幕間:侵食される聖域
結局、沙織の最後にいた場所を見つけることができずに帰ることになった。黒崎、彩乃を送り届け、悠馬は助手席に座っている。
「このまま、うちに来ないか?」
宗司が何気なくそう切り出した。悠馬はちらりと疲れた目を向ける。
「断る。明日、研究室に行かないといけないから」
「明日も大学まで送るよ?」
「いい」
何度誘われても頷くつもりはない。それがわかったのか、宗司はため息をついた。
「そう。じゃあ、具合が悪くなったら連絡して。すぐにでも駆け付けるよ」
「わかった、助けてほしかったら連絡する」
そう約束したことで、宗司は本家に来いとは言わなくなった。気まずい沈黙をごまかすように、悠馬は目を瞑ってシートに体を沈めた。そんな中、後部座席で大人しくしていた沙織がふわりと身を乗り出してきた。
『ねえ、ちょっと聞いていい?』
「なんだよ」
目を薄く開けて面倒くさそうに聞けば、沙織は小さく顔の前で手を振る。
『違うわよ、あんたじゃなくてこっちのイケメン』
沙織はじっと宗司の横顔を見つめる。その目が真剣すぎて、悠馬は息を呑んだ。初代たまごっちから出てきて以来、沙織がこれほど真面目な顔をすることなど一度もなかった。
「何かな?」
『ねえ、なんでそんなにも親和性が高いの?』
親和性?
何の話だと、悠馬は訝しんだ。運転する宗司はいつもと変わらない温和な表情だ。
「これでも神主の家系だからね。そう感じるのかもね」
『ううう~ん? なんか違うのよね、そうじゃなくて、こう、甘い香りがして……記憶がぼんやりしているけど』
沙織がそう呟くと、宗司の眼差しが一瞬だけ底冷えする。その空気に、悠馬の体が反応した。反射的に自分の右腕を掴む。
(なんだ、これ……何かが這いまわっている)
「ちょっと休むと思い出すかもしれないね。記憶が曖昧なのは疲れもあるかもしれない」
『そうかしら? 私、死んでいるのに?』
沙織の疑問はもっともで、二人の会話はそれほどおかしいものではない。それでも、車内がぐにゃりと歪んだような錯覚に、悠馬は全身鳥肌が立った。同時に、体の奥から何か熱いものがこみ上げてくる。
「悠馬、君も疲れたのかい? やっぱり家へ」
「断る。俺のアパートに行ってくれ」
強く言えば、宗司はため息をついた。
「やっぱり遅い反抗期かねぇ。具合が悪い時ぐらい、頼ってくれてもいいと思うんだ」
「……」
それには答えず、目を閉じ、体から出てきそうになる何かをひたすら抑えこんだ。ここで、悠馬のうちにあるモノに気付かれてしまえば、本家に囲われることになる。それは悠馬の求める未来とは対極にあるものだ。絶対に気付かれてはいけない。
ようやく、車が止まった。悠馬は自分のアパートを確認すると、シートベルをと外す。
「ありがとう、今日は助かった」
お礼を告げて、ドアを開けた。下りようとする悠馬の右腕を宗司が掴んだ。思わぬ手の力に息を呑む。
「本当に大丈夫なんだね? 違和感とか……壊れてからでは遅いからね」
そう確認しながら、右腕を撫でた。その手の動きは右腕にあるモノが何であるかを知っていて、なぞっているように思えた。慌てて宗司を見れば、いつものような温和な従兄の目ではなく、自分の持ち物の不備を確認しているような無機質なものだった。
絡めとられるような感覚に、振り払おうと力を入れる。
「しつこい」
「わかったよ。じゃあ、これ。沙織さんもこの中に入ってしまって出てこなくなってしまったから」
そう言って宗司は初代たまごっちを悠馬に渡した。途中まで、宗司と話していたと思っていたため、眉を寄せた。
「沙織さん、この中に閉じ込めたのかよ」
「人聞きが悪いなぁ。ちょっと休んでもらっているだけだよ。記憶が曖昧なんだから、暴走する予兆かもしれないじゃないか。落ち着けばまた出てくるさ」
「……なんで浄化しないんだ?」
「おや、もしかして浄化してほしかったのかい? それ、ガクチカなんだろう?」
「そうだけど」
そんな理由で引くとは思えない。そんな強い疑念を込めて睨めば、宗司はふっと笑った。
「今日はゆっくりするんだよ。それっぽいところに行って、いろいろ緩んでいるから」
何が、とは聞かなかった。聞いたら、聞きたくない言葉が返ってくる予感さえしていた。無言で視線を外せば、宗司は何かを確認するように悠馬の頭を撫でる。
「じゃあ、次の予定が立ったら連絡してほしい。手伝うよ」
それだけ言うと、宗司はあっさりと帰っていった。車のテールランプが見えなくなって、ようやく悠馬は体から力を抜く。そして、重い体を引きずるようにしてアパートの階段を上った。
玄関を開け、スイッチを押す。
「はあ、疲れた」
ようやく一人の空間に戻ってこられた。悠馬は持っていた荷物を玄関に置き、靴を脱ぐ。そして、すぐに冷蔵庫に入っているペットボトルを取り出した。一気に冷たい水を飲み干す。
そこまでして、ほっと息をついた。
「ああ?」
ペットボトルの底を見た瞬間、違和感が広がった。無機質なプラスチックのはずなのに、そこから黒いないかがうごめいている。同時に、部屋の中が一瞬にして甘ったるい匂いで支配された。息をするのさえ苦しくなる粘り気の強い空気に、悠馬の眉間にしわが寄った。
「……くそったれが。この部屋にまで入れんのかよ。親父のお手軽三点セット、普及版と変わんないんじゃないのか?」
この部屋は、悠馬の父が作った結界を張る「お手軽三点セット」を使っている。簡単に言えば、部屋の四隅に置く空間を区切る札と浄化作用のある札、そして起動するための呪文。悠馬が手に入れたものは仕事で使っている業務用で、一般的に普及しているものよりも強いと言われているらしい。
もちろん、悠馬はそのまま使っていない。解析して、札に込められている神力と言われているものを自分の力と置き換えて使ってる。
「まあ、いいか。ここでなら力を使っても誰にも気付かれない」
そう呟き、シャツを脱いだ。半袖から見える腕には黒いツタが巻き付いている。いつもならそれはわずかに見える程度であるが、今日はくっきりと黒く色づき、さらに肌の上でざわついていた。
「黙れ」
悠馬は右腕の付け根を強く掴む。左手の掌に反発が伝わってくるが、それさえも意志の力で抑え込んだ。しばらく抵抗していたが、徐々に静かになる。大きく息を吸い込むと、右手で空間を切るように腕を振った。部屋の中を満たしていたよどみが瞬時に霧散する。
「はあ、さすがにすげー力。腕を振っただけで消えるんかよ。修行とか祝詞とか、これじゃあ意味ないじゃん」
いつも使っている小さく手を振るだけとはけた違いの力。悠馬の中で何かが得意げに笑う。それを忌々し気に舌打ちした。
「お前、宗司兄さんに気取られるなよ? すぐにでも道具にされちまう。冗談じゃねえぞ」
わかっているというように、一瞬だけ悠馬の中で跳ねて、すっと消えた。
「そもそも怪異なんて、ずれた次元にるエネルギーでしかない。それなのに、あんなよくわからない儀式でなんとかなるわけがない」
幼い頃からずっと疑問だった。怪異はそこにいるけれども見える人と見えない人がいる。その理由が知りたくて、いろいろ調べた。もちろん、本家を否定したいわけではない。対処療法のように編み出された秘儀はきちんと次元が理解できない術者たちには有効であったろうし、神秘的な儀式はそれだけで一般の人々の疑問をそらすことができる。
でも、悠馬はそれでは納得できなかった。
そして、いつの間にか自分の中にあるそれが、次元の違いを教えてくれる。
「まあ、最も何も知らないほうが幸せなんだろうけどな」
なんでも知りたいと思ってしまう――見た振りができないんだよなと厄介な性格を自嘲した。




