バカみてえ!
鬱蒼とした林を駆ける。狙い通り、闇雲に銃を乱射していた少年は機敏に動いていた僕たちを見失った。
随分と深いところまで入り込んでしまったようだ。葉が空を覆い、夕日も疎らにしか入り込まない。
「はあ……はあ……危ないところでしたね」女性は疲弊した様子だ。対照的に、僕は息一つ切らしていない。
「あいつのこと……知ってるんですか。なんなんです貴方達?僕を担いでいても平気そうだったし、それにさっきの大ジャンプ!あれは……」
「落ち着いて、ください……とりあえず、このまま少しずつ……彼から離れましょう」取り乱す僕をなだめる時間はないと思ったのか彼女は僕の口に人差し指を当て、ついてくるように言った。
しばらく黙って歩いた。彼女の呼吸が落ち着いてきた頃、またも対照的に落ち着きのない僕を見かねて彼女は口を開いた。
「やっぱり、初めに見たときはびっくりしますよね。私もそうでした……あっ、私はマメって言います。こんな状況だけど、よろしくお願いしますね……」今置かれている状況を考えなければ、彼女はどこにでもいる女子高生のように思える。
「マメ……?マジで名前がマメなんですか?」
「ええ、マジですよ。真面目の『マジ』で、真面って覚えてください!」彼女は指で前髪を七三にきっちりわけ、真面目さをアピールした。
「な、なるほど……あ、僕はビンって言います。よ、よろしく」
「貴方もインパクト十分な名前じゃないですか!」
「まあその、適当に決めたんで……」
「決めた?」
「嫌いなんです、自分の名前。というか、親が」僕はできるだけ明るく話すように努めたが、どうしても声のトーンは上がらず続ける。
「自分の名前くらい、自分でつけて、いいんじゃないかって……」
「そうでしたか……」僕を鏡に映したように、マメは眉を下げる。本当に真面目な人なんだろう。
「それより、さっきの質問……マメさんやあいつの異常な運動能力。あれも能力とかいうやつなんですか?」
「あっ、ううん。あれは……能力とは別で備わっていたものなんです。速く走ったり、高く跳んだり、とにかく諸々の『限界が違う』と表現できるでしょうか。この世界では、鍛錬すれば誰でもあんな風に動けるようになるんですよ」
「誰でも……」
ならば、僕も跳びまわったりできるようになるのだろうか。いや、そういうことは少年を振り切った後に考えなければ。
「あっそういえばマメさんの能力って……」
「私のは……ええと、『投げる』って感じかな……」
「投げる?」
「投げたものが、狙った場所に絶対当たるんです。強く投げても弱く投げても、百八十度違う方向に投げても。さっきはヘアピンを投げて、彼の拳銃を弾き飛ばしました」マメは腕を振るって見せた。
「なるほど、は、はは……投げる、ですか」相手は銃。さしずめ『撃つ』だろう。本人には言えないが僕はこの時、能力のパワーには大きな差があるのだと思った。
「……その顔」マメは不機嫌そうに僕の顔を覗く。
「え……」
「もしかして私の能力が、明らか~にあの少年の下位互換だと思ってません?」
「めめ、滅相もない!投げる能力だって全然銃に匹敵できますよ」
「どうやって?」
「ええーと……」僕は言葉に詰まった。
マメはわかりやすく落ち込みだした。まずいことをした。頼みの綱は彼女だけだ。今少年が来たらまずい……
「私の能力、正直地味っていうか……外れなんですよねー」
「そんなことないですよ……」
「私、いつもそうなんですよー。なん-かパッとしないというか。望みが高すぎるのかなー」マメは初対面の瑞々しい雰囲気から一転、なんだか幸薄そうに見える。
「マメさんがパッとしない、ですか……」
「ええ、向こうの世界でもそうだったんです」
「それって……」
「ああいえ、別にひどい最期だったわけじゃないですよ!普通の高校に入って、普通の大学を目指していた途中でした。それは楽しいことだってありましたけど、私の人生には、杭がなかったというか……贅沢なことだとはわかってるんですけどね」隣に歩くマメは僕からすれば物言う花だ。しかし彼女は何かが物足りないらしい。
他愛もないことを話しながら木の雑踏を進んでいると、道に傾斜がついてきた。
「ここはね、ちょっと寂しくて小高い山なんです。麓には十数人が住んでいる村があって、私もそこに住まわせてもらってます」僕が問う前にマメが呟く。
「この世界に来た人は、始めはみんなここに?」
「いえ、こちらへの転移は別所でも見られているみたいですよ」
「特に決まってないのか……あ、そういえば。『オガワ』っていう人に聞き覚えはないですか?」
「ああ、オガワちゃんならそこの村にいますよ」
「え!いるんですか」望み薄だと思っていたが……
「お知り合い?」
「ええ、まあ……」
妙な驚きの中、僕たちは少し開けた場所に出た。
「この様子なら日が暮れる前に村へ戻れそうですよ」緩やかではあるが、僕たちは少年から距離を離しつつあるだろう。彼はもう、僕たちのことを諦めたのかもしれない。
「あいつ……もう追ってこないですかね」
「……どうでしょう」
「そうだ、彼の話をしていませんでしたね」マメは肩をすくめる。嫌な話になりそうだ。
「彼は山に入った村の人たちを襲う、典型的な快楽殺人者なんです」
「なっ……!被害に遭った方がいるんですか?」
彼女は静かに頷く。確かに少年は自分の能力を使い慣れていたし、さっきは間違いなく僕たちを殺すつもりで射撃していた。だが、実際に人を殺めているとは……
「彼がこちらの世界へ来たのは一ヶ月ほど前です。すごく静かで、周りがよく見えている子でした」マメは目を閉じる。
「でもある日、彼が……村で飼っていた動物を殺していたんです。意味もなく、だから私、急いで……」
「そそ、そこまでで結構です!その、話すだけでも辛いでしょうし」
「すみません……」
あんなにも純粋そうな少年が。いや、純粋だからこそ何色にでも染まってしまうのだろうか。とにかく危ないところだった。マメさんがいなければ僕は……
「「ぎゃああ!ぁああ、あああ!!」」
――後方、来た道とは少し逸れた林の奥。暗闇の中から、空気の入ったビニールを何度も割ったような絶叫が届いた。
「なな、なんだ!?」僕は情けなく声を荒らげる。
「……彼でしょう。見つけたんだわ。別の獲物を……声からして、村の人じゃないようだけど」そう言いながら、マメは一歩踏み出す。――再び林の中へ戻るつもりだ。
「待って!」僕はマメの手を掴み、引き留める。
「放してください!急がないと!」
「勝てる見込みはあ、あるんですか?」
「ないですけど!行くしかないでしょう?」マメは僕の手を振り払う「そこをまっすぐ行けば村に着くはずです。ビンさんは戻って、村の人を呼んできてください!」
「赤の他人なんでしょ!?マメさんが命を捨てる必要は……」マメの足が一瞬止まる。
マメは多分、僕に対する反論を考えているのだろう。だが、切羽詰まって何も思いつかなかったようだ。
「うるさいバカ!」そう言って彼女は走り去った。
「バカ!?なんですかバカって……」全速力の彼女に僕の声は振り切られ、僕は一人になってしまった。
バカ……?僕が?
このまま行けば、彼女も殺されるだけだ。彼女の方がバカじゃないか。それに、ここから村は見えないってことは、往復するには最低二時間はかかる。この作戦は破綻している!
なら彼女を見捨てるしかない。
彼女を……
……
「……ッくそ、くそおぉぉ!!」
まさしくバカみたいな声を上げ、僕は彼女の後を追った。
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