違和感の正体
胸の奥がもやもやする。
なんだろうか、異様に胸がざわついて、全身がそわそわして落ち着かない。思えば先日、上戸と会ったときもそうだった。不安な考えばかりが頭を支配して、ただただ無力感に襲われる。
そしてあのとき、チェシャ猫の気分を切り替えたのは。
巡と別れたあと、彼は寮の建物の外で愛莉に電話をかけた。即座に応答した愛莉が、かけたチェシャ猫より先に話し出す。
「ねえチェシャくん。今コンビニのお菓子コーナーにいるんだけど、抹茶チョコとクランチ、どっちにしよう?」
「どっちでもいいんじゃねえの」
チェシャ猫は愛莉の無邪気な問いかけに投げやりに応じる。愛莉は明るい声で質問を重ねた。
「OK! 両方買っておくね! あとで一緒に食べよ!」
愛莉の奔放な言動に、チェシャ猫はくたっと脱力した。
巡と話していたときの緊張感や不安感が、すっと吸い取られるようである。
電話越しの愛莉が尋ねてくる。
「巡ちゃん、どうだった?」
「いつもどおり」
治療の話はし損ねた、と言いかけて、愛莉は知らないのだと思い出して口を噤む。代わりに、チェシャ猫は切り出した。
「あんた、巡に会ってくれるか」
「え。巡ちゃん、あたしに会いたくないんじゃなかった?」
愛莉が不思議そうに問いかけてくる。
チェシャ猫は巡と会う前に、施設の職員から話を聞いた。巡が首を括っていた現場を見た職員と直接話したかったのだが、今日いた職員の中には、見た人はいなかった。それどころか、そんな話があったことすら、誰も知らなかった。
その後チェシャ猫は、頬を撫でる素振りで巡の首を見た。首を吊った痕は、なかった。
単に痕が残るほど強くは絞めていなかっただけかもしれないが、どこか、違和感を覚える。
「たしかに俺は、シロさんの店であんたにそう言った。だから今更こんなことを頼むのは筋違いだとは思ってる」
でも、愛莉と話したチェシャ猫は、やはり違うと感じたのだ。
会えないと聞いて、巡は本気で寂しげな顔をした。通話をしたがって、なんとか話せる機会を作ろうとしていた。
上戸が話していたように、巡が気をつかって愛莉に懐いているふりをしているだけなら、自分からこんな提案をするとは考えにくい。
「巡は多分、本心であんたに会いたがってる。上戸先生の読み間違えだと思う」
「そうだったの!? 会っていいなら会いたい!」
愛莉の声が輝く。すぐにでも駆けつけてきそうな彼女に、チェシャ猫は言った。
「話が早くてありがたいが、少し待て。この前も話したとおり、面会は身内だけしか許されてないのかもしれない」
「あっ、そっか」
「施設の職員が言うには問題ないらしいけど、今、上戸先生に電話で確認してくれてる。返事が来るまでもうしばらくそこで待機してくれ」
「分かった」
愛莉がすっと大人しくなり、チェシャ猫は電話を切った。見計らったかのように、建物から職員が出てきて、チェシャ猫に声をかける。
「お待たせしました、上戸先生に問い合わせました。しかし今日は生憎、上戸先生が休暇日でして……」
職員の若い男が、難しい顔で伝える。
「こちらではなにも聞いていませんでしたが、巡ちゃんの心拍数や血圧などの体調から、上戸先生が面会不可と判断したのかも」
職員の回答を受け、チェシャ猫は目を伏せた。
入所児童が面会拒否を希望している場合、面会に来た者を通せない決まりはあるそうだが、巡にそのような意思表示はない。身元さえはっきりしていれば、誰でも面会できるという。上戸の指示は、職員も詳しく聞いていないようだった。
書面上、愛莉が巡に面会するのは問題がなくとも、上戸になにか意図があるのであれば勝手には動けない。しかし上戸と連絡を取れないのなら確認もできない。
職員が真面目な顔で、チェシャ猫に尋ねた。
「よろしければ、上戸先生から聞いている話を、私たちにも共有していただけますか? これから巡ちゃんの様子を見るとき、気にかけますので」
「ああ、はい」
チェシャ猫は職員についていこうとして、先に愛莉にメッセージを入れておいた。面会は書面上問題ないが、一応、先生の許可取った方がよさそうだから、今日はまだ会えない。という旨と、これから職員と話すが、五分程度で済むからあと少し待っていてくれという報告である。
愛莉はすぐに返信してきた。
『なんだあ。じゃあまた別の日に行こう!』
愛莉は残念そうながらも、さくっと切り替えている。
『このあと、例の事件を調べるんだよね! 行くぞ行くぞ行くぞー』
愛莉がやる気を漲らせている。チェシャ猫は彼女の元気に、辟易やら安堵やらの入り交じった妙な気持ちを覚え、職員のあとについていった。
五分後。
話を終えてコンビニに戻ったチェシャ猫は、店の中を回遊した。ここにいる約束の愛莉を捜す。
が、客はひとりもいない。
「……どこ行きやがった」
チェシャ猫はぽつりと、ため息混じりの呟きを洩らした。




