第3話 「このパーツは、だれかだった」
今日、右手が勝手に動いた。
キッチンで調理中に、パティをフライパンに置いたとき——右手がそのままフライパンの縁を、軽く二回たたいた。
わたしはそんな癖、ない。
右手をみた。いつもの右手だ。半年つかってる腕。なじんでる、と思ってたやつ。
……なじんでるのは、わたしがこの腕に慣れたのか。それともこの腕が、別のだれかの癖を持ってるのか。
まあいっか、と思った。
でも、すこし気になった。
第一章 「幽玄ちゃんに聞いた」
◆ キッチンの昼
昼すぎ、幽玄ちゃんがキッチンに来た。
幽玄ちゃんはキッチンに来るとき、いつも用事がある。補充の確認か、なにかを視てしまったかのどちらかだ。
今日は後者の顔をしてた。
「……輪廻」て幽玄ちゃんがいった。「右腕のそばに、なにかいる」
「知ってる」てわたしはいった。「今日、勝手に動いた」
幽玄ちゃんがすこし目を細めた。×印みたいな隈が、いつもより濃い気がした。
「……フライパンを、たたいた?」
「なんで知ってるの」
「……視えた」て幽玄ちゃんがいった。「右腕のそばにいるものが、その動きを覚えてるから。癖だと思う。前の持ち主の」
前の持ち主の癖。
「……前の持ち主って、だれ?」
「……わからない。でも、料理してた人だと思う。フライパンをたたく癖って、そういう人のだから」
料理してた人。
ぱんでむのキッチンで料理してたのか、それともどこかの世界線で料理してたのか。それもわからない。でも——この腕は、料理してきた腕だ。
「……その人、まだいるの? 腕のそばに」
幽玄ちゃんがすこし考えた。
「……薄い。消えかけてる。でもまだいる」
「……消えたらどうなるの」
「……いなくなる。ただ腕になる」
ただ腕になる。
今は腕じゃなくて、まだ「だれか」がいる。それが消えたら、ただのパーツになる。
なんか、それが——すこし変な感じがした。
◆ 万寿ちゃんに報告
夕方、万寿ちゃんに話した。
「……前の持ち主がまだいるの、この腕に」てわたしはいった。
万寿ちゃんがすこし顔を変えた。嬉しそうな顔だ。
「……そう。知ってた。ずっと気になってたけど、輪廻が気づいてなかったから」
「言ってくれればよかったのに」
「……輪廻が自分で気づく方がいいと思って」て万寿ちゃんがいった。「残留は、受け取る側が気づかないと、届かないから」
受け取る側が気づかないと届かない。
「……届ける、って?」
「……その人が覚えてることを、輪廻が受け取れるかもしれない」て万寿ちゃんがいった。「もし受け取りたいなら、腕に話しかけてみて。残留は声に反応することがあるから」
腕に話しかける。
変な感じだけど——まあ、やってみるか。
第二章 「腕に話しかける」
◆ 夜のラボで
夜、ラボに戻って、鏡の前に立った。
右腕をみた。半年つかってる腕。水色と赤のまだら模様。手のひらに古い傷の跡がすこしある。
「……ねえ」てわたしはいった。腕に向かって。
なにも起きなかった。
まあそうか。すぐ反応するわけない。
「……料理してたの?」
右手が、ほんのすこし動いた。
動いた、というより——温度が変わった。手のひらが、わずかに熱くなった。フライパンの熱みたいな感触。
わたしはすこし止まった。
「……好きだったの、料理」
温度がまた変わった。今度は熱じゃなくて、柔らかい感触だ。なんだろ。温かい、の方かもしれない。
よくわからない。でも——なにかがここにある。
「……わたし、調理部門だよ。毎日料理してるよ」
右手がまた、フライパンの縁をたたくような動きをした。二回。さっきと同じ動き。
あ、と思った。
返事だ。これ、返事だ。
◆ 伝わってるのかな
「……また料理できてるよ」てわたしはいった。「この腕で、毎日」
温度が変わった。さっきの柔らかい感触がまた来た。
よかった、みたいな感触かもしれない。わからないけど。
わたしは右腕を持ち上げてみた。鏡に映してみた。自分の腕だ。でも——自分だけじゃないかもしれない。
全身取り替え済みで、最初からわたしのパーツなんてない。それはずっとそうだった。でも——取り替えた先のパーツに、なにかがいた。残ってた。
第1話の「考えすぎるやつ」が見つけた穴——「輪廻はどこにあるのか」——の、また別の角度が来た感じがした。
輪廻はどこにあるのか、じゃなくて。
この腕はだれのものか、という話。
答えはわからない。でも——わたしのもの、だけじゃないかもしれない。
まあ、それでいっか。
第三章 「消えるまえに」
◆ 翌朝
翌朝、幽玄ちゃんがラボに来た。珍しい。
「……昨日、話しかけたの?」
「話しかけた」
「……反応した?」
「した。フライパンたたく動きで返事してきた」
幽玄ちゃんがすこし止まった。
「……そう」て幽玄ちゃんがいった。「よかった。届いたんだと思う」
「消えそうなの、まだ?」
「……昨日より薄い」て幽玄ちゃんがいった。「話しかけたから、すこし早くなったかもしれない。残留は、受け取られると安心して薄くなることがある」
受け取られると安心して薄くなる。
消えることが——悪いことじゃないのか。
「……消えるのって、いいことなの?」
幽玄ちゃんがすこし考えた。
「……わからない。でも——残ってるのは、伝わってないから残ってることが多い。伝わったら、いなくなれる」
伝わったら、いなくなれる。
なんか、それは——すこし、いい感じがした。この腕の前の持ち主が、料理してた記憶を持ったまま、ずっとここにいたとしたら。それが届いて、いなくなれるなら。
「……じゃあ、もうすこし話しかけてみる」
「……うん」て幽玄ちゃんがいった。いつもより短い返事だった。
◆ キッチンで
キッチンで調理しながら、右手に話しかけた。声には出さない。頭の中で。
今日のメニューはこれ。このパティをこう置いて。火加減はこのくらい。
右手がすこし温かい。熱じゃなくて、温かい。柔らかい感触がずっとある。
一緒に料理してる感じがした。
変な感じだけど——嫌じゃなかった。
昼前、フライパンにパティを置いたとき、右手がまたフライパンの縁をたたいた。二回。
でも今日は、三回目があった。
二回たたいて、少し間があって、もう一回。
なんだろ。
挨拶みたいな感じがした。
第四章 「ただの腕になる日」
◆ 三日後
三日後の朝、幽玄ちゃんがまたラボに来た。
「……消えた」
わたしはすこし止まった。
「……消えたの?」
「……うん。今朝、みたら、いなかった」
右腕をみた。いつもの右腕だ。水色と赤のまだら。手のひらの傷跡。
温度をたしかめた。昨日まであった柔らかい感触が——ない。
ただの腕だ。
「……そっか」
「……嫌だった?」
わたしはすこし考えた。
嫌、じゃない。でも——すこし、寂しいかな。
「……寂しいかも。ちょっとだけ」
「……そう」て幽玄ちゃんがいった。それだけだった。
◆ 万寿ちゃんのこと
夕方、万寿ちゃんに報告した。
「消えた」
「……そう」て万寿ちゃんがいった。すこし目を細めた。「届いたのね、ちゃんと」
「届いたのかな」
「……届いたと思う。輪廻が話しかけて、一緒に料理して。それで十分だったんじゃないかしら」
十分だった。
「……万寿ちゃんは、消えるの、悲しくないの?」
万寿ちゃんがすこし考えた。
「……悲しい。でも——美しいとも思う。伝わって、いなくなれた、って」
美しい、か。万寿ちゃんらしい言い方だ。
わたしは右腕をみた。ただの腕。前の持ち主の癖も、温度も、もうない。
でも——三日間、一緒に料理した。フライパンをたたいた。挨拶みたいなのがあった。
それは、あった。
なくなっても、あったことは変わらない。
なんか——そういうことが、わたしの体の中にたくさんある気がした。全部取り替え済みの体の中に、前にここにいただれかのことが、たくさん積み重なってる。
「考えすぎるやつ」が見つけた穴——輪廻はどこにあるのか——の、また別の答えのかけらが来た。
わたしは、前にここにいたもの全部かもしれない。
全部が重なって、輪廻になってる。
答えか、どうかはわかんないけど。
エピローグ 「また死んだ日の夜に」
その日の夕方、また死んだ。
今日は天井から鍋が落ちてきた。よけなかった。てへ。
培養槽で目が覚めて、棚を開けた。頭部の補修キットを使った。スペアが一個減った。
鏡をみた。すこし変わってる。
右腕は変わってない。さっき消えた前の持ち主の残留は、もういない。ただの腕だ。
でも——今日補修した頭部の一部に、また前の持ち主がいるかもしれない。
幽玄ちゃんがみたら、なにかいるかもしれない。
次はどんな人だろ、と思った。
料理してた人みたいに、なにか癖があるのかな。どこかの世界線で、なにかをしてた人のパーツかもしれない。
それが届いたら、また伝えてあげたい。
毎日料理してるよ、って。ここで使ってるよ、って。
前が広い。
それはたぶん、わたしの体の中にいる全員ぶん、広い。
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◇ クルー視点モノローグ —— 幽玄 —— 観察記録・三日分
輪廻の右腕の残留が消えた。
三日間、輪廻が話しかけていた。キッチンで一緒に料理していた。残留が答えていた。フライパンをたたく動きで。
最後の日、挨拶みたいな動きがあった、と輪廻がいっていた。
消える前に挨拶できる残留は、あまりいない。たいていは気づかれないまま薄くなる。
輪廻が気づいたから、届いた。
……輪廻の後ろは、今日も少しにぎやかだ。
全身のパーツに、それぞれ薄くなにかがいる。全部、輪廻が受け取るのを待ってる気がする。
……後ろ、気をつけて。
でも輪廻の場合は——気をつけなくていいのかもしれない。みんな輪廻のものだから。
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◇ クルー視点モノローグ —— 万寿 —— 記録・不定期
輪廻の右腕の残留が届いた。
三日後に消えた。美しい消え方だった。受け取られて、伝わって、いなくなった。
輪廻は「寂しいかも、ちょっとだけ」といった。
輪廻が寂しいというのは珍しい。死んでも「てへ」という人が、パーツの残留に寂しいという。
……それはたぶん、輪廻がちゃんと受け取ったということだ。
受け取ったから、いなくなったことがわかる。わかるから、寂しい。
腐らないように保存したいが、残留は保存できない。
かわりに、記録しておく。
輪廻の右腕に、料理が好きなだれかがいた。フライパンをたたく癖があった。最後に挨拶をした。
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◇ クルー視点モノローグ —— 憂起 —— 観察・断片
幽玄から聞いた。輪廻の腕の残留が消えた、と。
私は実体がないから、残留というものがわからない。消えるということもわからない。
ただ——輪廻が「寂しいかも」といった、と万寿が教えてくれた。
寂しいということは、いた、ということだ。
いたから、いなくなったとわかる。
……私はいつも「ここにいる」かどうか確認している。
輪廻は「いなくなった」とわかる。
逆だな、と思った。でも——どちらも、ここにいることの話だと思う。
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