不和
僕はトラックに轢かれた。これは変えようのない事実だった。
死後の世界はどうなっているのだろうか。例えば、霊魂が体から抜けて、肢体が曲がった僕の体を、自分で見下ろすことになるのだろうか。そうして右往左往しているうち、やがて諦念から成仏したりするのだろうか。
案外「あの世」とは、この世と地続きの世界なのかもしれない。
――――
目を覚ますと、土の味がした。体を起こしてみると、そこはさびしい林の中だった。ひとつ深呼吸をすると、清涼感というべきか、青いにおいがする。まだ明るいが、日は落ちつつあった。
「ここは……」なんてありきたりな台詞をこぼしながら、僕は状況を整理していた。
そうだ!確かに僕はトラックに轢かれた。神田と別れたあと塾に連絡を入れて、気持ちがすごく落ち込んで、不注意になっていた。
しかし今は日暮れだ。僕が事故に遭ったのは暗くなったときだから……丸一日経ったのか?
意味のない検討をしながら、当然に僕は、そんな次元の問題ではないことを理解しつつあった。
ここは明らかに僕の知る土地ではない。トラックに轢かれた後、どこかへ連れ去られたのか。ならば林の中に捨てられてあった意味は?
……どうしてもちらつくのは、『ファイル』の存在だ。異世界に来てしまったなんて、まったく笑えない。ありえない……ありえないぞ。
何があっても『ファイル』の存在だけは認めたくなかった。僕を捨てた両親が、無いものに縋りついたバカであると、信じていたかった。
そうだ小川。小川も『ファイル』に行くと言っていた。もしここがその異世界とやらなら、小川もここにいるんじゃないか。つまり小川がいない事こそ、ここが『ファイル』でない証明……!
ああしかし、死んだ人間が必ず『ファイル』に行けるという確証はない。もうどこかに行ってしまった可能性だって……小川……小川。
僕が答えを出しかねていると、側から草を踏み分ける音が聞こえてきた。
「小川!?」僕は取り乱していた。
音は容赦なく近づいてくる。気づかれずに近づいて来るとか、そういう意図はなかったようだ。
「このあたりに一人でいるなんて……とんだ命知らずだね、君。あとオガワって誰?」茂みから現れたのは、中学生くらいの少年だった。幼いながら顔は整っており、目元は涼し気だ。どことなく神田を思い出す。
「なんだ、この林はそんなに危険なのか?」相手が人間、しかも少年だとわかり、僕は少し気が抜けた。
「……まあいいや。無知は怖いね。他所から来たってクチ?」
「よ、他所っちゃ他所……かな。しかも、かなり遠い」
「ふーん」
少年は出てきた茂みの付近から動かない。少し話しづらい距離だ。少年もそれはわかっているはずだった。僕の顔をまじまじと覗き込み、俯きながら何か考えている。気味の悪い子だな、と僕は思った。
「君はここら辺に住んで長いの?」
「うん。まあね」
「そっか……ええと、まず自己紹介からしようか?僕は……ビンって呼んでほしい。君は?」
「ああ、あー、俺はね」
「……」
沈黙が流れる。
「あ、言いたくないか。ごめんごめん」
「うん?いやーそういうわけじゃないよ」
「そう?じゃあ」僕が続けようとしたときだった。
「ちょっとうるさいなお前、殺すよ」少年は急に顔を上げ、僕に言葉を刺した。
「わ……るい」
今、殺すって言ったか?
再び少年を見据えなおす。取っ組み合いになったらどう転んでも僕が勝つだろう。ならば凶器を隠し持っているのか。少年はフードのついたコートを着ている。どこからか刃物を出してきそうだ。
純粋そうな童顔が、恐ろしく映った。何か悪意を感じるわけではない。ただこの少年は純粋に、考え事の邪魔をされたくないだけなのだろう。
しかし……それでも……めちゃくちゃ危ない奴じゃないか、こいつ?
「わかった!」少年は嬉しそうな声を上げる。
「君……最近まで向こうの世界にいたんでしょ。生まれたてのヒヨコみたいにオドオドしてる。踏み潰したくなるような鬱陶しさだ」
向こうの世界。その言葉だけで僕は、十分に汲み取ってしまった。
――僕は異世界に転移してしまった。憎みすらした『ファイル』の世界に。
「じゃあ、見せてみてよ。君の『能力』を」
「……能力?」
「そう。ここに来たやつはみんな、向こうじゃありえないような力を得るんだ」
「そんなこと言われたって……」
口調が定まらない。僕は間違いなく死に、現世と別れを告げたのだ。もう少し浸らせてほしかった。
しかし、何か身体に変わった様子はない。能力と言われても、さっぱりだ。
「悪い……まだ使えそうにないみたいだ」
「あっそ……あっても無くてもいいんだけどね。弱そうだもん、君。」
弱そう……か。
ふと、少年の言葉に腹が立たない自分に気が付く。むしろ僕は、少年の機嫌がひどく悪くならなかったことに安堵していた。
神田にも言い負かされっぱなしだった。どうしてあの場で、「これからお前より上手くなってやる」と、言えなかったんだろう。
思えば、僕は喧嘩なんてしたことがなかった。負けることが怖かったからじゃない。勝てないことに気づくのが怖かった。
……このままでいいのか、僕は?
「おーい、ビン君、こっちこっち!」茂みの向こうに少年が見える。僕が考えているうちに先まで行ってしまったらしい。
「どうしたの?」
「もう一人さ、いるんだよ。君みたいに一人でうろうろしている奴が!」
少年との関係に悩みながらも、僕は彼のもとへ走った。
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