memory1.葉月
「葉月、別れてくれ!」
「は?」
付き合って3年、レストランに呼び出されたのはプロポーズではなく、別れ話だった。
彼とは別の部署だが職場恋愛で付き合っている事を隠していた。パートのおば様方に知られると面倒だからだ。休憩時間になるとウワサ話に花を咲かせている。
「だーかーらぁ、別れて欲しいって言ってるんですよ、センパイ。分からないんですかぁ?」彼の横に座ってベタベタしている女は後輩の美加。可愛い系で男性社員にモテている。何かできない仕事があると目をうるうるさせて頼んでいる。今もだ。
「美加は放っておけないんだよ。頼むよ、この通り!」
「智君もこう言ってるし、諦めて下さいよぉ」
放っておけない?この女、肉食系だぞ。それにこの前、課長と夜の街歩いているの見たから。
智君だ?智久だよ。山ピーと同じ苗字と名前だけど似ても似つかない、残念男だよ。こんなヤツだとは思わなかった。
もう我慢できない。
私はコップの水をバシャッと二人にかけた。
「お幸せに!」
「おいっ!」
「冷た~い!」
その声を無視して私はレストランを後にした。するとポツポツと雨が降りだす。
「ぐすっ、うぅ…」私の心を現すようにザーッと雨が強くなる。
住んでいるアパートまで涙を溢しながら帰ると、私の部屋の横に、俯いた見知らぬ男が座っていた。前髪が長く、髭が伸びていて顔がよく見えない。
誰?とりあえず知らないふりをして鍵を開けようとすると男は何かボソボソと言っている。「え?」思わず聞き返してしまう。
「お腹が減った…」いや、聞こえない。
「お腹が減った…」とにかくここは警察だ。
スマホを取り出すと「待って下さい…私は二階の部屋に住んでいる大倉といいます」男が話し始めた。「はぁ…」いたかな?こんな人。
「仕事をしていてお腹が減ったと思ったら、食べる物がない事に気づいて、買いに行こうとしたら…」フラフラしている。
「ここで体力が尽きて…」
どうしよう。うーん。
「あの、良かったら何か作りますか?」
「ありがとうございます。頼みます…」
死人は出したくない。
「簡単な物ですけど」ご飯と生姜焼きにワカメの味噌汁、サラダに漬け物。大倉さんは「美味しい、生き返る」と言いながらあっという間に食べてしまった。
「ごちそうさまでした」
満足そうで何よりだ。
「あの…」
「何ですか?」
「目と周りが赤くなってますけど…何かありました?」
「ああ、なんでもないです」無理やり笑顔を作る。
「す、すみません!余計でしたね」
「いえっ…」ポロポロと涙が溢れる。
「あれ、あれ?何でかな…」
止まらない。
「良かったら聞きますよ」思わずその言葉に甘えて先程の事を話した。
「なるほど、もったいない」
「え?」
「見ず知らずの男にこんなに美味しいご飯を作ってくれる優しい人なのに、もったいないです。おまけに可愛いとは」
思わずドキッとしてしまった。
「私、ここを出ていこうと思ってます。ここにいると彼の事を思いだしそうで。彼の私物もありますしね。ただ次の仕事と行く所がまだ決まってなくて」
「だったらうちに来ますか?」
「え?」
「僕も引っ越す予定でここを離れるんです」
「でもお邪魔じゃないですか?」
「ご飯のお礼です」
「けど家賃とか」
「大丈夫です。その代わりに家事をお願いしたいんです。ちゃんとお給料も払います」
「でも…」
「無理にとは言いません」
これは彼の事を忘れるチャンスかもしれない。
「分かりました。私、橘葉月です。宜しくお願いします」
こうして次の仕事が決まった。




