ダイナ
「過去にも似た傾向のレイシーがいたから、同様の対策を取った。こういう緑豊かな場所で子供を連れ去るレイシーは、大抵、左手に魔力を持ってる」
廃工場の前に停められた、区役所から手配された車の中。日はすっかり落ちて、周囲が暗い。運転席に座る深月は、室内灯を明かりにして、バインダーを手にメモを取っていた。
チェシャ猫は彼に口頭で報告する。
「それと、この個体は有栖川瑠衣と同様、個体名がある。ただし、有栖川瑠衣のように人間社会に溶け込んでいたのではなく、この廃工場近辺で路上生活をしていた」
チェシャ猫の瞳が、隣に座る少女に向く。
「個体名は『ダイナ』」
パーカーの少女――ダイナは、チェシャ猫の横でこくんと頷いた。
「ワタシ、ダイナ」
車の中では、運転席に深月、後部座席にはチェシャ猫とダイナが座っている。シロと愛莉は安全のため車に乗せられなかったが、開けっ放しのドアから中を覗き込んでいる。
ダイナが不服そうにむくれた。
「ダイナ、悪さ、しないヨ」
「この手のレイシーは、左手で印を結んで、自然界のエレメントを御するものが多い。こいつも例外じゃないようだから、手を縛ってある限りは、なにもできないはずだ」
ダイナにぴったり寄り添われているチェシャ猫は、彼女を撫でるでも拒むでもなく、目すら合わせない。
深月がメモを続けながら、ダイナに尋ねる。
「子供を神隠しに遭わせてたのは、お前か?」
「カミカクシ?」
「子供を攫っただろ?」
「攫ってないヨ」
ダイナがきょとんとした顔で首を横に振る。すると車の外のシロが、深月に代わって優しく問いかけた。
「人間の子供たちと遊んだ?」
「遊んだ! 皆、トモダチ!」
ダイナがぱっと顔を輝かせる。
「ここに近づいてきた子、皆、遊んでくれたヨ。チェシャ猫のおにいさんも、ここに来た、だからトモダチ」
「そっかあ」
シロはにこにこしたまま、深月に目配せをした。
「間違いなさそう」
「だな」
深月がボールペンを走らせる。愛莉は悴んだ手を擦り合わせ、ダイナを見つめていた。
「大人しくてかわいい。こんなレイシーもいるんだね」
「こらこら。見た目がかわいらしくてもレイシーだよ。子供たちが攫われて、怖い思いしたんだからね」
シロが愛莉をやんわり叱る。
「今回の案件は、山根さんから受け取ってた過去のデータの他に、被害者の子供たちから話を聞いてた。だからチェシャくんも、この子の行動パターンを予想しやすかったんだね」
「そっか、印を結ぶ呪術を使うって分かっていれば、戦いやすいもんね」
愛莉が言うと、シロは頷いた。
「どんな性格のレイシーで、どんな呪術を使うかも、事前に分かっていればそれなりの対策を取れる。過去にいたこれに似てるレイシーは、狡猾な性格でね。呪術で時間を止めたり巻き戻したりして、狩人たちを振り回したんだ」
「ふうん……けど、ダイナちゃんは狡猾って感じじゃないね」
愛莉は前屈みになって、ダイナの顔を覗き込んだ。
「チェシャくんがレイシーを生け捕りにしたって聞いたのに、なんか思ってたのと違うなあ。生け捕りというより、仲良くなった?」
そんな愛莉を見て、ダイナがびくっと肩を竦ませる。やはりダイナは、愛莉が苦手なのである。首をぶんぶん横に振って、チェシャ猫によりひっつく。
「ダイナ、この人嫌い」
「酷いなあ、こんなに嫌われると流石に傷つく。シロちゃんには懐いてるのに……」
愛莉が寂しげに言うと、シロは軽やかに笑った。
「ははは。レイシーに懐かれるのって、つまり標的にされやすいということだから。嫌われてるくらいの方がいいんだよ」
シロと愛莉を尻目に、深月がバインダーを手に問う。
「んで、チェシャ猫。こいつを捕獲するに至った経緯は? お前がすぐさま殺さなかったなんて珍しい」
チェシャ猫は一瞬言い淀んでから、素直に返した。
「こいつの見た目のせいで、小さい頃の妹が脳裏を過ぎって……。少し怯んだ途端、呪術でテレポートされて、背後を取られた」
「おっ、つまり殺し損ねたってわけか。そんで命乞いでもしたか?」
「勝手に話を進めるな。見てのとおり、こいつの方から俺に懐いたんだよ」
チェシャ猫がきっぱり言い切る。ダイナは楽しそうに足をパタパタさせた。
「おにいさん、遊んでくれる! ダイナ、トモダチ、なりたかった」
「レイシーは駆除されるのを察知して、狩人に隙を作るためにわざとこんなことを言い出す場合がある。普段なら惑わされないが、こいつの場合……」
チェシャ猫はちらりと、ダイナを見下ろした。
「こいつの場合、印を結べなくすれば本当に攻撃できなくなる。幸い、力の弱い子供の姿をしていたから、取り押さえて縛ってみた。といったところだ」
「なるほど。それでもお前なら、駆除しそうなもんだが」
深月がまだ訝っていると、チェシャ猫はあっさり言った。
「レイシーの生け捕り、まだ世界で一度も例がなかったから。捕まえたら大金貰えるかもしれないと思った」
「納得せざるを得ない理由だな。前例がないからどうなるか分かんねえけど、どっかしらから報奨金は出るだろう。良かったな」
深月は素早く文字を書き留め、ボールペンをノックして芯を引っ込めた。
「よし。じゃ、そのレイシーを移送する」
「どこへ連れてくの?」
愛莉が尋ねると、深月がボールペンの頭を額に押し付け、答えた。
「ごめんなー、いくら愛莉ちゃんがかわいくても、なんでも教えてあげられるわけじゃねえんだわ。愛莉ちゃんは一般人だからな」
「えー! どこへ行くかくらい教えてくれたっていいじゃん!」
「それがいちばん極秘なんだよ! 万が一にも漏洩したら、どんな処分が下るか分からん」
冗談ぽい口調で言うと、深月はバインダーを鞄に突っ込んだ。
「んじゃ、向かうぞ。チェシャ猫はこの車でダイナの警戒をしていてくれ。シロちゃんは別に用意してるうちの上司の車に乗って。愛莉ちゃんは……どうすっかな」
深月は腕を組み、愛莉を見上げた。
「愛莉ちゃんは巻き込む必要ねえからなあ。なんでついてきちゃったんだ?」
「面白そうだったから。ねえ、あたしもついていっちゃだめ?」
「だめ。んー、上司の車に乗ってもらって、おうちまで送るか」
再度部外者扱いされ、愛莉はむくれた。一歩下がって、不満げに俯く。
「分かった。お邪魔にならないように帰る。ここから家まですぐだから、ひとりで歩いて帰れるよ」
「そう? 聞き分けが良くて助かる。今度おいしいもの奢ってやるからな。チェシャ猫の報奨金で」
冗談を付け足して、深月は車のドアを閉めた。
シロも、深月の上司に呼ばれて車に乗るよう促される。そちらに向かう前に、シロは愛莉を振り向いた。
「ひとりぼっちにしてごめんね、愛莉ちゃん。気をつけて帰ってね」
「大丈夫! 行ってらっしゃい」
愛莉が頷く。シロは早口に付け足した。
「やっぱり車で送ってもらう? 寒いし、暗いし……」
「もう、過保護だなあ。あたし高校生だよ? 子供じゃないんだから大丈夫」
愛莉はあははと笑い、シロの腕をポンと叩いた。
「シロちゃんこそ、これからバタバタしそうだけど頑張ってね。ちゃんとごはん食べてね!」
「はは、ありがとう。行ってくるね」
シロはそう言うと、彼を待つ車へと戻っていった。
二台の車がライトを灯し、走り出す。去っていく後ろ姿を眺め、愛莉は白いため息をついた。
折角面白い状況なのに、自分はあくまで部外者だ。一緒に連れて行ってはもらえないし、情報も共有させてはもらえない。
ひとまず愛莉は、携帯の画面に目を落とした。時刻は十八時。この特殊な事態の非日常感にそわそわして忘れていたが、なかなかの空腹である。
そして受信していたメールに気づく。表示されている送信者の名前は、小栗のものである。
『予備校に行く途中で、かわいい猫を見つけたよ』
と、なんとものほほんとした文面と共に、暗がりの中にいる猫の写真が添付されていた。
返事を打って送信した直後、愛莉はふと、背後に気配を感じた。振り向いて、思わず「えっ」と口をつく。
「なんで君がここにいるの?」
*
「で、どこへ向かうんだ?」
移動の車内の中、チェシャ猫が深月に尋ねた。先程は愛莉に聞かれまいと答えられなかったこの質問に、深月は今度ははぐらかさずにあっさり答える。
「ポイソンコーポレーションの地下室」
「ポイソン。山根さんのとこか」
「そう。レイシーの生け捕りは前例はないが前提はあってな、仮に捕まえた場合どうするかっつう、緊急用マニュアルがある。そん中で、ポイソンの地下室はレイシーの収容場所の例のひとつと指定されてるんだよ」
それを受け、初耳だったチェシャ猫はふうんと相槌を打った。
「レイシー保管用の特殊設備でもあるのか?」
「それ用の部屋ってわけじゃねえけど、扉は内側から開かず、振動を吸収する分厚い壁で囲まれてる。モニタールームからの監視も可能。物体をすり抜けたりするタイプのレイシーじゃなければ、大体閉じ込められるんじゃねえか」
「ほう。研究機関の内部だし、調査は捗りそうだな」
「だろ。大企業の地下に化け物を閉じ込めるって、なんかわくわくするよな」
ふたりのやりとりを聞き、ずっと静かにしていたダイナが急に青い顔になった。
「そこ、ダイナ、意味ない」
「あ?」
チェシャ猫が振り向く。ダイナはぶんぶんと首を振った。
「ダイナ、テレポート、できる。物体をすり抜ける、できるヨ」
「そうだけどあんた、手を縛ってあれば呪術は使えねえだろ。テレポートは不可能だ」
これにはチェシャ猫が答えた。バックミラーに映る深月の顔が険しくなる。
「でもそう言われてみるとちょっと不安はあるよな。万が一にも拘束を解かれたら、逃げられるかもしれないわけだ。まあモニタールームから監視はできるんだが……」
「いや。拘束を解かれても、ポイソンの地下の密室なら問題ない。さっきも言ったとおり、こいつの呪術は自然界のものに由来する。つまり周りに植物や水や自然光がなければ、大した力を発揮できない」
「お、んじゃひとまずは心配ないか」
「うん。そういうことだ、ダイナ」
チェシャ猫は腰を丸め、隣のダイナに冷たい視線を刺した。
「あんた自身がいちばん分かってるはずなのに、なんで今『テレポートできる』なんて言ったんだろうな?」
ダイナは数秒、下を向いて口を閉ざしていた。チェシャ猫はその横顔を冷たく見据える。
「まあいい。聞かなかったふりしておいてやる。深月さんも、今のは忘れてやれ。俺は折角生け捕りに成功したダイナを、殺したくないからな」




