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1. 失恋

見切り発車亀足更新です。

アリスティアはレーブル王国国王の末の娘であり、市井にはほとんど顔が知られていなかったが不思議と国民からの人気の厚い姫だった。

アリスティアは冬の空のような淡い瞳の色に雪のような銀色の髪を持っていて、その(かんばせ)は繊細に整っていた。彼女の容貌は決して派手ではないが、見る者に一種の畏怖を与えるような神秘性を秘めていた。

彼女は国王から与えられた自らの住まいである離宮から出ることは滅多になかったが、彼女をひと目見た者は彼女を聖女のようだと口々に噂した。

しかしその噂とは裏腹にアリスティアは平凡な娘であった。







「姫様」


自らを呼ぶ男の声に、アリスティアは立ち止まった。手持ちの日傘をひらり一回転させる。生真面目で堅苦しい、耳の奥で甘く響くバリトンボイス。声の主は知れていたが、アリスティアはあえてゆっくりと振り返った。動揺を悟られたくはなかったのだ。


「あら、ごきげんよう。ヒュース」


軽く小首をかしげながら微笑むと、ヒュースもそれに習うように相好を崩した。日傘の影の中から見上げると、彼の姿がひどくまぶしく映って目を細めた。

散歩中は一人になりたくて、側仕えの侍女も護衛も普段から離れた場所に下げさせていたため、この場には実質アリスティアとヒュースの二人きりだ。

そう思うだけでアリスティアはなんだかどぎまぎと居心地の悪い気持になった。けれどこれは別に珍しいことでも何でもない。出会って数年たつが、彼の前にいるときはいつもこうだとアリスティアは自覚していた。そしてそれを態度に出さないよう、細心の注意を払っていたのだった。


「散歩の途中に申し訳ございません。急ぎ、お耳に入れたいことがありまして」

「かまわないわ。何でしょう」


返事をしながら、何のことだろうかとアリスティアは思案する。まさか()()()()についてではないだろうか、そんな考えに行き当たりアリスティアは内心首を振った。()()()()は全くもって緊急性に欠ける話であるし、第一こんな風にわざわざ散歩中に話しかけてくるほどのことでもない。


「陛下が昼過ぎにこちらへいらっしゃるそうです。お支度のことを考えると今日は散歩は早めに切り上げた方がよいかと」


「まあ、お父様が?―――そうね今日はもう戻ることにするわ」


ほら見ろ、やっぱり別の話だったではないか。ありがとう、と感謝の言葉を口にしながらアリスティアは胸をなでおろした。そんなアリスティアの心情を知る由もないヒュースは、アリスティアの礼に口角を少し上げたのだった。アリスティアは生真面目なこの男の、わかりにくい微笑みが好きだった。

けれど今はその表情を見るのが辛い。


それもこれもすべて()()()()―――――ヒュース・ガーデルビイ子爵が婚約した、という噂を耳にしたせいだ。噂を持ち込んだのはおしゃべりなアリスティアの侍女の一人だったが、アリスティアは密かに彼女のことを恨んでいた。

そんな噂さえ知らなければ、彼との細やかな会話を心から楽しむことができただろう。



「ねえ」


アリスティアを先導するように少し前を歩くヒュースの後ろ姿に思わず声をかけていた。


「婚約したって、本当なの?」


自分でもなぜこんな衝動的に話を切り出してしまったのかわからなかった。


馬鹿みたいに心臓が激しく鼓動して、アリスティアは頬が赤くなっていないかの心配をした。真剣な雰囲気を出さずに、揶揄うみたいに聞こえていたらいいと思った。


ヒュースは驚いたように目を見張った。


「よくご存じですね」


その言葉にガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。けれどそれを表に出したりはしない。


「侍女から聞いたのよ。女の情報網は侮れないんだから」

「それは恐ろしいですね」


そう口にしてヒュースは照れたように微笑んだ。目じりを垂れさせ、口元はだらしなく緩み、その頬はかすかに赤い。こんな顔を見たのは初めてだった。

本当に、本当なのね。アリスティアは心の中で自分に言い聞かせるようにつぶやいた。ヒュースは確かに婚約していて、この様子だとその相手を愛しているのだ。


「おめでとう」

「ありがとうございます」


にっこり笑ってお祝いを言うのが精いっぱいだった。口元がほんの少しだけひきつってしまったが見抜かれたりはしないだろう。ヒュースはそこまで気の回る男ではないことを、アリスティアは十分に知っていたのだ。


意識して軽い足取りで歩く。軽い足取り、というよりもふらふらとして覚束ないといったほうが今の状況には合っているかもしれない。地面が揺らぐような奇妙な感覚がしていた。周囲の音が遠い。

ヒュースが何かを言ったが、うまく聞き取れなかったのでとりあえず微笑んで頷いておいた。元々口数の多いほうではないから、とりあえずこうしておけば訝しがられることはないだろう。

こうなるのは初めてはなかった。少し気を落ち着ければまた元に戻るはずだ。





「ここまででいいわ」

「はい」


気づけば屋敷の前まで来ていた。侍女がすでに扉の前で待ち構えていたので軽く声をかけ日傘を渡す。振り返ってキースに声をかけると彼は堅苦しく腰を曲げて一礼した。


「じゃあ、ね」


そういってアリスティアはヒュースの黒々とした後頭部に別れを告げた。

声が少し、震えた。

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