1つ目の手紙
佐倉 桜
拝啓
梅雨のじめじめとした気候の中、紫陽花が雨に濡れながら、勇ましくも綺麗に咲く季節となりました。雨の嫌いな桜にとっては辛い季節とご察ししますが、天候に負けずご活躍のことと思われます。
と、こんな普段とは違う堅い感じも限界は早そうなので、少しずついつもの感じに近づけていくことにします。
高校の卒業式から3か月が過ぎ、大学生活は早くも2か月が経過しています。きっと桜はすぐに新しい環境にも慣れ、充実した大学生活を送っていることでしょう。
最初の1か月、友達を作るスタートダッシュには出遅れて友達作りに苦戦するとともに、上手くいかない新生活によるストレスの粉砕のため、ひとりカラオケに没頭していた時期。
どうせ五時間くらいカラオケに閉じこもり、最近のJ-popからアニソン、普通は男女二人で歌う曲まで様々なジャンルを歌い漁るような休日を送っていたのだと推察します。
僕の方はといえば、高校時代には毎日のように話していた桜の存在に恋しさを感じる日々が続いています。
幼稚園の頃から小中高までも同じ学校に通い、高校にいたっては三年間同じクラス。
高校生活は友達が上手くできなかった時期とか、精神的にヤバかった時期とか、それだけじゃないどんな時も桜とは何も気兼ねなく話し、一緒にいることが本当に心の支えとなっていたように思います。
桜がいることで僕は学校生活を乗り越えることが出来ました。本当にありがとう。
ただ、今日はこれまで桜に伝えられなかった僕の気持ちを初めて正直に伝えようと思います。
この手紙は桜への思いと自分自身への願望を込めた、ただのラブレターです。
中学生の頃でしょうか。
僕はなんとなく桜のことが好きだと思うようになりました。
その時の僕はとにかく純粋で、でも強い気持ちなど全くなくて、ただ桜のことを可愛いと思うようになりました。意識し始めたとも言えるかもしれません。
だからこそ気持ちも少し曖昧で、本気で恋仲になりたいという執念もなく、自分が桜のことを好きになって恋をしていること、それをただ楽しんでいたような感覚でした。
「愛は相手がいないと育まれないが、恋は一人でもできる」
よく言われるようなことが、事実、僕の桜への恋心にブレーキをかけていたのだと思います。
桜が隣にいて一緒に話しているという毎日が僕にとっては幸せで僕の心はそれだけで満たされていました。
実際、同じ高校に合格したのも嬉しかったし、一年生で同じクラスになった時、口には出しませんでしたが、心の中では喜びが溢れていたことを思い出します。
高校生活を送る中で桜への気持ちは(僕自身は全く気付いてもいませんでしたが)少しずつ変化していっていました。しかし大きく変化したのは二年生の夏ごろのはずです。
知っての通り僕はこの時期、鈴夏が告白してくれたことを機に彼女と付き合うことになりました。
しかし桜に対する恋心が消えていたわけではありません。
ではなぜ桜への恋心があるままに僕は鈴夏の告白を受け入れたのか。
それは、桜のことを好きでいる期間が長すぎたからとも、恋する感覚を忘れていたからとも言えるかもしれません。
ですが最たる理由はあまりにも桜という存在が僕の中で大きくなり過ぎたからと思います。
僕の毎日の心の支えとなり、他愛もない会話をして、常に胸を張って自信を持っている桜の姿を見過ぎたのです。いつしか桜は僕の中で憧憬の対象にもなっていました。
きっと桜への恋心は残っていました。ただ憧憬というそれ以上の感情によって上書きされ始めていたのだと思います。
それが膨らんで僕はいつしか桜のような人間になりたいと思うようになっていました。
どんな相手にも物怖じせず自分の意見を貫き、時には集団の団結を強めたり、奇抜なアイデアで先導したりしている。
自分という存在が真っすぐで群れることはしないけれど、周りにはいつも様々な人がいて頼りにされている。
テストをやらせれば死ぬほど成績が良くて、教師にだって好かれている。
僕にとって桜は理想の存在で、いつも桜のような存在になるために僕は必死だったのです。
勿論、鈴夏も高校でできた数少ない趣味の合う女友達だったから、毎日のように話したり一緒に下校をしたりと隣にいることが当たり前の好ましい存在だったということは間違いありません。
だから桜に対する恋心を見失っている僕にとっては告白を断る理由はありませんでした。
しかし鈴夏と付き合い始めたからこそ、僕は改めて桜への恋心を強く感じるようになってしまいました。
憧憬の影に隠れていた恋心は僕自身も知らないままにあまりにも大きくなっていたのです。
僕は桜に対して、感謝があって、嫉妬があって、羨望があって、何よりも恋心がありました。
僕は桜に対して、恐怖があって、悔恨があって、興味があって、何よりも憧憬がありました。
僕はその感情を鈴夏と付き合うことになって久々の新しい恋心に触れたからこそ整理することが出来たのです。
今だって僕は桜のことが大好きなのだと思います。恋をしています。でも同時に自分に答えの分かりそうのない疑問も降り注ぎます。
僕が持つ桜への思いは本当に恋心なのかと。
僕が桜に持つ思いは、ただの憧憬ではないのか。
桜のような人間になりたいと思っている僕の勘違いではないのか。
人間の感情とは頭の中で思い、信じ続けることで騙すこともできます。
ただそうであるからこそ自身がどんな感情を持っているか確証はないし、自身の思い通りになってくれるものではないのです。僕には僕自身の恋心が分からなかった。
桜以外の彼女がいた僕は本当に桜のことを好きだと思っているのか。
というか、僕は鈴夏のことを本当に好きだと思って付き合っているのか。
いや、僕は付き合い始めて確かに鈴夏のことは女の子として、恋人として好きになったのは間違いありません。
ただそれ以上に鈴夏が僕に向けてくれる好意を嬉しく感じて、僕は彼女がかけ続けてくれる甘い蜜を吸い続けていたのだと思います。僕は鈴夏から好意を向けられることが好きだったのです。
僕の中に常にあったのは罪悪感でした。自分が桜のことが好きだと気付いたからこそ、そんな思いを持ちながら鈴夏といることに彼女を裏切っている感覚に襲われることもありました。
ただ僕は鈴夏と別れることはしませんでした。いやその勇気すらもありませんでした。鈴夏のことは間違いなく彼女として好きだとは自覚しているつもりだったからです。
同時に僕の桜に対する恋心も憧憬の念も呪いのように残り続けていました。
僕は自分自身の感情がよく分からなくなっていきました。自分自身に大いなる自信を持っている桜とは、自分が最も憧憬の念を持っていた桜とは正反対だったのです。
でも時々見せる女の子なんだなと思わせる振る舞いも、普段は少しそっけないところも、桜自身に愛しさを感じていたことも確かです。
だから僕は僕自身が桜に恋をしているのだと確信していました。
そして最初の方に書いたように、今も桜に愛しさを感じる僕はきっと恋をし続けています。
だけど今はそれだけを伝えておきます。ただ僕は桜に、僕自身に向けて言うだけです。
僕は佐倉桜のことが好きです。
すべてが僕の願望で、恋心で、憧憬です。
めんどくさくて、すいません。
ただ自分でも何言ってるか分からないので、しっかりと咀嚼してお召し上がりください。
では、返信待っています。
敬具
令和○○年 六月二十二日 楪葉 春基