重なるふたつの事件
一方その頃『和心茶房ありす』には、約束どおり、賑やかな面々が勢揃いしていた。
それぞれカウンター席の椅子につき、各々が飲み物やデザートを注文する。羽鳥が派手な身振りで店内を見回した。
「あっれー、本日はチェシャ猫とハートの女王はご不在?」
「チェシャ猫は飼い主のところへ出かけてるよ。女王って愛莉ちゃん? 彼女も一緒」
シロがクリームあんみつを、羽鳥の前に据える。それを聞いて、深月がきょとんとする。
「チェシャ猫に飼い主? それ、白ウサギじゃねえのか」
「女王もそう言ってたけど、違うんだなー。白ウサギは現状彼の手綱を取っているというだけで、彼の行動原理の軸は別のところにあるのさ」
コト、と、あんみつ用のスプーンを置いて、シロは改めて三人に目を向けた。
「まあ、それはいいとして。レイシー猫の結果、どうだった?」
問いかけられて、深月は山根を一瞥してから、シロに封筒を差し出した。
「身体は一般的な猫の表皮。中身は殺された猫の死骸を媒体にして、他の猫の怨念が詰まってた感じだな」
「やっぱり。殺した人間に復讐するためなのかなあ……そこまでは分かんないか」
シロが自問自答する。山根がこくんと頷いた。
「そうねえ。灰から調べられるのは、過去のデータと比べてどんな種類のレイシーに近いか、媒体はなにか、あとはなにを喰っていたか……くらいだもの。彼らがなにを思ってどんな目的で行動してたかまでは、想像の範囲を出ない」
「けどまあ、その想像はかなり真実味があると思うぞ。過去にもそういう、特定の人間に執着するレイシーは存在した」
深月はそう言って、頬杖をつく。彼の右隣の羽鳥が、くるんと首を傾げた。
「むー? レイシーは感情がないんじゃないの?」
「感情がないというより、人間に情を持つことはないって感じ。生存本能に直結する思考はある」
深月は少し考え、言葉を探した。
「体を保つのに必要な『腹が減った』『このままだと死ぬ』からの苛立ちは感じている。同じく自身の行動の軸になる、『憎悪』も感じるのかもな」
羽鳥は分かっているのかいないのか、ふうんと雑に返事をしてあんみつを食べはじめた。
深月の左側に座る山根が、ふうとため息をつく。
「なんだか複雑よね。『憎悪』を感じてるとなると、一気に人間くさくなる。行動の軸になる感情が存在しているとすれば、同じく人を突き動かす『愛情』も持っていてもおかしくないじゃない?」
山根が言うと、シロはいれたての抹茶を山根に差し出した。
「そう思うと、やりづらくなるね」
「でしょう。そこまでの複雑な感情があるとしたら、もはや精神面に人間との違いがなくなってくるわ」
「ただでさえ、会話の成立する相手を殺す行為には気が狂いそうになるのに……」
シロが小さく息をつき、懐かしそうに宙を仰ぐ。
「出会ったばかりの頃のチェシャくんがそうだった。今はだいぶ割り切ってるけど、レイシーに『愛情』があるとしたら、彼はまた思い悩んでしまうかもね」
そんな彼に、深月はぴしゃりと言った。
「つっても、人間に害をなす存在なのは変わんねえからな。死体が残らず灰になるんだぜ? そんなもんに情をかけてられるかよ」
「流石、レイシーに追いかけられて死にかけた経験がある人は容赦ないね」
シロがくすくすと笑うと、深月は存外真面目な顔で、眼鏡を押し上げた。
「シロちゃんは俺以上にそう思ってるんだろ」
「……まあね」
シロは笑うのをやめて短く返し、そしてまたぱっと朗らかに相好を崩した。
「でもさー、深月くんの場合は、元はといえば君の女癖の悪さが原因なんだよね。君も人間に害をなす存在だよね」
「うるせー。恨まれるくらいモテちゃうんだから仕方ねえだろ。あの頃はバレまくってたからレイシーに憑かれたが、今はもっと上手くやってる」
「すごい、全然懲りてない」
シロが苦笑いで鼻白む。深月の隣で山根が抹茶を啜る。温かいそれを口に含むと、ほっと頬を赤くして目を閉じた。そしてそのまま、心地よさそうにうとうとしはじめる。
シロは続いて、温かい緑茶をいれて深月に差し出した。深月はそれを受け取り、思い出したように本題に入った。
「八年前の、トレンチコートのレイシーの件な。その当時担当してた、地域安全課の先輩を見つけた。なにか覚えてないか聞いてみた」
それを受け、うたた寝しかけていた山根がぱちっと目を覚ます。自分用の茶を立てていたシロは、一瞬手を止めた。羽鳥もちらと振り向いて、あんみつのスプーンを咥えて耳を傾ける。深月は彼らをそれぞれ見回し、続けた。
「山ん中の老婆の死体があった辺りに、微量にだがレイシーの灰が落ちてたらしい。おかげで老婆を埋めた犯人は狩人かレイシーじゃねえかって疑われて、月綴ヶ丘区役所に警察がしょっちゅう出入りしたんだと」
深月はそこまで話し、ひと口、茶を飲んだ。ふうと息をついて、改めて切り出す。
「うちの管轄の狩人も関係してたから、こっちにも警察が来たそうだ。結局なんの手がかりにもならなくて、未だに犯人捕まってねえけどな」
しばし、沈黙があった。
シロは顎に指を添え、山根は真顔で深月の横顔を覗き込んでいた。あんみつを掬う羽鳥のスプーンも、宙で半端に止まっている。
やがて、羽鳥がそのスプーンを口に運んだ。もぐもぐと咀嚼して、飲み込んで、マイペースに口を開く。
「警察、レイシー知ってるんか」
的はずれなところにコメントをした羽鳥に、シロがちらりと目線を向けた。
「一部だけね。ほら、狩人に武器の所持を認めたり、訓練所として警察署を使わせてもらったりするから、そこは共有されてる」
「ほーん、そかそか……」
羽鳥はまた、あんみつをスプーンで混ぜ合わせてひと口分掬った。彼を横目に、深月が怪訝な顔をする。
「おいお前、お前も狩人の家系かなんかじゃなかったか? こんなの常識だろ、そんなふわっとした認識なのかよ」
「ちゃうよー。昔から狩人の家系となにかと関わりがあるってだけで、狩人じゃないよ。だから俺ちゃん、分かんなーい」
ふたりのやりとりを一瞥し、山根がシロに微笑みかけた。
「手負いのレイシーか、灰の付着した狩人。そのどちらかが、老婆の死体遺棄現場を通った……というのは、間違いなさそうねー? やったあ、私の仮説が真実に近づいたかもー」
嬉しそうな彼女の横で、深月は浮かない面持ちで言う。
「まあ、叔父さんの真実に近づいたのは喜ばしいが……諸手を挙げて喜べるわけじゃねえ。これシロちゃんの前で言うの嫌なんだけど……。シロちゃんも分かってるよな」
それを受けてシロは、にこっと微笑んで返す。
「レイシー或いは狩人が、老婆を埋めた可能性がある、容疑者なんだよね」
「……そういうことだ」
深月は苦々しく頷いた。
「レイシーはまあ、人を喰い殺すから充分ありうる。狩人も……レイシーと間違えて、人を殺めてしまったかもしれない」
「だよねえ」
シロはそれだけ言って、茶を啜った。深月が顔を伏せる。
狩人は、対レイシー用の武器として刃物を持つ。拳銃を愛用しているチェシャ猫も、それとは別にナイフを携帯している。シロの叔父も、銀のナイフを持っていた。そして、死んでいた老婆の胸には、刃物による刺し傷があった。
山根は二回まばたきをして、うーんと唸った。
「実際、そういうケースに備えて狩人向けの保険はあるけれど……あの人が手違いで人を殺したりするかしらね。ただ近くを通っただけだと思うわ」
「僕もそう思いたい。だけど、見た目が人間のレイシーを容赦なく殺してるの見てきてるからかな。人を殺す姿も容易く想像できちゃうんだよね」
シロは冗談ぽく言って、にこりと笑う。
「いずれにせよ、手がかりを見つけたことには変わりないよ。ふたりとも、ありがとう」