2
国家警察の本部にある一室、酸素カプセルに似た入れ物がたくさん並んでいた。オルフェはそのうちの一つに入っていて、目を開けた状態で仰向けに寝ている。
部屋の中はカプセル状の寝具を除くと、壁と一体化した収納扉や引き出ししか見当たらず、生活感がまったく感じられない場所となっていた。
オルフェは透明なガラス越しに、虚ろな目で天井を見つめている。何かに喜びや希望、怒りや悲しみなどといった一切の感情がないような、そんな濁った青い瞳を輝かせている。
本部に戻ってから左手の修理を済ませて、半日近くこの状態が続いていたが、突然呼び出しの着信音が鳴った。オルフェは起き上がってカプセルから出ると、壁に設置されたタッチスクリーンの画面をタップした。
「オルフェ、次の仕事だ。急いで長官室まで来てくれ」
「わかりました」
通話を切ると、収納扉から黒の戦闘服を取り出し、白のTシャツと黒のパンツの上に着ると、そのまま長官室まで向かった。
十分ほどで長官室の前までたどり着くと、生身の人間である警官のようにためらう様子は一切見せず、すぐさま部屋の中へと入っていった。
中に入ると、机に肘をつき手を組んでいる長官の姿が目に入る。年齢は四十代ぐらいで、黒のオールバックの髪型で痩せ型の体型。肌は白く青い瞳をしている。黒のスーツと黒とシルバーの混じったレジメンタルのネクタイを締めている姿は、いかにも地位の高い人間だと言ってるかのようだ。
「お待たせしました、ウェズルニック長官」
「ではまず、そこに腰をかけてくれ」
ウェズルニックの机の前には、彼が座っているものと同じ椅子が置かれている。オルフェは椅子に座ると、まっすぐウェズルニックのほうを見る。
「オルフェくん、きみがこの部屋に来るのは初めてだったね。どうだね、この部屋の感想は?」
室内には高級そうな家具が置かれている。どれもアストロメリアではめずらしい、天然の木で作られたものばかり。ソファーや紙の本などを保管している大きな本棚を見ると、国家警察のトップの部屋というより、大学教授の書斎のような外観だ。
「きれいなお部屋ですね。ところで、用件はなんでしょうか?」
「ああ、そうだった。では、これを見てくれ」
ウェズルニックがそう言うと、大きな液晶ディスプレイで表示されているかのように、壁に若い女性の姿が写し出された。長くきれいな黒髪に、唇は薄く格好のいい形をしていて、少し切れ長な目の持ち主。そして、オルフェと同じく、ブルーグレーの瞳を輝かせていた。きれいだがどこか鋭い印象を与える容貌だ。
「きれいな女性だろ?」
「ええ、とても。それでこの女性がどうしたというのでしょうか? 何か問題でも」
「実はな、火星のアンドロイド居住区から逃げ出したガイノイドなんだ。輸送船に紛れ込んでアストロメリアに向かったという情報が、火星の捜査当局から送られてきた。今回は生け捕りにする必要はない。このアンドロイドの射殺、いや破壊だな」
「生かす必要はないと?」
「きみも知っての通り、きみたちアンドロイドは外部からアクセスできないように、スタンドアローンで動いている。それは火星のアンドロイドについても同じだ。悪意のある第三者に遠隔操作されないようにね。恐らくなんらかの不具合が原因ではないかと考えている。しかし、犯罪の可能性が低いとはいえ、管理下の外に出たコントロールできないガイノイドだ。人に被害が及ぶ可能性もある。それに、ここ最近暗躍してると思しきなんらかの組織の存在も気になる」
「昨日捕まえたあの男の件ですね」
「あの男がその組織と関わりがあるのかどうか、まだわからない。取り調べをしようと思っていたが、口を割る前に自ら舌を噛み切り、永遠に口をつぐんでしまった。ひどく怯えていた様子だったから、もっと細心の注意を払うべきだったのだが、防ぐことができなかった。もうこれでは打つ手がない。何か新しい証拠が発見されれば真相解明に繋がるのだろうが、こうなってはもう神のみぞ知ることだろう。だがそもそも、あの男が関わっているであろう某組織が本当に存在するのか、まだわかってないのが現状だ。送り込んでみたものの、なんの情報も持ち帰らないまま殺されてしまった。そこでだ。これはまだ憶測にすぎないのだが、我々が危惧する組織が存在したとする。今回捕まえた男、逃げ出したガイノイドがそれぞれその組織と関わりがあるとしたら、これはかなり危ない状況ではないだろうか」
「はい、そう思います」
「危険人物を捕獲、抹殺するだけでも大変だというのに、あのガイノイドまでもが人に危害を及ぼす存在であるとするならば、破壊することも簡単ではないだろう。況して、生け捕りなんて、とてもじゃないができないよ。まあ、アンドロイドは基本、正当防衛などを除いて、人に危害を加えないようにプログラムされて作られている。だが、なんらかの形で悪意のある者に捕らえられ、プログラムなどを変えられている可能性を考えると、すぐにでも破壊に動いたほうがいい。それと、これもまた知ってると思うが、外部からアクセスできないのと同様、悪用されないためにアンドロイドの体内には爆弾を設置しないことになっている。遠隔で爆発する恐れがあるからね。でも今回、それが裏目となってしまった。もしかしたら、何者かに爆弾を設置されていて、いつ爆発してもおかしくない状況かもしれない。その可能性を考えてこそ、きみに頼んでいる。だからこその抹殺、いや破壊だ」
今までウェズルニックの言葉にすらすら返答していたオルフェだったが、オルフェが突然すぐ返答しなくなったので、ここで一旦会話が途切れてしまう。
「どうした? 人間の心を持たないきみでも、同胞を殺すことは胸が痛くなるのかな?」
「いえ、わかりました。では早速、次の任務に入らせてもらいます」
「わかった。ではしっかり頼むよ」
「了解しました。では、失礼します」
オルフェは立ち上がると、ウェズルニックに向かって敬礼する。そして、踵を返すと部屋をあとにした。
長官室を出たあと科学技術部の部屋に立ち寄り、今回のガイノイドを破壊する専用の銃など、任務に必要な装備を受け取ると、その足で本部の外に出た。
本部を抜けると、高層ビルが並んでいるのが目に入る。先ほどまでオルフェがいた国家警察の本部は、アストロメリアの中心部分であるアストリアスにある。アストリアスは宙に浮いた天空都市のような存在で、エレベーターを使って下と行き来できるようになっている。
アストリアス内部を歩いていると、警官の多くが見回りをしている。また監視カメラの数も多くて、不審者がいればすぐさま取り押さえられてしまうだろう。その安心もあってなのか、ここにいる人々は大人から子供まで、安心そうに街を歩いている。オルフェはエレベーターにたどり着くと、下に降りた。
下に降りると駐在所で軍用車を借りて、まずは工場地帯のほうへと向かった。
車を走らせている間、オルフェは過去の記憶を頭に浮かべていた。いや、正確には記録というほうが正しく、主に任務内容の再確認のためにおこなっている。今回の任務にあたって、どういう行動に移せば良いのか、過去の記録から分析して、最適解を導き出そうとしていた。
過去の記録の中には、この前犯人を捕らえたあと、悪態をついてきた二人の警官のように、悪口を言われたり、その他嫌がらせを受けるなどの記録が多数見られる。普通の人間であれば感情的になるだろうが、オルフェはいたって冷静なまま、安全な運転を続ける。
オルフェは過去の記録をいろいろ見ていくなか、最後、あのガイノイドの画像が頭に浮かぶ。今回の任務の破壊対象である存在だが、今回の任務を言い渡される前に、彼女の姿を一目見た瞬間、なぜか特別強い印象を受けた。この理由を分析してみたのだが、結局今の段階ではわからずじまいだ。
車を走らせてから二十分ほど経つと、アストリアスで見かけたような高層ビルの姿はすっかりなくなり、薄っすら汚れた建物が並ぶ工場地帯が見えてきた。工場地帯のほうに目を向けると、工場地帯から出る煙によって、暗い煙霧に包まれている光景が目に入る。この光景を濁ったその瞳に焼きつけながら、工場地帯へと入っていった。