春の嵐(肆)
その昔、ボクの笑顔には人を殺せるぐらいの力があったらしい。
ボクの産まれた病院では、看護師キラーという通り名が付けられていたと母から聞いたことがある。ボクの笑顔を見た女性は、呼吸を忘れてしまうぐらいに身もだえてしまう。
それは幼児期に入っても続き、幼稚園の先生や他の園児の母親たちをメロメロにしていたらしい。
ただ、当時のボクはそれが特別なことだとは思っていなかった。だって、それは生まれつきのものだったのだから、自分が周りの大人たちに特別扱いされていることなんて気づくわけがないよね。
それがある時期を境に、がらりと世界が変わってしまった。
ボクは笑い方を忘れてしまったんだ。
それがなぜかは今でも分からない。ただ、白くて細い指先が、真っ暗闇にいたボクの手を引っ張り上げてくれたことだけは覚えている。
気がついたら喜多がいて、ボクと姉の遊び相手をしてくれていた。
そうして三人で遊んでいるうちに、ボクは笑い方を思い出したんだ。
ただ、それは家の中での話だ。学校などの公共の場では、まだ心から笑うことはできない自分がいる。
でも、それでいい。
笑顔を貼り付けて、場の流れをつくる力があれば、それでいい。
もう、それで充分なんだ――
花梨さんを省こうとしている猫目の体育委員は、ボクが笑顔を向けると頬を染め、ばつが悪そうにうつむいた。
足を伸ばして床に座るペアの子の背中を押しながら、チラとこちらを見て、また視線を外した。
花梨さんをハブく道具に使おうとしたボクに笑顔を向けられて、明らかに戸惑いの表情を浮かべているんだ。
さて、次は――
「花梨さん、柔軟体操しよ!」
ボクは笑顔で手を伸ばす。
悔しいけれど、体育委員の二人が言うとおり、ボクらは背丈が似通っている。
目線の高さもほぼ同じだから、目が合うとちょっと照れくさい。
だけど、ボクたちが何の戸惑いもなく普通にペアを組んだとしたら……それを花梨さんを貶めようと企んだ人たちが見たとしたら……それはもう、ボクらの勝利だと思って良いはずだ!
でも。
花梨さんは場の空気を読まない。
鮫嶋花梨はそういう女の子なんだ。
「やってあげてもいいけど、あんたのその顔なんとかならない?」
「……え」
「気持ち悪い」
目の前に伸ばしたボクの指先と顔とを交互に見ながら、花梨さんはため息をつく。そして――
「前から気になっていたんだけど、あんたの笑顔は気持ち悪いのよ。それ、ぜんぶ偽物じゃないの!」
ボクは何も言い返せずに――手で顔を覆うので精一杯だった。





