第8話「キャンプイベント」
私は、アイドルが大好きだった。
小さな頃からテレビの前で踊って、笑っていた。
アイドルが歌って、笑って、誰かの心を照らすたび、
「私もいつか、あんなふうになりたい」って──ずっと思ってた。
夢が大きくなったのは、中学の頃。
私も、誰かを笑顔にしたい。
その想いは、自分の中で揺るぎないものになっていた。
私は幼い頃からクラシックバレエを習っていて、ダンスには少しだけ自信があった。
だからきっと、夢を叶えられるはずって信じてた。
でも。
いざ親に話したときの反応は、あまりにも冷たかった。
「アイドル?そんなもの、将来性がないだろ。
もっと現実を見なさい」
──父の言葉は、まるで冷水みたいだった。
それでも私は、諦めきれなかった。
誰かの夢を照らす存在に、どうしてもなりたかった。
高校に入り、バイトをいくつも掛け持ちした。
制服のままコンビニへ直行して、帰るころには日付が変わっていた。
自分で貯めたお金で、養成所に通いはじめた。
ダンスはずっと得意だったけど、歌はどうしても弱かった。
何度もオーディションを受けた。
書類で落ちて、一次審査で落ちて、最終審査で落ちて。
何度、もう無理かもって思ったか、分からない。
でも──
“誰かの希望になりたい”という気持ちだけは、
誰にも、負けてないと思ってた。
とある日の午後、公園の広場で、私はひとりダンスの練習をしていた。
何度も何度も、同じ振り付けを繰り返す。
バイトを掛け持ちしながら、わずかな時間をぬって練習して。
ボーカルトレーニングにも通って。
それでも、オーディションにはなかなか受からない。
努力は、すぐには報われないってわかってるけど──
それでも。
足が止まった瞬間、視界がぼやけた。
気づけば、涙が頬をつたっていた。
我慢していたはずなのに、止められなかった。
辺りには誰もいなかった。
私はベンチに腰を下ろし、顔を隠すように泣いた。
そのとき──
「だ、大丈夫ですか?」
不意に声をかけられて、はっと顔をあげる。
無精ひげにメガネ。清潔感があるとは言えないけれど、
その人の声は、まっすぐで優しかった。
「……はい。大丈夫です」
「そうは見えないけど。……まあ初対面だし、俺こんな見た目だし話しにくいかもだけど、
よければ……話、聞くよ?」
──なぜか、その言葉に心がゆるんだ。
気づけば私は、ぽつりぽつりと話しはじめていた。
アイドルになりたくて頑張っていること。
努力してもなかなか結果が出ないこと。
親に反対されたこと。
ボーカルが苦手で、自信が持てないこと。
「……それは、大変だったね」
男性は静かにうなずいたあと、ふっと笑った。
「……実はさ。さっきから見てたんだよ。1時間前にも通りかかって。
君のダンス、すっごく良かった。キレがあるし、感情もちゃんと乗ってる」
「……え?」
「俺、長年アイドルオタクやってるからさ。
歌が多少弱くても、ダンスがすごければ全然カバーできるの、わかるよ。
短所よりも、君のそのダンスっていう“武器”を信じたらいい。
ラップや短いパートで調整するメンバーだっていっぱいいる」
──その言葉に、胸がぎゅっとなった。
誰にも話せなかった。
夢を語れば笑われて、努力をしても結果が出ず。
それでも、こうして初対面の人が、自分のことをちゃんと見てくれていた。
「ありがとうございます……。
アイドルのこと、周りには話しづらくて……
でも、そう言ってもらえて……少し、元気が出ました」
「それはよかった。……あっ!」
急に、男性が腕時計を見て、立ち上がった。
「ヤバい、KEYSの特典会はじまる!
じゃあまたな! 頑張って!」
「あ……!」
お礼も言う間もなく、男性は小走りで去っていった。
──名前も知らない、ひとりのオタク。
でも、あのときの言葉がなかったら、
私はきっと今ここにいなかったかもしれない。
あの日以来、私はさらに努力を重ねた。
苦手だった歌も毎日練習しながら、
得意のダンスに磨きをかけて、コンテストにも出場した。
結果、全国規模のダンスコンテストで優勝。
それをきっかけに、いくつもの芸能事務所から声がかかった。
──でも、どれも似たような口ぶりだった。
「うちは有名タレントも多いから」「とりあえず枠は空いてますよ」
そんな上辺だけの言葉ばかり。
けれど、ある小さな芸能事務所の社長だけは違った。
「まだできたばかりの事務所だけど……君みたいな“本気で努力してきた子”にこそ来てほしい。ウチで一緒に夢、叶えよう」
その一言が胸に響いた。
私は迷いなく、その事務所に入ることを決めた。
──そして、LUMINAとしてアイドルデビューを果たした。
ある日、ショッピングモールで行われた全員握手会。
見覚えのない男性が私の前に現れた。
「こんにちは。初めまして、奏です」
その声を聞いた瞬間──胸がふるえた。
(この声……まさか)
「は、はい……初めまして。お兄さん、誰推しなんですか?」
「えっと……香織の」
(──やっぱり。そうだよね。私じゃ、ないよね)
一瞬、心がきゅっと縮こまった。
でも、彼は言った。
「ほのかちゃんって、すごいダンス上手いですよね。ソロの振り付け、いつも見とれてます」
その言葉で、胸が熱くなった。
(あのときも、私のダンスを褒めてくれた。あの人だ……間違いない)
──今の私があるのは、あのときの一言があったから。
本当は、今すぐ伝えたい。「ありがとう」って。
「あ、あの……っ」
「はい、お時間でーす!」
タイミング悪く、スタッフの声がかぶる。
結局、言えなかった。
何度か会う機会はあったけど、伝える勇気は持てなかった。
香織ちゃんの生誕祭の日。
香織ちゃんのステージは、これまでで一番輝いていた。
なかでも、アンコール前のサプライズ動画企画──
あれには、メンバーの私でも涙が出そうになるほど感動した。
(私も……いつかあんな風に、祝ってもらえたらな……)
そんな余韻のまま特典会が始まり、私はふと香織ちゃんの列に目をやった。
そこに、白いタキシードを着た男性がいた。
(えっ、なにあれ……まるで結婚式みたい)
目立つ姿に、つい目が引かれた。
そして香織ちゃんが、彼の名前を呼んだのが聞こえた。
「奏くん……」
(えっ……あの人が、奏さん……!?)
香織ちゃんの顔が、今まで見たことないくらい優しくて、嬉しそうで……
私の胸の奥が、じんと痛くなった。
イベントが終わった帰り道。
ふと、リーダーのあんじゅさんが言った。
「動画企画? あれ奏くんが全部準備してくれたんだって」
(……やっぱり)
なんだろう、この気持ち。
香織ちゃんのことが羨ましい。
素直に、そう思ってしまった。
そして今日、またイベントの日。
私はいつものように、握手会で彼の姿を探していた。
でもまた、言えなかった。
「ありがとう」の一言が、どうしても喉につかえて出てこない。
帰り際、ふと耳に入った声。
つむちゃんの声と、奏さんの声──
少しピリついた空気。けれどどこか、まっすぐでまぶしかった。
(……すごいな、つむちゃん。自分の気持ち、ちゃんとぶつけられるなんて)
それに対して、動じずに向き合っている奏さんも──
(かっこいい)
今でも、あのときの声は忘れていない。
優しくて、あたたかくて、励ましてくれた。
──いつかちゃんと、この気持ちを伝えられたらいいな。
「あなたのおかげで、今の私がいます」って。
「おーい、奏〜!」
「うるさいな……お前、朝からテンション高すぎだろ」
「だってよ、キャンプイベントって激アツじゃん!」
今日から一泊二日でLUMINAのキャンプイベントがあるため、俺たちNoxのオタクは新宿バスタに集合していた。
「いや〜マジそれな。香織、どんな私服着てるんだろな」
「てか、お前イベントの概要読んだ? チームに分かれてカレー作りするやつ、メンバーはランダムなんだと」
「読んだ読んだ。推しと一緒だったら嬉しいけど、違ったら気まずくね? 選択式にしなかったのって、やっぱ人気に偏り出るからだろうけど」
ヒロとそんな話をしていた時、1人のファンが声をかけてきた。
「こんにちは、奏さん、ヒロさん!」
「あー! トモくん。生誕祭の時はほんと助かったよ、マジでありがとう」
「いえいえ! こちらこそ、お二人のお力になれて光栄でした。あの生誕祭、感動して泣いちゃいました……あ、そういえば奏さんのこと、俺の知り合いの女オタたちがめっちゃ気に入ってて、連絡先教えてほしいってうるさくて。もちろん断りましたけど!」
「おいおい奏、モテモテじゃん。トモが止めてくれてなかったらどうなってたか……」
「……ヒロ、茶化すな。トモくん、ありがとう。マジで助かった」
「そんな、俺なんかにお礼なんて」
「いや、色々あって、俺、今は女性と付き合うのとか難しいから」
「そうだったんですね……すみません、変な話を」
そんな話をしていると、イベントスタッフが声をかけてきた。
「Noxの皆さん、バスが到着しました〜! 受付の前にお集まりください!」
「それよりトモくん、今日も楽しもうな!」
「はい!」
バスはキャンプ場へと向かって出発。移動中、モニターにはライブ映像が流れていた。
「おい奏、香織の生誕祭の映像も流れてるぞ!」
「香織が作詞作曲したあの曲、何回聞いても最高だよな……」
懐かしい映像に浸っているうちに、あっという間に目的地へ到着した。
「バスを降りたら、まずはくじ引きで班分けを行ってください! 班の交換は禁止です! その隣でチェキ券も販売しております〜!」
列に並んで、俺とヒロは同時にくじを引いた。
「せーの、見せ合おうぜ!」
俺のくじには「風花ほのか」、ヒロのくじには「白咲香織」の文字が。
「おいおいマジかよ! ヒロが香織とかよ!」
「俺のあんじゅはどこ行った…」
「くっ……お互い運が悪いようで……」
そのあと、香織のチェキ券を購入し、荷物をロッジに置いて集合場所へ向かった。
集合場所では、すでにLUMINAのメンバーが整列していた。
すると、香織がこちらに気づいて駆け寄ってきた。
「奏くん、今日は楽しもうね!」
私服姿があまりに可愛すぎて、何を言われたか頭に入らなかった。
「え? なんて……?」
「……奏くん、最低。もう知らない」
「え、うそ、ごめん香織……!」
「冗談に決まってるじゃん。だから今日は、楽しもうね?」
「もちろん!」
──そこへスタッフがマイクで叫んだ。
「先ほど引いて書いてあったメンバーの前に並んでくださーい。」
ドキドキしながら列に向かうと──
「こんにちは、ほのかちゃん。こないだ外部イベント以来だね」
「か、奏さん……こんにちは。香織ちゃんと同じ班じゃなくて、残念でしたね」
「いやいや、そんなことないよ。むしろ、ほのかちゃんとちゃんと話せる機会だと思って、嬉しいくらい」
(……そんなこと、さらっと言えるんだ。やっぱり、この人って……すごい)
そしてカレー作りが始まった。ほのかチームは野菜や肉を切る担当だった。
「奏さんこっちお願いします」
「ほのかちゃんありがとう。1人暮らししてるけど、まったく料理しないから、上手くやれるかな…」
(奏さん、1人暮らしなんだ…)
トントントン
「ほのかちゃん野菜切るの上手だね」
「いやそんなこと…え、、奏さん…」
(危なっかしい)
「私こっちやるので、この野菜とかあっちで洗ってください。」
「分かった!ほのかちゃん。」
「奏くん」
顔が米が入ったザルとボールを持って横にきた。
「香織かー。」
「奏くんのチーム、野菜切るのが担当じゃなかった?」
「いや、ほのかちゃんが俺の包丁使いが危なかしいって。だから野菜洗うのが仕事」
「ふふ。奏くんにもそういうところあるんだ。なんでも熟せそうなのに…なんか意外かも」
「悪かったな不器用で」
と笑いが起こった
(あっ香織ちゃん。つむちゃんも言ってたけど、奏さんと話す時そんな表情になるんだ。)
香織ちゃんと奏さんのやり取りに意識が向いて、手元がおろそかになっていた。
「……あっ、痛っ!」
「大丈夫!? ほのかちゃん!」
さっきまで少し離れていたはずの奏が、すぐに駆けつけてくれた。
「うわっ、けっこう切れてるじゃん。救護室、行こう!」
「い、いえ、大したことは……」
「ダメ。行くよ」
そう言って、奏は強引だけど優しい力で私を連れて行った。
「すみませーん……すみませーん……。……ちっ、誰もいないのかよ。ごめんなさい、勝手に使わせてもらいます」
救護室には誰もいなかった。
「俺が処置するよ。手、貸して」
奏の手が、そっと私の手に触れる。心臓がドキドキとうるさくなった。
「奏さん」
「ん?」
「あの時も、こうやって助けてくれましたよね」
「……あの時?」
私は、公園で泣いていたあの日のことを話し始めた。
「……え、それって――ほのかちゃんだったの?」
「そうなんです。あの時の一言が、本当に救いでした。だから、今の私があるんです。LUMINAでアイドルができてるのは、奏さんのおかげで……」
「そっか……。でも、それはほのかちゃん自身が頑張ったからだよ。俺なんかが少しでも力になれてたなら、嬉しい」
「“俺なんか”って言わないでください。奏さんは……」
私は、思い切って言った。
「香織ちゃんじゃなくて、私じゃダメですか?」
奏の手が、ぴくりと止まった。
「それって……推し変してほしいってこと?」
「そ、そうじゃなくて。アイドルとファンとか、そういうのじゃなくて……1人の女の子として」
「ははっ、何言ってるんだよ。俺、ただのオタクだし。ほのかちゃんは、アイドルでしょ? 冗談は……」
「冗談じゃないです!」
少し大きな声になってしまった。
「奏さんって、オタクとしてもすごいけど……。1人の人として、素敵だなって思ってます」
「……ありがとう。そう言ってくれて、嬉しい。でも……ごめん。今は香織を支えるって決めたから。それに……ほのかちゃんのファンに申し訳ないし」
奏は少し笑って、包帯を巻き終えた。
「よし、できた。ほのかちゃん、戻ろうか」
私は何も言えずに、うなずくだけだった。
そして二人は、キャンプ場へ戻り、何もなかったようにカレー作りを再開した――。




