それ、結構前の話
それは、愛莉から飛び出した発言がきっかけだった。
「小栗くんと全然連絡つかないな。どうしちゃったんだろ」
「は?」
「えっ?」
和紅茶をいれるシロと窓際のテーブル席のチェシャ猫が、同時に顔を上げる。愛莉はいつものカウンター席で、携帯を片手に小首を傾げた。
「ん? 小栗くんがね、メッセージに返事してくれないんだ。既読もつかない」
そのあどけない表情に、チェシャ猫とシロはしばらく言葉をなくしていた。
愛莉が帰ってきて、一週間が経った。二月に入った『和心茶房ありす』には、これまでどおりの日常が戻ってきている。愛莉がこんなことを言い出したのも、いつもと変わらず放課後に彼女がこの店を訪ねてきたときである。
「ほら、あたししばらく行方不明になってたでしょ。心配してるかもしれないと思って、小栗くんに『帰ってきたよ』ってメッセージ送ったんだけど返事がなくてさ。それから月曜日に学校に復帰したら、小栗くんが転校しちゃってたの」
軽やかに話す愛莉に、チェシャ猫とシロは依然ぽかんとしていた。
小栗といえば、レイシーを装って狩人を呼び出し、狩人狩りをしていた犯人である。しかし彼の犯行が明らかになったのは愛莉がダイナについていってこの時空から消えたあとで、愛莉は小栗の事件に立ち会っていない。
彼女は未だに真実を知らされていないらしく、小栗にメッセージを送っていたのである。
「ねえチェシャくん、シロちゃん。あたしがいなくなってる間、小栗くんからなにか聞いてる? 小栗くんはあたしに好きって言ってくれたし、無視するような人じゃないし、事情があると思うの」
「事情ってそりゃあんた、あいつは……」
チェシャ猫が言いかけた途端、シロが通常よりやや大きめの声で、チェシャ猫の言葉に発言を被せた。
「なんだろうね。心配だねえ」
「あ?」
チェシャ猫が怪訝な顔で振り向くも、シロは彼の方は一瞥もくれず愛莉に問いかけた。
「学校ではなんて?」
「それがなんの説明もないの。クラスの友達も誰もなにも知らなくて、ただ突然転校が決まったとしか。メッセージに返事がないのも、あたしだけじゃなくて皆そうなんだって」
「そっかあ。うーん、転校先で忙しくて、メッセージを読めてないのかもねえ」
そんな返事をするシロに、チェシャ猫はより一層顔を顰めた。シロは小栗がなにをしたのか知っているくせに、しらばっくれているのだ。
チェシャ猫はここで真実をぶちまけてやろうかと思ったが、シロがこの様子なのでひとまず呑み込んだ。余計なことは言わずに、黙って様子を見る。
愛莉は寂しそうに宙を仰いだ。
「ダイナちゃんについてく前に、猫の写真送ってくれたのが最後になっちゃったな。告白してくれてデートもしたのに、いなくなるときはこんなに呆気ないんだなあ……」
全然呆気なくなかったのだが、と、チェシャ猫は口の中で呟いた。愛莉が音沙汰のないチャット画面を伏せる。
「でもシロちゃんの言うとおり、きっとメッセージに目を通せないくらい忙しいんだよね。こんなに急に転校が決まったんだもの、仕方ないか。小栗くんはマメな人だし、落ち着いたら返事くれるはず」
「そうそう、心配ないよ。……多分」
シロが最後にぽつりと付け足す。チェシャ猫はそんな彼に呆れた視線を向けていた。あとでバレたときに面倒になるのに、どうしてこうもこの人は、下手な嘘をついてしまうのか、と。




