第5話「夏夜に咲いた記憶」
香織の生誕祭が終わり、LUMINAの現場もしばらくお休み。
仕事も夏季休暇に入ったので、俺は久しぶりに実家のある八王子へ帰省することにした。
同じ都内といっても、帰るのは半年ぶりだ。
「母さん、ただいまー」
「おかえり奏。ごはん作って待ってたわよ」
「ありがと。ちょうど腹減ってたし、助かる。荷物置いて着替えたら食べるわ」
「はーい、ゆっくりしていってね」
いつもの会話。少し懐かしい、実家の空気。
自室がある2階に上がり、押し入れをがさごそと探る。
「そういえば、この辺に……あった、あった」
引っ張り出したのは、幼少期のアルバムだった。
ページをめくると、記憶の中で引っかかっていたあの一枚が目に飛び込んできた。
「あー……この子だ。俺のこと“かなくん”って呼んでた……あの“男の子”」
手にした写真を持って、リビングに降りる。
「ねえ母さん、この男の子って誰だったっけ?」
「うん? ああ、この子ね……男の子じゃないのよ。女の子。髪短くて活発だったから、あんたが勘違いしてたのも無理ないけどね」
「えっ……じゃあ、名前は?」
「うーん……相当昔のことだし、ちょっと待ってね……」
「しっかりしてくれよ、母さん」
「言うじゃないの。でも、なんで急にこの子のこと思い出したの?」
なんて答えようかと考えていると、母がふと思い出したように口を開く。
「……あっ、思い出した。香織ちゃんよ。その子。白咲香織ちゃん」
(──やっぱり……香織だったのか)
「その子がどうかしたの?」
「いや、なんでもない。ただの偶然。……せっかく作ってくれたごはん、冷めちゃう前に食べよ。いただきます」
食後、久しぶりにのんびりと実家の空気に身を任せていたら、スマホにLINEの通知が入った。
──
ヒロ:「奏、今なにしてる?」
俺:「実家だけど」
ヒロ:「じゃあ新宿で飲まね? 八王子だろ? 中央線一本じゃん」
(……めんどくせぇ。でも、生誕祭で世話になったしな)
俺:「わかった。今から出る。アルタ前18時な」
ヒロ:「了解!」
──
──ということで、中央線に揺られて、新宿まで向かうことに。
アルタ前で待っていると、
「奏ー!」
「ヒロ。誘ったくせに来るの遅いな」
「すまんすまん。じゃ、いつものとこ行こうぜ」
居酒屋までの道中、ヒロの“最近調子いい”っていう自慢話を聞き流しながら、俺の頭の中は、あのアルバムに写っていた“香織”のことでいっぱいだった。
「かんぱーい!」
ジョッキを高く掲げてぶつけ合い、乾いた音が店内に響く。
LUMINAのこと、生誕祭のことを肴に、笑い合う。
「お前、完全に泣いてたよな」
「……うるせぇ」
そんな軽口を交わすうちに、酔いが回って心も少しずつ軽くなっていった。
ふと店の外に出ると、どこからか笛や太鼓の音が風に乗って届いてきた。
「……ん? なんか祭りやってね?」
「みたいだな。神社の方かも」
「ちょっとだけ見てこうぜ」
夜空にぼんやりと浮かぶ提灯の灯りに導かれるように、二人は笑いながら屋台の立ち並ぶ神社へと歩き出した。
ところが参道の途中で人の波に飲まれ、気がつくとヒロとはぐれてしまった。
「やべ。ヒロと逸れちゃった。電話するか。」
スマホを見ると圏外と表示してあった。
困りながら歩いていると、境内の隅、人気のないベンチに淡い藤色の浴衣を着た少女がひとりぽつんと座っているのを見つけた。
花火の光に照らされた浴衣はほんのり輝き、結い上げた髪の簪が小さく揺れている。
「……香織?」
声をかけると、彼女は驚いたように振り返った。
「奏くん! わたしも、LUMINAのみんなと一緒に来てたんだけど、迷子になっちゃって」
「アイドルが迷子って……おいおい、大丈夫かよ」
「奏くんこそ、誰かと来て迷子になったんでしょ?彼女?」
「こんなオタクに彼女がいるわけねぇだろ。ヒロだよ」
「…よかった…」
「え?何か言ったか?」
「な、なんでもない。あんじゅ推しのヒロくんね。そっかそっか」
焦った様子の香織ははにかみながら隣のベンチを軽く叩く。
俺はLUMINAのオタクが近くにいないか気にしながら腰を下ろしたが、俺ら以外誰もいなかった。
やがて、夜空に花火がひとつ、静かに打ち上がった。
「きれいだね」
「うん」
「あの頃も、一緒に花火見たっけ。まさか、あの時の男の子が香織だったとはな」
「そういえば、そうだったね。男の子に思われて悔しくて、綺麗になりたくて、キッズモデル始めたの。でも成長していくうちに、仕事がどんどん減っていってね。フラフラしているところに、LUMINAの事務所の社長と出会ったの」
「……そうだったのか。あの頃から、頑張ってたんだな」
「いや、そんなことないよ。学校いきながら、レッスンに、イベントで忙しくて。お母さんに妹、弟を押し付けてた」
俺は思わず、香織の横顔を見つめた。
浴衣越しに見える肩は、小さくて細い。でも、その中にどれだけの覚悟と努力が詰まっていたんだろう。
あの小さな体で、きっと何度も悔しい思いをして、それでも前に進んできたんだ――。
「すげぇよ、お前」
香織は少し照れくさそうに笑った。
「つうかさ、こないだの生誕祭の時、なんで俺のこと気づいたんだよ」
「今までずっと、汚らしいひげだったじゃない? でも、あの日はひげ剃って来てくれてたでしょ。そしたらもう、“かなくん”のまんまだったよ」
「変わんねぇな、俺」
「ううん、ちゃんと変わってる。でも、変わってないところもある。そこが、すごく安心したの」
浴衣の袖から見える香織の指先が、少しだけ俺の手に近づいていた気がした。
「奏くん、私の生誕祭のために色々準備してくれて……特に、アンコール曲に入る前のビデオ、あれずるいよ」
「あんなの見せられたら、辞められるわけないじゃん」
彼女の声は小さかったけれど、そのまっすぐな言葉が胸に響いた。
「実は、あの後、お母さんに相談したの。アイドル、辞めるのはもうやめにした。もう一度、ちゃんとやりたいって、初めて思えたんだ」
「そう。母さんが倒れた直後から、あなたの様子おかしかったから、母さんのせいでアイドル辞めるんじゃないかって心配したわよ。私ね香織がアイドルしてる姿が誇りなのよ。職場の人にも自慢しまくってたのよ。妹と弟のことは母さんに任せて、アイドル続けなさい」
って母さんが言ってくれたんだ。
「いいお母さんだね。」
目の前の香織は、誰よりも素直で真剣だった。
「背中を押してくれたのは、奏くんだよ」
その言葉を聞き、胸が熱くなる。――俺の想いは、ちゃんと届いていたんだ。
静かに夜空を見上げると、ひときわ大きな花火が咲いた。
淡い光が彼女の横顔をふんわり照らしている。
「香織……」
その時、香織のスマホが震えた。
プルプルプル……
「やばい、るなからだ! 奏くん、ごめんね、またね」
彼女は慌ててスマホを手に取り、屋台の灯りの向こうへと駆け出していった。
手を伸ばしたときには、もう藤色の浴衣の背中は人混みに溶けて見えなくなっていた。




