喋る杖、少女に拾われる
気がつくと、俺は──杖になっていた。
「はあああああああああ!?」
叫んだつもりだった。声帯がないことに気づいたのは、3秒後だ。
目も、鼻も、口もない。というか、身体が……ない。
ただ、外界の情報は妙にクリアに伝わってくる。天井。石の壁。土埃のにおい。冷えきった空気。まるで五感が、空間ごとに溶けてるみたいな感覚。
しかも、俺の意識はどうやら一点に固定されている。
この、床に転がってる……木の棒。
「…………俺、マジで……杖?」
わかんねぇ。全然わかんねぇ。
つい数分前まで、俺は間違いなく普通の高校生だった。電車の中で化学の問題集を開いて、次の模試に向けてガリガリやってた。
そして歩いていたら、急ブレーキ。
横から飛び込んできた幼児をかばって──
その先が、ない。
「っは、はは……いやいや、ないわ。異世界転生ってやつか? でもこれ、ヒロインと出会う展開じゃなくて、家具になってんだけど!?」
どう考えても転生失敗だ。頼むからリスポーン地点、間違えんなよ神様。
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どれくらい時間が経ったのかわからない。俺の杖としての知覚には、時計の概念がないらしい。
退屈と孤独と自己嫌悪のループを数えきれないほど繰り返して──ついに。
足音が、聞こえた。
「……誰か……来た?」
ざり、ざり、と砂を踏むような音。複数の足音じゃない。ひとり。すごく軽い足取り。
そして──その誰かは、俺の真上でぴたりと止まった。
「…………」
視界がないので顔は見えない。だけど、何かが、俺を覗き込んでる気配だけはした。
頼む、頼む、頼む……蹴るな! スルーすんな! 持ち上げてくれ!!
──そして。
「……杖?」
少女の声が、耳元で響いた。
透き通った、でもどこか感情のない、機械のような声。
だが、その指先は、驚くほどやさしく俺を持ち上げてくれた。
「うぉおおお!? マジで!? やったー! 拾われたーー!!」
言葉は出ない。だけど、叫びたいくらいの喜びだった。
「……あったかい……?」
拾い上げた少女が、小さくそう呟いた。
その手は冷たかった。だけど──俺のほうが、ずっとあたたかいってことか?
……もしかして、長い間、誰にも触れてもらえなかったのは、俺だけじゃなかったのかもしれない。
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少女の名は、リィナ・フェイルノート。
あとで聞いた話によると、この世界では魔導士という職業があるらしい。そしてこの杖も、魔導士にとっての必須アイテムとのこと。
だがリィナは、どうやら杖を持っていなかった。理由は簡単。
「わたし、魔法が……暴走するから」
彼女はそう言った。
俺が拾われたのは、遺跡のような廃墟の中だった。どうやらここは、魔力の渦が吹き溜まる、危険地帯らしい。
普通の人間なら立ち入らない場所。だが彼女は、自分の制御不能な魔力を、この場所なら試せるかもと思ってやってきたという。
ぶっちゃけ、無茶だ。
でも、俺は思ってしまった。あの日、俺が飛び出したあの子供みたいだなって。
「…………あの、話しかけても……いい?」
彼女は、俺にそう言った。
もちろんだとも。ついでにこの奇跡に全力で感謝するぜ。
だから──
「いいよ。つーか、話すなら俺の名前もちゃんと聞いてくれよ?」
「えっ……!?」
やっと、声が出た。
厳密には振動らしい。俺という杖に込められた魔力が、彼女の魔力を媒介に音声を生み出している──みたいな仕組み。
「名前は……風間 蓮。まあ、こっちの世界じゃレンって呼ばれるっぽいけどな」
リィナは目を丸くして、俺を見つめた。
そして、信じられないくらい小さく──口の端を緩めた。
「……しゃべった」
「そりゃあな。これでも、高性能AI搭載魔法の杖って肩書きがつきそうなレベルだぜ?」
「……変な杖」
「うっせ」
「……でも、いい。ありがとう、レン」
それは、たぶん彼女にとっての最大級の感謝の表現だったのだろう。
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そして──その出会いから、たった数分後。
いきなりの試練が、訪れた。
「──っ!?」
床が揺れた。天井の一部が崩れ、遺跡の奥から魔物が現れたのだ。
「魔力、制御しなきゃ……でも、できない……!」
リィナの体から、強すぎる魔力が暴走する。あたりの空間がきしみ、石が浮き、電撃のようなエネルギーが空間にひび割れを走らせる。
このままじゃ、自爆する。
やばい。どうにか、どうにかしないと──!
「リィナ!! 俺を、しっかり握れ!! 魔力、俺が抑える!」
「えっ……でも……!」
「いいから! 俺を信じろ!」
彼女は、ぎゅっと俺を握った。
その瞬間──雷鳴のような魔力が、静かに凪いだ。
「っ……すごい……魔法陣、勝手に……!」
「当たり前だ。オートで術式補完までついてんだぞ。俺のサポート、なめんなよ?」
そのままリィナが詠唱を始める。初めての成功だった。
炎の魔弾が、魔物の頭を貫いた。
沈黙。
「…………倒した?」
「ああ。ナイスショットだ、リィナ」
「…………ふふっ」
リィナが、初めて笑った。
ほんの、ほんのわずかに──でも、それはたしかに喜びだった。
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帰り道。彼女は無言だった。
でも、俺の中には何か温かいものが残っていた。
静かな夜風の中で、リィナがぽつりと言った。
「わたしに、話しかけてくれたの……レンが、初めて」
「……そっか」
「……お願い。これからも、いっしょにいて」
その言葉が、契約の合図だった。
俺はただの杖じゃない。
──こいつの、相棒だ。