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理系院生の不運な就活 〜ガクチカで救ったバブル女子の恩返しが「事故物件専門部署」の内定って正気ですか?〜  作者: あさづき ゆう


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データから特定する沙織の居場所3

 沙織と卓也の思い出話を聞きながら、夕食を頂いた後、三人は卓也宅を後にした。沙織はまだ話し足りないといって、そのまま卓也のとどまっている。


「そういえばさ、どうして卓也さんに沙織さん、見えたんだろう?」


 駅まであと少しというところで、彩乃がそんな疑問を口にする。悠馬は興味なさそうに肩をすくめた。


「卓也さんの後悔と、沙織さんの会いたい熱で見えたんじゃないか?」

「えー、そんな曖昧な。理論大好きな先輩にしては、普通過ぎる」

「……俺だっていつでも理論的なわけじゃない」


 むっとして言えば、彩乃が笑った。彼女は悠馬の前に回り込むと、上目遣いでじっと見つめた。その何か言いたそうな目に、悠馬はたじろぐ。


「そうですかね? じゃあ、今日は一緒にいてくれます?」

「――なんだ、その飛躍は。理屈に合わない。それに俺は今日、実家に行くからここまでだ」


 彩乃の言いたいことがさっぱりで、困惑した。彼女は明らかに不満そうに睨みつけた。そらしたいけど、そらせない、そんな圧に一歩後ろに下がった。変な緊張感に言葉を詰まらせていると、黒崎の声が割り込んだ。


「僕、先に帰りますね。塩を買って帰らないといけないんで。じゃ、お疲れ様です」


 黒崎がさっさと挨拶をして離れていく。行先は、近くにあるスーパーだ。安い塩で妥協するみたいだ。そらした視線を彩乃に向ければ、彼女は先ほどの雰囲気を綺麗に拭い去り、電車の時間を確認している。


「私も電車の時間だわ。先輩、また明日」

「……ガクチカ、ちゃんとまとめておけよ。あとで見るからな」

「任せてください! 元有名企業の人事部長だった卓也さんにずいぶんとヒント貰っちゃったから、ドラマチックに書けますよ!」

「捏造だけはやめろ」


 彩乃にあいさつ代わりに手を少し上げた。彼女もそれに手を振りながら、駅の改札口に消えていく。見えなくなってから、ようやく息を吐いた。空を見上げれば、綺麗に星が見える。ここはまだ、光が氾濫していない証拠だろう。


(あの圧はなんだったんだ……女性の機嫌はよくわからない)


 彩乃の態度は気になるところであったが、これからすべきことがある。そう気持ちを切り替えたタイミングで、右腕が嬉しそうに震えた。さりげなく左手できつく抑え込む。


「大人しくしろ。ここはまだお前の世界じゃない」


 反発する気持ちが伝わってきたが、すぐに収まる。


(……背に腹は代えられないな)


 スマホを取り出し、実家の父親を呼び出した。三回コールした後、父親と繋がった。いつもは一回のコールで出るのに、今日は遅い。仕事中だったかもしれない。


「親父、悪い。今、K湖まで車を出してくれないか。……ああ、頼む」


 三十分後。聞き覚えのあるエンジン音とともに現れたのは、実家の車ではなく、見覚えのあるミニクーパーだった。


「……宗司兄さん」


 運転席の窓が開き、涼しげな顔の宗司がこちらを見た。


「やあ、待たせたね。叔父さんは今、仕事中で手が離せないから、僕が代わりに来たよ」

「チェンジで」


 悠馬が速攻で拒絶した。宗司は不思議そうに目を瞬く。


「なるほど、もしかして、叔父さんに彼女を紹介するつもりで電話したのかい? それは申し訳ない」

「彼女? 何言っているんだ?」


 意味の分からないことを言われて、悠馬がむっとした。宗司はにこやかに指を悠馬の後ろに向ける。ゆっくりと振り返ればそこには帰ったはずの彩乃とそして、彩乃にがっちりと襟首をつかまれている黒崎がいた。


「こんばんは、宗司さん」


 てへ、っと音が付くようなわざとらしい笑みを浮かべて彩乃は挨拶をした。



 結局、宗司の運転で、悠馬と彩乃、そして黒崎はK湖に向かうことになった。助手席に座った悠馬は不機嫌に窓の外の風景を見ている。彩乃は黒崎と並んで後部座席に座りながらも、にぎやかに宗司と会話を楽しんでいる。その黒崎は、塩を抱えて泣いていた。


「へえ、アッシー君は見つかったんだ。すごいね」

「先輩の理屈が役に立つ時もあるんですよ! ま、ネットで名前を検索して、ブログ情報から写真の位置を特定しただけですけど」


 持ち上げられているのか、下げられているのかさっぱりな彩乃の説明に、悠馬の機嫌はさらに降下した。


「そんな簡単なアプローチで見つかるとは思っていなかったんだ」

「ふふ、ちゃんと成功したんだからいいじゃないですか。すねちゃって、可愛い~」


 からかうように彩乃が言ってくる。宗司はそんな彩乃にふと質問した。


「それで、君はどうしてついてきたの? しかも黒崎君まで引っ張ってきて」

「ええ、どうしちゃったんですか? いきなり」


 きょとんとした顔で彩乃が答える。宗司は柔らかな笑みを浮かべた。その笑みを横目で見て、背筋がぞくぞくする。滅多に感情をあらわにしないが、案外彼の目は感情を素直に表す。わかりやすい変化に、どうしたものかを天を仰いだ。


(宗司兄さん、すごく怒っている……彩乃と黒崎が付いてきたからか? それとも、他に理由が?)


 考えてみるが、よくわからない。伝統の中で生きている宗司にしたら、彩乃の現代っ子ぶりは眉をひそめるものだろう。


「正直、君たちは足手まといでしかないんだよね。それなのにどうしてついてきたのかなと不思議に思って」

「ひどい言い方! 足手まといじゃないですよ。だって宗司さん、先輩に何かしそうですもん。ね、黒崎君だってそう思うでしょう?」


 話を振られた黒崎が飛び跳ねた。


「いやいやいや、そんな恐ろしいこと本当だと思っていても頷きませんよ!? 僕はただ、駅の改札前で彩乃先輩に首根っこを掴まれて『ガクチカのボーナスタイムだよ』って引きずり戻されただけで……!」

「ほら、黒崎君だって同意している。黒崎君の勘って当たるんですよ」


 黒崎の悲鳴を都合よく変換して聞き流し、彩乃が強気に言い切った。宗司はバックミラー越しに、半泣きの黒崎と、無邪気な笑みを浮かべる彩乃を交互に見た。


「ふうん、確かに悠馬にとって僕は脅威かもね。でも、それで君に何か困ることがあるかな?」

「ありますよ、先輩は私の想い人なんですから!」

「でも、相手にされていないよね。悠馬のことを何も知らないくせに、そこまで干渉するのはどうかと思うよ」


 どんどんと変な方向へ過熱していく。内容を聞いていて、口を挟むのをやめた。聞いていないことをアピールするように、寝たふりをする。


(早く現場についてくれ……)


 そう祈っているうちに、いつしか悠馬は眠りへと落ちて行った。



 エンジンが切れる音がして、悠馬は重い瞼を持ち上げた。窓の外には、月明かりが下界を照らし、木々が黒い影として浮かび上がっている。その黒い木々の奥には湖面がきらめいていた。


「綺麗だな」


 夜のK湖につい見とれてしまう。幻想的な夜景は緊張した体をほぐしていく。


「あ、先輩、やっと起きた! もう、いつのまにか寝ちゃうんだもん!」


 自然の雄大さを実感する前に、彩乃が元気に声をかけてくる。一気に現実に引き戻され、ため息をついた。


「彩乃……声が大きい」

「ひど言い方だね。悠馬は少しは空気を読んだ方がいいと思うよ。重要なことを聞き逃すから」

「なんだよ、それ。この移動中に重要なことなんてあるかよ」

「先輩って、結構怖いもの知らずですよね」


 からかうように彩乃が言えば、宗司は小さく頷いた。その二人のやり取りを見ていて、悠馬は眉を寄せた。


「……仲良くなっている?」


 そう、あれほど険悪な雰囲気だったはずなのに、二人は妙に馬の合った掛け合いをしている。宗司が微笑んだ。


「和解したんだ。彼女、そう悪くない。悠馬にぴったりだと思うよ」

「そうそう。何でも話し合いって大切だと思って」

「は……?」


 二人が何を言っているのかさっぱりだが、自分にとってあまりいい方向でないことだけは感じた。彩乃が後ろから顔を出してくる。


「先輩、私、もっとわかりやすく行動することにしました」

「何を言って……」

「だから、逃げないでくださいね」


 彼女の気持ちを無視できない、それだけを理解した。ぽんと宗司が肩を叩く。


「じゃあ、さっさと仕事しよう」

「仕事じゃない」


 すぐに否定すると、宗司が肩をすくめた。


「ああ、そうだったね。ガクチカ。彩乃君、ちゃんと書けるように観察しておくんだよ。それから黒崎君も起こして」

「任せてください!」


 彩乃はぴっと敬礼すると、隣で白目をむいている黒崎の体を揺すった。


「はっ、ここは?」

「K湖のほとりの神社前! ほら、起きて!」


 黒崎がせわしくあたりを見回し、悲鳴を上げる。


「うわうわうわ、なんでこんな恐ろしい場所に!」

「早く終われば早く帰れるよ。がんばれ!」


 二人はいつもと変わらない。でも、彩乃と宗司の空気は変わっていた。その違和感をどうにか言語化しようと、大きく息を吸った。だが、そんな時間は与えられない。


「ほら、悠馬も外に出て。さっさと行こう」


 促されて、違和感を解きほぐすことなく車を降りた。宗司は懐中電灯を彩乃と黒崎に手渡した。悠馬は自分の鞄から懐中電灯を取り出す。それをつけてみたものの、足元を照らすだけで、周囲は深い闇だ。


「真っ暗だ。これだけで歩けるのか?」

「ここまで電気が通っていないから仕方がないね」


 月明かりしかない世界はどことなく異次元に迷い込んだように思わせる。ゆっくりと足元に注意して歩き始めた。参道だったであろう崩れかけの石段が湖へと向かって伸びている。


「この先に本当に行くんですか!? 自殺行為ですよ、僕、車で待っています!」


 暗い穴に向かっているようなその道に、黒崎が大騒ぎした。彼の目に何が見えているかはわからない。彩乃がそんな黒崎の背中にちょんと押す。


「ぎゃあああ」

「うん、黒崎君センサーは完璧。ほら、行くわよ」


 悠馬は彼女に手を差し出した。彩乃がきょとんとした顔になるが、一瞬置いてからぱっと華やかな笑みを浮かべた。


「うふふ、ありがとうございます!」


 そう言ってしっかりと手を握ってくる。


「この暗闇の中、一人で行かせられないだろう」

「え、ぼ、僕は! 僕も一人じゃ無理です!」


 黒崎が悠馬に手を伸ばした。その手はしっかりと宗司に握られる。黒崎の顔がわかりやすく強張った。


「ほら、黒崎君はこれで怖くない。さあ、行くよ。K湖のほとりにある神社はこの先のはずだ」


 言葉少なに、四人は荒れた参道を進んだ。彩乃は悠馬の手をぎゅっと強く握りったまま、きょろきょろとあたりを見回す。そして、階段が終わった先にあったのは、朽ちた神社だった。

 かつては立派だったであろう社殿は重みに耐えかねたように片側に傾ぎ、屋根の瓦は剥がれ落ちてシダ植物がその隙間を埋め尽くしている。明らかに放棄されていた。床の割れ目から伸びる木々がその年月を語っている。


「……元宮だね」


 元宮という聞きなれない言葉に、彩乃が首を傾げた。


「なんですか、それ?」

「すでにこの神社は合祀されて、ここはその跡地だ。ほら、中を見てごらん」


 そう言って、懐中電灯の光を崩落しかけた本殿の暗がりに向けた。そこは本来、神が祭られているべき場所。だが、すでに何もない。


「本来なら速やかに解体して山に返すべきだ。でも、これだけ立派な造りだと費用も手間もかかる。結局、こうして朽ち果てるのを待つのが一番安上がりなんだろうね」


 突き放すような言い方に、悠馬は表情を改めた。宗司は神社の跡取りだ。こうしてきちんとした手順を踏まない合祀には思うこともあるのだろう。空気が取り返しのつかないほど重くなる前に、話題を戻した。


「本当に沙織さんはここに迷い込んだのか? すぐにでも引き返しそうなほどな雰囲気だけど」

「引き返そうとして、できなかったんじゃないかな?」


 悠馬の疑問に、宗司が答える。彩乃が悠馬の手を離し、慎重に崩れた神社の周りを歩き始める。


「おい、勝手に動くな。危ないじゃないか」

「大丈夫ですよー。何か、ガクチカに使えそうな写真が取れないかと思って。黒崎君も写真映えするようなエモい場所、探して」

「どこをとっても写真映えするから、好きに撮ってください!」


 黒崎が彩乃を振り切ろうと適当なことを言うが、そんなことで逃げられるはずもなく。彩乃はスマホ片手に、黒崎を引きずっていった。ため息をついて、宗司へと意識を戻した。


「沙織さん、引き返そうとしたと言っていなかったけど」

「じゃあ、引き返す前に見つかってしまったのかもしれないね。当時、まだ合祀される前だったかはわからないけど、遺体が見つからなかったことを考えると合祀された直後だ」

「はあ? 合祀にどんな関係が」

「関係あるよ。沙織さん、怪異に食われたんだから」


 さらりと告げられた言葉に、悠馬の思考が停止した。


(食われた? 霊体が、別の何かに? それとも……)


 問い詰めようとした瞬間、黒崎の悲鳴が夜の静寂を切り裂いた。


「ぎゃああああ! 出たっ!」

「彩乃!?」


 慌てて二人のいる場所へと急いだ。床が腐っていたのだろう、彼女の足が踏み抜いている。黒崎は腰が抜けたのか、少し離れたところにいた。彩乃が困ったような顔をして、こちらを見た。


「先輩、壊しちゃいました」

「何やっているんだよ、ほら手を」


 彩乃の足元を見て、悠馬が目を見開いた。先ほどまでなかった暗い空間がそこにある。


「え? 何かあるの?」


 彩乃には見えないのか、戸惑うように見まわした。悠馬はすぐに彩乃の手を掴み、そのまま引っ張り上げる。彼女の足が抜けるのと同時に、黒い穴から恐ろしいほどの量の淀みが噴出した。沙織が放っていたあの桃の香りを、腐敗させて煮詰めたような酷い臭いだった。


「げほっ、ごほっ! くそ、芳香剤の事故現場かよ……! 鼻がバカになる」

「すごいな、怪異を踏み抜くなんて」


 宗司は違うところを感心している。黒崎が半狂乱で鞄を漁り、買ってきたばかりの塩の袋をそのまま穴へと投げ込んだ。


「浄化! 浄化してくださいっ!」


 どさりと落ちた塩が、黒い霧に触れた瞬間にシュウシュウと不気味な音を立てて溶けていく。それも束の間、すぐに怪異が飛び出してきた。


「やだ、気持ち悪い!」


 彩乃がやや焦りながら、地面を這って向かってきた怪異を踏みつぶす。


「バカ、余計な刺激は!」

「えー? でも消えちゃいましたよ?」


 彩乃は自分の足元を見ながら、告げる。悠馬は唖然として、彼女の足元を凝視した。


「……怪異、踏みつぶせるのか? ちょっとあそこにいる怪異、踏んでみろ」

「もう一度踏むんですか? 今日はお気に入りの靴なんですけど」


 どろりとした地面を見て、彩乃があっさりと拒絶した。黒崎が情けない声で喚いた。


「早く踏んでください! すぐに飛び出してきますよ!」


 振り返るのと同時に、怪異が姿を現した。


「くっさ」

「すごいね、ここまで大きく育っているなんて……」


 宗司がぽつりと呟く。悠馬が彼を振りかえった。見なければよかったと後悔する。彼はすでに優しい従兄の顔はしていなかった。そこには本家の次期当主としての彼がいた。

 恐ろしいほど研ぎ澄まされた空気に、さすがの彩乃も息を呑む。


「宗司さん、だよね? なんか、すごく雰囲気が違っているんだけど」

「す、すごい! 触れたら怪異なんて吹っ飛びそうです!」


 黒崎の目には何が見えているのか。そんな呟きが聞こえる。悠馬はどくどくと右腕が熱くなるのを感じた。


(お前は引きこもっていろ。宗司兄さんに知られるわけにはいかないんだ)


 これほどの怪異は放っておけない。きっと宗司が浄化するはず。そう自分に言い聞かせ、そして拒絶を伝えるように右腕を握り締めた。そんな悠馬の気持ちを見抜いたのか、宗司がふと笑みを浮かべる。同時に、怪異がこちらに襲い掛かってきた。


「うわうわうわ! こっちにくる!」


 宗司はゆっくりと手を挙げて、祝詞を口ずさむ。ある程度は削れたが、すべてではない。残った怪異の一部が黒崎を取り込んだ。


「黒崎!」


 悠馬は慌てて彼へと手を伸ばす。だが、人の手などすぐに届かない位置まで黒崎はからめとられてしまった。


「浄化するしかないね。僕がやってもいいけど……それだと、黒崎君ごと消えてしまうかもしれない。それとも悠馬、君が助けるかい?」


 悠馬を見る宗司の瞳は、湖面のように静かで、残酷なほど澄んでいた。悠馬の右腕が、歓喜するように跳ねる。


(……こいつ、わざとやってる。俺に、右腕を使わせるために――!)


 黒崎の悲鳴が、黒い淀みの奥に飲み込まれていく。一刻の猶予もなかった。


「先輩……! 黒崎君を助けられるんでしょう!?」


 逡巡している間に、彩乃に体を揺さぶられた。悠馬は右腕を握り締め、目を閉じて一度大きく呼吸する。

 宗司に隠せるものなら隠したかった。でも彼はすでにこの存在を知っている。


(隠す意味がないのなら……黒崎は捨てられない)


 慕ってくれている黒崎を見捨てることなど初めからできないのだ。ゆっくりと目を開け、まっすぐ宗司を見つめる。


「どうしたらいい?」

「怪異を浄化すると願えばいい」

「なんだよ、その精神論。俺、ちゃんとしたやり方なんて知らないんだけど」

「知っているさ」


 宗司が透き通った笑みを見せた。その笑みはどことなく作り物めいていて、悠馬に向けられている目は違うものを見ているようだ。


「何を言って……」

「まあ、初めてだと難しいかな? 少しだけ手伝ってあげよう」


 宗司は何やら祝詞を唱えた。そして、悠馬の心臓に向けて右の人差し指と中指をそろえてとんと突き立てる。痛いわけじゃない。何かがあったわけじゃない。それなのに、急激に悠馬の中で何かが動き始めた。はじめはゆっくりと、そのうち血液のようによどみなく流れ始める。


「なんだ……これは」

「ほら、もう使い方がわかるだろう?」


 すぐそばにいるはずなのに、宗司の声はどこか遠くから聞こえてくるようだ。彼の言葉に誘発されて、脳裏にいくつかの言葉ではとらえられない音が浮かび上がる。それが悠馬の中に落ち着いていく。


「黒崎君!」


 彩乃の悲鳴に顔を上げた。怪異を視界にとらえた瞬間、体の奥から熱がこみ上げてくる。そして、怪異に近づき、右手を伸ばした。その手はすでに人の手ではない。手首から先は黒いツタのようなものがびっしりと巻き付き、指は異様に長い。その先端には空間を切り裂くような鋭い爪が伸びていた。


「消えろ」


 悠馬の呟きと共に漆黒の右手が怪異の核心を掴んだ瞬間、「ギチチッ」と空間が軋むような音がした。怪異は悲鳴を上げることすら許されず、爆散した。反抗する間もなく、その怪異は霧散して右腕の何かが食らっていく。怪異が消えるのと同時に、黒崎が地面に放りだされる。彩乃が慌てて、黒崎へと駆け寄った。

 力を使ったせいなのか、怪異を食らったからなのか、右手は通常に戻っている。その手を握ったり開いたりしていると、ぽんと背中を叩かれる。後ろを向けば、宗司が嬉しそうな顔で立っていた。


「やっぱり悠馬との仕事は楽でいいな。どうだい、改めて僕の専属に――」

「断る。俺はホワイトな一般企業で、定時に帰って有給使う平凡な人生を送る!」


 悠馬は強く断言した。宗司の目から逃れるように、怪異のいた場所を改めて眺めれば何かが視界の端に映った。


「なんだ、これ?」


 屈んで汚れた指輪を摘まみ上げた。「Saori」と刻印されたその指輪は、月明かりの下で鈍く光った。


(やっぱりここが沙織さんの)


 思わぬ形で宗司の言葉が事実だと気づいてしまった。悠馬はほんのわずかだけ哀悼の意を示して、その冷たい金属をポケットにねじ込んだ。

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