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4.春 ②

ブッキ

 ブッキ

 かわいい ブッキ

 ゆっくりお眠り、静かにお眠り

 やさしい、たのしい夢をずっと、ずっと見続けておくれ


 夢の中でよみがえった歌は、やはり母親が歌ってくれたものなのだ。ブッキは今、それをはっきりを思い出すことができた。

 言葉なく、うつむくブッキのことをじっとケンモチ博士は見つめていた。

 静かに言葉を待っていられることほど辛いことはない。ブッキはますます下を向き、自分が小さく小さく黒い穴に吸い込まれて行くような錯覚にとらわれた。

「ただいま帰りました!」

 と、コタロウが走って入って来た。

「先生! 今日は特別二個ずつまんじゅうがありますよ!」

 ぴんと張りつめた緊張を切ってくれることは、ありがたい。あたりの空気がまた元のように流れ出すような、ほっとした感じがある。

 ブッキはにっこりと微笑んだ。

「博士! オレ、よくわかんないんです。今、初めて知ったことだし。オレ、今まであんまり動物とつきあうことも苦手だったし」

 ブッキはまったくバカみたいに正直に自分の気持ちを口に出した。

 そうすると、考えもそれにつられてほどけてくるような感じがした。

「もう少し考えます。オレうまく言えないから、二人にはそいうふうに言ってください」 実際、文句ではなくて、ちゃんと説明するように話すことが自分できることが驚きだった。

「春ですもんね」

 コタロウが妙な相づちをうち、またふわっとした笑いがその場を包んだ。


 帰り道、ブッキの頭はもちろん、新しいまんじゅうを試すために激しく動いていた。研究所の帰りに、アナジがたんぽぽの綿毛を摘んだという野原に寄り、綿毛が飛ばぬように、綿毛を自分の着ていた白衣にくるんで山ほど持ち帰ったのだ。

 家に帰ると、厨房のテーブルの上には梅の花、木の芽がたくさんの山に分けられて置かれていた。

「ね、ブッキさん! きっと新しいおまんじゅうを考えついたんでしょ? わたしたち、午後厨房を片づけた後に、ブッキさんが集めていた花と木の芽を取りにいったんですよ。たくさんあったほうが、いいでしょ」

 ニクエがにうれしそうに言った。

「ちぇっ、そんなことしなくても…」

 ぶつくさと言いながらも、ブッキはもう、次の手順を考えていた。それはおもしろいように次から次へと頭の中に浮かぶ。それをどんどん試してみたくなる。

 新しいまんじゅうの皮には、タンポポの綿毛を練り込もう。そうするとつやつやとした光沢が生まれ、口触りもするりとなめらかになるだろう。梅の花はすりつぶして少しとろみをつけて甘く煮詰める。木の芽は色があまり変わらないようにさっと塩のお湯にくぐらせて、冷やしてからすりつぶして梅の花と混ぜる。

 あたらしいまんじゅうのことを考えているブッキは、もう自分だけの世界に入っていた。ニクエもユコもじっとその姿を見つめ、話しかけることもできなかった。

 次の日の朝、新しく並んだまんじゅうは『春の香思い出まんじゅう』。ブッキとしては「思い出」というのがどうも気恥ずかしかったが、なんとなくそこにつけたい気がして、えい、と書いてしまった。

 書いてしまうと不思議なことに、前からそう決まっていたような、まんじゅうの呼び名になるのだ。

 しろくてつやつやと光ったおまんじゅうを二つに割ると、とろりとした若草色の餡が出て、ほんのりと梅の香りがする。

「おい、食べてみろよ」

 と、ブッキはニクエとユコに差し出した。

「すごい! なんでこんなにとんとんと考えて、作れるのかしら」

 と、ユコは目を輝かせ

「ほんとうにおいしい! 春の味だし、思い出の味だわ!」

 と、ニクエが微笑んだ。

 ブッキは二人の顔を正面から見るのは恥ずかしかったのでくるりと背を向けてしまったけれど、えへんと胸を張りたいような、誇らしい気分になっていた。

「ほんと! 新しいおまんじゅうが並ぶのは楽しみだね!」

 ケイコばあさんの派手な笑い声が響くと

「いつも、ありがとうございます。きょうも少しはおまけできますよ。ただし、今日までのサービスです」

 なごやかなニクエの受け答えが聞こえる。

「そうか、今日、二人は帰ってしまうのか…。へん、また自分の思うようにできる。せいせいするよ」

 と言いつつも、ブッキはなんだかやっぱり少し寂しい感じがした。

 今日は、最後のまんじゅうを買いに、コタロウとケンモチ博士が一緒に空からやってきた。

「ブッキさん。お二人が今日帰るので、わたくしども、お迎えに参りました」

 コタロウが熱気球を「豚田豚饅頭店」の上に固定させると、するすると縄ばしごが下りてきて、ケンモチ博士が下ってきた。

「ブッキ! いろいろありがとう!」

 ユコがブッキに抱きついた。

「ほんと、ありがとう。あなたの作るおまんじゅうって、本当においしかったわ。わたくしたちも、ちゃんとおいしいおまんじゅうを作って、ブタの名に恥じないようにします」 ニクエはゆっくりとブッキを抱きしめた。

 ケンモチ博士のごつごつしたからだと違って、二人のブタはふんわりとやわらかかった。

 さて、一番苦手な場面だ。ブッキは下を向いて、ブーと鼻を鳴らした。

「ケンモチ博士から聞いたと思うけれど、お母さんは、あなたのこととても心配して、いつも会いたがっていたの…。この店を出るときも、ほんとうは出て行きたくなかったのよ。せめてブッキを連れて来たかった…って。でも、お父さんはあなたのことを背負って離さなかったそうよ」

「え?」

 ブッキはニクエとユコの目を交互に見た。

「お父さんはブッキがほんとうにかわいくて、ブッキだけは離したくはなかったのね」

 ニクエにそう言われても、ブッキはぴんと来なかった。かわいいなんて、一言も言ってくれなかったのに…。

「お母さんがおまんじゅうの中に何か入れようと思って、お父さんに意見したのよ。お父さんはね、すごく怒りん坊で、耳を貸さなかった。そんなにオレのやることが気に食わないんだったら出てけ! ってどうしても許してくれなかったそうよ。とにかく恐かったことだけおぼえてるわ。ああ、あたしだって会いたかったのよ!」

 とユコが言って、またブッキを抱きしめた。

「でもお母さん、亡くなる前に言っていたの。あなたがお父さんのそばにいてくれて良かったって。あなたがいるからお父さんは、きっとちゃんと生活することを考えるでしょうって」

「お母さん、きっとあなたの今の姿を見たらとても喜んで、誇りに思ったでしょうに。残念ですわ。それに不思議ね。あなたのお母さんが思ったことを、あなたがやっているんですから!」

 なんだかしんみりしてしまって、ますます言葉を見つけられないまま、ブッキは下を向いてしまった。

「おーい! ケンモチ博士! おまんじゅう忘れずにいただいて下さいね!」

 コタロウが、気球の上からすっとんきょうな声をあげ、みんなはふっと上を見て笑った。

「わたくしたちの店の方も、いつかきっと見に来てくださいね」

 二人はケンモチ博士に続いて、縄ばしごを上って行った。

 気球はどんどん上がって行った。

 ブッキはキタヤマの泉まで走って行って、気球がどんどん遠くに小さくなって行くのをじっと見つめていた。

 オヤジが亡くなってから、ずっと一人でやってきたのに。ニクエとユコがやってきたのは、ほんの数日のことなのに。なんだか厨房がしんと静かで、その静かさが痛いほどだった。

「まあ、いいさ。いろんなことがあるんだ。これからだって」

 ブッキは、すぐにいつもの調子に戻って、店を片づけ始めた。そうやって動いていると次にやることが忙しくて、寂しい思いにとらわれなくてすむ。

「どうしたらいいかなんて、すぐにはわからない。まんじゅうの中身を考えるようにはいかないさ。これから、まんじゅうこねながら、ゆっくり考えるさ」

 片づけが終わるとブッキはオヤジの写真をじっと眺めた。

「オヤジ…。なんでなんにも教えてくれなかったんだ? なんで?」

 写真の中のオヤジは、相変わらずの無表情で、じっとこちらを向いていた。



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