1.夏のはじめ ③
次の朝は、また長雨の続きだった。
「ふん」
と、ブッキは鼻を鳴らした。
「あれだけ水取ってきたからな、しばらくは大丈夫だ。それに…」
ブッキは空になっていた水瓶を外に出した。
「オレはケチだからな、この雨水だって使ってやる。どうせ長雨の間はあきもせず雨が降るばかりだ。なんの楽しみもないんだからな…」
その日の朝、今までにないまんじゅうが店を飾った。
『長雨虹まんじゅう』とブッキは名前をつけて、それを大きく板に書いて『1動物銭 交換もできます』と少し小さい字で名前のとなりに書いて、店頭に飾った。
あじさいの花をすりつぶして、裏ごしし、やぎミルクで作ったクリームを甘くして味をつけたあんが中に入っている。まんじゅうは長雨の水半分、泉の水半分でこねたが、蒸かす水は全部長雨の水にした。
そのほかに、いろいろな色のあじさいの花ひとつずつをバラバラにして、素揚げにして用意した。蒸かす前のまんじゅうに七つずつ差していく。花はまんじゅうの生地に埋まって蒸し上がる。
ゆげを立てているまんじゅうはあじさいの花が咲いているように見えた。そのまんじゅうをふたつに割ると、ふんわりまろやかな甘い香りがする。そして、いろいろな色が混じって、複雑な味わいを出す。
ブッキは半分自分で味見して、半分はオヤジの写真の横に置いてみた。
「こんなもんかな」
ブッキは右側の口の端を少しあげた。それはブッキにとってはちょっとうれしい、ということだった。
オヤジは豚まんの中に何かを入れる、ということをまったく考えていなかった。でも、ブッキはいつも思っていた。まんじゅうの中に何かを入れてみたいと。
ブッキがまだ小さくて明るくて、いつも楽しいものを探していた頃、ふっとオヤジに言ってみたことがある。「ねえ、オヤジ、まんじゅうの中に何か入れてみようよ」と。それはすごく楽しい、輝くような考えに思えたのだ。
そうしたら、オヤジの顔には炎が燃え上がるように怒りが燃え上がって、恐ろしい赤黒い色になった。そして爆発した。
「バカヤロー! うちのまんじゅうは中に何も入ってないからおいしいんだ!」
それから三日も口をきいてはくれなかった。ブッキは世界の端っこに追いやられたように感じた。ブツブツ文句でもいいから、オヤジに話しかけてもらいたいと思った。そして思った。まんじゅうの中に何か入れるなんてバカな考えは、二度と思うのはやめようと。
「ふん、オヤジ、写真の中じゃ文句が言えなくてくやしいだろ。オレは、オレのやりかたもやってみる。だって白まんじゅうばかりじゃあ、オレはつまんないもんな。やりたいことが自然に頭に浮かんでくるんだ。しょうがないからやるだけさ」
その日もまず一番先に駆けつけたのは、やっぱりケイコばあさんだった。
「昨日のね、あんたの最初のまんじゅうにしてはまずまず、おいしかったよ。若いんだものこれからだよ」
(それは、オレが若くて、どうしようもないってことじゃないのか?)ブッキは少しむっとした。
そして、ケイコばあさんがキラリと目を光らせた。
「あららら、この長雨虹まんじゅうって…。新しいんだね。へええ。あんたが考えたのかい? まるであじさいの花みたい! いいじゃないか! それも入れておくれよ」
「ちぇっ、図々しい」
と、聞こえないような小さい声でブッキは文句を言った。文句を言うタイミングは父親譲りの絶妙の間。くるりと客に背を向けた瞬間だから文句は客には聞こえない。
けっきょく、ケイコばあさんはいつものように、三個のたまごを置いて行っただけだった。そして動物の列がまたすぐにできて、いつもの白まんじゅうも長雨虹まんじゅうも、あっという間に売れてしまった。
「ちぇっ、二つの種類だから昨日の夜は倍も働いたのにな。もうなくなった。雨だっていうのに、みんな、よくこんな所まで買いに来るよ」
ブッキは降り続く雨をじっと見つめた。
厨房の戸を閉めようとしているところに、またハネがやって来た。
「あの…。長雨虹まんじゅうね。すごくおいしかった。雨が降ったら必ず思い出す味。忘れられない味。雨の日が好きになる味だね」
ブッキがいつものむっつり顔で黙っていると、
「それに…、長雨虹まんじゅうって、ステキな名前だと思うよ」
ハネは、恥ずかしそうにそれだけ言うと、さっと走って行ってしまった。
その後ろ姿をブッキはあきれるように見つめた。
「ほーんと、ヒマなんだな。ニシヤマから、そんなこと言うだけにやってくるなんて。ほかになんにもすることはないんだ…。豚まんを食べるくらいしか…。まんじゅうの名前だって、ただそのままつけただけなのに…」
その夏、長雨虹まんじゅうは売れ続けた。
ブッキは水瓶の中の水を絶やさず、その中にあじさいをいつもいっぱい活けて、長雨の終わった夏にも花と水が無くなるまで、このまんじゅうを作った。
夏の盛を下るころ、ブッキが長雨虹まんじゅうの看板をしまった。
「おやおや、もうおしまいかい。今年の長雨はなんだか終わるのが惜しいようだったね」
看板をしまった日も、最初の客はケイコばあさんで、ばあさんは、しんみりとそういった。
「もう、一人でも店はだいじょうぶだね」
「最初から、だいじょうぶだったんだ…」
ブッキは、また絶妙の調子で文句を言う。お客の耳には届かない文句。そのタイミングはバッチリだった。
なんか、長さがマチマチですみません。