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第1話「香織の告白」

「……かなくん――」


ピリリリッ、ピリリリッ……


目覚ましの音が、夢の続きを容赦なく断ち切る。


誰かが俺の名前を呼んでいた気がする。


まるで昔聞いたことのある声のように、胸の奥を揺らした。


目を開けると、天井。見慣れた部屋。現実。


手探りでスマホを手に取ると、ロック画面には、俺の推し、白咲香織の写真が映っていた。


「香織……最高に可愛いな」


スマホを握りしめる手に、無意識に力が入る。


何度も見返したくなるその写真は、俺の心の支えであり、時に苦しくなるほどの愛おしさだった。


あの日――


ライブハウスのステージで初めて見た香織のパフォーマンスが、今でも頭から離れない。


歌声、ダンス、そして表情――どれを取っても抜け目がなかった。


これまで色んな地下アイドルの現場に足を運んできたけど、ここまで“完璧”だと思えたアイドルには出会ったことがなかった。


一瞬で視線を奪われて、気づけばその存在に夢中になっていた。


さらに、黒髪ボブに大きな瞳、整った顔立ち――見た目も完全に俺の好みだった。


だけど、本当に惹かれたのはそこじゃない。


見た目以上に惹かれたのは――そのまっすぐな眼差し、ブレない芯、誰にでも丁寧に向き合う誠実さ。


ステージでは目が離せないほど輝いて、


対話では思わず心を許してしまうほど優しくて。


気づけば、彼女の存在が、俺の毎日を照らす“光”になっていた。


でも―まさか、こんな夜が来るなんて。


「お先に失礼します!」


職場をあとにしながら、ポケットの中のスマホを取り出し、LUMINAのスケジュールを確認していた。


「LUMINAの現場、次は明日か……早く香織に会いたいな」


今日はライブも特典会もない“オフ日”。


推しに会えない日は、どうしても気持ちが空っぽになる。


家に帰っても一人だし、まっすぐ帰る気になれなくて、少し遠回りして晩飯を済ませた。


通り道の小さな公園に差しかかる。


昼間は子供たちでにぎわっている場所だが、夜になると街灯もまばらで、いつもは人影すら見かけない。


ふと、ブランコのあたりに――誰かが座っているのが見えた。


(……こんな時間に、人?)


足を止めて目を凝らす。


街灯の明かりに照らされたその姿は、長い髪に華奢な肩――どうやら、女性のようだ。


さらに近づくと、微かに聞こえてきた。


「……♪ 目を閉じれば浮かぶ景色 あの日のまま止まってる……」


どこか寂しげなメロディ。


それは、俺が何度も聴いた――LUMINAの楽曲「光」だった。


(……まさか、LUMINA?)


一瞬、心臓が跳ねる。


その声に、聴き覚えがあった。


少し低めで、でも芯のある歌声。ライブで、何度も耳にしてきた“あの声”。


足音をひそめて近づくと、月明かりの下に浮かび上がったのは――


やっぱり、白咲香織だった。


(あの“香織”が、こんな場所で?)


慌てて物陰に隠れたが、その時。


「奏くん?」


優しくも不安げな声が、夜の空気を震わせる。


驚いて振り返ると、香織がこちらを見ていた。


ステージ上の彼女とは違う、素のままの顔。まっすぐな瞳が、少しだけ揺れている。


「……よっ。こんな夜遅くに……どうしたんだ? 女の子ひとりで、危ないだろ」


そう言いながら、LUMINAのオタクがいないか公園のまわりをさりげなく見渡しながら、俺は彼女が座っていたブランコの隣にそっと腰を下ろした。


「少し、考えごと。……奏くんこそ、どうしたの?」


「仕事帰り。LUMINAの現場も今日はないし、晩飯食べてちょっと遠回りしてた。……家、近くだからさ」


「そっか。……お仕事、お疲れ様」


「ありがとう。現場がない日は、こんな感じで気が抜けてるよ」


「ふふ……想像できる。奏くん、現場のときと全然雰囲気違うから」


「……独り身で悪かったな。でも、香織に会えないとマジで元気出ないんだよ。……って、そんなことより、元気なさそうだけど?何かあった?」


香織の笑顔が、ふっと陰る。


そして小さくため息をつくと、迷うように言葉を探したあと、口を開いた。


「……えっと。どうしよう……」


香織が少し俯いて、膝の上で手を握る。


「……奏くんって、他のオタクとちょっと違うよね。いつもちゃんと見てくれてるっていうか……」


「そ、そうか……?」


一度だけこちらを見て、また視線を外す。


「――私、アイドル、辞めようと思ってて……」


時間が止まったようだった。


「えっ……なんで……?」


戸惑う俺に、香織は俯いたまま話し始めた。


「まだ誰にも言ってないんだけど……


うちはずっと母子家庭で、私が中学生の時にお父さんはいなくなっちゃって。


それからずっと、お母さんがひとりで私と妹と弟を育ててくれてたの。


いつも応援してくれて、現場にも何度か来てくれてたんだけど……


この間、お母さんが倒れて、入院しちゃって。


まだ妹も弟も小さいし、


私がちゃんと支えなきゃって思った。


だから、もう……アイドル辞めようって。


家のことに専念しようって、決めたの」


香織の声が震えていた。


「……香織、そんな状況だったんだな」


俺は思わず拳を握りしめる。


「香織が決めたことなら尊重するよ。


でも……正直言うと、まだステージに立ってる香織を見ていたいんだ。


香織みたいなアイドル、他にいない。


いや、俺にとっては香織がいない人生なんて考えられない」


香織は小さくうつむいたまま、涙声になった。


「……奏くん、ありがとう。そうやって言ってくれて嬉しい。でも……これは、もう決めたことなの。」


ほんのわずかだけ、声が揺れた気がした。


香織は視線を落としたまま、何か言いたげに唇を動かしかけて――それでも、言葉にはしなかった。


「……ごめんね。話、聞いてくれてありがとう」


少し間を置いてから、ようやく立ち上がる。


俺の方をちらりと見て、小さく笑った。


「またね」


その一言を残し、香織は夜の街へと歩き出す。


肌を刺す夜風が吹く。


俺はその場に取り残されたまま、何もできずに立ち尽くしていた。


香織の背中が見えなくなっても、しばらく動けなかった。

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