なぜ孤独?
昔からの友達との思い出も、今はすべて遠く感じる。笑顔も、楽しい時間も、すべて遠い過去の出来事。何もかもがつまらなく感じられる。苦しみの中で、私は絶望の底へと沈んでいく。これほどまでに、人生がつまらないと感じたことはなかった。どうしてこんなにも孤独なのか。どうしてこんなにも空虚なのか。もう何も感じたくはない。ただ、この苦しみから解放されたい。だけど、どこにも逃げ場はない。絶望の中で、私はただただ消えてしまいたいと思う。どれだけ誰かに支えられているとしても、どれだけ周りに人がいるとしても、私は孤独なのだということを痛感させられる。人生は、本当につまらないものだと思う。どれだけ頑張っても、どれだけ努力しても、幸せを掴むことはできない。そのことをつくづく思い知らされる日々。不幸せを味わうことで、人間は成長するのだろうか。果たして、この痛みを超えて、私は何かを得ることができるのだろうか。もう、どうでもいい。どうせ、すべてがつまらないのだから。
「どうせ、すべてがつまらないのだから。」そうつぶやきながら、私は自分の部屋で一人で泣いていた。ふと、昔の友達との思い出が頭をよぎる。あの頃は本当に楽しかった。笑い声が絶えない日々。でも今は、その楽しい時間もすべて遠い過去の出来事となってしまった。何もかもがつまらなくて、どうしようもない。周りには友達もいるし、家族もいる。でもなぜか、この孤独感が抜けないのだ。
絶望の底に沈みながらも、どうにかこの状況を打破したい。でも、どうやって逃れればいいのかわからない。もうこれ以上、心が痛むのは嫌だ。そう思いながらも、目の前が真っ暗になっていく。果たして、この先に幸せがあるのだろうか。私にはもうわからない。ただ、この苦しみから解放されたいという思いだけが強くなる。どうか、誰か私を救って欲しい。けれど、私はそのための手段も見つけられない。
子供の頃、母はいつも優しかった。どんなに忙しくても、私を気にかけ、決して怒ることはなかった。
しかし、ある夜、私は初めて母の怒った姿を見た——そして、それが何を意味するのかを知るには、まだ幼すぎた。
夜の静寂に響いた音、朝の大きな絆創膏。
あの時の母の表情が、今も心に残っている。
幸せな思いは、もうできないのだろうか。
最初に思い出したのは、子供時代だ。
私は幸せだという自覚があった。
「早く早く!こっちこっち!」
「はいはい。行きますよ」
母はとても優しく、忙しい時でも私に構ってくれた。
しかも、怒ったこともなかった。
母は愛情を注いでくれた。
しかし、父は仕事ばかりで、ほぼ母子家庭みたいな状況だった。
父はお偉いさん方の接待ばっかりで、私に構うことはできなかったのだ。
私もそういう事はわかっていた。
だが、夜遅くに帰ってきたときに何かを叩く音がしたのだ。
その夜は怖くなってすぐ寝てしまったが、朝起きたときに、お母さんが顔にとても大きな絆創膏を貼ってい
たのだ。
「なんでそんな大きな絆創膏貼ってるの?」
私が聞くと、
「何だったっていいでしょ!」
と、初めてお母さんが怒った。
私はたじろいで自分の部屋に逃げた。