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第一話 少女と青年

戦闘の描写に伴う暴力・流血表現を含みます。

 夜が明ける。

 青白い薄明の空が、地上に近づくにつれて色を変え、遥かな地平は横一線の黄金色へと染まっていく。やがて一点が鮮やかに輝いた。かと思えば、瞬く間に太陽が顔を出した。漂う雲々は白く、見通す限り広漠と続いている。そして、冴え冴えしい朝日が大地を照らした。砂漠のすべらかな地表が、その全容を明らかにするのだった。

 十数の兵が、砂煙を上げて馬を走らせて行く。

 彼らは、首都「雨のあめのたに」の騎馬兵である。片田舎に住む一人の娘が、とある事情で領主に召し抱えられることになったため、

「迎えに行き、首都まで無事に送り届けるように」

 という命を受けている。

 行軍は酷烈を極めた。砂漠越えは片道で一ヶ月かかったが、これから同様の月日をかけて引き返す。つまり計ふた月もの長旅だ。灼熱の太陽は軍旅の上で高熱の渦を巻き、兵士の体力を容赦なく奪う。ときおり砂塵の嵐が吹きつけるため、皆、鼻と口元を布で覆っていた。

 くだんの娘は中軍にいる。

 イオという名の孤児である。「七つ平野ななつへいや」の商人に引き取られ、それ以来、屋敷で小間使いとして働いていた。

 無論、彼女に乗馬経験はない。ともに騎乗した兵士が手綱を握り、馬を操っていた。さらに前後左右を騎兵が固めて警護にあたっている。

 さて、太陽が昇った頃に行軍は馬を止めた。

 この刻限は休息を取り、陽が傾き始めてから出発する。そうして日盛りの猛暑をやり過ごすのだ。兵士たちが、ぱらぱらと馬を下り始めた。簡単な天幕を張ると、具足を解き、疲れきった身体を横たえる。イオも馬から下りた。すると、一緒に騎乗していた兵士が、彼女に水筒を差し出した。

 ありがとうございます。

 と言いかけたが、干乾びた喉が、ひゅっと異様な音を立てて詰まった。

 イオは激しく咳き込んだ。 

 実を言うと、喉の渇きを我慢し続けており、息苦しいほどであった。しかし下女のさがだろう。恐縮が先立ち、申し出ることができなかったのだ。

 思わずその場にうずくまる。強く息を吐けば、吐き出すほどに咽喉が痛み、イオは天地も分からずに喘いだ。呼吸がつらく、目には涙が滲んだ。

 そのとき誰かがイオの背を撫でた。彼女の身体を抱き込んで、支えると、顔布をほどいて口元に水筒を宛がった。それから、そうっと水を注ぎ込む。やがて喉が潤うと、イオは深呼吸を繰り返して息を整えた。

 はたと我を取り戻せば、水を与えてくれた兵士の顔を見上げた。

 その向こうには鋭く輝く太陽があり、白い光が照りつけているせいで、兵士の姿が黒々とした影となって見えている。イオは目を細めた。あまりに眩しかった。だから、さらに目を凝らして、兵士の姿をとらえようとした。

「つらいときは声をかけてください」

 と、淡々とした声音で彼は言った。

「ごめんなさい」

 イオは口ごもった。彼が気分を害したかと思ったのだ。

 というのも、砂塵を避けるための顔布が兵士の表情をことごとく隠していたからだ。わずかに目元が覗いていた。が、幼いイオには、それだけで相手の喜怒哀楽を読み取る能はまだ備わっていない。

 また、先入観もあり、

(頼りにはなるけれど危険な人々)

 そんな風に軍人を畏怖している。

 イオは兵士の手から離れて立ち上がった。今度は手渡しで水筒を差し出されたが、畏縮しきった彼女は手を伸ばすことができない。兵士はその様子をしげしげと見た。彼は、その場に腰を屈めたまま、思案するように視線を宙へと向けた。それから、しばらく黙ったあとで、

「いいえ。私の気が至りませんでした」

 と頭を下げた。そのうえ、

「俺も溺れるほどに飲みたいよ」

 と、ことさらに口調を崩して嘆いた。

 何やらこの男の人間味に触れたような気がして、イオは一瞬、彼の名前を尋ねようかと思う。行軍の先は長い。入り用があるときに、気安く話しかけられる相手を見つけておきたかった。同じ馬に乗る彼であれば、道中、最も近しい人物だ。

 兵士はイオの心中を察したらしい。自らの胸元を指して、

「リー」

 と一言で名乗った。

 イオは今度こそ水筒を受け取った。

「ごめんなさい」

 ことあるごとに謝るのはもはや彼女の口癖と言っていい。イオは、はっとして言葉を飲み込んだ。よりふさわしい言い様を思い出したので、

「ありがとう」

 と、言い直した。イオは安堵して微笑んだ。

 その後、別の兵士がやって来た。彼女に専用の天幕を設けたと言う。イオはその場を立ち、兵士たちの天幕の合い間を縫って歩き始めた。

 傍ら、横目でリーの姿を探した。が、武具を外して軽装となった兵士たちを見渡すと、誰が誰だかまるで見分けがつかない。そう言えば彼の素顔さえ見ていないのだ。ということを思い出してイオは小さく失望した。

 イオと目が合った者は、皆、目礼を返した。

 その中で、ただ一人、視線を合わさずに会釈をする人物がいた。

(あの人だ)

 イオは思った。彼がリーだ。

 気づいたのは、彼だけがまだ武装を解いていない。先ほどイオにかまけていたせいで、自分の身なりを寛げる暇がなかったからだ。リーは、数人の兵士とともに食事を囲んで座り込んだ。そして、まずは顔布を外す。

 露わになった彼の素顔を見てイオは驚いた。思いのほか若い。まだ青年の出で立ちである。その周囲の、目につく限りが壮齢であるから、彼だけが群を抜いて目立っている。

 もう一つ目を引く事柄があった。

 リーの左手の指の本数が足りないと思ったのだ。つまり数本が欠けていた。どの指が、とまでは見て取れない。だが見間違いではない。

 イオはぎくりとした。

 自分の天幕に着いて、腰を下ろしてから、彼の手の見目を思い出す。わけもわからず動揺していた。指の欠落した手を、彼女は生まれてこのかた目にしたことがなかったのである。

(病気だろうか。それとも戦で失ったのか)

 その人物が歩んで来た人生を、最も衝撃的な形で目の当たりにした。そんな気がしていた。食事を終え、身体を横たえ、まぶたを閉じてからも、先ほどの光景が残像となって目の前から離れなかった。

2010年5月

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