第6話「過去と希望」
私は、地下アイドルLUMINAのセンター、白咲香織。
昔よく一緒に遊んでいた男の子に、男の子だと勘違いされたのが悔しくて──
それがきっかけで、小中学生の頃はモデルをしていた。
でも、成長するにつれて需要は減り、仕事も激減。
ちょうどその頃、両親が離婚して、私と妹・弟の3人は母に引き取られた。
そんなある日、当時所属していたモデル事務所の社長が言った。
「知り合いが地下アイドルの事務所を始めるんだけど、やってみないか? 興味があったら連絡してほしい」
迷いはあったけれど、新しいことを始めたい気持ちが勝った。
アイドルなんて自分にできるのか、わからなかったけど……勇気を出して電話をかけた。
初めて事務所に足を運んだ日、社長の隣には一人の女の子がいた。
「この子は黒瀬あんじゅ。香織ちゃんと同い年で、グループのリーダーをやってもらおうと思ってる」
「香織ちゃん、よろしくね。黒瀬あんじゅです!」
──これが、あんじゅとの出会いだった。
そのあと、秋庭るい、風花ほのか、南雲つむぎが加入。
最初は、観客が数人しかいないような、底辺地下アイドルだった。
それでも、がむしゃらにレッスンして、必死で歌って、笑って、時には泣いた。
気づけば、仲間と過ごす日々が宝物のようになっていた。
そんなある日、ライブ後の特典会で、彼に出会った。
「こんにちは。今日はありがとう……初めましてですね、僕は奏です」
(あのとき、ずっと私を見てくれてた子……奏くん、なんだか懐かしい雰囲気を持ってる)
「こんにちは! 来てくれてありがとう、奏くん!」
「香織さんの歌、すごく良かったです。今日、友達に誘われて来たんですが……一目惚れしました」
(えっ……そんなこと、初めて言われた……)
「嬉しいなあ。そんなふうに言ってもらえると、すごく励みになるよ!」
「これからも応援します。無理しないでくださいね」
(やさしい……また来てくれたら嬉しいな)
「ありがとう、奏くん。あなたの応援が何よりの力になるよ。次のライブも、待ってるね」
──そして次のライブにも、彼は来てくれた。
「こんにちは、香織さん! また来ちゃいました。あの日のパフォーマンスが忘れられなくて……。それに、“待ってるね”って言ってくれたのが、すごく嬉しくて」
(パフォーマンスを褒めてくれて嬉しい。私は努力を見てもらえたんだ……)
彼は、ライブのたびに来てくれた。
気づけば2年が経ち、LUMINAのファンも少しずつ増えていった。
でも、それも束の間だった。
ある日のレッスン中、マネージャーの加賀さんが血相を変えてスタジオに飛び込んできた。
「香織ちゃん……お母さんが倒れたって!」
職場で過労による貧血で倒れ、救急車で運ばれたと聞いて、私はレッスンを抜けて病院へ向かった。
病室の前には、母の職場の同僚と、泣きじゃくる妹と弟の姿があった。
「君が香織ちゃんか。お母さん、自慢してたよ。しっかりした娘だって」
「ご迷惑をおかけして、すみません……」
「先生の話では、3〜4日ほど入院になるみたいだよ。じゃあ、俺は職場に戻るね」
男性が去り、私は千鶴と良助と3人で面会時間ギリギリまで病室にいた。
面会時間が終わり、
「さて、千鶴、良助。帰るよ」
「えっ、お母さんは?」と良助が不安そうに尋ねる。
「お母さんはね、少し病気で。しばらく帰れないの」
「じゃあ、俺も帰らない!」と泣き出してしまう良助を、必死になだめながら、家に連れて帰った。
──数日間母の代わりに、妹と弟の世話をしなければならなくなった。
母の入院中、私はレッスンと家事と面会を両立する日々に追われた。
そのうち、自分でも気づかないうちに心が削れていった。
(お母さん……お仕事しながら、一人でこなしてたの…もう、お母さんに無理はさせられない。)
何度も、悩んで、苦しんで。そして、私は決めた。
──アイドル、辞めよう。
そう思った翌日。私は、リハーサルスタジオの鏡の前で、ポニーテールを結び直しながら、ふとため息をついた。
「……やめよう。アイドル、やめよう」
その言葉は、誰にも聞かれなかったけれど、自分の中に確かに落ちた。
休憩中、あんじゅが声をかけてくれた。
「香織、顔色悪くない? ちゃんと寝てる?」
「うん、大丈夫。ちょっと考えごとしちゃってて……」
──私がいなくなったら、センターはどうなる? グループは?
そんなこと、誰にも言えるわけがなかった。
夜。妹と弟を寝かしつけたあと、私は近所の公園のブランコに一人座った。
LUMINAの曲を口ずさみながら、ただ、風に身を任せていた。
「……香織?」
振り向くと、そこには奏くんが立っていた。
浴衣姿の彼は、少し驚いたように、でもどこか安心したように微笑んでいた。
気づけば、誰にも言えなかった気持ちを、奏くんにだけ話していた。
(なんで奏くんに……でも、不思議と苦しくなかった)
まるで、ずっと背負っていた荷物を、そっと降ろせたみたいだった。心がふっと軽くなった。
そして、少し黙っていた奏くんが、静かに口を開いた。
「……香織が決めたことなら、もちろん尊重するよ。でも、正直言うと……まだ、ステージに立ってる香織を見ていたいんだ」
その言葉に、胸が少しだけ熱くなる。
「香織みたいなアイドル、他にいない。いや、俺にとっては……香織がいない人生なんて、考えられないんだ」
まっすぐに、迷いのない瞳でそう言われて、私は何も言えなくなってしまった。
(そんなに……そんなに私のことを思ってくれてたんだ)
嬉しかった。信じられないくらい、心が揺れた。
でも、それでも私は――
(……ごめん。決めたことなの)
その数日後、私の生誕祭が発表された。
――「LUMINA・香織の生誕祭、8月17日に開催決定!!」
(これが最後の生誕祭になるかもしれない)
そう思って、衣装にもこだわり、アンコールで歌う曲は、自分で作詞作曲した。
LUMINAのメンバー、そしてファンに向けた、感謝と祈りの歌。
リハーサル中、あんじゅたちの様子がどこかよそよそしくて──
「なに話してたの?」
「ん? 香織、今日なんか用事あるって言ってたよね〜」と、るいが笑って誤魔化した。
(……なんだろう?)
そして、生誕祭当日。
「香織〜! フラスタ、めっちゃ届いてるよ!」
「えっ……すごい……!」
見れば、私宛のフラワースタンドがずらりと並んでいた。
中には奏くんの名前が書かれたものもあった。
(……ありがとう、奏くん)
ついに、生誕祭は本番を迎えた。
ライブは、今までで一番いいパフォーマンスができた。
緊張もあったはずなのに、体が自然に動いていた。
振り返れば、不安や迷い、涙もあった日々──でも今、私はちゃんと笑えている。
「アイドルって、こんなに楽しかったんだ……」
気づけば、そんな想いが胸をいっぱいにしていた。
──辞めたくない。
そんな強い気持ちが、心の奥からこみあげてくる。
その瞬間、アンコールの時間がやってきた。
マイクを握り直し、深呼吸をひとつ。
「それでは、これが最後の曲です。聴いてください──」
そう言いかけたとき、あんじゅがマイクを持ってステージに出てきた。
「ちょっと待った! 香織に、私たち、そしてファンのみんなからプレゼントがあるの!」
「モニターを見て!」
ステージ背後のスクリーンに、映像が流れはじめた。
──メンバーからのサプライズメッセージ。
練習中の様子、思い出の写真、ひとつひとつの言葉にこめられた想い。
そして続く、ファンたちからの動画メッセージ。
笑顔で語る人、涙ぐみながら言葉を届けてくれる人──どの声も温かくて、まっすぐだった。
(こんなに……私は、愛されていたんだ……)
ぽろぽろと涙がこぼれて、止まらなかった。
この場所が、自分にとってどれだけ大切だったのか、今さらのように気づいてしまった。
アイドルを辞めようとしていた自分が、情けなかった。
誰かを笑顔にしたくて始めたはずなのに、私は勝手にひとりで限界を決めていた。
──映像の最後。
画面に映ったのは、奏くんだった。
「香織……君の歌や姿に、俺は本当に救われました。ありがとう。
今日だけじゃない。これからも、ずっと応援させてください」
その瞬間、客席が白いスローガンと大閃光の光で埋め尽くされた。
誰かが用意してくれたその景色に、言葉をなくす。
ケーキが運ばれ、メンバーやファンと一緒に、ろうそくの火を吹き消す。
「……ありがとう。本当に、ありがとう」
震える声で、でも確かな想いで、私は心から感謝を伝えた。
マイクを再び握り直す。
ステージの中心へと、ゆっくり歩いていく。
ラストのアンコール曲が始まる。
タイトルは──「ここにいた証」
それは、ステージに立ち続けた私の足跡であり、
そして、支えてくれたすべての人たちへの贈り物だった。
---
ここにいた証を 音に変えて届けたい
笑ってた日も 泣いてた日も
全部が宝物だから
今 歌うよ 君の心の中に
ちゃんと残るように──♪
---
スポットライトが優しく香織を照らす。
彼女の歌声が、客席を、会場を、空気ごと包み込んでいく。
その瞬間、香織は確かに「ここにいた」。
大きな歓声と、深い余韻とともに──
生誕祭は、幕を閉じた。
そして特典会。
白いタキシード姿で、私の前に立ったファンの人。
少し緊張したような笑みを浮かべて、でもどこか懐かしい空気をまとっていた。
「よ、香織」
その声に、胸の奥がぎゅっとなった。
誰かと思えば――奏くんだった。
一瞬、言葉が出なかった。でも、気づいたら口が動いていた。
「……かなくん……?」
彼の名前を呼んだ瞬間、あの夏の日々が、一気に胸によみがえってきた。
無精ひげに眼鏡姿が当たり前だった奏くん。
でも今日は、ひげもそり、眼鏡も外し、コンタクトで来てくれていた。
あの頃の、やわらかく笑う“かなくん”の面影が、そこにあった。
(まさか……ずっと気づけなかった)
こんなことが、本当にあるだろうか。
昔好きだった男の子が、今――
ファンとして、支えてくれていたなんて。
胸が熱くなった。嬉しさ、驚き、恥ずかしさ、いろんな感情が一気に押し寄せてきて、
その時の私は、ただもう――ごまかすので精一杯だった。
特典会が終わり、メンバーたちと一緒に事務所へ戻る道すがら。
香織は、夜風に当たりながらぽつりとつぶやいた。
「……みんな、本当にありがとう。あんな素敵な動画、すごく嬉しかった」
すると、横を歩いていたるながふっと笑って、いたずらっぽく言った。
「実はね、それ、私たちじゃなくて奏っちの企画なんだって! ねー、あんじゅ」
「えっ……?」と香織が思わず聞き返すと、今度はあんじゅがやさしく笑って補足した。
「うん。奏くんの友達のヒロくんがね、私のオタクなの。で、そのヒロくんを通して動画の企画
を相談してきてくれて……。それだけじゃないよ。メッセージカードも、フラスタも、ケーキも、スローガンも、大閃光も。ぜんぶ奏くんが準備したんだって」
香織は思わず足を止めた。
胸の奥が熱くなり、じんわりとこみ上げてくるものを、言葉にできなかった。
(奏くん……私のために、そんなにも……)
知らないところで、こんなに想ってくれていたなんて。
「……愛が、大きすぎるよ……」
その言葉は思わずこぼれて、香織の唇から夜空にふわりと溶けていった。
生誕祭の余韻がまだ心に残る中、LUMINAの活動はしばらくオフ。
妹の千鶴と弟の良助は、それぞれ友達の家に遊びに行っていて、久しぶりに家にいるのは母と私だけだった。
少し早めの夕食の後、湯飲みにお茶を注ぎながら、私はそっと切り出した。
「……お母さんに、話したいことがあるの」
「え? なにかあったの?」
母は少し驚いたように手を止め、私の顔をまっすぐに見つめる。
「実はね、お母さんが入院したとき……千鶴と良助の世話、すごく大変だった。
そのとき、自分がどれだけお母さんに甘えてたか、ようやく気づいたの」
言葉を探しながら、私は続ける。
「それで……アイドルを辞めて、これからはお母さんを支えようって、一度は思ったんだ。でも――この間の生誕祭で、ファンのみんなから、メンバーから、たくさんのエールをもらって……。もう一度、アイドルを続けたいって思えたの。ごめんね、お母さん」
しばらく沈黙が流れたあと、母はふっと微笑んだ。
「……最近、香織、元気なかったでしょ? 母さん、自分のせいで香織がアイドルを辞めちゃうんじゃないかって……ずっと心配だったのよ」
そう言って、母は私の手を優しく包む。
「ごめんね、入院して……香織に、たくさん気を遣わせちゃった。
でもね、母さんは――香織がアイドルとして輝いてるのが、ほんとうに自慢なの。
職場でも、どれだけ自慢してると思ってるの?」
「え……あ、あの人……」
(そういえば、お母さんが入院してたときに一緒にいてくれた同僚の男性が、“自慢の娘だって聞いてたよ”って言ってたな……)
「もう、恥ずかしいよ……」
そう言いながらも、心の奥がじんわり温かくなる。
母は笑って、でも真剣なまなざしで言った。
「母さんも、これからはもっと健康に気をつける。千鶴と良助のことは任せて。香織は――あなたは、あの場所で輝き続けなさい」
その言葉に、私は小さくうなずいた。
「……ありがとう、お母さん」
その夜、私は布団にくるまりながら、ずっと天井を見つめていた。
生誕祭のステージと、母の言葉が、頭の中で何度もリフレインしていた。
アイドルとして、まだまだやりたいことがある。
もう、迷わない――
その後LUMINAのLINEグループから通知があった。
──
るな:「明日新宿の神社でお祭りやってるらしいよ、みんなでいかない?」
あんじゅ:「賛成」
ほのか:「人がいっぱいいるところ怖い」
つむぎ:「了解」
香織:「了解」
るな:明日花園神社の前に18時ね。
──
集合し、出店などを見に行っていたら、私は人混みでメンバーたちとはぐれてしまった。
境内のベンチで、ひとり座っていると──
「……香織?」
名前を呼ばれ、はっと顔を上げる。
そこに立っていたのは──奏くんだった。
「えっ、奏くん……? こんな偶然、あるんだね」
「うん、会社の同僚に誘われて来てたんだ。まさか、香織がいるとは」
私は一度視線を落とし、そっと言った。
「……奏くん、私の生誕祭のために、色々してくれてありがとう。
メッセージカードも、フラスタも、ケーキも……」
少し間を置いて、ほんの少し声を震わせながら続けた。
「……特に、アンコール前のビデオ。あれは、反則だよ」
彼は少し目を丸くしたあと、はにかんだように笑った。
「香織が、もう一度前を向けたなら、それでよかった」
私は笑った。でもその笑顔の奥に、正直な想いがあふれそうで、ぎゅっと息を飲んだ。
「……あんなの見せられたら、辞められるわけないじゃん」
静かに、けれどしっかりと、彼に伝えた。
「もう一度、ちゃんとアイドルやりたいって、初めて自分の意志で思えたの。
奏くんが、背中を押してくれたからだよ」
言葉を重ねるたびに、自分の中にあった曖昧な感情が、はっきりと輪郭を持ちはじめる。
(……気づいてしまった)
私は、奏くんに惹かれていた。
ファンとして、じゃない。
私を見てくれて、支えてくれて、励ましてくれた「ひとりの人」として──
そう。私は彼を、人として、好きになっていた。
少し先を歩きながら、屋台の灯りに照らされる彼の背中が、あたたかくて、まぶしく見えた。
私はこの気持ちを胸に、またステージに立ちたい。
あの日歌った「ここにいた証」は、ただの過去形じゃない。
今も、そしてこれからも、私はここにいると、歌い続けたい。
──あなたの心に、ちゃんと残せるように。




