を確定できるのだからな。田原常陸介は苦労人だ。若い頃は国外追放されていたし、自分が如何に警戒されているかは知っていた。だから、落としどころは弁えていたのだ。」

志賀

「しかし、しばらくして死んでしまったな。」

入田

「いや、殺されたのだと私は思うよ。」

志賀

「へえ、誰にだね。」

入田

「養子の親貫にさ。」

志賀

「これは突飛な意見だ。ああなるほど、と納得は難しい。だが、あり得ないとまでは言えないように思う。しかし、そんな話は初めて聞いたが、事実かね。」

入田

「私の予想だよ。その後、親貫が一門を率いて府内へ直訴に及んでいる事から、バレずに進んだ陰謀なのかもしれないが。」

志賀

「しかし、養子とは言え息子に殺されるとは、なんとも哀れな最後だ。あのお方に徳が無かったとは思えない。戦場では勇敢で、周囲に気を遣う事も知っていたし、なにより慎重な方だった。あんたが言うように、苦労人だったからかな。」

入田

「その振舞と実績は申し分ない立派なものだったよ。だから宗家にとっては常に警戒を怠る事が許されない存在だったのだろうよ。」

志賀

「じゃあ、見せしめとして大友宗家に処断されたのは親貫の方か。」

入田

「そうだ。親貫はその直訴を、海路でいち早く進む事で行った。まあ、手勢も連れていたから強訴と言うべきだな。これも時期が悪かった。耳川の大敗で完全に自信喪失していた府内はすわ内乱か、と慄いてしまった。各地に府内防衛の援軍派兵を求めたは良いが、その噂を聞いた親貫が驚いて引き返したことは笑い話だな。逆に田原親貫謀反の噂を聞いて反乱に踏み切ってしまった田北紹鉄殿はやっちまった、と思っただろうね。ただ、あんたが言ったように、田北紹鉄殿も身の危険は感じていたに違いないのだ。」

志賀

「田北鎮周殿の事か。」

入田

「そう。耳川の大敗で多くの兵を失っていた上に、敗北は弟の鎮周殿の拙攻にあった、なんて噂されていたんだからな。身の危険を感じて当然だ。本来、戦で大敗したとしても、そういった疑心を吹き払って諸将を結束させなければならないのだが、残念ながら、この手の優れた能力を持つ人物が家中に欠けていたのさ。」

志賀

「それは私の事を非難しているのかな。」

入田

「いいや、あんたは大殿の覚えが悪いからいずれにしても難しいだろう。この場合、非難に値するのは大殿と御隠居、そして田原親賢殿だな。そして、戸次鑑連殿だ。」

志賀

「戸次殿がかい。なんでまた。」

入田

「耳川の大敗の後、戸次殿は筑前から老中衆へご隠居宛という事で書簡を送りつけてきただろう。」

志賀

「大殿の引退と御隠居の復帰、あと田原親賢殿の追放を求めたあれか。まあ、あの書簡は、府内ではもちろん臼杵でも評判が悪かったと聞くがね。」

入田

「なら当然、噂が流れつく先である豊後全域でも評判が良かろうはずがない。それに、あの時の老中衆といったって田原親賢殿と朽網の叔父貴の実質二人しかいなかった。佐伯殿も、田北殿も、吉弘殿も、吉岡殿もみな日向で死んでしまったのだからな。まあ、その書簡について、御隠居と話し合ったという田原親賢殿の人の好さには呆れるがね。ともかくも、あの書簡によって、田原親賢殿の権威の失墜は決定的となった。人の弱みに付け込むという点では、戸次殿は中々のやり手だ。」

志賀

「だが、敗戦の将は罰せられて当然だと思うがな。大殿もご隠居も田原親賢殿を高く信頼しており、敗戦後に及んでもそれは相変わらずだろうから、彼を排除するなら今しかない、と戸次殿は考えたのではないかな。」

入田

「それならば、戸次殿は実力行使に出るべきだったな。田原親賢殿を殺すかして、家中の混乱を一切排して、大殿を支えるべきだった。しかし、彼は両筑を動かなかった。何もしないなら、書簡など送るべきではなかった。それとも、何か異なる計略があって、しくじったのかもしれない。ともかく、豊後には混乱だけが残り、それを見た田北紹鉄殿は反乱に踏み切ってしまった。親貫にも協調するよう声をかけ、筑後の秋月殿も合流し、天正八年の戦いとなってしまったわけだ。内乱の口火を切ったのは、間違いなく戸次鑑連殿だよ。」

志賀

「私は戸次殿をもう少し弁護するがね。耳川の大敗後、すでに秋月殿は陰謀画策と軍事活動を開始していたと聞いている。だから、筑前を守護する責務を負う戸次殿には、豊後への帰還などは難しかったと思うよ。しかし、秋月殿だがね、あの御仁は目ざとく人の弱点を見定めるものだ。昔から軍事活動を行っている印象があるが、また四十にもなっていないのだったかな。根っからの反大友の闘士だ。その活力の源は父を殺された恨みなのかな、やはり。」

入田

「秋月殿が大友家との戦いで失ったのは父親を皮切りに兄、叔父二人、甥、妹婿…彼も恨み骨髄だろう。しかし彼は戦上手だ。かつて休松の戦いでは、大友家の重鎮を打ち破っている。この令名こそ、引き続き彼を支えているのだろう。そして努力が実り、今や筑前豊前筑後三国に跨る大身だ。彼ひとりで戸次殿を両筑に封じ込めている、という見方も可能だろう。それだけの軍勢を彼は従える事ができる。加えて中々の美丈夫だから、彼に心酔して従う兵も多い。」

志賀

「はは、美丈夫ってほんとかね、それも初めて聞いたよ。そう言えば、耳川の大敗以後、秋月殿は御子息を、今は亡き高橋鑑種殿の養子にしていたな。結果を見れば豊前小倉の高橋隊を秋月家に吸収する事に成功したのか。はてさて、大友家にとって手ごわいのも当然。あの鑑種殿も、それはしぶとい相手だった。」

入田

「秋月殿の血縁を問うならば、彼が田原常陸介の娘婿でもある事を忘れることはできない。親貫が破滅した後、その配下にいた武士の何人かは大友家に降伏するより秋月の保護下に奔っている。外交も巧みだ。田原家が敗北した後は龍造寺家と繋がり、沖田畷で龍造寺家が島津家に大敗した後は、島津家と盟約を結んだ。さらに、当主を失って心神喪失にある龍造寺家を、島津家に対して取り成すおまけつきだ。」

志賀

「話が大分逸れたが、あんたの言いたいことがわかってきた。つまり、我々が旗色を変化させるに際して、豊前筑前方面の安全は間違いない、と確信しているわけだね。」

入田

「その通り。以上の事情により、もう大友家は失った影響力を回復する事はできないだろう。田原家を形ばかりで相続した未熟な親家殿では、もう安岐城では謀反が起こらない以上の役には立つまい。北の守りは崩壊している。」

志賀

「しかし、田原親賢殿はまだご健在だよ。」

入田

「あの御仁は、孤立を深める大殿と、大殿の孤立に無関心な御隠居の間が破綻しないよう調整するだけで手一杯だろう。ある意味で、豊後の内からの瓦解を孤軍して防いでいると言える。全ての悪評は彼に集中するだろうし、損な役回りだな。」

志賀

「だがそれも、耳川の大敗の責任者なのだから、甘んじて受けるべきだろう。」

入田

「真の意味では、あの敗北最大の責任者は御隠居なのだがね。今の大友家は、御隠居が一切の責任をとらなくてよい確固たる体制が確立されている。不健全極まりないが、御隠居とは名ばかりのあのお方を、真の御隠居にする事は誰にもできなかった。本来、老中衆が大殿を補佐して、御隠居押し込めを実現するのが理想なのだろうが、戸次殿の書簡が全てを封じ込めてしまった。」

志賀

「おや、しかしそれでは鑑連殿は平和の回復者なのではないかね。主君押し込めだって、下手を打てば内乱だ。先代の代替わりの時は、あんたの父親も含めて数多の血が流されたではないか。書簡一つでそれを防ぎ得たとは、やはり凄いお方だよ。」

入田

「そうかもな。だが、家督を返上せよ、と名指しされてしまった大殿の武士としての経歴はもう終わりだ。一家老風情にそんな事をされて、罰する事もできないのだぞ。」

志賀

「まあ、それは確かに。」

入田

「そして結果的には、御隠居が玉虫色の解決で済ませてしまった。名ばかりとは言え大殿がいる限り、戸次殿とて、大友家中に居場所はあるまい。戸次殿の書簡で、確かに血は流れなかった。だが、大友家の分裂は決定的となった。深い怪我はそれを治療するべき時期に断行できなければ、漸次悪化して腐り始めていく。この状況、もはや後戻りはできまい。」

志賀

「あんたがしきりに諸城の間を動き回って、傷を悪化させるだろうしな。」

入田

「そしてそれを止める者もいない…」

志賀

「当然だとも。」


・戸次鑑連の展望

入田

「そう言えば、戸次殿についてさ。あんたも聞いているだろうが、筑後からの知らせの、御臨終が近い、というあれ。あの人物は結局、豊後で大往生を遂げるというわけではないらしいね。」

志賀

「まあ、年齢も年齢だし。それに柳川攻めが佳境に入っているのだろう。豊後に帰還している暇はあるまい。私もあの御仁とは何年も顔を会わせていないが、圭角は落ちていないようだな。そう言えば、私の親父が昨年、筑後に出兵した時に会っているはずだが、何も面白い事は書いてよこさなかったな。病気以外は相変わらずなのだろう。」

入田

「先ほども話に出たが、戸次殿は私の父の敵でもある。」

志賀

「無論、覚えているとも。だが今や昔の事。三十年余りとは忘れるほど永いではないか。」

入田

「そんな事は無い。私にとっては、未だに続いている恨み毎だ。今更、あの事変の細部にまでごちゃごちゃ言うことはない。だが、我の父を殺し、我が妹を無残に離縁し捨てたあの人物は我が一族の永遠の敵なのだ。復讐を遂げねばならない。」

志賀

「それが、あんたが島津家に与する最大の動機か。」

入田

「その通り。できれば島津軍の到着まで奴に生きていて欲しいが、どうやらそれも難しい。」

志賀

「しかし、先方はあんたの事なんて何とも思っちゃいないのではないかね。遠い筑後で戦が日常となっているのだから。」

入田

「戸次鑑連は古今に比類なき名将と謳われている。大友家最高の武将だと。」

志賀

「そのようだね。私もそう思う。赫々たる武勲、今や並ぶものはおるまい。」

入田

「だが、この人物は無数の戦に勝利はしても、戦争を終結に持っていく事はできていないのだ。永禄年間続いた毛利家との果てしないように思われたあの戦役も、吉岡長増の策略によって停戦にこぎ着ける事ができたのであって、戸次殿の武勲の為ではない。耳川の大敗以後、すでに七年も経過しているのに、未だに両筑は混乱したままだ。龍造寺勢を破ったのだって、島津方だ。戸次殿ではない。そして、死によって龍造寺隆信が消え去った後も、肥後北部も筑後も大友家へは帰ってこなかった。この人物の他者に対する冷酷さと傲慢さがその結果を生んでいるように私は思う。」

志賀

「そうだな。去年の筑後出兵も、成果を出すことなく終わってしまった。せっかく龍造寺隆信が死んだ後の好機だったのに。」

入田

「親家殿と戸次殿の間で意見が合致しなかったという事だ。本来であれば、大将であり、大殿の弟君であり紛れもない宗家の側にある親家殿の命令に服すべきであるのにね。万死に値する戸次殿の命令不服従を、誰もが弾劾できない。かつて、御隠居が家督を相続する時に大恩を売ってやったといっても、主家に対してさえ後継者に関する宗家の命令を拒む、当主と家老を馘首にせよと通達する、という有様だ。この者を憚らない者は家中にはおるまい。」

志賀

「しかし個々の戦闘には勝利している。戦争を終結に持っていくのは主君の務めではないだろうか、と言っても主家の指示に従わなくなっているのだから、難しいか。」

入田

「この者、今や筑前筑後の全権を握っているのだから、その言い訳は通じないよ。結局、戦闘には勝てても、戦争には勝てないという例の典型的人物だと思うね。部下には公正だという。きっとそうだろう。自分の仲間や家族へ情愛注ぐこと尋常ではないという。それもそうなのだろう。しかし、傲岸傲慢度し難く、その能力は戦場以外では使いどころがなく、戦場を出れば大した人物ではないようだ。私が考える御隠居最大の戦略的失敗は、日向攻めを強硬したことよりも、戸次鑑連を筑前に据え続けた事だな。宗家の指示に従わない人物が筑前に居る事で、豊後の守りは軽くなる。戸次も吉弘も豊後武士だが、今や両筑を守り、豊後を捨てるのだ。無論、向こうに所領があるからそうせざるを得ないのだろう。武士どもも生活があるからなあ。戦から帰れば、家中を取り仕切らねばならないし、そのための金が必要だ。だがそのために豊後に帰らないとなれば、豊後の者どもにとって、彼らは一体全体なんなのかね、ということになる。分り易く言ってやろうか、すなわち裏切り者だ。両筑から聞こえる永遠に終わらない戸次鑑連を讃える声は、豊後の人間にとっては遠く聞こえる空しい咽び泣きでしかない。誠におぞましく吐き気がする。おのれ戸次鑑連。奴め、神仏にでもなったつもりか。だがそれは武士の道にあるまじき行為だ。私の父はそんな男によって貶められ名誉は辱められたのだ。許しておけるものか。だがな志賀殿。昨年、私は戸次統貞と和睦をしたのだが、豊後に暮らす戸次一門の中に鑑連への不満が高まっているのを見逃さなかったぞ。公平公正な鑑連殿は、一門が栄えるための口利き等に一切耳を貸さないのだという。よほど自分の娘が可愛くて、筑後の全てをその婿に相続させるつもりなのだろうよ、とのことだ。覚えているだろう志賀殿。先ほども話したが、耳川の大敗前に、御隠居は鑑連へ戸次一門の統連に立花家の家督を譲るよう命令を出したが、鑑連は拒絶し、最初全く血縁の無い家臣に継がせると喚き、最後に自身の娘に立花家を相続させているだろう。この一事で、鑑連は豊後の戸次氏の支持を全く失ったのだ。戸次の宗家は拒絶された統連の親父鎮連が継いでいるが、今回、この人物が私の誘いに色よい返事を返してきているのもそのおかげと言うもの。思えば、私が旧領の一部に復帰できたのも、戸次鑑連の豊後での評判が落ちた事が主たる要因に違いないのだからね。あとは機が熟するのを待つだけでなく、それを支援するのが私の役目と言える。」

志賀

「まあまあ、戸次殿の批判をさせたら、あんた以上に饒舌な者はいないだろうね。しかも欠点を強調しすぎのきらいがあるように思えるな。どんな人間でも欠点くらいあるだろうよ。」

入田

「私が言っていた事をあんたはぼんやりと聞いていたようだな。要点のみもう一度言ってやる、奴は武士にあるまじき外道だ。」

志賀

「戸次殿の事を何でもかんでも良くご存じのようだが、その姿、まるで心焦がれている者のようだがね。」

入田

「無論、奴の破滅を願い心焦がれているとも。だがどうだね。奴の部下どもが奴を讃える声、大臼を崇める切支丹どもに近いものがあるとは思わないか。部下どもの鑑連への狂信が覆された時の様が見物だ、と私は常々期待している。御隠居にせよ鑑連にせよ、よほど人の心を捉えるのがお好きのようだな。我らも作戦を成功させるために見習わないといけないかもな。」

志賀

「そうかもしれないがおい、もう切支丹の話をするのはやめろよ。虫唾が走る。」

入田

「やはり、あんたの息子の事が気がかりかね。」

志賀

「ああ、そうとも。忌々しい邪教のせいでな全く私の言う事を聞かなくなった、あの愚息が気がかりだとも。」

入田

「そう言えば、道輝殿も切支丹であったか。父親と息子に挟まれ、あんたも大変だな。」

志賀

「親父はなにを考えているかわからん。恐らく何も考えていないのだと思うがね。だが息子は南蛮人の説く教えに恐ろしく熱を上げ、竹田の城周辺の神社仏閣を打ち壊してしまった。知っているだろう、あんた。あれは私の恥知らずな息子がやりやがったのだ。攻め込まれたわけでもないのに、城下は火放たれたようになっている。あの愚か者め。これでどうして領地が守れるのか。やつめ、耳川の大敗も、伴天連どものせいではないと頑なに考えているようだ。切支丹の兵が死んだわけではないとな。あいつめくそ、ふざけやがって。あれが私の息子とは信じられん。おいあんた、二度と切支丹の話を私にするんじゃないぞ。」

入田

「分かったとも。分かったよ。でも、あんたが息子と和解できる事を祈っているよ。しかし、この有様では、親次殿はこちらの声には応じないかもしれないな。その場合はどうするかね。」

志賀

「知れた事。この私が全力で叩き潰してやる。言う事を聞くようになるまでな。」


・島津家の展望


入田

「いや全く、憎き敵を思い浮かべ興奮してしまった。失礼な事をした。落ち着いて他、必要事項を確認しておかねばなるまい。」

志賀

「いや、私も切支丹憎しで礼を失した事をお詫びする。確認する事か。どうだろう。なんかあるかね。島津軍が来たら城門を開いて物資の補給、情報の伝達等に協力する。場合によっては兵を提供する。それぐらいの物だろうか。」

入田

「ひとつ、熟慮しておかなくてはならない事がある。」

志賀

「わかった、戸次鑑連殿がいつ世を去るか、だね。」

入田

「いや、織田家の九州到達がいつになるか、ということだ。」

志賀

「あんた本当に色々と考えているんだな。で、どういうことかね。」

入田

「仲介者たる織田信長が死んで豊薩の和議は強制力を失った。そして島津家が肥後に進出することで、名実ともに一方的に破棄されたのだが、織田信長の後継者は必ずこれを突いて島津家を攻撃してくるだろう。」

志賀

「それならば、大友側に立って織田家の到達を待てばよいのではないかね。」

入田

「少なくとも私については大友家への恨みがそうさせないし、そういった連中が島津家の到来を期待しているのだ。あんたも切支丹への憎しみがそうさせないのではないかね。織田家が到達すれば島津家と戦争が始まる。だが、織田家は西国ばかりに力を割く事はできないだろう。つまり、どこかで落としどころを見つけざるを得ない。」

志賀

「全面戦争にはならないという事か。」

入田

「いや、消耗戦や膠着戦にはならない、ということだ。織田信長の後継者、これはもはや羽柴秀吉である事は疑いが無いが、彼はすでに四国を制圧した。勢いに乗って、早ければ今年中に、遅くとも来年には豊前小倉へ到達するだろう。関東の北条家は現在、織田家と事を構えているが、織田家と北条家の開戦は織田信長死後の出来事だから、後回しにしてもかまわない。だが、豊薩和議は織田信長の斡旋により成立している。後継者として自らを正当化するには、先人の政策を継承しなければならない事もある。よって、島津家と白黒つけることは必須になるだろう。」

志賀

「なるほど、時間はかけていられない。つまり、どこかで和睦する、ということか。あんたの診立てでは、島津家は織田家には勝てないという事だね。」

入田

「織田家に勝利するには、京まで攻め上らねばならない。今の島津家では短期的には不可能事、長期的に困難なのは明らかだ。」

志賀

「その話、他の連中にも話しているのかい。」

入田

「いいや、あんただけさ。」

志賀

「安心したよ。負けるとわかっている側に与する事など、常人には不可能だからな。」

入田

「新納殿もその方向で動いている。もっとも島津家としては、出来るだけ領地を獲得した上で、織田家と取引をするつもりのようだ。」

志賀

「それはどこまでだろう。切良く九州全土を取引材料にするつもりかな。」

入田

「当然、それも一つの目標だろう。」

志賀

「だが、そこまで到達できるかね。」

入田

「肥後御船の甲斐宗運は既にこの世を去った。肥後が完全に制圧されるのはもはや時間の問題だから、筑前筑後の立花領如何だな。戸次鑑連が死んだとしても、あの老人を奉ずる狂信者たちが島津軍に対してどこまで戦えるか。島津軍の武名は伊東家、大友家、龍造寺家に対する勝利によって轟いているから、大変恐れられている。数か月で和睦へ向かうと思うが。」

志賀

「我らが豊後はどうなるのだろうな。」

入田

「あっという間に征服されるだろうさ。我らの手引にもよるが、府内は守りの堅い町では全然ないからな。だが御隠居が籠るだろう丹生島は堅牢だ。陸と海双方から包囲をしないと開城はおぼつかないだろうから、こちらは時間がかかるだろう。だが、臼杵程度は包囲して放置しておけば良いのだろう。」

志賀

「大殿、あるいは御隠居が捕えられたらどうなる。」

入田

「いきなり首打たれることはないと思う。織田家を刺激することになるからな。だがその時は、大友配下の領主たちはみな、島津家へ穏やかに降伏できるだろう。それでみなが幸せになれる。」

志賀

「あんたの言う事を信じるなら、確かに大友宗家を虜にした島津家は織田家と和睦をするだろう。その時、大友宗家の人々はどうなるのかな。豊後の領主として帰ってこられても困るような気もする。」

入田

「人吉の相良家も、肥前の龍造寺家も温存されているから、帰ってくる可能性もあるだろう。その時はまた策を巡らせるさ。」

志賀

「いやあ、夢が広がるね。私も息子を虜にして志賀家の惣領に復帰できる。それを乞う声も多いのだから、まあ仕方がないな。皆の期待には応えねばなるまい。」

入田

「どうやら顔つきも良くなられたようだな。では私は緩木城へ戻るとしよう。志賀殿との友誼、大切にしたいものだ。今後ともよしなに。」


・後日


この密議の二年後、島津家の侵攻により、豊薩合戦が始まる。島津方に寝返った志賀親度だが、息子親次の籠る岡城の攻略に失敗。後年、息子の手に掛り、自害を強制された。親度とともに南郡衆の有力者は多くが滅び、志賀一族はその伝統と格式を失った。親次が父を殺してまで大友宗家に従いつづけた事実は、キリスト教の連帯が武士の局所的な主従関係には有効であったことを示している。

復讐のために大友家に復帰した入田義実だが、彼は最後まで島津家に付き従い、真の裏切り者ではない事を天下に示し、日向国内に所領を得た。その死は慶長六年、恨み骨髄の大友家が前年の石垣原の戦いで再起に完全失敗したのを見届けて以降に訪れた。


1585年

9月 筑後にて戸次鑑連この世を去る。

10月 関白秀吉、島津家へ停戦命令を発する。

1586年

6月 島津軍、豊後侵入

7月 筑後・岩屋城の戦い、高橋紹運戦死

8月 筑前・立花山城の戦い

8月下旬 九州平定軍、豊前小倉城に到着。

1587年

5月上旬 大友宗麟死去

5月下旬 島津家降伏。


(了)


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