学園のアイドル(弐)
「新入生の皆さん――」
演台のマイクを通して姉の美声が体育館に響き渡る。
姉は一年生の一人一人の顔を確かめるように視線を巡らしていく。
目が合った瞬間に背筋をピンと立てる者、ツバを飲み込む者など三者三様の反応を示す生徒たち。
しんと静まる体育館。
「合格おめでとう! そして入学おめでとう!」
ピンと張り詰めた空気を一息で吹き飛ばすほどの姉の笑顔。
星高のアイドル、夢見沢楓の笑顔に会場が沸き立つ。
後方の上級生たちの盛り上がりは半端ない。
「わたしは生徒会長の夢見沢楓です。これから一年間よろしくね!」
上級生たちからカエデコールが沸き起こる。
話している内容はただの自己紹介だというのに、この盛り上がり方は神がかっている。
最初は戸惑うばかりだった一年生も、少しずつ手を振ったり声を上げたりする人が増えてきた。
ふと、ボクの脳裏には、とある女の子の自己紹介の場面が脳裏に浮かび上がってきたんだけれど……。もういっそのこと、花梨さんは姉の爪の垢を煎じて飲むといいと思うんだ。うん。
「さて、すでに皆さんはご存じだと思いますが、この星埜守学園高等学校は東京大学を筆頭として難関国公立大学の現役合格率で三年連続県内トップに輝いています。そのため、本校の入学志願者は年々増えていき、今年の入試倍率は七倍を超える狭き門でした。その難関を突破してここに座っている皆さんは、充分に誇っていいことです!」
右手でマイクを握り、胸の前で左拳を握る姉。
姉はややオーバーアクション気味なジェスチャーを交えながら言葉を紡いでいく。それが姉以外の生徒ならば嘲笑されるかも知れない。けれど今演台に立つのは星高のアイドル・夢見沢楓なんだ。
「ほんとーにっ、受験勉強お疲れさまでしたー!」
スピーカーが割れんばかりの声量。
キーンというハウリングの残響。
次の瞬間、ボクの脳裏に一年間の出来事が走馬灯のように浮かんでは消えていく。
星高への進学を早々に諦め、地元の公立高校を目指していたボク。
小・中と受験に失敗し、もう姉の背中を追いかけることを諦めていたボク。
でも、心の底では諦めたくはないともがき苦しんでいたボク。
だめだ。あふれ出る涙が止まらない。
隣の山田君はメガネを外しておいおいと声を上げて泣いている。
「でもね……勉強以外のことで後悔している人も多いんじゃないかな?」
先ほどまでとは打って変わってくだけた言い方に変わった。
斜め上に視線を向けて、首を傾げる姉。
全員の視線が再び姉に集中した。
「たとえば……そうね、好きなことをやらずにずっと我慢してきたっていう人は手を挙げてみて! あ、結構いるよね。うふふ、もう我慢せずにやっているのかしら? え、まだ我慢中なの? 大学に合格するまで我慢するって? キミはがんばり屋さんなんだね!」
姉は最前列にいる男子生徒と話している。マイクを通した姉の言葉しか聞こえてこないけれど、その生徒の言葉の大まかな内容は分かるように進んでいく。
「じゃあ……好きな〝もの〟じゃなくて好きな〝ひと〟を我慢した人はいる? あ、やっぱり女の子に多いのね。じゃ、もう受験が終わって堂々と会えるように? え、もう会ってないの? そっか、一度疎遠になっちゃうとね……」
マイクを通して気さくに話しかける姉に、女子生徒たちは身を乗り出して恋バナに花を咲かせる。体育館がお花畑のように穏やかな雰囲気に包まれていく。
「じゃあ、本当はスポーツをやりたかったのに、我慢してきたって人は? あ、結構いるねぇ……。ふーん、キミはサッカー部だったんだ。そっか、うん、二年生になると? 勉強に専念するために? 親に辞めさせられた? あー、結構いいそうよね、そういう子。ね、星高にもサッカー部あるけど、入る? え、考え中? 真田くーん、新入部員の候補がここにいるわよー!」
後方の席からサッカー部の部長らしい先輩が大きく手を振り、大声で勧誘を始めると、体育館は笑いの渦に包まれた。
「さてと……」
唇がマイクにつくほどの至近距離から声を吹き込みながら、姉は演台の前に回り込む。
笑いの渦が一瞬にして緊張感に変わっていく。
そう――この会場は今や、生徒会長・夢見沢楓を中心に動き始めていたのである。