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第二話 見る

戦闘の描写に伴う暴力・流血表現を含みます。

 陽が傾き始めた頃に行軍は出発した。

 さらに夜となる。星がきらびやかで、かつ、月明かりが砂地を白く照らしているから、夜更けとはいえ馬を進めるには苦労しなかった。

 やがて風景が変わった。

 剥き出しの岩盤が丘のように点在している。これは岩石砂漠と呼ばれ、砂漠の大部分はこの無骨な地域が占めると言われている。見上げるほどの岩壁が至るところにそそり立ち、とうとう月光を遮った。その暗闇の中を進むのだ。右へ、左へと、忙しなく岩の間を通り抜けて行く。

(狭い道)

 と、単純にイオは思ったが、これが兵士であれば、

(見通しの悪い危険な道)

 と見るであろう。実際、行軍は早足で先を急いでいる。

 馬上のイオはまどろんでいた。

 昼に満足な睡眠が取れなかったからだ。耐え難い炎天が理由ではあったが、それ以上に、慣れない状況に緊張していたせいでもある。夜特有の静寂が眠気を誘い、ゆるりとした睡魔となって彼女に訪れていた。

 そのときだ。

 眼前がちかちかと瞬いた。

 と同時に、イオの目にはとある光景が見えていた。

 場所は、この岩場である。宵の刻のこと、見慣れぬ騎兵隊が砂塵を巻き上げてこの場に結集した。皆、黒衣をまとっている。短く交わす言葉は耳慣れない言語であった。そのあと、各人が四方に散らばり、さらさらと岩壁をくだると、影に身を潜めた。そして暗闇へと同化した。

 しん、と静まり返る。

 そこでイオは我を取り戻した。にわかに視界が入り乱れ、両手で目元を覆った彼女はしばらく俯いていた。そして混乱が過ぎるのを待った。

「どうしました」

 イオの異変に気づいたのだろう。背後にいるリーが尋ねた。

「リーさん」

 と、イオは先の光景を彼に伝えた。

 相変わらず顔を伏せたままで、そのうえ、記憶を辿りながら覚束なく話すので、聞き手には不親切であっただろう。だが、ひっそりかんとした夜気のおかげで、それでも充分に声が響き渡った。

「ここに、たくさんの人が隠れている。……馬に乗った人たち。剣も持っている。それで、何かを待っているみたい。……私たちを?」

 と、最後はイオの主観である。

「過去を見る」

 という、これこそが、イオの持つ不思議な力であった。

 また、彼女が「雨の谷」の領主の目に留まった理由でもある。

 既に起こった出来事を、現場に居合わせたかのごとく目にする。あるいは人物に対して、相手の経歴や、折々の感情さえをも見抜くことができる。これから起こる物事の予見こそできないものの、生来、イオの目にはそういう人智の及ばぬ能が備わっていた。

 俗に千里眼と呼ばれている。

「全てを見通す目」

 という意味である。

 ところで、「雨の谷」には、領主を補佐している一人の祭司がいる。

 その人物もまた、遠い土地での出来事を見る目を持っている。その千里眼をしてイオを見出し、その力を公とした。領主はそれを聞き入れると、イオをも召し抱えるために使者を放った。イオが故郷を旅立ち、首都を目指しているのには、そうした経緯がある。

 さて。

「待ち伏せをされている」

 ということを、イオはリーに伝えた。

 そのとき馬の足が止まった。不意だったため、馬上でイオの身体は不自然に揺れた。イオは驚き、リーを振り返ってから、次に前方を見た。

 黒衣の騎馬兵が、行く手を遮っている。

 無論、先ほど千里眼で見た人々だ。

 相手はこちらを上回る人数である。自軍から進み出た隊長が、先方と話をしているが、距離があるせいでイオの耳までは届かない。気づけば、黒衣の兵士の数名と目が合った。イオは慌てて視線を逸らした。横目に味方を見れば、ことごとくが強張った表情を浮かべて黙り込んでいる。イオごときの小娘でもそうと分かるほどに、全員が、糸のように細々とした緊張感を抱いていた。

「聞いてください」

 リーが囁いた。

「戦闘になった場合は」

 と、その言葉に、思わずイオは身を固くする。

「我々は隊を離れます。全力で駆け抜けるので、身体を伏せて、しっかりと掴まっていてください。私が声をかけるまでは顔を上げないように」

 イオは双方の動きに注意を払った。暗がりに目を凝らして、ひたすら耳をそばだてていた。呼吸が浅く、心臓がうるさいほどに胸腔を叩いた。

 リーが口にした、戦闘、という言葉の意味をイオは理解している。両者が剣を抜き、斬り合い、誰のものとも知れない血で濡れるということだ。彼女は、そういう旨の命に関わる窮地を経験したことがない。

 一触即発の空気が動いた。

 先に剣を振るったのは相手だった。

 途端、リーが手綱を引いた。

 馬が駆け出した。イオは大きくよろめいたが、機敏に身体を伏せて馬の背にしがみついた。強くまぶたを閉じた。すると、聴覚だけがいやに研ぎ澄まされる。後方で飛び交う男たちの怒号がイオの恐怖心を煽った。背後のリーの存在感だけが頼りだった。

 それからあとは、何が起ころうと目を閉じたままでいた。


「もう大丈夫」

 と、聞き慣れた声が言った。

 リーだ。イオはゆっくりと顔を上げた。

 見ると、彼は馬から下りている。

(いつの間に)

 と、イオはまず驚き、それから彼が抜剣していることに戦慄した。

 リーはこちら側に歩み寄ると、剣を鞘に収めた。間近だと彼が肩で息をしているのが分かる。その後方では、いくつかの黒い物体が砂地に放り出されていた。闇夜の中では布切れのように見えるが、あれは人であろう。ぴくりとも動かないのは、既に死んでいるからだろうか。騎手を失った彼らの馬が、困り果てたように辺りをうろついていた。

 リーは、追っ手をまけないと判断するや、疾走する馬から飛び降りて相手を切り倒したのだ。と、イオはやっとそこまで思い至る。ぞっとした。それはつまり、己の身に鋭い刃が差し迫っていたということだ。

 砂丘を越えて、味方の生き残りが二騎現れた。ひらり、とリーは馬に乗った。彼らと合流すると、さらに夜の砂漠を駆け抜けた。

2010年5月

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