策士は溺れない(壱)
「では皆さん、この週末はしっかりと勉強して、来週の新入生テストに備えるように。テストの成績いかんによっては補習も考えなければなりません。まあ、そんな情けない子には自主退学を勧めますけれども……ね!」
言葉の最後に学級担任の星埜守律子先生は、じろりとボクに視線を向けてくる。
うーん、本当になぜなのだろうか?
ボク、一度でも先生の気に障るようなことをしたかな?
まあ、そんなことはあったけれど、今日のショートホームルームも無事に終わった。
放課後になると、すぐに下校する人と部活動に参加する人の割合は半々ぐらいだ。他の高校では一年生は部活動に全員加入というところも多いらしいけれど、星埜守学園は個人の意志に任されている。
大学受験のことを考えると、一年生のうちからスタートダッシュをキメるとそれだけ有利だし、先生たちも暗にそれを勧めているようだ。
そしてボクはというと、結局どの部活動にも入らなかった。べつに勉強のためではなく、何よりもボクにはやらなければならない大切な仕事があるからだ。
「ショタ君きもっ! なーに一人でぶつぶつ言いながらニヤニヤしているのよ! きもっ!」
席についたまま考え事をしていたら、突然花梨さんの声がした。
「えっ? ボク今笑ってた?」
「うっわー、無自覚でぶつぶつニヤニヤするなんて、もう末期症状だわー、うっわー」
荷物を盾にするように顔の高さまで持ち上げて、わざとらしく顔を背けてヘイトスピーチを仕掛けてくる花梨さん。
最初のころはそんな彼女の突然の口撃に戸惑うばかりだったボクだけれど、もういい加減慣れてきた。
だから苦笑いを浮かべながら、ボクも帰り支度を急ぐことにした。
「ま、以前のペラペラな作り笑いよりもいいけどさー。うん、ほんと、あんたは男の子にしておくにはもったいないぐらい、ニヤニヤ顔も可愛いよ! にひっ」
「えっ、えっ?」
思わず挙動不審になってしまうボク。
口撃の威力は、日々進化していくのだ。
「ほら何しているの、一緒に行くんでしょ?」
「あ、うん。ちょっと待ってて――」
ボクは慌てて帰り支度を済ませて、廊下へ先に出ていく彼女をととと、と小走りに追いかける。
この構図、もしこれがラブコメの世界だったら、さしずめ花梨さんが男役でボクはヒロインって感じだよね?
まあ、ゼッタイにこの世界はラブコメなんかじゃないんだけどさ!
ボクと花梨さんの向かう先は生徒会室。新入生歓迎会の一コマで、図らずも生徒会の企画である『ワンダーランド計画』の手伝い買って出てしまったことにより、ボクらはこうして時々呼ばれているのだ。
隅にホコリがたまっている北側の階段を降りていくと、正面に生徒会室がある。
その奥には旧理科室や美術室などがあるのだけれど、共に新校舎に移ったため、今ではほとんど使われることのない茶室や談話室の他は、ただの物置部屋として使われているようだ。
花梨さんは生徒会室のドアの前で立ち止まり、コホンと咳払いをしてから身なりを整えている。最近気付いたことだけれど、普段は『オトコ、オトコ』と空気の読めないことを言っている花梨さんも、生徒会に呼ばれたときだけは少しだけ大人しくなる。
なぜなら花梨さんは今、我が校の生徒会長、夢見沢楓に夢中なんだ。
たしかに姉はきれいだし可愛いし、スタイルが良くて頭も良い。何事にも完ぺきなんだから、花梨さんが憧れるのも無理はない。
でも、彼女が姉に憧れているのは男にモテるからという理由なのが少し心に引っかかる。
そもそも、姉が誰かと付き合っているという素振りを一度でもボクに見せたことがない。いや、何事にも完ぺきな姉のことだから、ボクには分からないところでいろいろな男と付き合っている可能性は否定できない。
もしかして、姉が付き合っている相手は生徒会のメンバーだろうか?
花梨さんがドアをノックして、中から声がかかるまでの間に、ボクはあれこれと想像してしまった。
「あら、いらっしゃい。まだ少し早かったかもしれないわ」
出迎えてくれたのは、生徒会書記の工藤美紀さん。
彼女は姉の友達であり、何度か家に遊びに来たこともあるのでボクはよく知っている。まるで日本人形のような黒髪が素敵な美人顔のおねえさんだ。
中に通されると、まだ生徒会のメンバーはほとんど来ていないらしく、工藤さんの他には二年生の鈴木先輩しかいなかった。
ちなみに鈴木先輩は新入生歓迎会で司会をしていた人で、当時は茶髪のツンツン頭という派手な髪型だったけれど、いまは髪も下ろしてすっかり落ち着いた雰囲気になっている。
メガネをかけて、勉強している姿はあの頃のイメージはなく、普通にイケメン顔のガリ勉君という感じだ。
「皆が集まるまで、貴方たちも勉強する? それとも、私が話し相手になろうか?」
にこりと笑う工藤さんの口元にえくぼがうかぶ。
幼さの残る姉の可愛らしさに対して、工藤さんのそれは成熟した大人の雰囲気がある。
「え、あっ……じゃあ、べ、勉強します! ね、花梨さん?」
「いえ、カリンは勉強とかはいいんで、センパイに会長の話をいろいろ訊かせて欲しいんだけど……」
「えっ、カエデの話し?」
意外な返答に呆気にとられている工藤さん。
ごめんなさい先輩! 鮫嶋花梨は空気の読めない子なんですー。
「か、花梨さん、それは本人が来たら直接訊いた方がいいんじゃないかな?」
「そ、そうよ! カエデならきっと何でも答えてくれるわ!」
ボクが助け船を出すと、工藤さんはホッとした表情で同調してくれた。
でも、そんなボクらの焦りは、当の本人には全く伝わっていないようで……
「いえ、そんな不躾な質問をして、会長が気分を害されてはいけませんので、センパイから間接的に訊きたいんです!」
「えっと……それは裏を返せば、私には不躾な質問をしても構わないという意味になるんだけど……?」
工藤さんの口元がわずかに引きつった。
「ま、まあいいわ……私に答えられる範囲で良いなら……」
「ありがとうございます。では、さっそく――」
花梨さんは膝に手を置いて、ちょこんと座り直す。
なんかこういう仕草は可愛いんだよね……あっ、小学生の女の子みたいな感じでという意味でだよ?
「会長は結局、誰と付き合っているんですか?」
直球ど真ん中の不躾な質問がキター!
ボクはわずかにずっこけそうになったけれど、工藤さんはボク以上にイスから転げ落ちそうになっている。
そして、なぜか奥で黙々と机に向かって勉強していた鈴木先輩も、机にガンとおでこをぶつけて突っ伏してしまったのだ。





