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悲観主義者による解釈  作者: 砂糖羽ペン
2/2

本日の活動記録

高校に入り、職員室を訪れるのは初めてだった。

部屋の中では喋っている者はいないようだ。コピー機の唸り声やキーボードを叩くだけが聞こえる。職員室は独特の空気を内包しているように感じる。実際には、会社など働く場所というのはこういったものなのかもしれない。

しかし未成年が集まり勉学をする場において突然この空間に足を踏み入れると異様なものとして目に移りこむ。まるでここだけ学校であって学校ではないような。

僕は少し緊張感を持ったような、この場に適した表情を作る。

「で?砺波君、決めたのかしら部活は?」

「いやだから僕はそういうの・・・」

「だめです。聞き入れられません。本校は基本全校生徒、部活動に参加するよう決まっているんです。何度も言ってるでしょう?」

じろりと睨まれながら、諭されるように言われた。普段は優しいが睨むと怖い。

確かに何度も言われた、がその度に何とか躱してきたのだ。

だがついに仮入部届、本入部届と一回も出さなかった僕に業を煮やした先生は、職員室に僕を呼び出した次第である。


僕も反撃を試みる。組織の権力にそうやすやすと屈してたまるものか。

「部活をしないという生徒の自主性を蔑ろにしていいんですか?そうやってマイノリティーを否定していった先に正しさがあるのか……すいませんふざけました」

あまりの視線の鋭さに膝を屈してしまった。まだ若いがなかなかの迫力。

だめか、カタカナを交えて話せば説得力が増すかもという、高校生の愚かしい発想を僕は猛省した。

万事休す。こうやって僕の高校生活は大衆が正しいとする型にはめられていくのか。まぁいいけど。実際、ほとんどの生徒はすでに入部しているようだし、むしろ入っていない方が目立つ可能性がある。

ついに先生は部活動がいかに有意義なものかについて説法し始めた。相づちをうち、聞き入っているふりをしながら思う。そろそろ潮時かなぁ。

「どうしたんですか先生?砺波がなんかしたんですか?」

聞き覚えのある声がした。振り向くと大宇陀がいた。

何か職員室に用があった彼が、僕の説教されている姿を見て寄ってきたようだ。

「ああ大宇陀君。砺波君と知り合いだったんですか?」

「はい、中学からの付き合いです」

「そうだったんですか」

と先生は安心したように微笑んでいる。うーん、クラス担任でもないのに、もう彼は先生の信頼を勝ち得ているのか。さすがだ。

それにしても先生はそうやって笑っていれば、きれいなお姉さんって感じなんだけどなぁ。

睨むと怖いですよ。

先生は、僕が部活に入りたがらないことを大宇陀に説明しだした。

何だか嫌な予感が。

大宇陀が僕の方を向いて、訊いてきた。

「じゃあパソコン部に入れば?」

「パソコン部?パソコン作るの?ちょっと僕には向かなさそうだね」

丁重にお断りいたします。

「違う。俺も入っているけどちょっとこの高校のホームページを管理しているだけだ。だからあんまり活発な活動はしてないんですよ」

最後の部分は苦笑いしながら、先生に対して言ったようだ。

先生は頷いている。

「なるほど。いいじゃないパソコン部。気心の知れた大宇陀君も一緒だと気も楽でしょ」

なんか勘違いされているようだ。中学からの付き合いといっても、仲がいいわけではない。しかしその辺のことを先生に説明する意味もない。ひとまずここは流そう。

「そうですね。じゃあ考えておきます」

今日のところはこれでお開きにしましょう。

「じゃあ今から来いよ。ちょうど今日ミーティングの日だから」

なんというタイミング。

「いいわね、そうしなさい。ついでにここで本入部届にサインして行きなさい」

……横暴だ。


「部室というか活動場所は第二化学実験室なんだ」

廊下を歩きながら大宇陀が教えてくれた。

実験室など特別教室は東棟に集まっていたはず。つまり今東棟に向かって歩いているらしい。

結局僕は先生の横暴に逆らうことが出来ず、悪魔の契約書に判を押した。

せめて、怪しい商品を買わされる疑似体験ができたと考えよう。この体験から僕は美人のお姉さんを決して気を許さないようにしよう。

「君がパソコン部って驚きだ。てっきり運動部に入るものだと思っていたよ」

クラスの中心人物で何事も積極的に取り組む優等生、というのが僕が持つ彼のイメージだ。

文化系の部活を揶揄するわけではないけれど、彼のイメージにそぐわない。

「テニス部と兼部してんだよ。さっきも言ったけどパソコン部はそんなに活動的じゃないからな、両立できるんだ」

「全員場活動に入るっていう校風のせいで、ほとんど活動しない形だけの部活が結構あるんだ。部活なんてしたくないっていう先輩たちが、隠れ蓑として作ったらしい」

「なるほど。その一つがパソコン部ってことか」

きっと僕のように組織に立ち向かった人たちがせめてもの抵抗に作られたのだろう。素晴らしい先輩たちだ。

「一応ありがとう、と言うべきかな」

「いや、普通に言えよ……それ全然感謝してねーから」

「感謝はしてるさ。隠れ蓑部活なんて知らなかったしね。危うくサッカー部で青春の汗を流すところだったよ。ただこの超展開に参ってるのさ」

「お前にサッカー部は似合わないな。まぁいいだろ?いま男子が俺しかいなかったんだよ」

それは君の都合だよね。

「ま、いいんだけど。そろそろ適当に入ろうかと思っていたところだったからね」

あれ以上入部を拒み続けるのは僕らしくない。それほど意志が強い方ではないのだ。

それに部活に入っても、一か月もすれば幽霊部員に勝手に降格すればいい。いや幽霊だから昇格かもしれない。

東棟に入り、階段を上る。二階について少し廊下を進んだ先で大宇陀は止まった。

「ここだ」

ドアの上には第二化学実験室の文字。

大宇陀に続いて入った。この教室には初めて来た。かなり広い。六人ほど座れそうな作業机が3列に3つずつ、余裕をもって並んでいる。

入口に近い机に女子が二人、入口向きに座っていた。それぞれの前に一台ずつノートパソコンが置いてある。パッと見た感じはおとなしそうな子とやや活発そうな子という印象を受けた。

1人は初めて見た顔だったが、もう1人は見覚えがある。確か同じクラスだったはずだ。名前は……知らない。

大宇陀は早速、二人に僕のことを説明し始めた。

努めて笑顔を浮かべながら、その様子を眺めていた。しかし心中は穏やかではない。

僕は自分の手抜かりを悔やんでいた。来る途中に部員について聞いておくんだった。クラスメイトはいないものだと思い込んでいた。

僕は自慢ではないがほとんどクラスの人の名前は覚えていない。女子は特に。

同じクラスになって2ヶ月近く経つのに名前を憶えられていないというのは、ショックなものだろうか。僕はさほど気にしないが、人によっては印象が悪いかもしれない。

僕は人の名前を覚えるのが苦手だ。それを自覚しているからクラスでもあえて自分からは話しかけないようにしているほどだ。その僕がなぜこんな下手を打ったのか。

それは先生の反応を見誤ったのだ。もしパソコン部にクラスメイトがいたなら、それをあの時先生が教えてくれるはずだと思い込んでしまった。現に知り合いがいたら気が楽みたいなことを言っていもいた。まぁ先生がクラス全員の所属部活を知らなくても全くおかしくない。正式な本入部はついこないだだったわけだし。

しばらくして大宇陀は僕のほうに向きなおって、二人を紹介した。

「彼女は俺と同じクラスの新倉。でこっちが吉野だ。確か浸りは同じクラスだったよな?」

たぶん大宇陀が気を利かせて先に名前を言ってくれたのだろう。さすがクラスの人気者は気も利かせられる。僕みたいなものとも交流を持っている彼の人間力は相当のものだ。

髪がショートでおとなしそうな方が新倉。ミディアムで活発そうなクラスメイトが吉野か。これはさすがに覚えなくては。

「そうだよ。よろしく」

「うん、よろしく」と新倉は笑顔で応えた。

それに吉野も続いた。

「まさか砺波くんと一緒の部活になるとはね。これからよろしく!」

僕もまさかだよ。

それはそうと気になってることを訊いてみる。

「部員はこれで全員なの?」

「先輩は何人かいたんだけど、私たちが入るや否や「あとは任した!」って言って来なくなっちゃったんだよね」

ハハハと苦笑いしながら吉野が答えてくれた。

「つまりここにいるメンバー以外もいるけど、その人たちは幽霊部員に昇格したってことね」

「そういうこと。……昇格?」

お気になさらず。

全く素晴らしい先輩に恵まれたなぁ。

大宇陀が新倉の向かいの席に座りながら口を開いた

「パソコン部のについて軽く説明するか」

三人からの説明をまとめるとおおむねこうだ。

教室の奥にある棚にノートパソコンが何台も収納されているらしく、それを一人一台部活中だけ使用が認められている。活動内容はホームページの管理と言っていたが、ほとんどが共闘などの先生の指示通りに月に何回か更新させていくらしい。その作業は簡単で時間もかからず出来る。なので主な作業としては『 高生のひと月メモ』というリンクを自分たちで内容決めから更新まですることのようだ。

何の捻りもない名前の通り、月末にその月を振り返って感想なりメッセージを書くというもので、一体だれが見てるの?と言いたくなってしまう。

「見てる人なんかほぼいないだろうけどね」

吉野はこういうことが言えちゃう人らしい。

「で、毎週水曜日がミーティングの日って決まってるの。他の日は自由参加だから」

新倉の説明に思わず反応する。

「ずいぶんゆるい部活だね」

なんとも理想的だ。

大宇陀は笑っていた。

「毎日来てもすることないしな」

先生、僕がんばれそうです。

これから大宇陀がテニス部の方に行くらしく、その流れで今日は解散することになった。

ほんとにすることないんだなぁ。


本日は6月一週目の水曜日。それは今日の放課後に部活があることを指し示す。

……行きたくない。廊下側から3列目の一番後ろの席で、そう独りごちる。

目立つことを恐れ、何事にも無気力な僕に部活なんて似合わない。

6限目の今は英語の授業だ。授業開始直後の恒例、忘れ物チェックで立たされている者がいる。僕は一度も忘れ物をした事が無い。目立たぬことに関しては自信がある。

英語担当の先生は忘れ物をするたびに減点する厳しい先生である。前回の授業でもいきなり小テストをやらされた。もっとも今回に限っては忘れ物も仕方がない。昨日のホームルームで急遽翌日――つまり今日の6限が英語に替わると伝えられた。うっかり忘れるものも多いと思う。

英語の先生に限らずもともとこの学校は厳しい校風なのだろう。基本全校生徒は部活に入らなければいけなかったり、机の中に教科書を置いて帰る置き勉を取り締まったりと。少しぐらいならいいんじゃないかとも思うが、何とも融通が利かない。おかげで毎日カバンをパンパンにして登校している。何とか辞書ぐらいは許してもらえないものか。

先生の目を盗んで置き勉している者も何人かいるようだが、品行方正な僕としてはそんなことはもってのほかだ。

またすこぶる真面目でもある僕は授業にも真剣に取り組む。授業は後半に差し掛かり、隣の人とペアになって次回までに決められた英文を訳してくよう、課題を出されていた。

「じゃあ、隣の人と相談して進めるように。残り時間はもう訳し始めていいから」と先生の号令でクラスメイト達はめいめい相談し始める。

僕も隣の女の子と互いの分担を決めるために相談した。出来るだけ柔和な笑みを意識しながら声をかけた。笑顔は結構得意なのだ。

そつがなく分担を決めていき、極力量が均等になるようにした。

お互いに「これ難しすぎない?」と笑いながら愚痴を言い合った。まぁこの子の名前知らないんだけど。うーん、さすがに2ヶ月経っても隣の席の人の名前を知らないのは非常識だと、忸怩たる思いである。

確か、林だか服部だった気がするんだけどなぁ。

現在、クラスの席順は名前の順に並んでいるため、隣の席はちょうどは行だった記憶だけが残っていた。明後日にまた英語の時間があるから、それまでにはなんとか名前を入手しなくては。

授業終了間際、辞書をペラペラめくっていると、右前方で何やら騒がしく顔を上げた。どうやら前回の小テストが返却されているようだった。まもなく前の席から僕の手元にテストが返ってきた。半分ほどしか点がとれていなかった。抜き打ちならこんなものだろう。

授業終わりのチャイムが流れる。短いホームルームを終え、さっさと部室に向かうことにした。教室を出て廊下を歩いていると後ろから吉野に声をかけられた。

「ちょっと、今日部活あるって忘れてない?」

横から覗き込むようにして吉野は言った。

人から話しかけれれるとオートで笑顔を作れる僕は、にこやかに答える。

「まさか。これから向かうところだよ」

ほんとにぃ?と疑いの眼差しを向けられた。

どうやら僕が吉野と一緒に行こうとしなかったことから疑われているようだ。

同じ部活のクラスメイトがいたら一緒に行くのが普通なのだろうか。

すぐに吉野はさして気にした様子もなさそうに、雑談を始める。

「そういえばさっきの英語の課題あったじゃん。みはるちゃんのペアは相手の男の子が全部訳やってくれるんだって。いいなぁ、みはるちゃん美人だもんね」

そんな風に話されてもみはるちゃんが誰かは全く分からない。ごめんね。

それはいいことなのだろうか。僕ならとてもそうは思えない。思わず彼女が本気で言っているのか訝る。が、ここは話を合わすべきだ。

「それは実にうらやましいね」

「だよね!確か相手の子は赤平君だったかな。絶対みはるちゃんのことが好きだね」

……恐ろしく楽観的だこの人。が、あくまで話を合わせる。

「好きかは分かんないよ。英語が得意とかものすごい紳士的なだけかも」

「ほう、砺波君も紳士的にしたわけ?」

「まぁね、紳士的にきっちり平等に分担したよ」

「普通だよそれ!」

そんな話をしていたら、スマホ片手に廊下にいる大宇陀と出会った。そこで新倉の日直の仕事が終わるまで待つことになった。

数分後、新倉が来たところで4人一緒に部室へ向かうことになった。

毎回毎回皆で連れ立って部活に行っていたら当分幽霊部員になれそうにないな。僕も先輩を見習って後輩が入ってから昇格すべきなのかと眉をひそめる。昇降口前を通り過ぎようとしたとき、突然吉野が下駄箱近くにいた女の子に声をかけた。

「あ、みはるちゃん!」

吉野の最初に抱いた印象と違わない、その社交性には脱帽する。

吉野は俺たちに向かって軽く紹介した。

「この子は紀伊きいみはるっていうの。私たちと同じクラスなんだよね」

最後の部分は僕に同意を求めるように言った気がしたが、返事を待たずに紀伊さんとしゃべりこみ始めた。

紀伊さんに改めて目をやる。確かに教室で見覚えがある。先ほどの吉野の話はあながち間違いではないかもしれないと思い始めていた。

くっきり二重の大きな目、きれいに通った鼻筋。それが小作りな顔にきれいに配置されている。昇降口から吹く風に艶やかな黒髪がさらりと流れる。

十二分に美人と言える容姿をしている。

紀伊さんとそれほど親しいわけではない僕たちは手持ち無沙汰だ。

新倉が苦笑している。

「先にいこっか」

大宇陀と僕が同意し、吉野を残し部室へ向かった。


実験室についてからさっそく、パソコンを用意し立ち上げた。

「今日は何をするの?」

ものすごい他人任せな発言だが、いざパソコンを前にすると何をするのかさっぱりわからないことに気付いた。普段からめったに触らないためホームページをいじるなんてどうするのか想像もできない。

「今日もやることほとんどないんだよ。先生に聞いたら更新箇所もなかったし、ひと月メモを考えるには早すぎるしな」

なら今日いらなかったんじゃないか。


吉野が教室に入ってきた。その後ろから紀伊さんが面映ゆそうに続けて入ってきた。どうして紀伊さんが?ふと見ると残りの二人も怪訝な顔をしていた。

「今日って何かすることある?」

「特にないな」

大宇陀の答えに、だと思ったと吉野は笑顔で返した。

「どうせ暇だからさ、みはるちゃんの話聞こうと思って連れてきた」

ちょっと?自由過ぎないですかこの人。大宇陀さん、なんか言ってやってください!

大宇陀が口を開く。

「話って?」

すんなり受け入れちゃったや。

紀伊さんは俺たちの顔を窺う様に、上目づかいで見てきた。

「こんなこと話しても悪いよ。みんなこれから部活なんでしょ?」

あぁ、そんな言い方をされちゃあ、かえって話を聞かないといけなくなるよ。

「大丈夫だ。本当にやることないし、暇つぶしと言っちゃあなんだけど、話してくれた方がありがたい」

笑顔こそないが優しげな大宇陀の口調で、紀伊さんはいくらか安心したようだ。大宇陀がまんまと誘導されたようにも見えちゃうな。

「じゃあ、こっち座って座って」

紀伊さんを自分の隣に座らせて、吉野は続けた。

「さっき砺波君には軽く話したんだけど、えーと……」

そこからの話はさっき聞いた通りのものだった。一部始終話し終えたところで紀伊さんが補足した。

「それで、もしかして赤平君に嫌われてるのかもしれないって思えてきたの。避けられてるのかなって」

「避けられてる?」

首をかしげながら新倉が訊いた。

「私もそれは考え過ぎだって言ったんだけどね。むしろ好かれてると思うんだけどねぇ」

「うん、私もそう思う!」

吉野はそう言ったけど僕には紀伊さんの気持ちがよく解る。一見優しさに見えるその行為を実際にされたら、勘ぐりたくなる。100%の善意なんて容易には信じられない、と思うのは自然なことだと思う。しかしそれは少数派かもしれない。

「うん、私もそう思う!」

「でしょ!」

新倉と吉野はキャッキャしながら楽しそうだ。残り男子二人はかなり置いてけぼりを食らっている。

それを察した吉野が慌てて話す。

「だからね!えーと、赤平君の行動に、他にはどんな理由があると思う?私は好かれてるとしか思えないけど、みはるちゃんは気にしてるからさ」

「なるほど、じゃあ今日の部活はその理由の検討だな」

なんだか嬉しそうな大宇陀を見て嫌な予感がした。

「ごめんね、こんなこと相談して」

申し訳なさそうに紀伊さんは顔を俯かせている。

「いやいや、私たちが無理やり言わしたようなものだから」

「他の理由か……赤平君とはどのくらい親しいんだ?」

真剣な表情で大宇陀は訊いた。

「今までそんなに話したことないかな」

「吉野はどうだ?赤平君てどんな人だと思う?」

「あんまり話したことないからね、大人しいタイプだとは思うけど」

「関係は薄くても好意を持つことはあるだろうけど、嫌われることなんてあるか?」

思案顔の大宇陀を見て、新倉がきょとんとする。

「え?砺波君には聞かないの?」

「どう思う?」

「しゃべったことないからね」

大宇陀は大げさに首を振りながらため息をついてみせた。

「こいつはこういう奴なんだよ。聞いても無駄さ」

「好意でないにしろ、やっぱり嫌われていたとは思えないなぁ」

「そう、かな……ならいいんだけど、ごめんなさいね」

紀伊さんの謝罪に大宇陀は手を振って答える。

「いやいやこっちこそごめん、何も思いつかなくて。で砺波、お前はどう思う?何か考えはないのか?」

この流れで僕に訊くかふつう。

「こいつは変なことには頭が回るときがあるんだよ」

笑いながら彼はそんなことを言う。へぇ~とみんなが僕に視線を向ける。

またか…どうも彼は僕のことを過剰評価している節がある。というか今の言葉で僕を追い込んだのだ。非常に煩わしい。しかしこれが今日の部活動というのなら、是非もない。一つ考えがある。それをまとめる時間稼ぎに、口を開く。

「赤平君は紀伊さんと課題をすることを避けたかった、とするよ。だとすると一緒に課題をしようとするとマズいことがあった。役割分担する際、大抵は英文の書かれた教科書を見ながらするよね。今日英語の授業があるっていうのは、昨日の終わりのホームルームで初めて聞かされたよね」

「うん、急な変更だったから忘れた人も多かったよね」

「たぶん赤平君もその一人だったのさ」

「いや彼は多分忘れ物チェックのとき立っていなかったと思うけど」

紀伊さんが首をかしげる。

「調達したのさ。人の物をね」

「他のクラスに借りてってこと?」

「違う、盗んだんだ、同じ1組から」

「はぁ?教科書なんかわざわざ盗む?それにそんなことしたら盗んだ人が先生に言うなりして、騒ぎになっているでしょ」

吉野は呆れたと言わんばかりの表情を浮かべる。

「忘れ物チェックか。その減点を恐れたってか」

大宇陀に頷き続ける。

「たぶんね。あとは盗まれても騒ぎを起こしにくい人から盗めばいい。

置き勉している人だよ。その人自身に負い目があるから言い出しづらい。つまり英語の教科書をうっかり忘れた赤平君は、置き勉している生徒の机から盗んだ。今日一日だけのつもりだろうけど。そして隣の人と課題をすることになって、それだけでバレるとは思はないが、今の教科書を見られることに心理的抵抗が働いた。そこで教科書を見られないためにとった行動が、課題を一人で全部引き受けるというものだった」

一気に話し終えてため息をつく。周りを見渡すと、静まり返っていた。何だかこの沈黙がむずがゆい。

「す、すごい」

紀伊さんが呆然としたように言った。

どう反応したものか困っていると、彼女が続けた。

「でも……ごめんなさい、違うと思うわ」

あ、そう。やはり違ったか。我ながら悪くないと思ったが、ダメだったようだ。一応筋は通したつもりだが、どこに齟齬があったのか。

急ごしらえで作った仮説だ、さして落胆もしない。

「そっか、残念だよ」

僕は笑いながら降参とばかりに、手をあげた。

吉野もつられて笑い出した。

「一瞬すごい!って思っちゃったけど、それはあり得ないね」

……なんだろう、モヤモヤするな。僕はいたって温厚であるから笑われたこと事態は何とも思わない。そうではなく、これは違和感。何か撞着している気がする。一度絞り切った焦点を広げる。違和感は多分吉野があり得ないと断言したことだ。どうして吉野が断言できる?

「置き勉犯だから盗まれても黙っているのは飛躍している感じはしたけど」

大宇陀の声もほとんど耳に入らない。

吉野は確実に僕の説を否定できる判断材料を持っている。

吉野は僕にこの話を紀伊さんに聞いたのではなく、自分で見てきたように話した。実際にそうだろう……いや、だとするとおかしい!

1組の教室では席は出席番号順。紀伊さんは恐らく廊下から2列目の前の方の席だ。そして吉野は、廊下から最も離れた6列目の後ろの方のはず。つまり吉野に授業中の紀伊さんたちのやり取りを目撃するのは不可能。

「いやそういうことじゃなくてね」

吉野が大宇陀に訂正を入れる。

そう、そういうことではないんだ。授業中ではなく、吉野が二人のやり取りを目撃できるタイミングがあるとするなら。ホームルーム終わりしかない。

「その話を二人がしてたのは、ホームルームが終わって、私が教室出ようとしたときなのよ」

「だから授業中は普通に、お互いの訳す部分を相談して決めたわ」

「なるほど放課後になってから全部引き受けるって言ったのなら、教科書が見られたくないなんて理由はあり得ないな」

大宇陀は横にいる僕の方へ首を向けた。

「お前も知らなかったんだな」

「てっきり授業中のことだとばかり思ってたよ」

「私がちゃんと話すべきだったね」

吉野はそう言ったが、大宇陀と違い僕はそれを察することができたはずだ。とんだ間抜けである。

視野が狭まりすぎていたかもしれない。

「でも、面白かったよね今の推理。思わず納得しちゃった」

「ほんと面白かったわ。でも振り出しに戻っちゃたわね」

残念そうに紀伊さんは言った。しかしそんなことはない。これで考えるべき方向ははっきりした。

さっきの情報を踏まえて考えると、授業中課題の分担をし終えてからホームルームおわりまでの間に赤平君の心境が変化したのだろう。その間何があったか。そんなに多くないはずだ、思い出せ……

ずいぶん黙り込んでいる僕を不審に思ったのか大宇陀がどうした、と声をかけてきた。

「いや……紀伊さん、一つ訊きたいんだけど、もしかして小テスト返却の時、トラブルがあった?」


授業終了間際の小テストを生徒に返す際、先生はミスを犯した。廊下から二列目に返却する分を一列目に配ってしまったのだ。

その結果、紀井さんのテストが赤平君の列に配られた。紀井さんのテスト結果を見た彼はその点数から彼女が英語が不得意だと知る。そこで彼は人助けのつもりで、または自分の株をあげようと、課題を引き受けた。と予想してみたがこれも間違いだった。

紀井さんと吉野に訊いて判明したことだが、紀伊さんの後ろの席は木井きじょうさんと言うそうだ。恐らく彼は紀井さんの漢字をうろ覚えだったため、その木井さんと勘違いしたと僕たちは結論付けた。なぜなら紀井さんの点数は7割以上だったからだ。

あのテストで7割は正直かなりできると思う……。

「確かにこの漢字はきいって読めるな」

「でもよかったね。これで少なくとも赤平君に悪意とかがあったわけじゃないって分かったし」

「私の見立て通りだったわけだ!」

新倉はほっとした様子に対し、吉野は得意げだった。

「こんなことに巻き込んどいてなんだけど、ありがとう。面白かったわ」

紀伊さんは少し恥ずかしそうに笑いながら、僕にちょこんと頭を下げた。

「とんでもない、僕はなんにもしていないよ」

実際全然僕は正解にたどり着くことが出来なかったのだから。それに果たして今回の出来事に対するこの解答が、本当に真実かも分かったものではない。

押し並べて正解なんてものは曖昧模糊としたものである。なぜなら僕らは正しさの基準すら判っていないのだから。そんな者が真実を切り取る事は出来ない。

それでも6月5日水曜日パソコン部活動記録を付けるとしたらこうだろう。『部外者である紀井みはるさんの悩み事を解決した』。

……一体僕たちは何部なんだろうか。


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