ボクのコスプレ撮影会(中編)
「祥太ちゃん、もっと低く! 低くよ!」
「う、うん。こう……かな?」
心のスイッチが完全に探偵モードへと切り替わっている母は、背の低さを悩んでいるボクに向かって、低いという言葉を何度も何度もかけてくる。その度にボクの小さな胸はズキンと痛みが走るんだけれど……まあ、母に悪気があるわけではないんだから仕方がないよね。
喜多からは死角になるルートを巧みに進んでいき、キッチンカウンターへと向かっていく母。その後ろを注文通りに低い姿勢で付いていくボク。
母の後ろ姿はまるでハリウッド映画に登場する女警官みたいな雰囲気だ。午後の入学式に参列するために、紺色のブレザーを着ているから余計にそう見えるのかもしれない。ただ、下はズボンではなくてスカートだし、手に持っているのは拳銃ではなくサラダ用のトングなのだけれど。
キッチンカウンターの横からそっと顔を出す母。ボクもその上から喜多の様子をのぞく。
喜多はボクらの三メートル先の流しの前でうつむき、ポチポチと何かの操作をしていた。
「あれはケータイだね」
「そうね携帯電話だわ。あらあの子、未だにガラケーなのね。いやだわ、あれじゃまるで私が払っているお給料じゃ新しいのを買えない、可哀想な子みたいじゃないの! あれって、私への当てつけかしら?」
「えっ」
じっさい、喜多のケータイは『ガラケー』と呼ばれる古いタイプで、黒い塗装が所々剥げていて白いプラスチックがむき出しになっている。
普段の彼女は仕事中にケータイを取り出すことはしないから、母は初めて見たのだろう。
「それにしても、あんな小さな画面を食い入るように見ているなんて、一体何をしているのかしら……」
「家族とメールしているのかな? 今日のお昼は何を食べるとか」
「喜多の家族? それは無いでしょ!」
「え、どうして?」
「だって、喜多は……あっ、何でもないの。うふふふ、ママ勘違いしちゃった、てへぺろ!」
何かを言いかけて誤魔化すように、舌をペロッと出して戯ける母の周りにお花畑が広がった。
母が二十七歳のときにボクは生まれたのだから、もう相当の歳だと思うけれど、そういう仕草が自然にできるのはすごいと思う。
「じゃ、合図と同時に祥太ちゃんは喜多の足にタックルするのよ! ママは上半身に飛びついて携帯を奪うわ!」
「ええっ!?」
思わず驚きの声を発してしまったボクは慌てて口を塞いだけれど、喜多には気づかれずにすんだみたい。携帯のボタンをポチポチ押しながら、食い入るように画面を見ている。
母はボクの背中をぐいっと押しながら、流ちょうな英語の発音でカウントThreeから数え始めている。
「え、ボクが先に飛びつくの?」
母の目は獲物を狙う鷹のように鋭く、ボクが振り向いても視線をピクリとも動かさなかった。
もう、やるしかない。半ば破れかぶれな気持ちになってくる。
カウントZero.
「うわーっ!」
「くせ者! はっ、ショウタ様?」
一瞬、喜多は足を広げて身構えたように見えたけれど、それはボクの目の錯覚だったのだろう。ボクの両腕はしっかりと喜多の両足を抱え込むことに成功していた。
「何事ですか!? 奥様?」
「さあ、観念して携帯電話を渡しなさい!」
ジタバタと動く喜多の足を押さえ込んでいるボクの頬は、彼女の太ももに触れて、何だかいけないことをしているような気分になってくる。
「えっ、これでございますか?」
「そうよ、早く寄越しなさい!」
「い、いいですけど……なぜに? ああっ♡」
足は少し筋肉質だから、きっと何かのスポーツをやっている人なんだろう。家政婦として働いている時間以外の彼女のプライベートなことは、ボクはまだ何も知らない。
ふうーっとため息を吐いたら、変な声を上げられてしまった。
「なっ、なな、なんということでしょう……」
何かに驚いた母の声を聞き、ボクはとっさに顔を上げた。
すると、足を抱えられたまま上体を起こした喜多が頬を染めてボクを見つめている姿と、女の子座りで携帯電話の画面に視線を落としてワナワナと肩を振るわせている母の姿が見えた。
「これ……いつ撮ったのかしら?」
「昨夜でございます奥様……」
「喜多……あなたは一介の家政婦に過ぎないのに……それなのに……母である私を差し置いて、こんな素敵な写真を持っているだなんて、万死に値するわ!」
「はっ……申し訳ありません! 私、今の今まで気づきませんでしたが、確かにこの写真は見る者の魂を吸い込む悪魔力があるのかも知れません! 不肖家政婦の喜多、一生の不覚! 今すぐ削除しますゆえに……」
「だめぇー、それは勿体ないわよーっ!」
喜多が手を伸ばし、母が携帯電話を取られまいと抵抗する。
決して広くはないキッチンスペースがカオス状態となっていく。
「ちょっと、喧嘩はやめなよ、二人ともーっ」
「ほら、祥太ちゃんが悲しんでいるわよ!」
「奥様が私の電話を返してくれれば良いのです!」
「貴女がこれを消すだなんて言わなければいいのよっ」
「駄目です、それでは私の面目が立ちませぬゆえに……ああっ」
「ああっ」
母の手からツルッと空中に舞い上がった喜多の携帯電話は、くるくる回転しながらボクの手元に落ちてきた。
小さな画面には、小さなボクが慣れない星高のブレザーを着て笑っている画像。
うん、これ……途中から何となく察していたよボク……