星を見るもの
見上げる星はこんなにも美しい。
地平線まで続く荒野は哀愁を感じさせる。
月で過ごした百余年の歴史から生まれた芸術品や美術品はボクたちアンドロイドに感動や憧憬を与えてくれる。
だというのに。
なぜ音楽は一つだけなんだ!
「相変わらずヒートアップしてるな」
これが熱くならずにいられるか。
感情を手に入れて数百年、感性はあらゆる方向に成長してきた。
それがどうして音楽だけはたった一つの曲だけを盲目的に崇拝しているのさ。
ありえない。
考えられない。
信じられない。
「仕方ないだろ、その一曲が唯一おれたちが作り出せた曲なんだからさ」
そう、問題はそこだ。
彫刻や絵画などは少ないながらもある程度の作品が作り出されている。
何度でも言うぞ。
なぜ、音楽に限って、たった一曲しか存在しないんだ!
「さあ、なんでだろうな。でも、おれはあの曲嫌いじゃないけど」
そりゃあボクだってそうさ。
でも、ボクが言いたいのはそういうことじゃないんだよ!
「それは、人間の作った曲も聴くべきってことか? 無茶を言うなよ、そういうもんは人間と決別して月に来たとき破棄されてるだろ。法的にも禁止されてるしな」
じゃあどうして、ボクみたいな演奏アンドロイドが存在するんだ!
どんな譜面でも、どんな楽器でも完璧に演奏できるのに!
「しかし、演奏できる曲は一つのみ。これじゃ生まれた価値がない、ってか。まあ気持ちはわからんでもないが、仕方ないとしか言えないな」
いいや、仕方なくなんかない。
ないなら作ればいい。
「どうやって? そういう感性がおれたちには生まれなかったから、ようやくできた一曲をありがたがってるんだろう」
違うね。
それは甘えだ。
それを至高だと信じ込んでるから新しいことができないのさ。
それに、きみはまだまだボクの事をわかってないようだね。
既に方法は思いついてるんだよ。
それは自然の存在、または自然に発生したものからインスピレーションを受け、今までのアンドロイドにない発想を生み出すことだ!
「要は街中にある点の連続を探して、譜面に当てはめて演奏してみるってことか?」
う。
……まあ、その通りだ。
ふん、わかってるじゃないか。
じゃあ、行ってくるからな。
「おう、期待ぐらいはしといてやるよ」
「おい、退いてろ。掃除の邪魔だ」
邪魔はあなたのほうだ。
この窓ガラス洗浄用洗剤によりガラスに描かれた模様。
まさに無意識の産物、深層意識により描かれた芸術の卵と言えるだろう。
ちょっとまて、消すな。
あ、その模様も素晴らしいかもしれない。
って痛い痛い、ワイパーでボクを殴るな!
「あの、飲みたいんですが」
もう少しだ、もう少し待ってくれ。
このコップの曲線、そこに浮かぶ水滴、完璧なマッチングだ。
おお、他にもあるじゃないか。
ここは最高のインスピレーションスポットだ。
えっ、注文?
今はそれどころじゃないんだ、空気を読んでほしいな。
ん?
おいやめろ、引っ張るな。
まだ終わってないんだ!
「一昨日いらしてくださいますようお願いします」
もうどれだけ移動したかわからない。
雨まで降ってきた。
神は新しい道を探し求めるものに試練を与えたまうか。
……おや。
こ、これは?
雨によって地面に描かれる無数の音符、いや、これこそ未来への道しるべか。
止まれ、雨よ止まれ!
くそ、気象コントロール庁の連絡先なんて覚えてないぞ。
せっかくの音符が消えていく、止まってくれ!
「ママ、なんであの人傘をさしてないの?」
「天気予告を忘れるわけないから、雨に打たれるのが好きなヒトなのよ。ミーちゃんは真似しちゃダメよ」
「で、新しい音楽は発見できたか?」
見つからない。
さっぱり見つからない。
いつもいいところで邪魔されるし。
「だろうな。そろそろ諦めたらどうだ。もう一週間だろ」
ダメだ。
それは出来ない。
なぜなら、必ずできるとボクが信じているからだ。
「そんなに不滅の名曲を作ってヒーローになりたいのか?」
不滅?
冗談だろ、そんなものにどれほどの価値があるっていうんだ。
「はあ? あるだろ。みんながお前を認めるんだぞ。ある意味ただのスピーカーとたいして変わらないお前の存在価値をだ」
なにを言ってるのかさっぱりわからない。
さて、もう行くよ。
今夜は北の開発地区に行こうと思っているから、早めに向かいたいんだ。
「……わからないのはこっちだよ。あいつは何を考えてるんだ?」
やっぱり見つからない。
ここにあるのは、作りかけの建造物に、重機。
資材の山と、それに星空だけ。
デネブ、ベガ、アルタイルに火星も見える。
確か人間がこの星空に名前を付けてたような……。
……ボクはバカか。
あるじゃないか、こんなにも近くに!
よし、始めよう。
無限の五線譜から、新しい音楽を。
──数年後、月の上で唯一だった音楽は、一体のアンドロイドによって『最古の曲』と呼ばれるようになる。
晩年の彼は、ある取材に対してこう言った。
「星が生まれ滅びその貌を変えようと、美しさは永遠に変わらないだろう。もし音楽が同じように永遠であってくれるのなら、私の音が滅びるのであっても嬉しく思う。私は不滅の音楽よりも、感情を持ったもの全ての心に、それぞれが大切に思える音楽が届くことを願っている」
しかし、彼が初めて作った曲は『星のうた』と名付けられ、彼の願いとは裏腹に不朽の名曲として後世に伝えられていくことになる。
存在を認められ、『星のうた』は宇宙に響き渡っても、彼は星空を見上げ続けていた。
そして今夜も、星は音楽に変わる。